124 まだ終わっていない
次々と飛空艇から騎士や兵士達が降りてくる。
彼らはこの地に残り、周辺の調査や魔族達が残した痕跡を調べるそうだ。
続いて、何台かの魔動車も飛空艇から降ろされる。
そのうち一台の扉が開くと、中からアンリ先生に抱かれたシロが顔を出し、
元気よく吠えた。
「ほら、行っておいで」
アンリ先生が優しく地面へ降ろすと、シロは勢いよく走り出し、
先に助け出されていた姉達のもとへ飛び込んでいった。
そこで初めて知ったのだが、今回助けたフェンリルの子供達は全員女の子で、
末っ子のシロだけが男の子らしい。
四人の姉に弟一人。
フェンリルの世界ではどうなのか知らないが、人間だったら大変そうだ。
もう少し大きくなって思春期なんか迎えたら、かなり複雑な気分になるだろうな。
そんなことを考えていると、さらに驚くことが起きた。
別の魔動車から、宰相とカスパール侯爵に連れられて、
アレク殿下、春香様、リスティーナ様まで降りてきたのだ。
えっ。
こんな所に子供達まで連れてくるの?
まだ死体の片付けすら終わっていない。
戦闘の余韻がそのまま残り、血の臭いさえ消えていない場所だ。
当然、子供達も目の前の光景に顔を背けようとする。
だが、宰相とカスパール侯爵はそれを許さなかった。
「目を逸らしてはいけません」
低く静かな声で、宰相が言う。
「あなた方はいずれ、国の上に立つ者となります。
だからこそ、こういう光景から目を背けてはならないのです」
子供達は辛そうな顔をしながらも、もう一度ゆっくりと戦場へ視線を戻す。
カスパール侯爵も、その横で厳しい表情のまま続けた。
「自分達が何気なく口にした一言。
その一つで、これだけの惨状が生まれることがある」
目の前に横たわっているのは、今回フェンリルの子供達を誘拐した魔族達だ。
だが、これから長い年月にわたって政治に関わるようになれば、
彼らは何度も決断を下し、何度も人へ指示を出すことになる。
そして、その結果によっては、何の罪もない人達まで惨劇へ巻き込まれ、
こうして命を落とすこともある。
それを理解すること。
それもまた、皇族や貴族として生まれた者の義務なのだと教えているらしい。
あの年齢から、こんなふうに教育されるのか。
これが世界の常識とは、よく言ったものだ。
トラウマになったりしないのかな。
俺なんて、しばらく肉は無理だよ。
というか普通の飯だって喉を通るか怪しい。
『しっかりしなさい』
師匠の声が飛んできた。
『吐くのはもちろん、愚痴を言うのも、顔をしかめるのも駄目です』
無茶言わないでくださいよ。
『悪い噂ほど、早く、そして広く広がります』
『八人目の魔法使いが、こんな甘ちゃんだと知られたら舐められてしまいます』
別に、そんなのいいと思うんですけど。
『よくありません』
即答された。
『一度舐められてしまえば、それを挽回するにはヴァルナさん自身の手で、
それ以上の力を示さなくてはならなくなります』
……それは面倒くさいな。
でも、別に舐められたっていいじゃないですか。
俺、別に偉くなりたいわけでもないし。
『ヴァルナさんだけなら、それでもいいでしょう』
師匠の声が少し低くなる。
『ですが、ヴァルナさんが舐められるということは、
ヴァルナさんの庇護下にいる者達まで舐められるということです』
その言葉に、俺は黙った。
『それでもいいのですか? ヘイムのみんなが』
『ようやく安住の地を見つけた、雪原のフェンに住む一族達が、
また酷い目に遭うかもしれませんよ』
それは駄目だ。
それだけは駄目だ。
でも……マジでキツいんです。
この場からいなくなりたい。
酒は飲めないけど、酒でも飲んでそのまま寝たいくらいだ。
飲んで寝ないと、夢にまで出てきそうな気がする。
『そのまま不機嫌そうな顔をしていなさい』
えっ。
『その方が誰も近づいてきませんし、
下手に話してボロを出す心配もありません』
なるほど。
それなら俺にもできる。
そう思っていたのに。
来たよ。
こっちに。
人類最強にして、ミレディさんの父親。
騎士団総長が、真っ直ぐ俺のところへ歩いてきた。
「ヴァルナ殿。すまんが、フェンリル達に話をしてくれないか」
嫌な予感しかしない。
「今から帝都へ戻り、そのままハシュバルト公爵邸へ乗り込む」
騎士団総長は、
少し離れた場所で子供達と再会している太郎と花子へ視線を向ける。
「できれば、その前後でひと暴れしてほしいのだ」
……それ、俺に頼む内容ですか?
