126 食堂じゃねぇのか
ここはどこで、私は何をしているのだろうか。
私は珍しく、ばばぁの言うことを聞いておけばよかったと思った。
◇
あれは、ハシュバルト公爵邸での一件が終わり、
ガイアースブルク侯爵家の屋敷に戻った時のことだ。
両親も兄貴も、これから政治工作で忙しくなると言って帝宮へ向かい、
ひい爺さんとじい様、それにばばぁは「隠居した者はここまで」と言って、
それぞれの部屋へ休みに行った。
去り際、ばばぁからは、
「今日はもう遅いし、事後処理もある程度済んで、
情報が整ってからアンリちゃんに報告しなさい。」
と言われていた。
けれど弟のカインはもう寝ていて、わざわざ起こすのもあれだ。
それに、先ほどまでの戦闘の興奮が残っていて、
とてもじゃないが大人しく休める状態じゃなかった。
だから私は、話に聞いていたヘイムとかいう店へ行くことにした。
傷ついたハルの奴が運ばれているはずだ。
あいつ、弱ぇんだよ。
弱いくせに前線に出やがって。
実力も経験も全然足りねぇ。
それでも経験を積みたいからって前線に出たがったから、
仕方なく私がサポートしてやろうと一緒に行ってやったのに。
それなのにはぐれやがって、案の定ボロボロじゃねぇか。
見失ってから、どんだけ心配したと思っていやがる。
妹さんが待っているんだろう。もう他に家族はいないんだろう。
悲しませてどうすんだよ。
私はばばぁが止めるのを無視して、ヘイムへ向かった。
場所なんて教わらなくても分かる。
世界樹。
あんなに目立つ目印はねぇ。
私は久しぶりの帝都を駆けた。
待っていてくださいね、姫様。私の活躍をたっぷり語らせていただきます。
ハシュバルト公爵邸であれだけの騒ぎが起きたのだ。
帝都民も何事かと家から出てきて、
遠くハシュバルト公爵邸の方角を見つめている。
無用な混乱を避けるため、すでに騎士団や衛兵があちこちに配置され、
治安維持に当たっていた。
まあ、あんだけの大騒ぎだ。
帝都中の注目を集めるよな。
途中、何度か騎士団や衛兵に呼び止められたが、
私がガイアースブルク侯爵家の者だと分かると問題なく通してくれた。
まったく、治安維持のためとはいえご苦労なこった。
そうしてヘイムへ着いたのだが――。
「なんだこりゃ……」
食堂だと聞いていたけど、これ、ちょっとした砦じゃねぇか。
確かに、洒落た並木通りに噴水、ベンチなんかもあって、
私の学生時代にこんな場所があったら
人気スポットになっていただろうなと思う。
よく見ると、門限破りらしい学生のカップルまでいる。
まあ、物分かりのいいOGとしては黙っていてやるが、ほどほどにな。
並木通りの先には浅いながらも堀があり、その向こうを綺麗な壁――
いや、防壁が取り囲んでいる。
見た目に騙されてはいけないとも聞いている。
ヘイムに害をなそうとする者や邪な考えを持つ者はもちろん、
射撃や魔術すら拒む結界が張られているらしい。
そして唯一の入り口である、堀に掛かった橋を渡り、壮大な門をくぐる。
ここで魔王や、第二皇子と第二皇女の手勢と戦ったと聞いた。
噂では第六騎士団とも戦ったとかなんとか。
どこまで本当なんだか。
そんな戦いがあった場所とは思えないほど、周囲には戦闘の跡一つなく、
綺麗に整えられている。
店はまだ開いている、というより、
今日の騒ぎのせいで閉店時間を延ばしたみたいだな。
とはいえ、店内で食事をしている奴はほとんどいない。
さて、ハルの奴と姫様はどこだ。
