116 今度は私が残る番
警報が鳴り響く中、屋敷――というより研究所に近い建物の廊下を駆ける。
私の前にはアンリシア姫様やアルマ様達が走り、横にはリオニー。
後ろからは孫のソフィーが武装してついてくる。
走りながら、先程ソフィーに言われた言葉が脳裏に蘇った。
「でも、何の成果も出てないじゃん」
「家族が全員揃ったのって、いつだよ」
「私、記憶にないぜ」
「この地は……もう駄目なんだよ」
「……現実を見ろよ」
分かってはいるのだ。
今、一族が、家臣団がしていることの無意味さも。
それでも――諦めきれないのだ。
リオニー達が生まれ育ったこの地。
この地を守るために戦い、そして守れなかった。
夜、目を閉じると、
この地で果てた友が、同僚が、見知った領民達が現れる。
「ロビン、ロビン。この地を……この地を……」
そう訴えかけてくる。
異星からの侵略者によって無慈悲に奪われた命を。
故郷を。
その無念を。
……すまない。
私には才能がないのだろう。
義父上や妻のリオニー、息子夫婦や孫達と違って、私には才能がない。
侯爵という地位を得られたのも、リオニーのお陰だ。
私は魔術師でもなければ、騎士でもない。
ただの帝宮の事務官。
宮廷貴族だ。
戦争には参加した。
前線にも赴いた。
だが、実際に剣を交えたことはない。
補給物資を担当する士官としての参加だった。
リオニーの配偶者に選ばれたのも、前線を転戦する彼女に代わり、
領地経営を担うためだ。
なのに――私は、その領地を守れなかった。
異星からの侵略者から領民を逃がし、帝都へ辿り着いた時。
そこにいた領民は、半分にも満たなかった。
みんな。
この地で果ててしまった。
ああ。
今でも耳にこびりついている。
異星からの侵略者の足音。
領民の断末魔。
助けを求める声。
帝都へ辿り着いた時、全てを忘れて酒にでも逃げたかった。
だが――。
リオニーと再会して。
見てしまった。
彼女の表情が消えていた。
あんなにころころと表情を変え、いつもよく笑っていた彼女が。
私から故郷の惨状を聞かされても、
「何を言っているの……嘘はやめて」
まるで機械のような声で、そう呟いただけだった。
そして紛争が終わり。
ようやく故郷へ戻ってきた時。
荒れ果てた大地を前にして、動かなくなったリオニーを見た。
その時。
酒などに逃げるわけにはいかないと思った。
これは――贖罪なのだ。
領地を。
領民を。
そしてリオニーの過去を守れなかった、私の。
だが。
その贖罪に。
一族を。
生き残った者達を。
巻き込んでしまった。
ああ。
こんなことを考えていると、足まで止まってしまいそうだ。
義父上が、筆頭魔術師や帝国学園長としての仕事の合間に、
様々な研究や実験を続けているのも。
この度、筆頭魔術師となった息子が魔術研究へ没頭しているのも。
その妻が、農家や錬金術師達と協力し、
様々な方法で大地を耕そうとしているのも。
ソフィー。
そなたの兄である跡継ぎが、帝
都の研究室とこの地を何度も往復しているのも。
全て。
私のせいなのではないか。
私の贖罪に、付き合わせてしまっている。
ああ、そうさ。
神々が奇跡を起こしても。
蘇るどころか、今なお広がり続ける荒野。
龍脈や龍穴が蘇り。
荒野化が止まり。
大地が息を吹き返すまで、どれだけの時間が必要なのか。
神々ですら分からない。
それなのに。
贖罪という名のもとに、無駄な労力を費やしている。
確かに、この地を元へ戻そうとする研究や実験のお陰で、
開拓村などで使われる技術は大きく進歩した。
成果がないわけではない。
だが――。
この地では。
ソフィー。
お前の言う通り。
草一本、生えさせることすらできていない。
本当なら。
この地を諦め。
帝都でリオニーの側にいて、
元領民達が生きていけるよう采配するべきなのだろう。
