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119 笑う魔族

なんでこうなったのかしら。


私の意思に反して復帰させられた宮廷政争にうんざりしていた中、

夫に誘われて南国・西園寺公爵領へバカンスに行くことになった。

名目はアトランティス・ザ・ムーとの初の外交交渉とのことだったが、


夫も帝国政府も上手くいくとは思っていなかった。


たまたま行く機会ができたから、駄目元で交渉してみようという程度の話だった。


それより私にとっては、夫との初めての旅行。

よく考えたら、新婚旅行にすら行っていない。


結婚した時は戦争の真っただ中。その後もアステリア帝国の建国や紛争、

復興などで忙しく、そんな暇はなかった。

だから、とても楽しみにしていたし、実際楽しかった。


まあ、せっかくの旅行なのに、すぐ仕事に戻る夫には少し呆れたけど。


それに、リオニーのことも気になっていた。

魔王戦の後、一緒になまった身体を鍛え、

礼儀作法の教師としてヘイムにいる間は笑顔が戻っていたけど、

酒の量は以前より増えていたからだ。


世界樹。


そして魔法使いの存在。


神々と同じで、触れそうで触れられない存在。


けれど確かにそこにあり、存

在しているだけで周囲へ大きな影響を与える何か。


きっとリオニーだけではない。


なぜ帝都なのか。


帝都は、もう充分に潤い栄えているではないか。

なぜ自分達の所ではないのか。


帝都東部の荒野出身の者なら、誰だってそう思うはずだ。


そこだけじゃない。荒野ほど絶望的ではなくても、

苦労している領地や民は他にも沢山いる。


そうね。

別にヴァルナ殿が悪いわけではない。

たまたま帝都にいて、たまたま事情が重なったに過ぎない。

事情を知らない者ならともかく、身近にいて事情を知っている私達が、

ヴァルナ殿へ文句を言うつもりなどない。


でも――。


「なぜ」と思ってしまうのは、仕方がないのだろう。


そして、その思いは元々多かったリオニーの酒量をさらに増やしてしまった。


戦友として。


ただの友として。


放っておけなかった。


だから夫の提案にも乗って、

西園寺公爵領やアトランティス・ザ・ムーにも一緒に行ったし、

何より里帰りにもついて来た。

別に後悔はしていないけど……。


「これは疲れるわね……」


まさかガイアースブルク侯爵領で戦闘。

しかも、グレーター級と一騎打ちなんて聞いてないわよ。

去年の魔王戦に続いて、いつまで経っても荒事から解放されない。


正直、死も覚悟した。


夫との別れも済ませた。


長年連れ添ったというのに、随分あっさりとした別れだった。


別れた時、夫は私の夫ではなく、帝国宰相の顔をしていた。

だから私も、帝国の戦力の一人として接した。


でもね。

知ってるのよ。


あなた、本心を隠して真逆のことを言う時、右耳がピクピク動くの。

いつも私に素っ気ない態度を取っているのに、

私の手を握る時なんて特によく動く。


もう丸分かりよ。


宰相として、よくそれで外交や政争をやってこられたものだと思うわ。


最後に素敵な旅行ができて良かった。

そう思っていたのに――。


アンリちゃんが、最初のグレーター級を倒した時。

私は思った。


アンリちゃんって……こんなに強かったっけ?


確かに強い。

でも、相手はグレーター級よ?


一撃よ、一撃。


その後、一体が駅へ向かい、私達はそれぞれ一対一になった。

正直、倒せるとまでは思っていなかった。

汽車が発車するまで時間を稼げれば充分。

そう思っていたのに……。


倒せちゃった。


私は足元へ倒れた巨大な魔物を見る。


「ねぇ……こいつ、本当にグレーター級?」


充分に手応えのある相手だった。

でも。

なんだろう。

弱い。

昔、兵を率いて戦ったグレーター級。

種族は違うけど、あの時はかなり苦戦したわよ。


横を見る。

リオニーも、アンリちゃんも、

ちょうど自分の相手を倒し終えたところだった。


二人とも、何とも言えない拍子抜けした顔をしている。


そうよね。

多分、私も同じ顔をしていると思う。

三人で顔を見合わせてしまった。


「あっ、いけない!」


こんなことをしている場合じゃない。

駅に。

防壁に。

特に駅には、グレーター級とまともに戦える戦力はいない。

私は慌てて駅へ向かおうとして――足を止めた。


駅へ向かっていたグレーター級が、動きを止めている。


「あれは……ミレディちゃんね」


竜人化しているお陰で、遠くまでよく見える。


……あちゃ~。


あれは身も蓋もないわね。

一方的じゃない。


そんなことを思っている間に、グレーター級が崩れ落ちた。

ミレディちゃんが片付けてしまった。


「……なんだろう」


みんな、強くなってない?