詳しく話を聞いてみると、どうやら後々の政治的な処理を考えて、
フェンリル達がハシュバルト公爵邸にいたという事実が欲しいらしい。
理由なんて、後から適当にでっち上げるそうだ。
怖いな、政治。
というか、俺を通さなくても太郎と花子は賢いのだから、
普通に話せば通じると思うんだけどな。
そう思いながら二匹に説明すると、太郎と花子はあっさりと頷いた。
ほらね。
俺、いらなかったよね?
フェンリル達の了承が得られると、
その場にいた人達はいくつかのグループへ分かれ始めた。
宰相は再び飛空艇へ戻り、そのまま帝宮へ向かうらしい。
これから待っているのは、当然ながら政治工作だそうだ。
アレク殿下は騎士団総長達と共に、ハシュバルト公爵邸へ向かうことになった。
今回の襲撃において、
何もしなくてもその場にいて指揮を執ったという実績と功績を作るためらしい。
殿下は護衛達と魔動車へ乗り込み、そのまま帝都へ向けて出発した。
そして、その魔動車の横を騎士団総長と騎士団長達、
それに近衛の一部が普通に走ってついていく。
……なんで?
兵士達はちゃんとトラックみたいな輸送車に乗っているんですけど。
本当になんなの、あの人達。
てっきり一度飛空艇へ戻り、帝都上空からハシュバルト公爵邸へ
再び降下するのかと思っていたのだが、それはできないらしい。
帝都上空には目には見えない防壁が張られており、
飛空艇では内部へ侵入できないそうだ。
だから飛空艇で軍港へ向かい、そこから改めて移動するよりも、
「ここから走った方が早い」
とのことだった。
……あの人達、ネタじゃないよね。
どれだけ鍛えたら、そうなるんですか。
ちなみに、ガイアースブルク侯爵領の人達やトール夫人は、
普通に輸送車へ乗り込んでいた。
あれ。
走らないの?
そんな顔で見ていたら、トール夫人が窓からこちらを睨んだ。
「私達、あんな脳筋とは違うのよ」
怒られてしまった。
カスパール侯爵は、俺達のところへ春香様とリスティーナ様を
連れてくると、二人を正面に立たせた。
「リスティーナ。そして、西園寺公爵令嬢・春香殿」
いつもの穏やかな雰囲気とは違い、その表情はかなり厳しい。
「お前達は、お付きの者と共にヘイムへ行きなさい」
二人が驚いたように顔を上げる。
「私はこれから、此度の騒動で余計な動きをした者や、
裏切った者達の処分をしなくてはいけない」
処分。
それはつまり、そういうことなのだろう。
俺が思わず黙っていると、
カスパール侯爵は二人へ言い聞かせるように続けた。
「帝国どころか、人類そのものの危機だというのに、
己の利益だけを追求する者など、
貴族として残しておくわけにはいかない」
春香様とリスティーナ様の表情がさらに固くなる。
「もちろん、貴族が己や家、
領民のために動くこと自体は悪いことではない。
むしろ、それは当然のことだ」
そこで一度言葉を切る。
「だが、時と場合による。分かるね?」
二人は緊張した面持ちで、小さく頷いた。
「私だけではない。西園寺公爵もブルボン公爵も、すでに動いている。
それに、他国のスパイ達もかなり動き始めているようだ」
他国のスパイまで?