それを。
全てリオニーに任せている。
私は。
領主としても。
夫としても。
失格だ。
気づけば。
本当に足が止まっていた。
後ろから来たソフィーが、訝しげな顔で私を見ながら追い抜いていく。
「あなた」
隣から声がした。
リオニーだった。
足を止め。
心配そうな顔で、私の手を握ってくれる。
……ああ。
リオニー。
顔に表情が戻ってくれて。
本当に嬉しいよ。
彼女に表情を取り戻してくれた、アルマ様を始めとする友人達。
気にかけてくださった皇后陛下。
アンリシア姫様。
皆に、感謝しかない。
では。
私は。
リオニーに何をしてあげられたのだろう。
「あなた」
リオニーが、握った手に力を込める。
「みんな、自分の意思でここにいるのよ」
私は顔を上げる。
「自分の意思で。この地を、故郷を愛しているから」
「無駄だと思っていても、何かしようと足掻いているの」
リオニーは真っすぐに私を見る。
「結果はともかく、その思いだけは本物よ」
そして、少しだけ表情を曇らせた。
「全部、異星からの侵略者のせい」
「あんなもの、どうしようもないもの」
「私だって戦場で遭遇して、何度絶望したか」
リオニーの声が、わずかに震える。
「最後は神の降臨によって、なんとかなった」
「人の身では……どうしようもなかったのよ」
そして再び私を見る。
「だから、自分のせいだなんて思わないで」
「一人で背負い込まないで」
励ますように。
諭すように。
そう言ってくれた。
……ああ。
本当に敵わないな。
私の悩みなど、お見通しなのだ。
宮廷貴族として帝都で生まれ育った私より。
この地で生まれ。
この地で育った君の方が。
ずっと辛いだろうに。
「ああ」
全てに納得できたわけではない。
理解できたわけでもない。
だが。
これ以上リオニーを心配させるわけにはいかない。
そして。
今の私は、この地を預かる者としての責任を果たさなければならない。
私は安心させるようにリオニーへ笑いかけ、再び走り出した。
◇
屋敷を囲む防壁へ辿り着いた時には、
すでに主だった者達が揃っていた。
皆、防壁の向こう。
街へ近づいてくる魔物の一団を見つめている。
私は端末を開き、衛星映像から送られてくる情報を確認した。
今のところ、伏兵はいないようだ。
街にいた非戦闘員は、すでに屋敷へ避難している。
騎士団の駐屯地は無人。
今、そちらへ人員を割く余裕はない。
保管されていた物資も、私の独断で屋敷と駅へ移してある。
事後承諾ではあるが、宰相様からも許可を頂いた。
問題はない。
今いる領兵だけでは、この屋敷と駅を守るだけで精一杯だ。
討って出る余力などない。
籠城し、第五騎士団の来援を待つ。
それしかない。
魔族が率いる魔物の一団。
奴らは、何が目的なのだ。
これまで何度も街を襲い、
手当たり次第に建物や施設を破壊していった。
ようやく、駅周辺だけとはいえ、
人が暮らせるようになったというのに。
それを、無慈悲にただ破壊していく。
まるで――。
異星からの侵略者のようだ。
街が火の海へ沈んでいった、あの日の光景が蘇る。
この死した大地に、盗賊や魔物が現れるなど想定していなかった。
さらに、いくつかの実験農場を作る予定だったこともあり、
街全体を囲う城壁は建設されていない。
魔物の侵攻を阻めるのは。
万が一に備え、屋敷の周囲だけに作られたこの防壁だけだ。
騎士団の駐屯地があるこの地を襲う者などいない。
……侮りすぎたか。
やがて。
魔物の一団が街へ辿り着いた。
建物が壊される音。
咆哮。
地面を揺らす足音。
遠目にも破壊が始まったことが分かる。
「ソフィー」
私は孫娘を呼んだ。
「なんだよ、じい様」
いつでも剣を抜けるように構えていたソフィーが振り向く。
「いいか、ソフィー。先程した話を、ここでするんじゃないぞ」