それも。

呆れるくらい。

いや。

そうね。

こいつらが弱かったのよ。

グレーター級じゃない。

ただの強い魔物だったに違いない。

そうしましょう。

そう決めた。


私は無理やり納得し、今度こそ防壁の魔物達へ向かおうとする。

その時。


甲高い笛の音が聞こえた。


一度ではない。

何度も。

何度も鳴る。

恐らく魔族の指揮官ね。

まだ軍勢を隠していたのだろう。

遠くから地響きまで聞こえてくる。


私は盛大にため息をついた。


みんな私のことを脳筋と呼ぶけど、そのくらいは分かるわよ。

戦力の逐次投入なんて愚策よ。

やるなら最初から全戦力を投入して、一気に押し潰すべき。

最初からこの戦力を使っていれば、

こんな防壁とは名ばかりの壁など簡単に破壊して、

そのまま屋敷を蹂躙できただろうに。


私達なんて、所詮は個人の武。

どれだけ強くても、同時に広い戦線では戦えない。


私はゆっくり振り返る。

案の定。

先程とは比べものにならない魔物の軍勢。

さっきまで戦っていたグレーター級もどきまで、何体もいる。


でも。

私は慌てなかった。


リオニーも。


アンリちゃんも。


余裕の表情で私の側へ集まってくる。


本来なら、軍勢対三人。

焦るところよね。

でも――。


「お生憎様」


魔族の指揮官さん。

もう遅いわよ。

だって。

さっき駅の方向を見た時に、気づいてしまったもの。


「ほら。来るわよ」


同時に聞こえる、空を切り裂く音。


そして。


爆音。


圧倒的な火力。


「ちょっと! 少しは加減しなさいよ!」


私達が近くにいるのよ。

本当に遠慮がない。


アステリア帝国の虎の子。

空挺師団。

飛空艇からの砲撃だ。

爆炎が次々と地上を覆っていく。

やっと終わった。

そう思って魔物の軍勢がいた場所を見ていると、少しずつ煙が晴れてきた。


「あら」


あの砲撃の雨を受けて。

まだ生きている?