思っていた以上に大事になっているらしい。
「情けない話だが、誰が味方で、誰が敵なのか。
そして誰を処罰しなくてはいけないのか。
これから私は現場で確認し、指示を出さなくてはならない」
カスパール侯爵の声は静かだったが、その内容はかなり物騒だった。
「当然、屋敷も安全とは言えない。あそこには様々な立場の者がいる。
誰が、どんな理由で動くのか分からない以上、
お前達の安全を保証できない」
それでヘイムか。
「だから、今の帝都で一番安全なヘイムへ行きなさい。
そこならヴァルナ殿をはじめ、信頼できる者達が大勢いる。
何かあっても守ってくれる」
そしてカスパール侯爵は、春香様へ視線を向けた。
「春香殿。これは西園寺公爵からの指示でもある」
「……はい」
春香様も少し不安そうな顔をしながら頷く。
すると今度は、カスパール侯爵が俺の方へ向き直り、深々と頭を下げてきた。
「ヴァルナ殿。どうか娘達をお守りください」
えっ。
別にそれは問題ないけど。
というか、今の帝都ってそんな状況なの?
俺、世界樹の視点で帝都を見ているけど、いつも通りにしか見えないんですけど。
『馬鹿ですね』
いきなり師匠に馬鹿と言われた。
『貴族達が、そんな目に見える形で動くと思いますか?』
『誰にも見られないように、自分の仕業だと分からないように動くのですよ』
そうなのか。
怖いなぁ。
でも、そんな怖い人達がヘイムへ手を出してきたりしないの?
『だから、舐められるなと言っているのです』
またそれか。
『ヘイムへ手を出したら怖い。そう思わせなくてはいけません』
『簡単には触れられない、アンタッチャブルな存在だと示すのです』
なるほど。
それなら確かに、俺だけの問題じゃないな。
俺は慌ててカスパール侯爵へ承諾を伝える。
「分かりました。春香様もリスティーナ様も、ヘイムで預かります」
「かたじけない。このご恩は忘れません」
カスパール侯爵はもう一度深々と頭を下げると、
そのまま魔動車へ乗り込み、帝都へ向かっていった。
それと入れ替わるように、
俺達の近くへ何台かの魔動車と輸送車が停まる。
どうやら俺達をヘイムまで送ってくれるらしい。
ハシュバルト公爵邸への襲撃に
参加させてもらえなかったアンリ先生やミレディさん、
それに生徒達がそれぞれ魔動車へ乗り込んでいく。
ハルヴィンダちゃんは横になったまま運ぶ必要があるので、広い輸送車へ。
そして俺も同じ輸送車に乗ることになった。
なぜかって?
フェンリルの子供達が一緒だからだ。
これからひと暴れしてくるから預かっていろと、
太郎と花子に押しつけられた。
しかも去り際には、何かあったら分かっているな、
とでも言いたそうな目で睨まれた。
いやいや。
何かできるわけないじゃん。
この子達、子供でもエンシェント級ですよ。
師匠が回収したグレイプニルでもない限り、俺にはどうにもできませんよ。
『それができるのが魔法使いなのですよ』
どうやって。
俺、何もできませんよ。
そう師匠へ言い返していると、後ろからエマさんに背中を押された。
「はいはい、早く乗る。皆さん、旦那様待ちですよ」
「あ、はい」
促されるまま輸送車へ乗り込む。
……あれ?
エマさん、なんでこっちにいるの?
絶対、アンリ先生達と一緒に魔動車へ乗ると思ってた。
あっちは高級車みたいな乗り心地なんでしょう?
俺の疑問に気づいたのか、エマさんがニコッと笑う。
「眠っているハルに、
旦那様がいたずらしないように見張っていないとですね」
誰がするか。
本当にエマさんの中で、俺のイメージどうなってるの?
全員が乗り込むと、魔動車と輸送車はゆっくりと動き始めた。
後に残った騎士や兵士達は、このまま現場の調査や事後処理を続けるそうだ。
移動中、残念ながら外の景色を見ることはできなかった。
フェンリルの子供達がいるため、
外から見られないように窓や荷台部分を覆っているらしい。
子供達も最初は周囲を警戒していたが、師匠の存在に気づくと、
次第に落ち着いていった。
今では輸送車の床に寝そべり、体を休めている。
ただ、最後に助け出した一匹だけは、
眠っているハルヴィンダちゃんの側から離れようとしなかった。
どうやらこの子がフェンリル姉妹の長女らしい。
自分の身を危険に晒してまで助けようとしてくれた
ハルヴィンダちゃんが気になるのだろう。
大丈夫。
怪我はもう治ったから。
今は疲れて眠っているだけだよ。
俺はそう心の中で語りかけながら、
膝の上に乗っているシロの相手をしていた。
しばらくすると車の速度が落ちる。
どうやら帝都の東門へ到着したらしい。
本来ならこの時間には閉じられているそうだが、
今回は軍事用の特別門から入るとのことだった。
その時だった。
ドォン――!
