12 旦那様、お土産は?
「ハブラシはこちらです」
「汚れた服は、洗濯籠へ入れて下さい」
「靴は揃えて置いて下さい」
「爪を切る時は、ちゃんとゴミ箱の上で。飛ばさないように」
「生活スペースでは、スリッパを履いて下さい」
「裸足で歩かないで下さい」
「窓に指紋をつけないで下さい」
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
――最初は嬉しかった。
本当に嬉しかったんだ。
生活スペースの掃除も洗濯も、全部エマさんがやってくれる。
しかも完璧だった。
埃一つない。
床は磨き上げられ、窓は光り、シーツは太陽みたいな匂いがする。
ある日なんて、師匠がどこかの小姑みたいに抜き打ちチェックを始めたくらいだ。
『ふむ……棚の上』
指でなぞる。
埃なし。
『窓枠』
なし。
『ベッドの下』
なし。
『換気口』
……なし。
その瞬間。
「ふふん♪」
勝ち誇った顔をするエマさん。
『ぐぬぬ……』
悔しそうな師匠。
そして。
ドゴォッ!!
「なんで俺が蹴られるんですかぁぁぁ!?」
理不尽だった。
だが、この時の俺はまだ知らなかった。
既に生活スペースの支配権が、完全にエマさん側へ移っていた事を。
物の置き場所。
服の畳み方。
洗濯物を出すタイミング。
生活リズム。
風呂へ入る時間。
全部だ。
しかも厄介な事に、エマさんの指摘は毎回“正しい”。
正しすぎて反論できない。
お店では師匠。
生活スペースではエマさん。
気づけば俺は、二人に支配されていた。
自由なのは自室だけだ。
『普通にしてたら、誰も文句言いませんよ』
師匠はそう言うが、俺は枕を濡らすしかなかった。
「旦那様、メイドは忙しいのです」
ある朝、エマさんは真剣な顔で言った。
「一人で、この広い生活スペースを管理しなければなりません」
庭を見れば、いつの間にか増えた花壇に水やりまでしている。
あの庭、本当にどこまで広がるんだ。
「スケジュールを決め、きちんと行動しないと、効率が悪いのです」
つまり。
「ですので、決まった時間に朝食を食べる必要があります」
「はい」
「朝食は一日の活動において非常に重要です」
「はい……」
「旦那様の朝のパン作り時間を逆算すると、この時間に起きないと――」
ビシッと時計を指さす。
「私の朝食時間に間に合いません」
……俺のじゃなくて、あんたのかい。
その日から、起床時間がさらに早くなった。
そして。
「紅茶は合格点ですが」
カチャ、とカップを置きながらエマさんが言う。
「ご飯の味は、どうにかならないのですか?」
「はい?」
『ぷっ』
師匠が吹き出した。
ねぇ女神様。
俺の周り、まともな人いないんですか?
神棚の女神像は何も答えてくれなかった。
ちなみに、その直後。
天界から。
『メイドだ』
『手を出すなよ』
『冥土だ』
などと書かれた紙吹雪が大量に降ってきた。
暇なのか天界。
そんな日々を送っていたせいか。
「店主、大丈夫か? お主、目が死んどるぞ」
朝食中のアンリ先生に、本気で心配された。
エマさんの存在は、親方達にもアンリ先生達にも秘密だ。
だから俺は、乾いた笑顔で誤魔化すしかなかった。
だが。
生活スペースをエマさんに任せた事で、修行時間は大幅に増えた。
それは事実だった。
《料理スキル》のレベルはまだ上がらない。
だが、レシピ数はもう一度では確認しきれないほど増えている。
今日はチャーハンだ。
巨大な中華鍋を振る。
ガコン!
ガガガガガッ!!
炎が舞い、米が踊る。
日本人の俺としては、やはり米は正義である。
ただ最近、少しズルを覚えた。
いや、手抜きではない。
断じて違う。
店員一人では限界があるのだ。
特に最近、朝の客数がおかしい。
再開発地区で働く若者達がどんどん増えた。
毎回、一人一人へ料理を運んでいたら間に合わない。
なので。
大皿方式にした。
テーブルへ、おかず盛り合わせをドン。
チャーハンやスープも大鍋でドン。
少しでもキッチンとの往復を減らす作戦だ。
だが。
「おかわり!」
「こっちも!」
「スープ空です!」
食うわ食うわ。
おかしい。
行き来減るはずだったのに、結局お代わり対応で走り回っている。
解せぬ。
だが、あんなに美味そうに食われると文句も言えなかった。
……しかし、これ本当にいいのか?