後片付けをしている女性の給仕に声を掛け、
場所を聞こうとして――私は固まった。
「デヴォン伯爵令嬢……なんでこんな所に」
あのコック野郎がやっている店にしては、
やけに優雅で綺麗な女性だとは思っていた。
けれど、なんであなた様がここに。
私が呆然としていると、デヴォン伯爵令嬢がじろりとこちらを睨んできた。
「すみません、次期伯爵様」
呼び方を間違えたと思って言い直したが、
今度はため息をつかれてしまった。
「ええと……」
じゃあ、なんと呼べばいいんだ。
困って視線を泳がせたところで、私はさらにおかしなことに気づいた。
なんだこりゃ。
デヴォン伯爵令嬢だけじゃない。
店内にいる給仕達のほとんどに見覚えがある。
プリンセスガードの皆さんじゃねぇか。
私が驚いていると、デヴォン伯爵令嬢はやれやれといった顔で肩を落とした。
「アンナよ、アンナ。ただのアンナ。
お分かり? ハーケン家のソフィーさん」
ハーケン家。
ばばぁが身分を偽る時に使う家名だ。
憧れのプリンセスガードの皆さんを前にしているせいか、
さっきまで戦場を駆け回っていた時とは違う緊張が込み上げてくる。
私は以前、一度だけプリンセスガードの試験を受けたが、不合格だった。
今度こそ受かるようにしないと。
「はい、そうです!」
私は背筋を伸ばし、敬礼して返事をした。
デヴォン伯爵令嬢――いや、アンナ様は額を押さえた。
「はぁ……あなた、私がアンナと名乗った意味、分かってないでしょう」
「ハーケン家のお孫さん」
まずい。
何か間違ったかな。
尊敬する先輩方に対する礼儀としては間違っていないと思うのだが。
一向に敬礼を解こうとしない私を見て、
彼女はとうとう呆れたように説明してくれた。
「いい? 本名ではなく、偽名や通り名を名乗っているの。
それに合わせた対応をしなさい」
なるほど。
つまり今はデヴォン伯爵令嬢としてではなく、
ただの給仕として対応しろということか。
無理です。
偉大なる姫様にお仕えする先輩方。
姫様の身の回りのお世話から執務の手伝い、
そして護衛までこなす皆様を、ただの給仕として扱うなどできるはずがない。
そんな私を、アンナさんがじとっとした目で見てくる。
周りにいるプリンセスガードの皆さんも、
とうとう耐えきれなくなったのか小さく笑っていた。
「もういいわ。それで、何? 入隊試験は今やってないわよ」
「姫様なら執務室よ。そこの扉を抜けて、通路沿いに真っ直ぐ進みなさい。
突き当たりに商業ギルドの作業着を着た二人組がいるから、
ハーケン夫人の孫だと言えば通してくれるわ。案内もしてくれるはずよ。」
そう教えてもらい、早く行けと促される。
私は再び敬礼して歩き出そうとしたが、
どうしても皆様の姿が気になってしまい、つい振り返った。
「何? まだ何かあるの? 閉店間際で忙しいんだけど」
「いえ、別に。ただ……」
「ただ?」
アンナさんに促され、私は前から気になっていたことをそのまま口にした。
「姫様の親衛隊である皆様が、
なんであの軟弱コック野郎の店で働いているのかと思いまして。」
私にとっては当然の疑問だった。
皆様は、ほとんどが伯爵家以上の家柄の出身だ。
目の前のデヴォン伯爵令嬢なんて、次期伯爵であり、次期当主でもある。
なんでそんな人達が、食堂なんかで給仕の真似事をしているんだ。
姫様のお世話でもないのに。
けれど、その言葉を口にした途端、