しかも。

あれ、グレーター級もどきよね。


「もどきは、もどきらしく滅びなさいよ……」


それじゃ本当にグレーター級じゃない。

何体かのグレーター級もどきが咆哮を上げた。


やれやれ。

私達の出番かと思ったけど――。

空から、何かが降ってきた。


いや。

人だ。


「あれは……サフィール伯爵?」


人類最強の名を欲しいままにする、

《トイレットペーパー職人》――もとい、騎士団総長。

サフィール伯爵は着地と同時に、

グレーター級もどきを次々と薙ぎ払っていく。


「なんで、あんたまで来ているのよ……」


帝都の守りはどうした。

間もなく始まる社交シーズンで忙しいでしょうに。


さらに、グレーター級もどきへ突き刺さる無数の氷の槍。

私は無言でリオニーを見る。

リオニーも遠い目をしていた。


「……なんで、あの人まで来ているのよ」


いくら元とはいえ、筆頭魔術師でしょうに。

今は帝国学園の学園長。

学園長としての仕事はどうしたの。

あんたも気軽に帝都を離れていい立場じゃないでしょうに。

この《鉛筆削り職人》め。


ついでに防壁を見る。

防壁の側にいた魔物達は、

竜騎士の飛竜が吐き出すブレスによって次々と焼かれている。


「だから過剰戦力でしょうが! 防壁まで燃えてしまうわよ!」


そして駅の方を見ると、今度は次々と騎士達が降下している。


「あの鎧の輝き……近衛騎士じゃない」


一体どれだけの戦力を、ここへ投入しているのよ。


人類最強。


大陸一の魔術師。


ほぼ全軍に近い空挺師団。


竜騎士。


そして近衛騎士まで。


呆れながら、私は空中の飛空艇に掲げられている旗を見る。


帝国旗。


近衛団旗。


そして――。


「皇太子旗?」


……。


「ああ。プリンツ・アレクの親征なのね、これ」


次期皇帝たるアレク殿下の初陣。

なるほど。

この戦果を持って、これから始まる社交シーズンへデビューするわけね。


「本当に抜け目ないわね、皇帝陛下……」


それともマリーかしら。

夫はここにいるから、直接指示は出せない。


……いえ。

連絡ならできるわね。

通信士は常に夫の側にいたし。

まあいいわ。

お陰で助かったんだから。



その後は、もう一方的な蹂躙だった。


一時間もしないうちに、魔物の軍勢は討伐された。


私達も迎えに来た騎士に案内され、駅へ向かう。


そこには夫がいた。

その側には、未来の皇后たる西園寺公爵令嬢とアレク殿下。

さらに第二妃となるカスパール侯爵令嬢と、カスパール侯爵までいる。


周囲には近衛騎士どころか、各騎士団の団長。

海軍大提督までいるではないか。


「……もう、やりすぎよ」


一体どこへ攻め込むつもりなのかしら。


西園寺公爵令嬢が、救援に来てくれたアレク殿下へ礼を述べている。


「この度は、救援に来ていただきありがとうございます。アレク殿下」

「いえ。級友たる春香嬢の救援に来るのは当然です」


アレク殿下が少しぎこちなく答える。


……殿下。

そこは「未来の皇后たる春香嬢」でしょう。

級友を助けるために、こんな軍勢を動かしてはいけません。


周りの大人達が苦笑している。

なぜ笑われたのか分からず、困惑しているアレク殿下。

その姿が、さらに笑いを誘う。


すると、アレク殿下が私達――いえ、アンリちゃんの姿に気づいた。

途端に顔を輝かせる。

そして、こちらへ駆け寄ってきた。


「姉上!」


本当に、お姉ちゃん大好きっ子ね。

……でも。

後ろのマチルダの顔が、恐ろしいことになっているわよ。

それに。

西園寺公爵令嬢とカスパール侯爵令嬢の顔も……。


アンリちゃんも大きくため息をつきながら、

それでも駆け寄ってきた弟の頭を撫で、笑っている。


本当に。

良かった。


そこへ。

ロビン前侯爵の一団がやって来た。


そちらも無事のようね。

あら。

後ろにはヴァルナ殿もいて、シロちゃんを抱いている。


……そういえば。

ソフィーが言っていた魔物は、どうなったのかしら。

ロビン前侯爵が到着し、マチルダに耳を引っ張られてアレク殿下が

定位置へ戻されると、改めてこの場の者達が並び直す。


私達やアンリちゃん。

ミレディちゃん達、直接戦った者は一歩後ろへ下がった。


功労者ではあるけど、こういう場には順番というものがあるのよ。

本当に面倒くさいわよね。


並び直している時。

ミレディちゃんが、私へ小声で告げてきた。


「アルマ様」

「なに?」

「ソフィーの話ですが、先程の魔物ではなかったそうです」

「……やっぱり?」


まだ、気は抜けないわね。

でも。

この過剰戦力があれば、どうにかなるでしょう。



ロビン前侯爵がアレク殿下の前へ進み、片膝をついて深く頭を下げる。


「この度は、ガイアースブルク侯爵領へ御自ら救援にお越しいただき、

 誠にありがとうございます」

「うむ。領民を守るため、よく耐えてくれた」


それに応えるアレク殿下。

うん。

