127 大地を耕すがよい
私の前に、なぜか机と椅子が置かれている。
こういうの、アイアンガーデンセットっていうんだったか?
学生時代、お茶会の授業で習った気がする。
しかし、目の前にいる三柱の神々が使っているものと同じ白色で、
形までほとんど一緒なんだけど……いいのか?
三柱と同じものに、しかも私が座って。
さっき店主さんが私の目の前で短杖を振るったと思ったら、
いきなりこれが現れ、そのまま当然のように椅子まで引いてくれた。
恐る恐る三柱の様子を窺ってみるが、特に何も言われない。
それどころか、三柱とも「早く座れ」と目で訴えているように見える。
……もういいや。
私は覚悟を決めて椅子へ腰を下ろした。
すると、座ったのとほぼ同時に目の前へ皿のような木の台が置かれた。
後で聞いたところでは、寿司下駄というらしい。
そして、その寿司下駄の上へ、次々と並べられていく寿司とかいう米料理。
これなら見たことがある。
武者修行で南や西の港町へ行った時、何度か店先で見かけた。
……でも、これ生の魚だろ。
食えるのか?
私が寿司を睨んでいることに気づいたのか、店主さんが手を止めた。
「あっ、生魚駄目? なら卵握りとか、
お稲荷さんとかなら大丈夫かな。生魚使ってないから」
店主さんはそう言いながら、生魚を使っていない
寿司をいくつか私の前へ並べ直してくれる。
「あと、生魚が駄目ならワサビも使わないと思うけど、
間違って口に入れないように気をつけてね」
さらに湯気の立つ湯呑みまで置かれた。
「これ、あがり。ああ、緑茶ね。熱いから火傷しないようにね」
まるで普通に食堂へ飯を食いに来た客みたいに接客される。
つい「ありがとうございます」と言いそうになったが――違うだろ。
私は今から三柱の神々へ報告するんだ。
飯を食いに来たんじゃねぇ。
戸惑っている私を見て、店主さんは不思議そうに首を傾げた。
「ああ、やっぱりもう日付変わって遅いもんね。食事はいらない?」
違う。
そういうことじゃない。
「なら、お酒でも飲む? もう成人してるから問題ないよね」
そう言って、三柱の側に並べられていた酒瓶の一本をひょいと手に取り、
私の机へ置いた。
「今、コップ持ってくるから待っててね」
だから違うだろ!
神々を前にして飯や酒なんて取れるか!
しかもその酒、どう考えても神々に捧げられた物だろう。
そんなものを私が勝手に飲んだら、罰が当たるんじゃないのか。
思わず席を立って叫びそうになったが、
目の前に神々がいることを思い出し、どうにか堪える。
近くにいたエルフの女性が、私を見て静かに頷いている。
あんただけだよ。
まともなのは。
そう思って隣を見ると、グラウハイム卿は寿司こそ食っていないものの、
普通に茶を飲んでいた。
……あんたまでかよ。
『これ、娘。一人で百面相しておらんで、早く話をせんか』
ついに『夜を司る女神』様から急かされてしまった。
私が悪いんですか?