「もし、本当にエルダー級の魔物がいると知れたら、
戦う前に戦線が崩壊する」
私は孫の目を見る。
「分かるか?」
ソフィーは一瞬、きょとんとした顔をした。
だが、すぐに意味を理解したのだろう。
黙って頷いた。
……よかった。
「戦う者に正確な情報を伝えなくてどうする。」
などと言い出したら、どう説明しようかと思っていた。
確かに、本来なら、戦う者には正確な情報を伝えるべきだ。
だが、それは状況による。
騎士団すら歯が立たなかった魔物がいる。
そんなことを知れば、戦う前から逃げ出す者が出ても、おかしくはない。
まして、そんな化け物が。
五体もいるなど。
私は憎々しげに、街を破壊している魔物達を見る。
大小様々な魔物の群れ。
その中に、ひときわ目立つ巨大な白い魔物がいる。
一体。
二体。
三体。
四体。
五体。
それらが、ゆっくりと街へ近づいてくる。
私は深く息を吸った。
そして、覚悟を決める。
「アンリシア姫様」
声を掛ける。
「ここは退避を」
アンリシア姫様達が、一斉にこちらを向いた。
「敵は恐らく、今来ている者達が主力でしょう」
私は屋敷と駅の方向を示す。
「宰相様や、西園寺公爵令嬢などの非戦闘員を、今のうちに逃がすべきです」
「今なら、まだ駅へ向かえます」
「非戦闘員を列車へ乗せ、南へ走らせるべきです」
エルダー級。
一体現れるだけでも、人類総力戦になりかねない存在。
それが五体。
とても、非戦闘員を守りながら戦える相手ではない。
その意味を理解されたのだろう。
アンリシア姫様は。
魔物の一団。
屋敷。
そして駅。
何度か視線を動かした。
やがて。
「分かった」
決断は早かった。
「早急に退避を始めろ!」
声が防壁に響く。
「荷物など持つな! 手ぶらで動け!」
「失った財産は帝国政府が補填する!」
「命を最優先にしろ! 急げ!」
その命令で、防壁の上にいた者達が一斉に動き出す。
駅へ。
屋敷へ。
次々と連絡が飛ぶ。
駅には列車の用意。
動かせる車両は全て。
最低限の水。
食料。
医療品。
それらを積み込むよう指示を出す。
到着した非戦闘員を乗せ次第、全速で南へ逃げる。
屋敷へ避難していた者達にも、アンリシア姫様の言葉通り。
身軽な格好で荷物など持たず、駅へ急ぐよう指示が飛んだ。
そして。
私は、ここへ残る。
誰かが、あの魔物共をこの屋敷へ引き付け時間を稼がなければならない。
異星からの侵略者から領民を逃がすため。
最後まで残った、あの時の同胞達のように。
あの時は、指導者が私しかいなかった。
だから、領民を率いて逃げた。
本当なら、私が残るべきだった。
私が指揮を執るべきだった。
だが。
今回は違う、領民達を率いる者は、他にもいる。
目を閉じる。
すると。
あの時。
最後まで残った領兵達の顔が浮かんだ。
残って指揮を執る。
そう言った私を。
隊長は殴った。
「お前みたいな、剣を振ったこともない若造が指揮なんぞ執れるものか」
「俺達の家族を連れて、とっとと逃げろ」
そして、笑った。
「後は任せろ」
そう言っていた。
そういえば、他の残った者達も。
みんな笑っていた気がする。
……ああ。
今度は、私の番なのか。
ようやく、そちらへ行ける。
自然と、笑みが浮かんだ。
その時、ようやく気づいた。
……そうか。
私は、誰かに罰してほしかったのだ。
贖罪などではない。
罰を受けて楽になりたかった。
この、何も変わらない、
無意味に思える復興から逃げたかっただけなのだ。
私はゆっくり目を開ける。
すると。
横にソフィーが立っていた。
……まったく。
何をしている。
お前は、ここで死んでいい者ではない。
ああ、今ならあの時の隊長の気持ちが分かる。
「ソフィー」
「なんだよ」
「何をしている。早く非戦闘員達を連れて駅へ向かわんか」
案の定。
ソフィーの顔が険しくなる。