先ほどまで私とアンナさんのやり取りを見て
笑っていた皆様から、笑顔が消えた。
プリンセスガードの皆さんだけじゃない。
他の給仕達も、そして一部の客まで、
まるで敵を見るような目でこちらを見ている。
アンナさんに至っては、いつの間に抜いたのか、
その手には短剣が握られていた。
「ソフィーさん。一度だけ見逃してあげる」
さっきまでとは違う、冷たい声だった。
「恐らく、あなたもその辺の馬鹿婚約者と一緒で何も知らないのよね」
「何も知らない一般のお客様ならともかく、姫様に仕えたい、
プリンセスガードになりたいと思っているのなら――
ましてハーケン夫人のお孫さんなら」
アンナさんの目が細くなる。
「店主さん――ヴァルナ殿のことくらい、知っていると思っていたけど」
「どうやら、私の勘違いだったみたいね」
そう言って、静かにすごんでくる。
えっ。
あのコックだろ。
いつも情けなくて、姫様に馴れ馴れしくて。
確かにガイアースブルク侯爵領に希望をくれたけどよ。
どう見ても、ただの軟弱野郎だろ。
全然、偉大な魔法使いには見えねぇ。
そんな私の考えを読んだかのように、アンナさんがさらに言葉を重ねた。
「そう。魔法使いの姿を見ても、その言いようなの」
「あなた、もう諦めたら?」
えっ。
何を諦めろと。
まさか、プリンセスガードのことじゃないでしょうね。
けれどアンナさんは、それ以上答えてくれなかった。
もう早く行けとばかりに、皆それぞれ仕事へ戻り、
残っていた客達も会計を済ませて店を出ていく。
なんなんだよ。
私は何がなんだか分からないまま、言われた通り店の奥へ進んだ。
途中の行き止まりで作業していた、緑と赤の服を着た二人組の男に、
言われた通り「ハーケン夫人の孫だ」と伝えると、
ついてくるように言われた。
なんだ、ここ行き止まりだったよな。
そう思っていると、二人は何もない壁に手を触れた。
すると、さっきまで確かに何もなかった場所に扉が現れ、
そのまま通り抜けていく。
いや、隠し扉ってもんじゃねぇぞ。
本当に、さっきまで何もなかったじゃねぇか。
私は呆気に取られながら二人についていった。
そんな仕掛けをいくつか抜け、かなり奥まで進んだところで、
一つの部屋の前にたどり着く。
金髪で赤い服を着た男が扉をノックすると、
中から扉が開き、隊長が顔を出した。
良かった。
ようやく顔見知りで、まともに話ができる人に会えた。
隊長は二人組の男に礼を言うと、私を部屋の中へ入れてくれた。
しかし、あの二人はいったい何なんだ。
商業ギルドの作業着を着ていたが、門番か何かか?
秘密の扉の前にいたし、あの体格もただの作業員には見えねぇ。
というか、ここ食堂じゃねぇのか。
やたら広いし、通路は複雑だし、
もう一度一人で来いと言われても、絶対自信ねぇぞ。
中へ入ると、姫様が笑顔で迎えてくれた。
ぐすん。
ここに来てから、そんなに優しく迎えてくれたのは姫様だけです。
部屋の中には、姫様と隊長、それから、
これまた給仕の格好をしているのに、腰に剣を帯びた逞しい男がいた。
「グラウハイム卿、警備体制の見直しの続きは明日にしよう。
今は帝都で起きた騒動の結果を聞きたい」
姫様にそう言われたグラウハイム卿とやらは、短く返事をすると、
机の上に広げていた資料らしき物を片づけ始めた。
帯剣が許されているなんて、余程信用されているんだな。
礼儀作法もしっかりしているし、
警備体制の話なんかもしている。騎士か何かか?