なんとも言えない気持ちになりながら、
とりあえず喉を潤そうと湯呑みへ手を伸ばす。
一口飲んだ。
熱っ。
危うく火傷するところだった。
もう疲れた……。
私は力なく椅子の背もたれへ身体を預け、ようやく口を開いた。
もう三柱の前だけど、いいや。
◇
魔族の一団を倒し、フェンリルの子供達を助け出した後、
移動中の魔動車内で簡単なブリーフィングが行われた。
次の狙いは、ハシュバルト公爵邸。
そして、その主であるヒデオン九世。
すでに再編された第六騎士団だけでなく、
“補給線維持・工作部隊”を担う第七騎士団まで動員されているという。
第七騎士団と聞くと、補給線を維持したり、砦や陣地を築いたりする部隊だと
思われがちで、その役割だけ聞けば侮る奴もいる。
でも、馬鹿にできるような連中じゃねぇ。
補給線なんて、一番敵に狙われやすい場所だ。
それに砦や陣地を作る時なんて、作業中はどうしても隙ができる。
そんな場所を守る連中が、弱いわけがない。
補給物資を守りながら工作し、そのうえで敵とも戦うんだ。
半端な奴じゃ務まらねぇ。
さらに“医療・後方支援”を担う第八騎士団。
こっちも同じ理由で強い。
負傷兵にとって、最後の盾になる部隊だからな。
しかも所属している者のほとんどが回復魔術を得意としていて、
耐久力も半端じゃない。
もし相手にするなら、回復魔術を使われる前に仕留めるしかないと思う。
もっとも、野戦病院を守るために強力な防御結界まで張るらしいから、
簡単に近づくことすら無理だろうけどな。
その第七、第八騎士団の精鋭まで参加し、
ハシュバルト公爵邸の包囲はすでに完了しているそうだ。
私達が到着次第、作戦は開始される。
そして、馬鹿でない限り、
向こうもこちらの動きには気づいているはずだと説明された。
帝都内では、各貴族派がハシュバルト公爵派の炙り出しを始めているらしい。
もちろん、この騒動を利用して自分の利益を得ようと動いている、
抜け目のない奴らもいるそうだが――
そういう連中もまとめて処分するつもりらしい。
つまり帝都は今、表面上は静かでも、水面下ではかなりの数の人間が蠢いている。
だからヒデオン九世も、逃げ出すか、あるいは逃げるための時間を稼ぐために
何かしらの手を用意している可能性が高い。
絶対に気を抜くなと、かなり強く言われた。
ちなみにフェンリル達には、無理に襲撃へ参加してもらう必要はないらしい。
そこにいてくれるだけでいい。
後になってハシュバルト公爵邸襲撃の理由を問われても、
「フェンリルいて何かあった」という事実がある以上、
いくらでも説明はつくから気にするなとのことだった。
そして魔動車の中で広げられたのが、ハシュバルト公爵邸の見取り図だった。
これは、かつて姫様がハシュバルト公爵邸を破壊した際、
帝国政府が詫びとして資金と人員を出し、
屋敷を建て直した時に作成された図面らしい。
さすが姫様。
まさかここまで先を考えて……。
いや、たぶん違う気もするが、姫様ならきっと何か考えていたに違いない。
ただし、一つだけ注意すべき場所があった。
以前、姫様の魔術でも壊れなかった区画だ。
姫様が放った魔術の種類や威力を考えると、
その部分だけ破壊を免れたのは明らかに不自然だったらしい。
しかも屋敷を建て直した際も、そこだけはそのまま残され、
誰一人として中へ入ることができなかった。
当然、その区画だけ図面が存在しない。
だから、もしそこへ足を踏み入れることになったら、
最大限警戒しろと言われた。
恐らく、ヒデオン九世がいるとすればその場所だろう、と。
もう一つ注意されたのが、
ハシュバルト公爵邸にいる使用人や護衛達だった。
抵抗するなら容赦するな。
はっきりそう命令された。
もっとも、ハシュバルト公爵邸の使用人を実際に見たことがある者は、
ほとんどいないらしい。
これまで屋敷を訪れた者達も、姿を見たのは護衛ばかり。
あれだけ広い屋敷を、いったい誰がどうやって維持しているのか、
それすら謎だった。
そして、その護衛達も恐らく魔族、
あるいはそれに近い存在だと考えられている。
たとえ降伏しても油断するな。
それも、きつく命令された。
さらにハシュバルト公爵邸にいる他家の貴族についても、
抵抗するなら同じように対応して構わない。
ただし、後でどこの家の者だったのか分かるよう、必ず証拠だけは残せ。
そんな説明を聞いているうちに、魔動車がゆっくりと速度を落とした。
やがて完全に停車する。
騎士達が次々と外へ降り、私達もそれに続いた。