店、まだ正式オープンしてないぞ。
役所にも届けてない。
税金とかどうなる。
そんな話を飲兵衛親方達としていたら、アンリ先生が助け船を出してくれた。
「知り合いが商業ギルドで働いておってな」
紅茶を飲みながら、さらっと言う。
「相談しておいてやる。今度連れて来てやる」
アンリ先生、あなた本当に良い人だ。
モーニングが終わると、若者達は仕事へ行き、店内にはいつもの飲兵衛親方達だけが残る。
後片付けをしながら、俺は相談を持ちかけた。
「親方達、知り合いで良い食材扱ってる人いませんか?」
皿を洗いながら続ける。
「今、市場で買ってるんですけど、朝はパン作りや仕込みで行けなくて……この時間だと、良い物もう残ってないんですよ」
しかも最近、消費量が増えた
。
「出来れば宅配してくれる人とか……」
赤毛親方は腕を組む。
「ふむ。力は貸したいが、食材は専門外じゃのう」
そして真顔で。
「ミスリルだの、オリハルコンだの、アダンマンタイトだの言われた方がまだ分かる」
いや基準どうなってるんですか。
「どれも伝説級の金属じゃからのう。まあミスリルなら、近衛兵の装備で使っとるが」
へえ、この前少し聞いたけど本当にあるんだ。それにさすが帝国、大陸でも1・2を争う大国の近衛兵ともなれば、ミスリル製の装備なんだ。
「そういえば赤毛親方、この前ミレディさんが“アダンマンタイトの剣を打った”って……」
「ガハハハ! あれは生涯一度の大仕事じゃった!」
豪快に笑う。
……日頃飲んだくれてるのに。
ちょっと見直しかけたが。
腹を叩きながら酒飲んでる姿見てたら、やっぱり駄目だと思った。
(人を見かけで判断してはいけません。by師匠)
茶毛親方も困った顔をした。
「ワシも木材関係ならのう……おお、キノコ職人なら紹介できるぞい」
「キノコ職人?」
「山籠もっとるから今おらん」
駄目だった。
本気で仕入れ先見つけないと。
あと経理。
簿記。
俺、簿記三級すら落ちた男なんですが。
どんぶり勘定が危険な事くらい、素人でも分かる。
頭が痛い。
そんな事を考えながら、出掛ける準備のため生活スペースへ戻ると。
リビングで紅茶飲みながらファッション雑誌を読む、くつろぐエマさんがいた。
……解せぬ。
市場へ着き、《料理鑑定》を発動する。
最近ようやく、この辺まで見えるようになった。
《人参》
ランク:C(希少種はB〜A)
分類:自然素材/薬効食材
説明:豊かな大地の魔素を吸い育つ橙色の根菜。
《じゃがいも(ポテト)》
ランク:C〜B
分類:自然素材/兵糧食材
説明:大地の恵みを蓄えた根菜。
《料理鑑定2》だと、今はこれくらいらしい。
もっとレベルが上がれば、さらに詳細が見えるという。
だが。
「ランクCかぁ……」
見た目は、日本のスーパーとそんな変わらない。
でも師匠が仕入れてくる食材は、どれもA〜Sだ。
いや。
味を素材のせいにするなって言われそうだけど。
逆に言えば、今の味って素材のおかげでもあるんだよな……。
しかもこの時間に市場へ来る奴なんて、素人丸出しでカモだ。
みんなニコニコしてるが、相当やり手である。
やはり信頼できる相手を探さないと。
こういう時、普通の異世界物なら商業ギルドで凄い取引して、ギルド長が出てきて――
とかなんだろうけど。
俺には何もない。
市場見学を終え、今日は焼き菓子を土産に買って帰る事にした。
エマさんの分も買わないと怒る。
店員さんが袋詰めしている間、周囲の会話が耳に入った。
「また出たらしいぞ」
「幽霊か?」
「今度は貴族区近くの商人の所だってよ」
「双星の断罪者が」
双星の断罪者?