「ふざけんじゃねぇ!」
「私は、こういう時のために剣の腕を磨いてきたんだ!」
胸を張る。
「私はガイアースブルク一族だ!」
「領主の一族だ!」
「ここで逃げてたまるか!」
……そうだな。
そう言うと思った。
だが、まだ若い。
ソフィー、状況をよく見ろ。
私は、そっと孫娘の頭へ手を置いた。
「いいかい、ソフィー」
「よく聞きなさい」
ソフィーが眉をひそめる。
「これは、私からの最後の教えだ」
その言葉を聞いた瞬間。
頭に置かれた手を払い除けようとしていたソフィーが、動きを止めた。
「ソフィー」
「そなたは騎士に憧れ、プリンセスガードになりたいのだろう」
「おう」
少しだけ、いつもの強気な顔に戻る。
「私は許されないけど、騎士になりたい」
「姫様を守るプリンセスガードになりたい」
昔から、何一つ変わらない。真っすぐな思い。
「なら」
私は、駅へ向かい始めた非戦闘員達を見る。
「戦えない領民や、貴人達を」
「無防備のまま戦地へ送り出すつもりかい?」
ソフィーも、私の視線を追う。
人々が静かに、だが急いでまとまって駅へ移動を始めている。
魔物に気づかれてはいけない。
街の破壊に夢中になっている。
今のうちに。
「駅までの道を切り開く者も必要だ」
「列車へ乗ったからといって、安全とは限らない」
「安全な地域へ辿り着くまで、護衛する者も必要だろう?」
ソフィーが黙る。
「それに」
「その中には宰相様を始め」
「未来の皇后陛下たる西園寺公爵令嬢もいる」
「他にも、アンリシア姫様やアルマ様などの貴人もいるぞ」
そう告げると。
ソフィーの目が泳いだ。
「そして」
私は続ける。
「避難した先で」
「領主の一族が」
「ガイアースブルク侯爵家の者が」
「領民達を守り、指示を出してやらなければ」
「皆、路頭に迷うぞ」
これはあの時、隊長や家臣達に私が言われたことだ。
「だったら、それはじい様が――」
「ソフィー」
私は言葉を遮る。
「そなたは、ここへ残る領兵達のことを知っているのか?」
「名前や顔だけではないぞ」
「誰が何をできる」
「誰に何を任せるべきか」
「それが分かるのか?」
「そ、それは……」
答えられない。
「そういうことだ」
私は、そっとソフィーを抱きしめた。
「ソフィー」
「皆に謝っておいてくれ」
「私の我儘に付き合ってくれて、ありがとうと」
「そして」
声が、少しだけ震えた。
「こんな役目を押し付けて、すまない」
ソフィーの目に涙が浮かぶ。
私はその額へ口づけた。
どうかこの子に、神々の祝福がありますように。
ソフィーは最後にもう一度強く私へ抱きついた。
そして何も言わず走り出した。
ちょうど宰相様や西園寺公爵令嬢が。
サフィール伯爵令嬢に率いられて屋敷から出ていくのが見えた。
第一陣だ。
敵に気づかれず駅へ向かうため。
恐らく何度かに分かれて避難するのだろう。
あの様子なら全員が脱出するまでそれなりの時間がかかる。
できるだけ魔物をこの屋敷へ引き付けなければ。
私は振り返る。
そこには、残った領兵達がいた。
……やれやれ。
かなりの数が残っている。
みんな家族がいるだろうに。
一緒に行け。
非戦闘員の護衛へ回れ。
そう言おうとする。
だが皆、あの時の隊長達と同じ顔をしていた。
笑っている。
それを見て私は小さく首を振った。
……私と同じか。
私は現在の隊長へ命じ、防壁での防戦準備を始めさせる。
街の破壊は今は止めない、好きなだけ壊させる。
そして、こちらへ注意が向くようにする。
非戦闘員達の脱出に気づかれないように。
魔族がいるはずだ。そいつを見つけ、こちらへ注意を向けさせなければ。
「あらあら」
横から明るい声が聞こえた。
「戦い甲斐がありそうね」
続いてもう一つ。
「本当。去年の魔王といい、今回の化け物といい」
「過剰労働させすぎよ」