目の前にあったのは、ハシュバルト公爵邸。
ついに来た。
夢にまで見た討伐が、始まる。
もう騎士団も隠れる気はないらしく、
堂々と屋敷を包囲し、抜け道がないか周囲を探っていた。
魔動車を降り、騎士に連れられて向かった先には、両親と兄貴がいた。
母上なんて学者で戦えないだろうに……と思ったが、
それを言えばじい様も同じか。
幼いカイン以外、家族がほとんど揃っている。
それだけじゃない。
ガイアースブルク侯爵領の周辺を治める諸侯まで集まっていた。
どの家も、かつて異星からの侵略者によって
大きな被害を受けた者達ばかりだ。
当然、ハシュバルト公爵家に対する恨みも深い。
そのせいで勝手に動き出す奴が出ないよう、
騎士団から最低限の注意事項が伝えられていた。
突撃のタイミングは必ず合わせること。
最重要目標はヒデオン九世。
奴を狙うために味方同士で足を引っ張り合い、
結果として逃がすような真似だけはするな。
見つけても独断で追わず、必ず周囲へ知らせること。
他にもいくつか言われていたが……どこまで守れるかは、
私にも分からない。
それくらい、ここに集まった連中には
ハシュバルト公爵家に対する思いがありすぎる。
騎士団総長もそれを分かっているのだろう。
全員に配置につくよう指示を出そうとした、その時だった。
落雷が起こった。
いや、落雷なんて言葉じゃ足りない。
皇后陛下とアルマ様、そしてばばぁが使う合体技、“ケラウノス”。
あれがただのライトニングに見えるほどの、
桁違いの雷がハシュバルト公爵邸へ落ちた。
轟音と共に視界が真っ白に染まり、
迸った雷の魔力が暴風となって周囲へ吹き荒れる。
立っているだけで精一杯だった。
じい様はばばぁが、母上は父上が抱えるようにして守っている。
私は兄貴の側でなんとか踏ん張りながら、雷が収まるのを待った。
そして光が消えた時、そこには――何もなかった。
いや、正確には何もないように見えた。
屋敷を囲っていたはずの塀は吹き飛び、庭も跡形もない。
巨大だったハシュバルト公爵邸そのものが、ほとんど崩れ落ちていた。
その時、背後から凄まじい咆哮が響く。
驚いて振り向くと、そこには二体のフェンリルが立っていた。
……パネェ。
これじゃ私達の出番、ないじゃん。
呆気に取られながら、もう一度ハシュバルト公爵邸の跡を見る。
すると、崩壊した屋敷の中に一部分だけ、形を残している建物があった。
もしかして、あれが姫様の魔術でも壊れなかったっていう区画か?
そう思った直後、再びフェンリルの咆哮が響いた。
そしてまた雷。
今度は一発じゃない。
何度も何度も、立て続けに落雷が降り注ぐ。
「ちょっ、待て待て待て!」
思わず叫びそうになる。
こっちを狙ってないのは分かってる。
分かってるけど、余波が凄すぎるんだって!
無防備のまま平然と立っているのなんて、
騎士団総長くらいしかいねぇぞ!
ひい爺さんが慌てて防壁を展開してくれなかったら、
周囲の被害はとんでもないことになっていた。
私だって兄貴が庇ってくれなかったら、とっくに吹き飛ばされている。
これがエンシェント級の力なのか。
そりゃ、出会ったら人の力でどうにかしようなんて考えず、
神々に祈るしかないと言われるわけだ。
あれだけの雷撃を放っているのに、何の予備動作もない。
それどころか、何発撃ってもまったく疲れた様子がなかった。
……でも。
それを耐えている、あの建物はなんなんだ?
フェンリルの攻撃ですら壊れない物に、私達の攻撃なんて通じるのか?
何度目かの落雷が直撃し、ついに建物へ亀裂が走った。
その亀裂が一気に広がり、轟音と共に壁が崩れ落ちる。
そして、その中から何かが現れた。
「なんだよ……あれ」
巨人。
そうとしか言いようがない。
建物を内側から壊しながら姿を現した異形は、
フェンリルよりもさらに大きかった。
そいつを見て、最初に思ったのはただ一つ。
デカい。
そして次に湧き上がったのは、強烈な嫌悪感だった。
理由なんて分からない。
ただ、生理的に受け付けない。
見ているだけで胃の奥から吐き気が込み上げ、
同時に理由の分からない苛立ちまで湧いてくる。
これが……ヒデオン九世の切り札なのか?
「うそよ……うそよ、うそよ、うそよ……」
ばばぁの声が聞こえた。
振り向くと、あのばばぁが完全に取り乱していた。
じい様も顔面蒼白になりながら、震えるばばぁを抱きしめている。
それだけじゃない。
騎士団総長も、ひい爺さんも、アルマ様まで呆然と異形を見つめていた。
……なんだ?
あれを知っているのか?