私がそんなことを考えていると、姫様がこちらへ向き直った。
「で、どうであった。上手く片付いたか?」
そこで姫様は私の顔をじっと見て、少し首を傾げた。
「浮かない顔をしておるが、何かあったのか?」
そう聞かれたので、私はヘイムへ来てからの出来事を一通り話した。
すると隊長は呆れた顔になり、グラウハイム卿には深いため息をつかれ、
姫様には笑われた。
「そうか。それは、そなたが悪い」
姫様は笑いながらも、はっきりと言い切った。
「リオニー様にも忠告されておったであろう。何も知らぬ者ならともかく、
そなたも見たはずじゃ。ヴァルナの魔法使いとしての姿を」
そこで姫様は一度言葉を切り、さらに続けた。
「そして、普段どういう人物なのかもな」
はい。
だから、見たまんま、思った通りのことを言ったんですが。
私が納得できずにいるのが分かったのか、姫様は苦笑した。
「まあよい。それが普通の反応じゃて。
もっとも、魔法使いとしての姿と、あやつが起こしたことまで見たうえで
そう呼ぶのは、どうかと思うがの」
姫様は肩をすくめた。
「後で皆には言っておいてやる」
良かった。
これで先ほどの怖い視線からは助かる……と思ったが、姫様の話はまだ続いた。
「皆のう、ここで働き、ここに住み、共に暮らしておる。
仲間意識というか……ここにおる者は皆、家族という意識が強くての」
姫様の声が、少し柔らかくなる。
「特にヴァルナはダメダメなんじゃが、皆、妙に放っておけんらしくての。
あやつに対しては、かなり過保護なんじゃ」
そこまで言ったところで、姫様は急に真面目な顔になった。
「ソフィー、気をつけろよ。特に雪原のフェンに住む一族にはな」
雪原のフェン?
私が首を傾げると、姫様は補足してくれた。
「そなたには、ダークの称号持ちと言った方が分かりやすいか」
思わず背筋が伸びた。
ダークの称号持ち。
思い出した、雪原のフェン、かつて北方で暴れた魔族の末裔。
「あの者達は、自分達に永住の地と保護を与えてくれたヴァルナに、
崇拝に近いものを持っておる。
何も知らずに馬鹿にすると、本当に痛い目を見るぞ」
姫様は冗談ではないという顔で忠告してくれた。
どうしても、あのコックがそんな存在には見えねぇんだけどな。
けれど姫様がおっしゃることだし、さっき店内で起きたこともある。
少しは気をつけた方がよさそうだ。
それにしても、ダークの称号持ちって。
ここはいったい何なんだよ。
本当に食堂なのか?
「ここはの、ヴァルナが始めた食堂であり、
大切な家族がおる場所であり――そして魔法使いの工房じゃ」
姫様は、私の疑問を見透かしたように言った。
「おとぎ話や帝国学園の授業で習ったであろう。
魔法使いの工房では、何が起きても不思議ではないとな」
そして、少し楽しそうに笑う。
「つまりここは、伝説の世界樹まである魔法使いの工房じゃ」
そう言われて、私は今さらながら気づいた。
ここへ来るための目印は何だった?
あのガイアースブルク侯爵領の龍穴を目覚めさせたのは誰だった?
そして、その人物が今暮らしている場所は何なんだ。
魔法使いの工房。
そこで暮らし、働くということがどういう意味なのかを、
私は遅ればせながら思い出した。
「だから、姫様の侍女試験に落ちるのですよ」
横から隊長の冷静な声が飛んできた。
「家格も武術の腕も問題ないのに」
うぐっ。
隊長にまで駄目出しをされてしまった。
その後、私は姫様に、
ハシュバルト公爵邸であれから何があったのかを一通り報告した。
ちょうど報告を終えた頃、部屋の扉がノックされる。
隊長が扉を開けると、一人の美形の執事が入ってきた。
なんだよ。
こんな美形が、この世にいるのかよ。
まさか姫様のお付きとかじゃないよな。
身体はすらりとしているのに弱々しさはなく、
立ち姿にも動作にも一切の隙がない。
服装も完璧で、まさに物語に出てくる執事そのものだった。
「なんじゃ、珍しいのう。そなたがここに来るとは」
姫様がそう声を掛けると、男は見惚れるほど綺麗なお辞儀をした。
「お話もちょうど終わった頃かと思いまして」
声まで美しい。
なんだこいつ。
このままずっと聞いていたくなるような、耳に心地よい声じゃねぇか。
「帝都での騒ぎについて、
ご報告を受けたい方がおられるようでして、お迎えに参りました」
男は穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。