私は驚いて振り向いた。
「リオニー」
「それに、アルマ様まで……」
リオニーが呆れたように私を見る。
「あなた」
「まさか、私にまでソフィーと同じことを言わないわよね?」
「いや、その……なんだ」
言葉に詰まる。
「ここは」
リオニーが防壁の向こうを見る。
「私の故郷なのよ」
「あの時は……いなかった」
目が少しだけ細められる。
「でも」
「今はいる」
そう言って一歩前へ出る。
そして迫ってくる魔物の一団を睨んだ。
「それに」
振り返る。
笑っている。
「あなたを置いて」
「私だけ逃げるとでも思った?」
「…………」
何も言えない。
リオニーは私の側へ戻ってくる。
そして腕を絡めた。
「あなた」
「一つ、勘違いしているわ」
「私達の結婚は、確かに政治的なものだった」
「でも」
腕へ少しだけ力が入る。
「私は好きでもない人と、子供を作ったりしないわ」
…………。
「もう」
リオニーが小さく呟く。
「愛する人を失いたくないの」
今更ながらの告白。
私は声が出なかった。
……ああ。
私もだよ。
もう君の顔から表情が消えるところなど二度と見たくない。
「あらあら」
横からアルマ様が笑う。
「お熱いわねぇ」
リオニーが少し頬を染めながらアルマ様を見る。
「あら、アルマ」
「貴方まで付き合う道理はないのよ」
「いいの?」
「愛しの旦那様が泣くわよ。一人で行かせて」
アルマ様は肩をすくめた。
「いいのよ」
「うちの旦那なんか」
「『なんでここにいるの?』って目で見てきたわよ」
「とっとと殿を務めてこいって顔してたもの」
「まったく、薄情だわ」
そう言って笑い出す。
……そうだろうか。
宰相様の愛妻ぶりは有名だ。
自らの名前を皇帝陛下ですら呼ばせない。
呼ぶことを許しているのは愛する家族だけ。
そんな方が愛する妻を死地へ残す。
恐らく、この程度でアルマ様がどうにかなるとは思っていないのだろう。
それだけ信頼しているのか。
あるいは何か策があるのか。
「それに」
アルマ様が腰に手を当てる。
「アンリちゃんがいるのに」
「逃げるわけにもいかないでしょう?」
その言葉に私は目を見開いた。
「別に、我は気にせんぞ」
頭上から声がした。
「……え?」
仰ぎ見る。
防壁の見張り台。
そこにアンリシア姫様が立っていた。
「アンリシア姫様!」
「なぜここに!」
「早く退避を!」
私の叫びなど意に介さず。
アンリシア姫様は不敵な笑みを浮かべる。
「何を言っておる」
「ここにいる最大戦力が逃げて、どうする」
そう言って見張り台から軽々と飛び降りてきた。
確かに、アンリシア姫様はお強い。
リオニーやアルマ様と同じくその実力は英雄の域へ達している。
だがこのような戦いへ参戦していい御方ではない。
「のう、ロビン前侯爵」
アンリシア姫様が防壁の向こうを見る。
「お主」
「どうやって時間を稼ぐつもりじゃ?」
「…………」
「ソフィーの言う通りの魔物なら」
姫様が巨大な白い魔物を指す。
「こんな防壁なぞ、もたんぞ」
「誰かが直接相手をせんと」
「時間など稼げるものか」
私は言葉を失った。
「全部で五体か」
姫様が一体ずつ数えていく。
「我と」
「リオニー様」
「アルマ様」
「一体ずつ受け持つとして」
「残り二体をどうするか」
…………。
まさかエルダー級を、一人一体ずつ相手にするつもりなのですか。
「そうねぇ」
アルマ様が腰の双鞭へ触れる。
そして楽しそうに舌なめずりした。
「どうしましょうか」
「ほら、リオニー」
「ロビン殿に甘えてないで、知恵を出しなさい」
「こういうのは貴方の役目でしょう?」
「はいはい」
リオニーは名残惜しそうに私へ絡めていた腕を解いた。
そしてアルマ様の横へ並ぶ。
「正直」
「エルダー級って言われた時点で、何をしても無駄な気がするのよね」
そして改めて巨大な白い魔物を見る。