落雷のような轟音が響いた。
「な、なんだ!?」
驚いて顔を上げる。
続けて、また轟音。
何事かと思った俺は、すぐに意識を世界樹へ切り替えた。
視界が一気に高くなる。
帝都全体を見下ろすような感覚。
その一角で、何度も雷が落ち、爆発が起きている。
あそこか。
どうやら、あそこがハシュバルト公爵邸らしい。
さらに視点を近づける。
宙を舞う太郎と花子の姿が見えた。
そして、その向こうに――。
なんだ、あれ。
巨大な何かが立っている。
太郎や花子よりもさらに大きい。
人型……いや、巨人か?
まるでアニメに出てくる機動兵器みたいだ。
でも、これは……グロい。
全身が様々な部品を無理やりつなぎ合わせたような姿をしている。
装備にも外見にも統一感がなく、金属らしい部分もあれば、
どう見ても生体部品にしか見えない部分まである。
一体何なんだ、あれ。
『これは……異星からの侵略者』
師匠が珍しく驚いた声を上げた。
えっ?
『いえ……確かに異星からの侵略者に見えますが……』
師匠が戸惑うなんて珍しい。
『どうやら、異星からの侵略者の残骸を
使用して作られたゴーレム……でしょうか』
なにそれ。
師匠の解説を聞きながら、俺は世界樹越しに戦いの様子を見る。
まるで怪獣映画だ。
巨大な異形の機動兵器と、空を駆ける二匹のフェンリル。
ただ、戦力差はかなりあったらしい。
機動兵器が太郎へ攻撃を仕掛けようとした次の瞬間には、
大きく体勢を崩し、そのまま地面へ倒れ込んだ。
弱い……というより、太郎と花子が強すぎるのか。
その直後。
ハシュバルト公爵邸付近から、一筋の光が空へ向かって走った。
『あれは転移の光です』
転移?
『どうやら、万事うまくはいかなかったようですね』
師匠が何やら不審なことを言う。
どういう意味?
誰か逃げたってこと?
聞こうとしたが、俺にはその意味がよく分からなかった。
その後、特に何事もなく車は帝都を進み、ようやくヘイムへ到着した。
ところが店の周囲には、思っていた以上に大勢の人が出ている。
やばい。
フェンリルの子供達を見られたら目立つぞ。
そう身構えたのだが、どうやら心配はいらなかった。
先ほど帝都の一角で起きた大きな戦闘を何事かと、
店のお客様達はみんな外へ出て、
遠くに火の手が上がっている方向を見ていた。
俺達のことなんて、誰も気にしていない。
助かった。
よく考えたら、ヘイムって普通に入ろうとすると
入口が一つしかないんだよな。
そこからフェンリルの子供四匹を堂々と連れて入ったら、
どう考えても目立つ。
念のため正面玄関は使わず、リアカー車庫側から入ることにした。
それにしても、このリアカー車庫も日に日に立派になっていくな。
というか、リアカー自体もどこまで進化したんだろう。
マークⅤになったところまでは覚えているんだけど。
もう何号機なのか、俺にも分からない。
車庫を抜けて店内へ入ると、そこにはキューブが待っていた。
「お帰りなさいませ、マスター。そして皆様」
本当に、どうして帰ってきたのが分かったんだろう。
でも助かる。
こういう時、本当に頼りになる。
「状況は把握しております」
キューブは俺達全員を一度見回す。
「まずは皆様、お風呂にでも入って汗を流し、
お休みください。詳しいお話は明日にでも」
そう言って休むよう勧めてくれたのだが、その言葉が終わるより早く、
店の奥から飲兵衛親方達が走ってきた。
「ハル!」
「ハルは無事か!」
「おねぇちゃん!」
リナちゃんまで一緒だ。
どうやらテラスからでも俺達が戻ってくるのを見ていたらしい。
横になったまま運ばれているハルヴィンダちゃんを見つけた瞬間、
全員の顔色が変わる。
特にリナちゃんなんて、もう涙目だ。
ほら。
だから言っただろう。
みんな心配するって。
「大丈夫。怪我はもう治ってるよ。今は疲れて寝てるだけだから」
俺がそう説明すると、リナちゃんは少し安心したのか、
何度も頷きながらハルヴィンダちゃんの側へ寄った。
そんなリナちゃんを慰めていると、
今度は別の方向から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「おう、なんだ。みんなここにいたのか」
飛び込んできたのはノートさんだった。
「ヴァルナが帰ってきたと聞いたんだが……それどころじゃないな」