「ですが、少々張り切りすぎている者がおりまして。
そちらを抑えに行かなければなりませんので、
どうかどなたか、ご案内をつけていただければと」
「なんじゃ。そなたが自ら出向くとは……エマ達か」
姫様の表情が少し引きつった。
「はい。申し訳ございません」
男は笑顔を崩さない。
「久しぶりに歯ごたえのある方が来られまして、少々はしゃいでおります」
「何……」
姫様が頭を抱えた。
なんですか。
この店で喧嘩か何かですか。
それなら、姫様を悩ませるような奴らを私が――。
「おやおや。元気なお嬢様で」
男がこちらを見て、にこりと笑った。
ああ。
その笑顔で、いつまでも見つめていてほしい。
私が思わず見惚れていると、隊長から冷たい声が飛んできた。
「お前が敵う相手ではない。あの者共は」
えっ。
どんな奴なんです、そいつら。
姫様はしばらく頭を抱えていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「分かった。報告には行かせるから、そちらを頼む」
「承知いたしました」
それで話が終わるかと思ったが、姫様はふと疑問を口にした。
「しかし、なんであいつらは、
あの方々に対していつもあれほど挑発的なんじゃ」
すると男は、少し意外そうに眉を上げた。
「おや。挑発的だなんて」
それでも笑顔は崩さない。
「マスターを害する者達に対してのみですよ」
「別にヴァルナに敵対してはおるまい」
「ええ。ですが、利用しようとしております」
その言葉に、姫様の表情から少し笑みが消えた。
「そうじゃな。それは時々、我も感じる」
何の話だ?
さっきから分からないことばかりだぞ、この店。
姫様は小さくため息をつくと、私の方へ視線を向けた。
「明日……というか、もう今日じゃな。夜が明ければ、正式な使者も来よう」
そして、机のそばに立っていた男へ顔を向ける。
「グラウハイム卿、悪いがソフィーをヴァルナの所まで案内してやってくれんか。
我はまだ片づけねばならんことがあるでのう」
「はっ」
グラウハイム卿が姿勢を正し、綺麗な敬礼で了承した。
やっぱり、こうだよな。
騎士じゃないが、私もこうやってきちんと敬礼して、
こういうやり取りをしたいぜ。
それにしても、コック野郎……いや、魔法使い様だったか。
気に入らねぇが、姫様のお言葉なら仕方ない。
私もグラウハイム卿を真似して、びしっと敬礼した。
そのまま部屋を出て、彼の後についていく。
扉を閉める寸前、隊長の呆れた顔と、姫様の笑い声が見えた。
だからって止めるつもりはねぇ。
これが私のやり方なんだ。
グラウハイム卿について、食堂というか屋敷の中を歩いていく。
マジでこれ、迷路だろ。
みんなここに住んでいるって言っていたけど、迷わないのか?
隠し扉やら迷路みたいな通路ばかりじゃねぇか。
さっきの二人組もそうだったが、グラウハイム卿もまるで迷う様子がない。
どこに何があって、どう行けばいいのか全部頭に入っているのか。
すげぇなぁ。
そんなことを考えながら歩いている途中で、
ふとグラウハイム卿という名前に聞き覚えがあることを思い出した。
吟遊詩人の歌や演劇に出てくる名前じゃなかったか?
気になって聞いてみると、案の定そうだった。
魔王退治の英雄の一人。
橋の上での仁王立ち。
そして勇者パーティーと共に、覇王大帝とかいう転移者の悪党を討ち取った英雄。
痺れるねぇ。
こんな所にもいたよ。
なるほど、姫様の前で帯剣を許されているわけだ。
確か元は第六騎士団所属の騎士で、橋の上で悪徳騎士を叩き斬り、
その後ろにいた悪党達を睨みつけるだけで追い返した、と歌われていたはずだ。
ところが本人に聞いてみると、
「元上司筋の騎士を斬ったのは確かだけど、
睨んで騎士団を追い返したわけじゃないよ」
と苦笑された。
なんでも、実際にはハルの野郎と二人で、
第二皇子と第二皇女の手勢を追い返しただけらしい。
だけって。
十分スゴイだろ。
覇王大帝の時も、
「鈴木殿や松平殿達がが気を引いてくれている間に、
後ろから止めを刺しただけだよ」
なんて言っていたが、それでもスゴイぜ。
特に覇王大帝との戦いじゃ、魔王の負のオーラとかいうもののせいで、
あの隊長ですら動けなかったと聞いている。
あれ。
そうなると、松平とかって奴らも実は相当すごいのか?