今回は合格ね。

マチルダも満足そうに笑っている。


続いてロビン前侯爵が、援軍に来た者達へ順番に礼を述べていく。

そして騎士団総長・サフィール伯爵の前へ。


「援軍は第五騎士団かと。

 空挺師団が来たとしても、早くて夕方だと思っておりました」


深く頭を下げる。

そうよね。

避難を始める前に聞いていた状況では、

こんなに早く来られるとは聞いていなかった。

いくら飛空艇でも無理なはず。


「それがですなぁ」


サフィール伯爵が豪快に笑う。


「向かい風で、なかなか速度が出なかったのですが」

「途中から急に風が止まりましてな」

「それどころか、吹くはずのない方向から追い風が吹き始めまして」

「それも、とびっきり強い風が」

「その風に乗って、想定以上の速さで飛ぶことができました」


伯爵は空を見上げる。


「いやぁ。まさに天の采配かと」


……そう。

本当に運が良かったのね。

この季節に西風が吹くなんて。

しかも空挺師団の艦隊全てを押すほどの風が。


まるで。

誰かが。

神々が――。

……いえ。

それはありえないわ。


『人の世の事は、人の手で』


ここ最近、神々が降臨する度に何度も聞かされてきた言葉。


そろそろ一人立ちせよ。


そんな神々の言動から考えても、

今ここで直接奇跡を起こすとは思えない。


「ウォフッ」


シロちゃんの鳴き声で、私は思考を止めた。


見ると。

爺やが何人かの暗部と共に、数人の魔族を連れて戻ってきていた。

その瞬間。

皆が警戒態勢へ入る。


魔封じの魔道具で拘束されているとはいえ、

どんな隠し玉を持っているか分からない。


どうやら。

こいつらが今回の主犯みたいね。

サフィール伯爵が剣を抜き、魔族へ問い詰める。


「貴様ら、何が目的だ」


魔族達は笑うだけ。

何も答えない。


まあ、そうでしょうね。

その程度で白状する者なら、魔族になんて堕ちないわ。


夫が――いえ。

今は宰相ね。

宰相がアレク殿下へ何か耳打ちする。

アレク殿下が頷き、合図を出した。

騎士達が魔族達を引き立てていく。


帝都へ戻され、『太陽神』様の神官達と共に尋問されるのでしょうけど。

多分。

いつも通り、ろくな情報は出ないでしょうね。

さて。


後は。

援軍が来るまで耐えた者達への、お褒めの言葉。

正式な論功行賞は帝都へ戻ってからになるだろうけど。

アレク殿下の初陣の勝利に華を添えたのだもの。

きっと、凄いご褒美があるわよ。


……生徒達。

ちゃんとできるかしら。

変なこと、言い出さないわよね?


そう考え、気分を入れ替えようとした時だった。


騎士達に連行される魔族達が、私達の側を通る。

嬉しそうにしているこちらを、苦々しく睨んでいた。


だが。

突然。

魔族達の動きが止まった。

騎士に促されても。

動かない。

微動だにしない。


「……なに?」


何を見て。

固まっている?

私は魔族達の視線を追う。


アンリちゃん?


皇族。


第一皇女たるアンリちゃんが、

こんな後ろにいることを不思議に思っているの?


それとも。

その隣にいるヴァルナ殿?


確かに場違いよね。

見た目は、ただのおっさん。

しかも今は。

シロちゃんを抱いている。

事情を知らなければ、そりゃ驚くかもしれない。


でも。

こんなに固まるほど?


……違う。

ヴァルナ殿じゃない。


魔族達が見ているのは。

ヴァルナ殿が抱いている――。


「シロちゃん……?」


魔族達が。

シロちゃんを見ている。

そして、笑い始めた。

最初は小さく、やがて狂ったように。


「なんなの……?」


この場にシロちゃんがいることが。

そんなに可笑しい?

皆も、突然笑い出した魔族達を驚いて見る。

騎士に殴られても笑っている。


シロちゃんを見て。


私達を見て。


それはもう、嬉しそうに。


「本当に……なんなのよ」


私は魔族達とシロちゃんを交互に見る。

そして。

思い出しかけた、ソフィーの言葉を。


ソフィーは、シロちゃんを見てなんと言った?


それを完全に思い出すより先に――。


現れた、二体の白い四足歩行の巨大な獣。


……違う。

魔物なんかじゃない。

あれは。


主神様たる『夜を司る女神』様の使徒。


神獣――。


フェンリル。


もし、ヘイムや帝宮の奥で神々と接する機会がなかったなら。

何が起きているのか、きっと理解できなかった。


フェンリルが咆哮を上げる。


「――っ!」


グレーター級もどきの咆哮なんて比べ物にならない。

魔王の負のオーラすら上回るような圧倒的な威圧。


動けない。


それどころか身体が震える。


力が入らない周囲で次々と人が倒れる音が聞こえた。


視界が崩れていく。


その中で、サフィール伯爵が、アレク殿下を庇うように立つ姿が見えた。


さすが人類最強。


学園長も、アレク殿下を中心に結界を張る。


でも、どこまで通じるの?