「それより」
「第一、あれ何?」
「白熊かしら」
…………。
「確かに」
リオニーが目を細める。
「白くて」
「大きくて」
「四つ足だけど」
「全然、シロちゃんに似てないじゃない」
…………。
確かにヴァルナ殿とかいった。
アンリシア姫様一行の料理人が連れていた白い子犬とは似ても似つかない。
「まあ」
アンリシア姫様が小さく笑う。
「ソフィーのそそっかしさは、昔からじゃからのう」
「遠くから見て」
「勘違いしておったのではないか?」
そう言いながらリオニー達の横へ並ぶ。
そして巨大な魔物達を睨んだ。
「あの五体」
「先制して引き離すしかあるまい」
姫様が駅とは反対方向を指差す。
「そうね」
リオニーも頷く。
「残りの魔物は」
「この防壁で防ぐしかないわね」
確かにそれが最も妥当だろう。
何の準備もなくエルダー級、そして魔物の大軍。
その両方を相手にしながら時間を稼ぐ。
かなりの無茶だ。
それでも五体の巨大魔物だけでも、主力から引き離せれば。
防壁は持ちこたえられるかもしれない。
だがそうなれば。
アンリシア姫様。
アルマ様。
そしてリオニーへの負担が。
非戦闘員の退避状況にもよるが。
最悪、この屋敷へ溜め込んである物資。
その中の爆薬を屋敷ごと爆破することも考えるべきか。
できることは何でもやらなければ。
私は現在の隊長を呼ぶ。
爆薬。
魔道具。
油。
罠に使えそうな物、使える物は全て準備させる。
その時勇者パーティーの皆さんが。
第二陣を率いて屋敷から出ていくのが見えた。
よし。
少しずつ避難は進んでいる。
魔物の一団が街を破壊している。
腹立たしい。
自分達が必死に積み上げてきた物を。
次々と壊していく。
だが、今だけはその破壊行為すら時間を稼いでくれている。
そう思い、耐えるしかない。
そして魔物の大軍、エルダー級と思われる巨大な五体。
それらとの戦いは、もう目の前まで迫っていた。
師匠のニューワールド講座 109
~死んだ大地・ガイアースブルク侯爵領編~
「師匠」
『なんです。』
「また戦闘が起きてますけど……」
『はい。』
「これ、料理店経営物語ですよね?」
『そうですねぇ。前にも似たようなやり取りをしましたね。』
師匠が何かを思い出すように頷く。
『あの時はヴァルナさん、主役の座まで奪われかけていましたものね。』
「嫌なこと思い出させないでください。」
ただでさえ最近、料理している記憶より、
周りで誰かが戦っている記憶のほうが多い気がする。
「今回は大丈夫なんでしょうね?」
『どうなんでしょう。』
「そこは大丈夫って言ってくださいよ!」
『まあ、それは作者に聞いてください。』
「…………」
『さて。』
師匠は俺の抗議を綺麗に無視して、話を切り替える。
『今回は、現在の戦場となっているガイアースブルク侯爵領について、
少し詳しくお話ししましょう。』
「また講座が始まった……」
『龍穴と龍脈が失われ、荒れ地となり、
《死んだ大地》と呼ばれていることは、もう知っていますね?』
「はい。」
『その荒れ地にそびえ立つチロル山脈。
その麓にあるのが、クフシュタインの街です。』
『そして、その街の側には、
かつて大量の水が流れていた《イン河》の跡があります。』
「跡……なんですよね。」
『ええ。今では、河だった痕跡しか残っていません。』
師匠の声から、先ほどまでの軽さが少し消える。
『かつては緑あふれるチロル山脈から大量の水が流れ出し、
イン河へと注いでいました。』
『その水は大地を潤し、人々の生活を支え、
さらに水運にも利用されていました。』
『その恩恵を受けて発展したのが、クフシュタインの街です。』
「じゃあ、昔はかなり栄えていたんですね。」
『そうですね。』
『ですが、今は山から流れ出る水もなく、イン河も消えました。