俺達の様子を見て一度足を止める。
だが、すぐに困ったように頭を掻いた。
「まいったなぁ。どうしようか」
かなり慌てている。
何かあったのだろうか。
でも、少し待ってほしい。
俺はまず、エマさんへお願いする。
「エマさん、ハルヴィンダちゃんをお願いできますか。
お風呂に入れるのが大変なら、体を拭くだけでもいいので。
その後、ゆっくり休ませてあげてください」
「分かりました」
エマさんは素直に頷くと、
眠ったままのハルヴィンダちゃんを軽々と抱え上げ、
そのままお風呂場へ向かっていった。
こういう時は本当に素直に従ってくれるから助かる。
普段からそうならいいのに。
さて。
次はフェンリルの子供達だ。
どうしようか。
俺が四匹を見ながら悩んでいると、キューブがすぐに答えてくれた。
「マスター。お客様の寝床は、すでに用意してあります」
さすがキューブ。
「それぞれの部屋とクッションを用意しておりますが……」
キューブは、お風呂場へ向かったハルヴィンダちゃんを追いかけそうな
フェンリルの長女を見る。
「この様子ですと、ハルヴィンダ嬢の部屋がよろしいでしょう」
そうだな。
この子、絶対ハルヴィンダちゃんの側から離れないよな。
ただ……。
俺はフェンリル達を見る。
一応《洗浄》は使ったけど、まだ毛も汚れているぞ。
その時、メイド三人娘のリーダーであるエウポリアーさんが前へ出た。
「お任せください、旦那様」
「えっ?」
「お客様方をお風呂へご案内し、綺麗にさせていただきます」
えっ。
お風呂に入れるの?
いや、それは確かに綺麗になるけど。
みんなと一緒でいいの?
差別する気はないよ。
ないけど、毛とかさ。
それに子供とはいえ、かなり大きいよ。
しかも四匹いるよ。
俺の心配を察したのか、エウポリアーさんが得意そうに笑った。
「ふっ。ヘイムは日々進化しております」
何その自信。
「先ほど女性用のお風呂はさらに広くなり、格調もアップいたしました」
マジか。
本当に気が利くな。
すごいぞ、ヘイム。
でも、以前より広くなって格調まで上がったって、
どんなお風呂になったんだろう。
ものすごく気になる。
男性風呂なんて、普通の大きな銭湯なんだけど。
……いや、普通の銭湯でも十分ありがたいんだけどさ。
そんな俺を置いて、フェンリルの子供達はエウポリアーさん達
メイド三人に連れられ、お風呂へ向かっていった。
後で聞いた話では、そこで綺麗にしてもらった後、
やはりハルヴィンダちゃんの部屋へ向かったらしい。
ベッドで眠るハルヴィンダちゃんと、
その側で眠ってしまったリナちゃんを囲むように、
用意された大きなクッションへ体を丸めて眠ったそうだ。
ハルヴィンダちゃん。
かなりフェンリル達に好かれたな。
生徒達もキューブに言われるまま、それぞれ荷物を部屋へ置きに行き、
その後お風呂へ入るらしい。
……待って。
いつの間に君達の部屋までできたの?
普段、帝国学園の寮暮らしだよね?
もういいや。
知らないところで、みんな好き勝手している。
いいのか、ヘイム。
気が利くのはありがたいけど、店主の俺が何も知らないぞ。
アンリ先生はハシュバルト公爵邸のことが気になるらしく、
誰かが報告へ来るまで執務室で待つつもりだったようだ。
しかし、ガイアースブルク侯爵領での戦闘から、
ここまでほとんど休みなしの強行軍だった。
当然、かなり疲れている。
「姫様。今日はもうお休みください」
ミレディさんにそう言われても、アンリ先生は渋った。
「しかし、状況が……」
「どうせ詳しい報告は明日になるでしょう。
それに、疲れた状態では正確な判断もできませんよ」
正論だった。
さすがのアンリ先生もそれ以上は言い返せなかったらしく、
かなり不満そうな顔をしながらも、渋々お風呂と休息を取ることにした。
俺も詳しい話は明日でいいと思う。
というか、今日はもう休みたい。
でも。
一段落ついたと判断したらしいノートさんが、俺の腕を掴んだ。
「ヴァルナ、ちょっと来てくれ」
「あ、はいはい」
何か困り事があるみたいだったな。
分かったから。
そんなに強く引っ張らなくても、ちゃんとついていくから。
「急いでくれ。大変なんだ」
ノートさんの声が思っていた以上に切羽詰まっている。
「今、ブラスが対応しているが、俺達じゃどうにもできない」
えっ。
何が起きたの?