動けているのはこの二人だけ?


……違う。

後は、アンリちゃん。

そして、ヴァルナ殿。

状況は分からない。


でも、動けるなら逃げて。


こんなの無理よ。

魔王以上の存在が、明確な敵意を向けている。


普段、私達が接する神々からは慈愛が感じられた。


魔王ですら、敵意より好奇心の方が強かった。


でも、今フェンリルから向けられているものは。


明確な敵意。


怒り。


グレーター級もどきを倒して、調子に乗っていたのが馬鹿みたい。


意識を保つ僅かに見るそれだけで精一杯。


フェンリルの一体が爪を振るった。

吹き飛ばされる魔族達。

落ちてきた魔族をさらに念入りに踏み潰している。


一体、そいつらが何をしたの。

……いえ。

なんとなく分かる。

だから、早く逃げなさい、ヴァルナ殿。


もう一体のフェンリルがやはりヴァルナ殿へ向かって動く。

フェンリルがヴァルナ殿へ爪を振るった。


「ヴァルナ殿!」


駄目、戦闘訓練を受けていないヴァルナ殿は固まっている。

轟音。


「……っ!」


どうやらヴァルナ殿は無事。

でも、その代わりにヴァルナ殿を庇ったのだろう。

振り下ろされた爪の側。

ヴァルナ殿を押し倒すようにしてアンリちゃんが倒れている。


「アンリ!」


ヴァルナ殿の焦った声が響く。

ここからでも見えるアンリちゃんの足から血が噴き出している。


いけない。あの傷じゃもう走れない。逃げられない。


再び、フェンリルの爪が振り上げられる。

そして振り下ろされた。


今度はヴァルナ殿がアンリちゃんの上へ覆いかぶさり守ろうとする。

轟音。


「……っ!」


アンリちゃんとシロちゃんを庇ったヴァルナ殿。

その背中がフェンリルの爪によって斬り裂かれる。


「痛てっ」


……え?


それで済むの?


神獣フェンリルの明確な殺気が籠もった一撃よ?

「痛てっ」で済むの?


服は裂けている。でも血が出ていない。

それどころか傷一つ付いていない。


フェンリル自身も、おかしいと思ったのだろう。

自分の前脚を見る。


そして、もう一体のフェンリルもヴァルナ殿達を囲むようにして見下ろす。


再び咆哮。

二体のフェンリルの身体が銀色の光に包まれる。


いけない、今度こそ全力。

その咆哮だけで、すでに倒れていた者達の中には泡を吹いている者までいる。


学園長が張った結界にもひびが走る音が聞こえた。


二体同時に前脚が振り上げられる。


そして――。


ヴァルナ殿。


アンリちゃん。


シロちゃん。


三人へ振り下ろされる。


でもその攻撃は光の障壁によって止められていた。


『こいつはキツいですね』


御使い様。

いつもの光球ではない人の姿を取っている。

セレスティア様だ。


フェンリル達が光の障壁でヴァルナ殿達を守るセレスティア様を見る。

そして、さらに怒りを強めた。

身体から溢れる光が増していく。


『ヴァルナさん! 早くアンリを連れて逃げなさい!』

『そんなに持ちませんよ!』


セレスティア様が苦しそうに叫ぶ。

そして、フェンリル達へ呼びかける。


『フェンリル殿! どうか怒りを鎮めてください!』

『ここにいる者達は、確かに愚か者ではありますが、良き者達です!』

『貴方がたの怒りを買うような存在ではありません!』


……違う。

違うのよ。

セレスティア様。


そうじゃないフェンリル達は、ヴァルナ殿に怒っているわけじゃない。

いえ、もしかしたら、何かを勘違いしているのかもしれない。


フェンリル達は、ただ――。


ピシッ。


セレスティア様の光の障壁にひびが入る。

そして割れた。


フェンリルの爪がセレスティア様へ向かって振るわれる。


もう駄目――。


先程までとは比べものにならない轟音。

そして。


『そこまで!!』


声が響いた。


『ステイ!!』


……。


『太郎!』


……え?