うーん、マジで分からん。
どう見ても隊長の方が強いだろ。
後であいつらに会って、いったん整理しないと頭がこんがらがってくるぜ。
それにしても、そんなスゴイ元騎士が、なんでこんな食堂にいるんだ?
気になって、私はそのまま聞いてみた。
やっぱり姫様についてきたとか、そんな感じなのかな。
「もう騎士じゃないのだから、卿づけはやめてほしいんだけどなぁ」
グラウハイム卿は、少し困ったように笑いながら答えてくれた。
なんでも、橋の上で斬った騎士をはじめ、
腐敗した騎士や貴族、商人に嵌められて、
冤罪で追放騎士となった時にコックと出会い、助けてもらったそうだ。
家族三人、行くあてもなく、下手をすれば野垂れ死んでいたかもしれない。
それか、食べていくために悪徳貴族や商人の用心棒にでもなって、
碌でもない生活を送っていたかもしれないと。
そんな自分達をここに住まわせ、生きるための糧を与え、
姫様達と共に冤罪まで晴らしてくれた。
そう話すグラウハイム卿の声には、軽い笑みの中にも、
今でも消えない感謝が滲んでいた。
それはグラウハイム卿達だけではないらしい。
ハルや他の者達も同じで、みんな何かしら困り事を抱え、
縁があってここへ辿り着き、そこでコックと出会っている。
コックに……いや、魔法使い様じゃなくて、ヴァルナ様か。
本人は魔法使い様と呼ばれるのがあまり好きではないらしいし、
そもそも魔法使いだということも、
むやみに言いふらさないようにと言われている。
そのヴァルナ様に、何らかの形で助けられ、
恩を感じている者がここには多いのだと、
グラウハイム卿は教えてくれた。
だから、不用意な発言はしない方がいい、と。
なるほど。
普段はあんなんでも、やる時はやるタイプなのか。
どうにも納得いかねぇ部分は残るけど、
私の故郷を蘇らせてくれたのも事実だからな。
「分かったよ。最低限の礼儀くらいは示すさ」
私がそう答えると、グラウハイム卿は嬉しそうに笑った。
「分かってくれて嬉しいよ」
それから少し歩いたところで、彼は穏やかな口調のまま続けた。
「みんな、ヴァルナ殿のことを呆れたり、笑ったりしているけど、
そこにはちゃんと愛があるからねぇ。本気で侮辱されると、みんな怒るよ」
なるほど。
さっきの店内の反応は、そういうことだったのか。
そんな話をしながら歩いていると、
やがて通路が開け、その先に見事な庭園が広がった。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
ここもスゴイなぁ。
ただ美しい、としか言えなかった。
色とりどりの花が咲き、整えられた木々が並び、
月明かりの下でも庭全体が柔らかく浮かび上がっている。
聞けば、ノームやドリアードなどの妖精や精霊達が
手入れをしてくれているらしい。
美しくて素晴らしい場所だが、グラウハイム卿からは、
「気をつけてね。どこにフェアリーガーデンがあるか分からないから」
と、さらっと怖いことを言われた。
待て。
それって、ダンジョンじゃねぇか。
そんなものが、こんな庭の中にあっていいのか?
ハルの妹や、グラウハイム卿の娘さんの同級生達が食堂に遊びに来て
よくここで遊んでいるらしい。
精霊界へ連れていかれないように、意思の疎通ができる
上級精霊が門番をしてくれているそうだが……本当に大丈夫なのか?