頼りになるノートさんやブラスさんでも手に負えないって、
かなり大事じゃない?
それに、俺達がいなくてもキューブがいたでしょう。
そう思ってキューブを見ると、ちょうど春香様とリスティーナ様、
そのお付きの人達を部屋へ案内しているところだった。
春香様もリスティーナ様も、
先ほどカスパール侯爵から説明を受けたせいか、
かなり暗い顔をしていた。
でも。
「お風呂もご利用いただけます」
キューブがそう説明した途端、二人の足取りが少し軽くなった。
……現金だなぁ。
でも、まだ子供だもんな。
それくらいでいいと思う。
それにしても、みんなの悪い癖だよ。
いつも俺に何の説明もせず、いきなり面倒事へ巻き込む。
「ノートさん、せめて何が――」
聞こうとしたが、答えを聞くより先に、それが何なのか分かってしまった。
ノートさんに引っ張られるままヘイムを出て、庭園を抜ける。
向かう先は住宅地へ続く道。
その途中には、『大地母神』様の神殿がある。
ここもなんだか懐かしいな。
というかブラスさん、本当にここへ住み着いて大丈夫なのかな。
そんなことを考えながら歩いていた。
そして。
見えてしまった。
……あれ?
俺は一度足を止める。
さっき、大地母神様の神殿の前を通り過ぎたよね。
ほら。
振り返れば、ちゃんと向こうに神殿が見える。
じゃあ。
ここにあるのは、なんでしょう。
世界樹を囲む湖の側に――。
神殿が増えている。
あれぇ……。
なんか、見ちゃいけない人が見える。
いや。
人じゃない。
新しく建った神殿の裏側。
湖を望む芝生の上には、白いアイアンガーデンセットが置かれていた。
その椅子に。
とても優雅に腰掛けている。
見覚えのあるお方。
『夜を司る女神』様がいた。
師匠のニューワールド講座 117
~帝都の見えない防壁編~
「師匠!」
『なんです?』
「今回、帝都には防壁が張られているって聞きましたけど」
『ええ、ありますよ』
「俺、帝都に来てからしばらく経ちますけど、一度も見たことないんですが?」
『馬鹿ですねぇ』
「いきなり!?」
『見えてしまったら意味がないでしょう』
「なんでです?」
『ここに防壁がありますよ、と敵に教えてどうするんですか』
「あっ……」
『場所や形が分かれば、当然対策されます』
『ですから普段は見えないようになっているのですよ』
「なるほど」
『そもそも帝都の防壁は、帝国が成立してから作られたものではありません』
「えっ?」
『ここがまだ《帝都》と呼ばれる以前――』
『《アステリア辺境伯領》の領都だった頃から存在しています』
「そんな昔から?」
『ええ』
『辺境伯領だった時代まで遡れば、ここはかなり古い街ですからね』
『防壁だけではありません』
『長い歴史の中で、様々な防御機構や仕掛けが追加され続けています』
『恐らく帝国政府ですら、その全てを把握できてはいないでしょう』
「自分達の帝都なのに?」
『現に――』
『ノート達、雪原のフェンに住む一族も、
帝国政府に知られることなく帝都へ入っていましたからね』
「あっ……」
『鉄壁に見える帝都の守りも、案外ザルなのかもしれません』
「駄目じゃないですか!」
『まあ――』
『神々も』
『フェンリル様達も』
『何事もなく帝都へ入ってきて、誰にも気づかれていませんけどね』
「もっと駄目じゃないですか!」
『その辺りを基準にしてはいけません』
「そうなんです?」
『神々やフェンリル様の侵入を前提に防御機構を作っていたら、
何を作っても安心できませんよ』
「それもそうか……」
『ですが、勘違いしてはいけません』
『帝都の防壁そのものは、現在もしっかり機能しています』
「例えば?」
『味方である帝国の飛空艇でさえ、自由に帝都内部へ入ることはできません』
「味方なのに?」
『敵味方を都合よく判別してくれるほど便利ではありませんからね』
『もちろん荷下ろしや、
巨大な飛空艇を直接乗り入れることによる問題もありますが――』