なんじゃそりゃ。
どうやらここ数年、悪徳貴族や悪徳商人の所へ仮面の二人組が現れ、悪人を叩きのめしているらしい。
しかも、その後衛兵や騎士団が調べると不正の証拠がボロボロ出るという。
目撃者曰く。
「成敗!」
と叫んでぶちのめすらしい。
どこの時代劇だよ。
でも帝都ではかなり人気らしい。
そんな話を聞いていると。
「やぁ、ヴァルナさんじゃないですか」
振り返る。
そこにいたのは、グスタンさんだった。
この世界に来て最初の夜。
シチューを作った時、野菜を分けてくれた人だ。
「お久しぶりです、グスタンさん」
「グスタンさんも市場に?」
「いやいや、息子夫婦がここで屋台を出しとりましてな」
そう言って、焼き菓子屋を指差す。
「帝都へ野菜を卸すついでに顔を見に来たんですわ」
……え?
「えっ、この店、息子さん夫婦の?」
「そうですぞ」
グスタンさんは嬉しそうに笑う。
「味は保証します」
なるほど。
だから美味かったのか。
俺はつい、焼き菓子を食べながら色々話してしまった。
飯屋を開く為に修行している事。
開店前なのに常連が入り浸ってる事。
店員不足。
どんぶり勘定の危機。
仕入れ先問題。
商人との交渉経験ゼロ。
このままだとハゲそうな事。
……全部。
グスタンさんは、ただ黙って聞いてくれた。
本当に聞き上手だった。
そして最後。
「それなら、今度うちの野菜を持って行きますよ」
そう言って笑った。
「帝都にも何軒か卸しとりますんで、一度試してください」
グスタンさん。
あなた神ですか。
知らない相手より、知ってる相手から仕入れたい。
それだけでも、安心感が違う。
「ありがとうございます!」
思わず両手で握手した。
店の場所を教えると、グスタンさんはクリスタル山の話を聞いて驚いていたが、笑って了承してくれた。
帰り道。
俺の足取りは軽かった。
もしかしたら。
野菜だけでも、仕入れ問題が解決するかもしれない。
そう思いながら店へ戻り、仕込み前に着替えようと生活スペースへ入る。
すると。
立っていた。
エマさんが。
すっと手を差し出して。
「旦那様」
「はい?」
「お土産は?」
……。
あ。
さっき全部食べちゃった。
次の瞬間。
俺は全力疾走で、もう一度市場へ向かっていた。
師匠のニューワールド講座⑧
スキルレベルとは何か
「師匠、ちょくちょく出てくるスキルレベルって、どんな基準なんです」
『今日はそれです』
『基本、だいたいこんな感じですね』
レベル1 素人よりまし
「厳しくない?」
『現実です』
レベル2 人に自慢していい
「ちょっと嬉しい」
レベル3 熟練者
『この辺から素人卒業です』
レベル4 職人級
『仕事になります』
「やっと食べていける」
レベル5 一流の入口
「入口?」
『入口です』
「厳しい世界だな」
レベル6 一流
『普通ここで十分すごいです』
レベル7 達人・国家級
「国家級!?」
『はい』
『王侯貴族や帝宮にも通じる水準です』
「えっ」
『だからレベル7は本来かなりおかしいんですよ』
レベル8 宮廷最高峰
「もう人じゃない」
『まだ人です』
『たぶん』
レベル9 伝説級
「筆頭女官長クラス……」
『そういうことです』
「怖っ」
レベル10 神話級
「人なの?」
『その辺になると概念寄りです』
「概念」
「で、俺は」
『料理スキル1です』
「やめてその言い方」
『ヴァルナさん、早く料理スキル5にはしないとやっていけませんよ』
「5!?」
『帝都には4〜5なんて沢山います』
『何十年も修行してようやく、です』
「先長すぎません?」
『頑張らないと老衰の方が先です』
「寿命で殴るな」
「でもまだレベル1なのに、お客さん結構来てますよ」
『安さと量ですね』
「またそれ」
『ただレシピによっては』
『2や3相当もありますし』
『なんとかなるかもしれません』
「おお」
「じゃあ大食いの店を目指すか」
『やめときなさい』
「なぜ」
『味が良くないと客はすぐいなくなります』
『量だけでは戦えません』
「ぐぬぬ」
『ちなみに』
「まだあるんですか」
『紅茶だけ高いのは』
『大いなる都合です』
「雑!」
『世界はそういうもので出来ています』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