「異星からの侵略者……」
すぐ側で防壁を張り、私を守ってくれていた兄貴が呟いた。
あれが――異星からの侵略者。
かつてガイアースブルク侯爵領へ現れ、故郷だけでなく、
その周辺の大地まで破壊し尽くした化け物。
人では戦えない相手。
奴らがいない隙を狙い、後方基地を襲撃するのが精一杯だったと聞いている。
休むことすら知らず、延々と破壊を撒き散らす化け物。
あんなの、どうやって戦えばいいんだよ。
そう思って兄貴を見るが、答える余裕なんてなさそうだった。
ただ険しい表情で、異星からの侵略者を睨みつけている。
その異形の目が光った。
同時に、フェンリルの咆哮が響く。
次の瞬間、フェンリルが放った雷撃と、
異星からの侵略者が放った何かが正面からぶつかり合った。
今までとは比べ物にならない衝撃波が、私達を襲う。
ひい爺さんが騎士団総長へ何か叫んだ。
騎士団総長は一瞬だけ戦場を見渡し、すぐに頷く。
「撤収!」
その一言が響いた。
そんな……。
ここまで来て。
ここまでやって。
撤収だって?
悔しかった。
だけど目の前で繰り広げられている惨状を見れば、反論なんてできない。
ひい爺さんが張っている防壁に、次々と亀裂が走り始めていた。
戦闘員である私達ですら、まともに立っていられない。
戦えない者達なんて、その場にうずくまり、身体を伏せるしかない状態だ。
まだひい爺さんの防壁が持っているうちに、
安全圏まで下がらないと私達まで全滅する。
それに、ここにはアレク殿下までいる。
未来の皇帝陛下に何かあったら、帝国の未来そのものがなくなる。
結局、私達はハシュバルト公爵邸の包囲を解き、
フェンリルと異星からの侵略者との戦闘範囲から離れることになった。
騎士達に誘導され、どうにか安全と思われる場所まで下がる。
そこから振り返ると、戦闘はまだ続いていた。
ハシュバルト公爵邸だけじゃない。
周囲の屋敷まで巻き込まれ、次々と破壊されていく。
あらかじめ避難命令は出ていたらしいから
人はいないんだろうけど……この被害、
誰が保証するんだろうな。
もう焼け野原だぜ。
なにせ、フェンリルが放つのは雷撃だけじゃない。
すべてを斬り裂く風の刃。
触れた物を液状になるまで溶かす炎。
大地を割り、地中から無数に突き出す硬い鉱物の槍。
圧縮され、凄まじい速度で回転しながら標的を貫こうとする水のドリル。
そして散らされた水は瞬時に凍り、
今度は地面一面から氷の棘となって咲き乱れる。
ありとあらゆる攻撃魔術。
その一つ一つが、冗談じゃなく
帝都を滅ぼしかねないほどの桁違いの威力だった。
それを、あの異星からの侵略者は正面から受け止め、
そのうえ反撃までしてやがる。
このままじゃ、戦闘そのものじゃなく余波だけで帝都が滅んじまうぞ。
騎士団総長も同じことを考えたのか、
さらに周囲の者達を退避させるよう命令を出した。
騎士達がすぐさま動き、住民や関係者をもっと遠くへ誘導し始める。
……あんなのがガイアースブルク侯爵領を襲ったのか。
しかも一体じゃない。
何体もいたと聞いている。
それをじい様は、領民を守りながら帝都まで逃げ延びたのか。
よく全滅しなかったな。
もちろん全員を救えたわけじゃないんだろう。
それでも守ったんだ。
じい様、それは誇っていいと思うぜ。
そう思いながら、側にいたじい様を見る。
その時だった。
「違う……あれは違う」
さっきまで錯乱していたばばぁが、小さく呟いた。
「ごめんなさい、あなた。」
「それにみんなにも、みっともないところを見せたわね」
いつもなら誰よりも自信満々なばばぁが、珍しくしおらしく謝っている。
まあ、仕方ないと思うぜ。
昔、あれの軍勢と戦ったんだろ?
そりゃ、トラウマの一つや二つあってもおかしくない。
「大丈夫だよ、リオニー」
じい様が優しく答える。
「それに、君が言うように……あれは違うね」
「そうね。似ているけど、違うわ」
気づけばアルマ様まで側に来ていて、同じことを言った。
違う?
何が違うんだ?