残っているのは、乾ききった河の跡だけです。』
『クフシュタインの街も、異星からの侵略者によって徹底的に破壊されました。』
『ですから、かつて栄えていた頃の面影は、ほとんど残っていません。』
「それでも人は住んでいるんですよね。」
『ええ。』
『その廃墟となった土地に帝国政府が鉄道駅を建設し、現在も運用しています。』
『そこを起点として、人々が再び集まり始めたのです。』
「ガイアースブルク侯爵家の人達も?」
『もちろんです。』
『ロビン前侯爵をはじめとするガイアースブルク侯爵領の人々は、
侯爵家の屋敷を拠点として、
今もこの土地を蘇らせるための研究を続けています。』
師匠が、そこで少し首を傾げる。
『まあ――』
『侯爵家の屋敷というより、あれはもう研究所ですね。』
「やっぱり?」
『見た目からして、貴族の屋敷とは思えませんよ。』
『飾り気も何もない、四角いだけの――』
師匠が両手で箱の形を作る。
『豆腐ハウスです。』
「侯爵家の屋敷に対して、なんてこと言うんですか。」
『だって、本当にそうなんですもの。』
どうやら否定する気はないらしい。
『その屋敷――もとい研究所には、
大量の物資や研究資料が集められ、
日々さまざまな実験や研究が行われています。』
『そして、鉄道駅と屋敷の間には一本の道が敷かれています。』
『その途中に騎士団の駐屯地があり、周囲には領兵とその家族の家。
さらに騎士団や領民を相手に商売をする者達の店が建ち並んでいます。』
「小さな町みたいになっているんですね。」
『そうですね。』
『何もなかった荒れ地に、人々が少しずつ生活圏を作っていったのです。』
『そして、それらを囲むように作られているのが――実験農場です。』
「例の、何をやっても育たなかった……」
『ええ。』
師匠が静かに頷く。
『他の土地から、生きた土を大量に運び込みました。』
『肥料を撒き、土壌を改良し、水を与え、
魔術も使い……本当に、ありとあらゆる方法が試されています。』
「それでも駄目だった。」
『はい。』
『残念ながら、本編でも触れたように――』
『この土地では、草一本生えませんでした。』
「……百年近くやっても?」
『百年近くやっても、です。』
しばらく、師匠も何も言わなかった。
けれど、やがて静かに話を続ける。
『ただし――その努力が無駄だったわけではありません。』
「え?」
『この実験農場で試された数多くの方法。
その中には、他の地域の開拓地や荒れ地で
大きな成果を上げたものもあります。』
『ガイアースブルクでは失敗だった。』
『でも、その失敗から得られた知識が、別の土地で人々を救ったのです。』
「そっか……」
『ええ。』
『自分達の故郷を蘇らせることは、まだできていません。』
『それでも百年近く、諦めずに研究を続けてきた。』
『その研究所も、鉄道駅も、駐屯地も、家々も、店も、実験農場も――』
師匠が一度、言葉を切る。
『すべてが、ガイアースブルク侯爵領の人々が積み重ねてきた努力の結晶です。』
「……」
『そして――』
師匠の声が低くなる。
『その土地が、今回の戦場です。』
『百年近く積み重ねてきたものが、今、無残にも破壊されています。』
先ほどまでの「豆腐ハウス」なんて言っていた雰囲気は、もうなかった。
『魔族――』
『本当に許せませんね。』
珍しく、師匠がはっきりと怒っている。
『アンリをはじめ、アルマ、リオニー。』
『そして、この地を守るために戦っている皆さんの活躍に期待しましょう。』
「……俺は?」
『…………』
「師匠?」
『ヴァルナさんは――』
「はい。」
『料理店経営を頑張ってください。』
「やっぱり俺だけ別ジャンルじゃないですか!」
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