思わず私は一瞬身構えてしまった。
マジでここ、ヤバイな。
屋敷といい、この庭園といい。
さすが魔法使い様の工房ってことか。
◇
今思えば、この辺りまでの悩みなんて可愛いものだった。
庭園を抜けると、視界が一気に開けた。
平原の向こうには、ぽつぽつといくつもの明かりが見える。
あそこに住んでいるのは……確か、ダークの称号持ち。
いや、この呼び方は当人達があまりいい顔をしないんだったな。
雪原のフェンに住む一族達。
あの明かりは、彼らの住居らしい。
しかも、あのテラキン農場のグスタン親方まで家族と一緒に暮らし、
畑まで作っているという。
本当にスゴイな、ここは。
そう思いながらさらに歩いていると、今度は立派な神殿が目に入った。
『大地母神』様の神殿だ。
そしてその近くには、ブラス高等神官までいる。
確か『聖人』の二つ名を持つ有名人だよな。
なんでいるんだよ。
もう何が出てきても驚かないつもりだったのに、
次から次へと有名人が出てくるじゃねぇか。
グラウハイム卿はブラス高等神官にヴァルナ様の居場所を尋ねた。
すると、なぜか顔をしかめた。
なんだ?
何かあるのか?
もう寝ているとかか?
グラウハイム卿は答えを聞くと、深いため息をついて歩き出した。
その理由は、すぐに分かった。
『大地母神』様の神殿から少し歩いた場所に、もう一つ神殿が建っていた。
その近くにはヴァルナ様と、エルフの女性がいる。
そしてさらにその先には、ガイアースブルク侯爵領でお姿を拝見したあのお方。
その隣には、私がよく行く『軍神』様の神殿にある神像と、よく似たお方。
そして、もう一方。
……多分、あのお方も一柱なんだろう。
三柱の神々が、仲良く並んで食事をされていた。
私はその場で足を止めた。
なあ。
私が報告する相手って、ヴァルナ様だよな?
まさか。
あの三柱じゃないだろうな?
嫌な予感しかしない。
そう思いながら、それでもヴァルナ様の方へ向かった。
本人から「店主さんでいい」と言われたので、
店主さんに報告して、さっさと退散しよう。
そのつもりだった。
そのつもりだったのに。
呼ばれてしまった。
三柱の前へ。
報告するようにと。
ああ。
ばばぁの忠告を聞いておくべきだった。
素直に屋敷で休んでいれば、夜が明けてから、
ばばぁ達が正式に報告してくれただろうに。
近くにいたエルフの女性が、
哀れむような目でこちらを見て、静かに頷いてくる。
頼む。
代わってくれ。
……いや、無理か。
今回のことを直接見て、報告できるのは私だ。
私は諦め、がっくりと項垂れながら、三柱の前へ進み出た。
その時、私の後ろから呑気な声が聞こえた。
「あっ、ベルンさんも食べます?」
……悪かったよ、店主さん。
アンタのこと、コック野郎なんて呼んで。
この状況で、そんなことを平然と言えるのは、たぶんアンタだけだよ。
師匠のニューワールド講座 119
~ヘイムの迷宮編~
「師匠」
『なんです?』
「なんか、ヘイムがスゴイことになってません?」
『何がです?』
「配管工ブラザーズやベルンさんが、
迷路みたいになった通路や隠し扉を普通に通ってますよ。」
「問題ないんですか?」
『そうですねぇ……』
師匠が少し考える。
『あれ――そう見えて、そう感じているのはソフィーだけですね』
「えっ?」
『他の者達にとっては、普通の扉ですよ』
「普通の?」
『ええ』
『通路も、そんなにややこしくありません』
『ちょっと遠回りで不便だな、と思うくらいで』
『迷うようなことはありませんし、
どこに何があるのかも普通に頭に入っています』
「でもソフィーさん、完全に迷路みたいに感じてますよ?」
『それは、ソフィーから見たヘイムですからね』
「どういうことです?」
『そもそも、建物の複雑さだけでいえば――』
『帝宮はもちろん』
『ソフィーが暮らしている帝都のガイアースブルク侯爵の屋敷』
『そちらの方が、よほど複雑でしょう』
「そうなんです?」
『ええ』
『どこに何があるのか分かりにくいですし、