「あれは姿こそ、異星からの侵略者じゃが……あれからは何も感じられん」
ひい爺さんが、いつものように生えてもいない髭を撫でながら話し始める。
「昔、戦場で相対した異星からの侵略者からは、もっとこう……
言いようのない恐怖というか、明確な破壊の意思のようなものを感じた。
じゃが、あれにはそれがない。まるで操り人形のようじゃ」
ひい爺さんは目を細め、戦っている異形をじっと観察する。
「恐らくじゃが、あれはゴーレムの類じゃな。
戦場で倒れた異星からの侵略者の死体でも拾い集め、組み上げたか」
「死体を……?」
「装備というか、身体に統一感がない。見れば見るほど継ぎ接ぎじゃ。
あれはキメラの類じゃろう」
ひい爺さんはそこで一度言葉を切り、さらに続けた。
「それに、本物の異星からの侵略者なら、
最初のフェンリル様とのぶつかり合い。
その余波だけでワシ等は消し炭になっておるわ」
…
…はい?
「フェンリル様が、ワシ等を気にかけて手加減してくださっておる」
オイオイ、マジかよ。
あれで手加減だと?
それに、あれは異星からの侵略者そのものじゃなくて、
死体を継ぎ合わせて作ったキメラゴーレム?
じゃあフェンリルも、本物の異星からの侵略者も、
本気を出したらどうなるんだよ。
考えたくねぇ。
「ワシ等が十分離れれば、恐らくフェンリル様も
本格的に攻撃を始めるじゃろう。
そうなれば、ただのキメラゴーレムなぞ沈むはずじゃ」
ひい爺さんはそう言ってから、騎士団側へ顔を向けた。
「サフィール伯爵、どうする。その後、突撃するか?」
少し離れた場所から、険しい返事が返ってくる。
「一般兵どころか、近衛でも無理だぞ。
あの者達が戦った跡など、近づくこと自体が危険だ」
そんな……。
それじゃ、ハシュバルト公爵が。
ヒデオン九世が逃げちまう。
でも、目の前で現在進行形で荒れ果てていく
ハシュバルト公爵邸跡を見ると、
確かに無理だと言うしかなかった。
その時、一体のフェンリルが大きく咆哮した。
同時に、どこからともなく無数の鎖が伸び、
キメラゴーレムの巨体へ絡みつく。
腕。
脚。
胴体。
あっという間に全身を拘束され、キメラゴーレムの動きが止まった。
そしてもう一体のフェンリルが、一気に距離を詰める。
振り上げられた鋭い爪が、キメラゴーレムへ叩き込まれた。
鎖に縛られ、避けることのできない巨体が、その一撃で地面へ沈む。
「すげぇ……」
あんなもん、まともに食らったら一溜まりもないぞ。
…………あれ?
あの一撃、店主さんも受けてなかったか?
確か――。
「痛てっ」
とか言ってたよな。
……考えるのはやめよう。
昨日から、あり得ないことが多すぎる。
これ以上考えたら、本当に頭がおかしくなりそうだ。
まあ、とにかく。
それが止めになったらしく、キメラゴーレムは完全に沈黙した。
終わった。
その瞬間、私達はようやく安堵した。
……でも。
キメラゴーレムが崩れ、塵となって消えていった直後だった。
どこからともなく、笑い声が響いた。
「……なんだ?」
声のする方へ目を向ける。
崩壊した屋敷跡。
そこに、何人かの人影が立っていた。
「ハシュバルト公爵――ヒデオン九世!」
騎士団総長が叫んだ。
どうやら真ん中に立っている男がそうらしい。
噂で聞いていた通り、禿ネズミに似た嫌な面をしてやがる。
何がそんなに可笑しいのか、ただひたすら笑い続けていた。
今すぐ走っていって、叩きのめしてやりたい。
でも、私達と奴の間には、
フェンリルとキメラゴーレムの戦闘で荒れ果てた大地が広がっていた。
近づくことすらできない。
その時、騎士団総長が側の騎士から巨大な槍を受け取った。
何をするのかと思った次の瞬間、総長はそれを思い切り投擲した。
轟音を立てて飛んだ巨大な槍は、見事ヒデオン九世の胸を貫いた。
……やった。
そう思った。
だが、ヒデオン九世は笑い続けている。
血も流れない。
身体も倒れない。
「おのれ……幻影か!」
騎士団総長が舌打ちしたのと同時に、ヒデオン九世達の姿が掻き消えた。
そして屋敷跡から、一筋の光が空へ立ち昇る。
フェンリル達がすぐさま雷撃を放った。