『モノレールや汽車の駅が帝都の外に置かれている理由の一つも、この防壁です』
「かなり大規模なんですね」
『ええ』
『しかも、防壁は地上だけではありません』
『地下深くまで届いています』
「地下も?」
『穴を掘って侵入したり、
城壁の下を崩して突破したりすることも難しくなっています』
「おお、本当に鉄壁じゃないですか!」
『ただし――』
「ただし?」
『融通が利きません』
「…………」
『特定の物だけを通す』
『一部分だけ防壁を解除する』
『そういった細かな制御は、現在ではできないようです』
「昔はできたんですか?」
『さて、どうでしょうね』
『機能そのものが存在しないのか』
『存在するけれど、使い方が失われているのか』
『そこまでは分かりません』
「じゃあ、飛空艇を入れたい時は?」
『一時的に解除すること自体はできます』
「できるんだ」
『防壁全体が消えますけどね』
「駄目じゃん!」
『だから解除しないのですよ』
師匠が呆れたように肩をすくめる。
『その隙に、他国の間者や魔族』
『あるいは碌でもないことを考えている者達が何をするか分かりません』
「数分だけとかでも?」
『その数分で取り返しのつかないことが起きないと、誰が保証するのです?』
「……できませんね」
『それに、防壁を解除することには別の危険もあります』
「まだあるんですか?」
『解除作業と、その後の復旧作業』
『それを観察されることです』
「観察?」
『魔力など、エネルギーの流れを見ることのできる者がいたらどうします?』
「あっ」
『普段は隠されている防壁が、どのような仕組みで展開されているのか』
『どこからエネルギーが供給されているのか』
『さらには――』
『防壁の発生装置がどこに存在するのか』
『それらを特定される可能性があります』
「なるほど……」
『ですから、余程のことがない限り帝都の防壁が解除されることはありません』
「古いけど、ちゃんと理由があるんですね」
『そういうことです』
『そして――』
師匠が帝都の中心へ視線を向ける。
『現在は、さらに妙なことになっています』
「妙なこと?」
『世界樹ですよ』
「ああ……」
『世界樹が現れて以降、帝都の防壁は以前よりも強固になっているようなのです』
「世界樹が防壁を強くしたんですか?」
『それが分からないのですよ』
『世界樹と既存の防壁が、何らかの相互作用を起こしたのか』
『あるいは世界樹自身が――』
『《帝都の防壁は、自らを守る盾である》』
『そう認識して、エネルギーを供給しているのか』
「世界樹が?」
『可能性の話ですよ』
『詳しいことは、まだ分かっていません』
「世界樹って、色々やってるんですねぇ」
『貴方より働いているかもしれませんね』
「酷い!」
『ですが――』
『ヘイム自体にも、かなり強力な防壁が張られていますからね』
「そういえば、そうですね」
『そう考えると……』
師匠が何かを考え始める。
『そのうち帝宮からヘイムの近くまで、
秘密の抜け道でも掘られるかもしれませんね』
「抜け道?」
『帝宮で何かあった際、皇族がヘイムへ避難するための非常通路ですよ』
「ああ、それなら――」
少し考える。
確かにヘイムまで逃げ込めれば、安全なのかもしれない。
『もっとも』
師匠がニヤリとする。
『アンリが皇室と仲直りしたら、
非常時でもないのに普通に使い始めそうですけど』
「…………」
『今日はヘイムでお茶を飲もう』
『今日は夕食を食べて帰ろう』
『今日は泊まっていこう』
『――とか』
「やりそう……」
『そのうち皇族専用通路になっていたりして』
「秘密の避難通路ですよね!?」
『最初は、でしょうね』
「最初はって何!?」
『さて――』
師匠が楽しそうに笑う。
『どうなるんでしょうねぇ』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