隠し扉や隠し通路なんて、それこそ沢山ありますよ』
「じゃあ、なんでヘイムだけ……」
『これは、あれですね』
師匠が少し困ったように笑う。
『ヘイムが、まだソフィーのことを認めていない――』
『というより』
『ちょっと意地悪していますね』
「意地悪!?」
『何か頭にくることでもあったのでしょうか』
「建物が!?」
『ヘイムですから』
「その一言で済ませていいんですか?」
『いいんじゃないですか?』
「いいのかなぁ……」
『今のソフィーは――』
師匠が指を立てる。
『《ヘイムのファミリーではない》』
『ですが――』
『《敵でもない》』
「その中間?」
『そういうことです』
『だから、みんなが普通に開けている扉が、
ソフィーには直前まで見えなかったり』
『真っ直ぐな通路を歩いているだけなのに――』
『何度も角を曲がりながら進んでいるように感じたりするのです』
「うわぁ……」
『ちょっとした認識阻害ですね』
「ちょっとかなぁ……」
『まあ、ヘイムの食堂も居住スペースも――』
『すべて《魔法使いの工房》の一部ですから』
「そういえば、そうでしたね」
『そして魔法使いの工房とは、本来そう簡単に侵入できる場所ではありません』
師匠の声が、少しだけ真面目になる。
『敵対者にとって――』
『ヘイムは、本物の《ダンジョン》になります』
「ダンジョン……」
『対侵入者用の防御機構ですね』
『ヴァルナさんも、ゲームをしていて不思議に思ったことはありませんか?』
「何をです?」
『ダンジョンですよ』
『複雑な迷路』
『行き止まり』
『大量の罠』
『あちらこちらを徘徊している敵』
『そんな場所を見て――』
師匠が首を傾げる。
『ここに住んでいる人達、普段どうやって生活しているんだろう?』
『……と』
「ああ!」
「あります、あります!」
「トイレとか飯とかどうしてるんだろうって!」
『そう、それです』
師匠が頷く。
『答えは簡単』
『住人にとっては、ダンジョンではないのですよ』
「なるほど!」
『ヘイムも同じです』
『訪れる者によって――その姿を変える』
『ファミリーには、暮らしやすい家』
『客人には、少々不思議ではあっても普通の店や屋敷』
『まだ認めていない相手には――少し意地悪な家』
「ソフィーさんですね」
『そして――』
師匠の表情が変わる。
『敵対者には、決して目的地へ辿り着けないダンジョン』
「…………」
『ですから、仮にヘイムへ敵が攻め込んできても――』
『ヘイムの敷地内にいる限り、ちみっこ達を始めとする非戦闘員が、
自ら敵のいる場所へ向かわない限り、戦闘に巻き込まれることはありません』
「なんでです?」
『辿り着けないからですよ』
『扉を開けても、そこにはいない』
『通路を進んでも、目的の場所には着かない』
『ようやく近づいたと思えば、いつの間にか別の場所にいる』
『侵入者の動きに合わせて、ヘイムは常に変化し続けます』
『迷わせて』
『遠ざけて』
『守るべき者達のところへ――』
『決して辿り着かせない』
「おお……」
改めて周囲を見回す。
いつも見ている、普通のヘイムだ。
「そうなんだ……」
「スゴイなぁ、ヘイムは……」
『…………』
「…………」
『ヴァルナさん』
「なんです?」
『…………』
「なんですか、その目?」
『一つ、確認してもいいですか?』
「はい」
『ヴァルナさん――』
『ヘイムの中で、道に迷ったりしていませんよね?』
「…………」
『…………』
「…………」
『ヴァルナさん?』
「いやぁ……」
『ここ、ヴァルナさんの工房ですよ』
「そうですね」
『貴方が工房の主ですよ』
「そう……ですね」
『行きたい場所になかなか辿り着けない――』
『なんてこと』
『ありませんよね?』
「…………」
『…………』
「…………」
『ヴァルナさん?』
「ちょっと遠回りすることくらい、誰にでもありますよね?」
『ヴァルナさん!?』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