だが遅かった。
光は雷撃が届くより早く空を駆け、どこか遠くへ飛び去っていった。
「転移の光じゃな……」
ひい爺さんが、悔しそうに呟いた。
つまり――。
ここまでやって。
逃げられたってことだ。
積年の恨みを晴らせると思った。
亡くなった者達の無念を晴らせると思って、
ガイアースブルク侯爵領から勇んで帝都まで来た。
なのに、私は何もできなかった。
姫様に自分の活躍を聞いてほしかったけど、
できたことといえば戦闘の後始末くらい。
それだって中心になったのは、
魔術を得意とするひい爺さんや父上、
それに兄貴達魔術師だ。
私達は、避難してきた者達を安全な場所へ
誘導するくらいしかできなかった。
ハシュバルト公爵邸跡を含め、戦場となった一帯はそのまま封鎖された。
魔力濃度があまりにも高く、
すぐに人が近づけるような状態ではないらしい。
ハシュバルト公爵邸跡を本格的に調査できるのも、かなり後になるそうだ。
皮肉なことに、この荒れ果てた土地を元に戻すためには、
じい様達が長年研究してきた大地再生の技術が役に立つらしい。
それを聞いたじい様は、なんとも複雑そうな顔をしていた。
フェンリル達も、気づけばいつの間にか姿を消していた。
結局、今日はこれ以上何もできない。
復旧も調査も後日。
今は封鎖するだけ。
そうして、私達は解散となった。
アレク殿下を護衛するため、
騎士団総長と筆頭魔術師である父上は、そのまま帝宮へ戻ることになった。
母上と兄貴も一緒だ。
ここから先は武器を持って戦う戦場じゃない。
政治闘争だ。
多くの貴族や商人を巻き込み、
ハシュバルト公爵派を洗い出す大規模な宮廷工作になるらしい。
「今年の社交界が始まる頃には、だいぶ顔ぶれが変わっているだろう」
そんな話まで聞こえてきた。
やれやれ。
第二子で良かったぜ。
あんな陰惨な戦い、私の性には合わないからな。
◇
んで、家に戻ってみれば、
自慢してやろうと思っていた弟はもう寝ているし、
じい様もばばぁも疲れたから寝るっていう。
だから、一刻も早く姫様にお伝えせねばと思って、ここに来たんだ。
「……いや、来ました」
そこまで話してから、ハッと我に返る。
話しているうちに、いつもの口調に戻っていた。
いかん。
目の前には三柱の神々がいるんだった。
私の話を聞き終えた三柱は、互いに顔を見合わせた。
『やはり、一筋縄ではいかんか。』
いつの間にか酒から紅茶へ持ち替えていた『夜を司る女神』様が、
静かにティーカップを置く。
『グレイプニルの件もありますし、やはり動いていますか。』
今度は、腕を組んでいた『軍神』様が答えた。
『そうだな。異星からの侵略者の死体とはいえ、
それを利用するとなればトリックスターだろうな。』
軍神様は眉間に皺を寄せながら、忌々しそうに続ける。
『邪神の奴は、日頃は大見得を切るくせに、あれで臆病だからな。
異星からの侵略者のような禁則事項が絡むと、
途端に手を引いて大人しくなる。』
『ならば、やはりトリックスターか』
『夜を司る女神』様も呆れたように息を吐いた。
『あ奴は面白ければ、自分まで巻き込まれて滅びようが
構わんと考えるような者じゃからな』
『邪神と違って、自分が左遷され、
追放されたことも理解したうえで受け入れておる』
『どうせ戻れぬのなら世界ごと滅んでしまえと、
我等の鼻を明かすことばかり考えておるからの』
…………。
ちょっと待て。
なんだ、その話。
私達が聞いていい話なのか?
なんか思いっきり、神々の秘密を聞かされている気がするんだけど。
急に怖くなって後ろを振り向く。
グラウハイム卿は、何事もないような顔で平然と茶を飲んでいた。
……いや、なんでそんなに落ち着いてんだよ。
一方、その近くにいたエルフの女性は、
私と同じように顔を青ざめさせていた。
目が合う。
そして、ほぼ同時に頷いた。
だよな。
これ、絶対に聞いちゃいけない話だよな。
そうやってエルフの女性と無言で意思を通わせていると、
不意に声を掛けられた。
『そこの娘』
「ひゃいっ!」
思わず変な声が出た。
最後の一柱。
ええと……誰だ?