『花子!』


二体のフェンリルの頭を。

上から力ずくで押さえつけている存在。


そこにいたのは――。


『夜を司る女神』様だった。


師匠のニューワールド講座 112

~フェンリル編~


「師匠!」

『なんです?』

「なんです、じゃないですよ!」

「なんですか、あの姿!」

『あの姿?』

「いつもの球体じゃないですよ!」

「まるで戦乙女みたいな、カッコイイ姿になってるじゃないですか!」

「それに、あのフェンリルって一体なんなんです!?」

『やれやれ、今更ですか』


師匠が呆れたように肩をすくめる。


『そういえば、この姿になったのはヴァルナさんの前では初めてでしたね』

『まあ、私に関しては、すでにヴァルナさんが知らないところで

 色々と語られていますから』

『知りたかったら、一話から読み返しなさい』

「誰に言ってるんですか……」

『さて、今回はフェンリルについて説明しましょう』

『みんな大好き、フェンリルですよ』

『ファンタジーではお約束ですね』

「おお、フェンリル!」

『基本的には、皆さんが想像している通りです』


師匠が人差し指を立てる。


『この世界におけるフェンリルは、

《夜を司る女神》の使徒として存在しています』

『それも、かなり上位の存在です』

「師匠よりも?」

『…………』


師匠の動きが止まった。


『私より、天界での階級は上ですね』

「へぇ……」

『なんです、その顔は』

「いや、師匠より偉いんだなぁって」

『ヴァルナさん』

「はい」

『そこ、強調しなくていいです』

『まあ、正直なところ――』


師匠は少し考えてから、何かを比較するように両手を動かした。


『ようやく新入社員から「新入」が取れたくらいの私と、

 課長くらいの差でしょうか』

「結構ありますね!?」

『ですから!』


師匠が胸を張る。


『そんなフェンリルの攻撃を、しばらく耐えた私!』

『偉いぞ、私!』

『すごいぞ、私!』

「自分で言います?」

『誰も褒めてくれないので、自分で褒めます』

「……そうですか」

『そうです』


咳払いを一つして、師匠が説明を続ける。


『フェンリルは、全身を美しい白い毛で覆われています』

『そして、本来の力を振るう時には、その体毛が白銀に輝きます』

『精霊魔法を自在に操り、肉体そのものも極めて強靱』

『寿命も非常に長く、高い知性を持っています』

『その知識と知恵から、《賢者》と呼ばれることもありますね』

「賢者……狼なのに?」

『狼だからと馬鹿にしてはいけませんよ』

『人間などより、遥かに長い時を生きている者もいます』

『その知恵を借りるためだけに、

 フェンリルの住む厳しい雪山へ向かう者さえいるほどです』

「会ってくれるんですか?」

『そこは相手次第ですね』

『ですが、《賢者》の名に相応しく、基本的には温厚な者達です』

『こちらがきちんと礼儀を持って接すれば、向こうも礼をもって返してくれます』

『当然、声帯の構造が人間とは違いますから、

 普通に人語を話すわけではありませんが――』

『念話によって、人間と会話することもできます』

「へぇ……」

『もっとも――』


師匠の表情が少し真面目になる。


『温厚だからといって、弱いわけではありませんよ』

『存在としてのクラスは――《エンシェント》』

「エンシェント……」

『ええ』

『人間がどうこうできるような存在ではありません』

『フェンリルを本当の意味で御することができる存在など――』


師匠が指を折っていく。


『神々』

『あるいは、世界の化身ともいえるドラゴン』

『そのくらいでしょうね』

「そんなにスゴイんですか……」

『スゴイんですよ!』


なぜか師匠が力説する。


『最近は、神々の皆さんのフットワークが妙に軽いせいで、

 ありがたみが薄れている気がしますけどね!』

「確かに、普通にヘイムに来ますもんね」

『そうなんですよ!』

『酒を飲みに来たり!』

『料理を食べに来たり!』

『騒ぎを起こしたり!』

『好き勝手したり!』

「…………」

『…………』

「師匠もですよね?」

『…………』


師匠が静かに視線を逸らした。


「師匠?」

『と、とにかく!』


勢いよくこちらを振り向く。


『神々というのは、本来、本当にスゴイ存在なんですからね!』

「説得力ないなぁ……」

『何か言いました?』

「いいえ、何も」




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


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