どの神様だ?
頭の中で必死に考えていると、店主さんが助け舟を出してくれた。
「大地母神様。ソフィーさんです」
そして同時に、残る一柱のお名前を教えてくれる。
『大地母神』様。
――このお方が。
姫様を助け、内乱を止めてくださった神様。
それだけじゃない。
私の親友であるローズとオスカーを救い、
二人が添い遂げられるよう力を貸してくださったお方。
それを思い出した瞬間、私は勢いよく椅子から立ち上がった。
礼を言わねば。
そう思って『大地母神』様の前まで進み、その場に跪く。
『何も、そこまで畏まらなくてもよい』
『大地母神』様は少し困ったように私を見ながら、
立つよう促してくださった。
恐る恐る立ち上がると、
『大地母神』様は私をしばらく眺めてから尋ねる。
『そなた、これから何か用でもあるのか?』
「用……ですか?」
『また修行の旅に出るとか、そのような予定はあるのか?』
そう聞かれて、少し考える。
特に何も考えていなかった。
それに、しばらくは弟のカインとも交流しておかないと、
本気で姉の存在を忘れられそうな気がする。
「いえ、特にはありません」
正直に答えると、『大地母神』様はゆっくりと頷いた。
『そうか。ならば、しばしここで大地を耕すがよい』
……大地を?
私が首を傾げると、『大地母神』様はそのまま続けた。
『そして、育った苗を持って、そなたの祖が眠る地へ戻るがよい』
『きっとそれは、あの地で芽吹くであろう』
…………。
えっと。
それって――。
ここにいていいってことですか?
姫様の元に。
そういうことですよね?
やった!
思わず顔が綻ぶ。
姫様の側にいられる。
隊長もいる。
プリンセスガードの皆さんだっている。
今度こそ皆さんに認めてもらうんだ。
確か、ローズとオスカーもそろそろ帝都へ来る頃だったはずだ。
また一緒にいられる。
こんなに嬉しいことはない。
……この時の私は、大地母神様が言った言葉の本当の意味なんて、
これっぽっちも考えていなかった。
そして数日後。
久しぶりに家族全員が揃った屋敷の晩餐の席で、
私は嬉々としてこの話をした。
その結果――。
家族全員から怒鳴られ、呆れ果てた顔をされた。
「だから、お前は姫様の侍女試験に落ちるのだ」
とまで言われた。
なんでだよ。
さらに後日。
店主さんへガイアースブルク侯爵領を救ってもらった礼をするため、
家族総出でヘイムを訪れた時のことだった。
私は家族全員から、
「畑仕事を死ぬ気でやれ」
と命じられた。
そこでようやく、私は大地母神様が言われた言葉の意味を知った。
私がここで育てることになるもの。
それは――。
死の間際からようやく息を吹き返した、あのガイアースブルクの大地。
そこへ持ち帰り、再び根を張らせるためのもの。
あの大地で育つことになる、最初の穀物の苗だった。
師匠のニューワールド講座 120
~怪獣大決戦の戦場跡編~
「師匠」
『なんです?』
「今回の怪獣大決戦の戦場跡なんですが……」
『はい』
「あれ、大丈夫なんですか?」
「なんか、スゴイことになってますけど」
『そうですねぇ……』
師匠が戦場跡へ目を向ける。
『確かに、めちゃくちゃですね』
「ですよね!」
地面は抉れ、砕け、溶けたかと思えば凍りつき。
もはや元がどんな場所だったのかすら分からない。
『フェンリル様達も、あの異星からの侵略者を使ったキメラゴーレムも、
随分と派手にやりましたからね』
「派手ってレベルですか、これ?」
『ですが――』
師匠が、さらりと恐ろしいことを口にする。
『あれでもフェンリル様達は、かなり気を遣って手加減していたんですよ』
「…………」
『…………』
「はい?」
『本気を出していたら――』
『最初の雷撃で、帝都の半分くらい吹き飛んでいますね』
「待って!?」
『だから手加減していたと言ったでしょう』
「手加減の基準がおかしい!」
『神獣ですからねぇ』
「その一言で済ませていいのかなぁ……」
『そもそも、フェンリル様達が扱う力は、人間が使う《魔術》とも――』
『魔法使いが使う《魔法》とも違います』
「違うんです?」
『ええ』
『自然そのものへ働きかけ――』
『雷』
『風』
『冷気』
『大地』
『その他、ありとあらゆる現象を引き起こし、それを攻撃として利用します』
「自然現象そのものを……」
『強いて分類するなら、《精霊魔法》に近いでしょうか』
『もっとも、フェンリル様自身が、ある意味では超高位の精霊に近い存在です』
『そして何より――神獣ですからね』
「結局そこに戻るんですね」
『仕方ないでしょう』
『もはや《フェンリル固有の能力》と考えた方が分かりやすいです』
『ですから、いちいち人間のように大掛かりな準備を必要としません』
『呼吸をするように――』
『雷を落とし』
『風を巻き起こし』
『大地を震わせる』
「…………」
『そういう存在です』
「そりゃ強いわ……」
『そして――』
『それに真正面から対抗していたのが、キメラゴーレムです』
「あれも滅茶苦茶でしたよね」
『ええ』
『もっとも、あれは生物というより操り人形に近いものです』
『自らの意思も』
『感情も』
『恐怖もない』
「恐怖も……」
『どれほど恐ろしい攻撃を受けようとも、逃げようとは思わない』
『痛みで怯むこともない』
『ただ命令されたまま、高い耐久力に物を言わせて暴れ続けます』
「厄介ですね……」
『さらに、キメラゴーレムへ変えられたことで、
元となった異星からの侵略者が持っていたスキルなど――』
『彼ら独特の能力の多くは失われています』
「弱くなってるんですか?」
『ある意味では』
『ですが、その代わり――』
『強靱な肉体から生み出される耐久力と、純粋な力』
『それを限界まで使い続けることができます』
「限界まで?」
『普通の生物は、自分の肉体を壊さないよう無意識に力を抑えています』
『筋肉や骨が耐えられないほどの力を出さないよう、脳が制限をかけるのですよ』
『ですが――』
『自我のないキメラゴーレムに、そんなものは関係ありません』
『腕が壊れようが』
『筋肉が裂けようが』
『骨が砕けようが』
『命令を遂行できる限り――常に全力です』
「嫌すぎる……」
『そして、もう一つ』
「まだあるんですか?」
『装備ですね』
「ああ……」
『かつて異星からの侵略者達が使用していた装備』
『それらもまた――《アーティファクト級》です』
「…………」
『神獣フェンリル』
『異星からの侵略者を素材にしたキメラゴーレム』
『そして、アーティファクト級の装備』
『そんな者同士が戦ったのです』
師匠が荒れ果てた大地を見る。
『戦場だけ無事に済むはずがありません』
「まあ……そうですよね」
『ヴァルナさんの世界のものに例えるなら――』
師匠が少し考える。
『使われた力の種類そのものは違いますが』
『帝都の一角で、核兵器や生物兵器を始めとする大量破壊兵器が使われた――』
『そのくらいに考えてください』
「うわぁ……」
『戦いが終わったからといって、すぐに人が戻れるわけではありません』
『まずは侵入禁止』
『魔術によって周辺を封鎖』
『残留している危険な魔力や物質などを調査し、中和』
『その後――』
『溶け』
『裂け』
『砕け』
『凍りついた大地を修復する』
「それだけでも大仕事ですね……」
『ええ』
『そこまでやって――』
『ようやく、本格的な事後処理を始められるでしょうね』
「…………」
改めて戦場跡を見る。
たった一度の戦い。
それだけで、この有様だ。
「戦争って……怖いですね」
『そうですね』
師匠の声から、いつもの軽さが消える。
『ですが、ヴァルナさん』
「はい?」
『これでも――まだマシな方ですよ』
「…………え?」
『二百年戦争末期』
『ガイアースブルク侯爵領を中心として、帝都東方で起きた惨状』
『これは――』
『そのほんの一端に過ぎません』
「これが……?」
『ええ』
荒れ果てた大地を前に、師匠が静かに続ける。
『あの時代は、これ以上のことが――』
『一度ではなく』
『各地で』
『何度も繰り返されたのです』
「…………」
『本当に――』
師匠が空を見上げる。
『《大地母神》様が直接介入してくださらなければ』
『この世界は、終わっていましたよ』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




