112 修学旅行はまだ終わらない
随分と話をしたようだ。
でも、教えてもらったことの半分も理解できなかった。
まあ、聞いただけで実践できなければ意味がないからね。
先輩も、
「そのうち出来るようになるさ」
と、笑って言ってくれた。
「そんなにすぐに出来たら、僕達の立場がないよ」
確かに。
数百年もかけて修行して身につけたことを、
魔法使いになりたてのおっさんが簡単に出来たら、それはそれでおかしい。
そう思うと、少しだけ気が楽になった。
そんな話をしている間にも、師匠とエマさんは先輩から貰った大量のお酒を、
せっせとアイテムボックスへ収納していた。
その様子を見ながらため息をつく。
「そのお酒、ヘイムのみんなへのお土産ですからね。独占しないでくださいよ」
『そんなことする訳ないじゃないですか!』
師匠に怒鳴られた。
でも俺は見逃さなかった。
俺がそう言った瞬間、師匠の肩がビクッと動いたことを。
……やれやれ。
そんなにお酒っていい物なのかな。
飲めない俺には分からない。
そして帰り際、先輩が小さな箱を三つ渡してくれた。
「これは?」
「お土産だよ。ヘイムの子供達にね」
箱を開けてみる。
中に入っていたのは、小さな髪留めだった。
リナちゃんとソレイアちゃんへのお土産らしい。
そして、もう一つはハルヴィンダちゃんの分。
姉妹で着けていたらいいだろうと、先輩が気を利かせてくれた。
あの三人は本当に仲がいいからな。
二人だけ貰って、一人だけ何もないのは寂しいだろう。
本当にありがたい。
しかし、先輩はよく知っているな。
ヘイムの事情。
貰った髪留めには、
この近くの海底で採れる綺麗な石があしらわれているらしい。
アトランティス・ザ・ムーの子供達がよく海底で拾って、
自分達で髪飾りにしているそうだ。
見せてもらったけど、簡素な作りながら、とても綺麗な物だった。
うん、これなら派手じゃないし、それほど目立たない。
でも、ちゃんといい物に見える。
素人目の俺でもそう思えるくらいだ。
女心なんて全然分からない俺だけど、これならきっと喜んでもらえるだろう。
俺は先輩にお礼を言って、大切に懐へしまった。
――この時。
師匠かエマさん。
どちらか一人にでも、この髪留めを見てもらっていたら。
後で、あんな騒動にはならなかっただろう。
この綺麗な石が、パライバトルマリンという、
帝室ですら一つしか所有していないほどの宝石だったこと。
そして、髪留め本体がオリハルコンで出来ていたことなんて。
この時の俺は、知る由もなかった。
ちなみに師匠とエマさんはというと――。
先程述べたように、アイテムボックスへお酒を収納するのに必死だった。
……おい。
ちなみに、俺がアイテムボックスを持っていないことを話すと、
先輩にはとても不思議がられた。
「おかしいなぁ。今度、他の魔法使いにも聞いてみるよ」
と言ってくれたけど。
本当に欲しいよ、アイテムボックス。
やっぱり俺が(笑)だから駄目なのかな。
◇
先輩に部屋まで送ってもらって驚いた。
なんと、二日も経っていた。
「……えっ、二日?」
そんなに過ごしたかな。
俺の感覚では、半日くらいだった気がするんだけど。
まるで浦島太郎だ。
俺達が先輩の工房で話をしていた二日間、学生達とハルヴィンダちゃんは、
思う存分アトランティス・ザ・ムーを堪能したそうだ。
先輩の工房から見えた畑や街並みを案内してもらったり。
海底でスキューバダイビングをしたり。
さらには、例の暴走三人娘にクルーザーへ乗せてもらい――。
海中を衛兵と追いかけっこしたり。
「すごかったんですよ、店主さん!」
ハルヴィンダちゃんが、とても興奮した顔で教えてくれた。
銀色の尻尾まで嬉しそうに揺れている。
うん。
楽しかったのはよく伝わってくる。
俺も、ハルヴィンダちゃんがそんな顔をしているのは嬉しい。
嬉しいんだけどさ。
「……最後の、衛兵との追いかけっこって何?」
聞いてみると、ハルヴィンダちゃんの視線がスッと逸れた。
「…………」
「危ないことはやめようね」
お願いだから。
一方、ムラマサ親方はというと、ずっと部屋に籠もりきりらしい。
「振袖一つ作るのに、どれだけかかると思っておるんじゃい!」
様子を見に行った人が、そう怒鳴られたそうだ。
なんでも、一着仕立てるだけでも最低一、二か月はかかるらしい。
その間、大好きな酒すら飲まず、黙々と仕立てを続けるつもりだという。
「ヘイムの田んぼの米が実って、ジパング酒を仕込める頃には帰るわい!」
と、本人は言っていたそうだ。
いやいや。
そんなにかかるなら、
帝国から仕立て職人の応援でも呼んだ方がいいんじゃないの?
そう提案した人もいたそうだけど、
「ワシの仕事にケチをつけるんかい!」
と、差し入れに持っていった酒瓶を投げつけられたらしい。
……職人だなぁ。
そんな話を先程から色々と教えてくれているのは、
先程酒瓶を投げつけられた宰相さんだった。
その宰相さんはこの二日間、
八大氏族と正式な国交を開くための会談を行ったそうだ。
しかし、
「すでにアステリア帝国の一貴族である西園寺公爵家と交流がありますので」
と、やんわり断られたらしい。
まあ、元々そうなることは予想していたようで、それほど粘ることもなく、
「では、今後ともよろしくお願いします」
程度で話を終えたそうだ。
その後は奥様のトール夫人と、二人で観光を楽しんだらしい。
今の宰相さんは、アロハシャツに短パン姿だ。
……どうやら、相当休日を堪能したようだ。
まあ、皆さん旅行を楽しめたようで何よりです。
ちなみに、アンリ先生とミレディさんは――。
暴走三人娘と共に海中を駆け回った
生徒達とハルヴィンダちゃんに拳骨を落とした後、
関係各所へのお詫び行脚で大変だったそうだ。
ご愁傷様です。
ただ一人。
ハーケン夫人だけは……。
その話になった途端、トール夫人はあまりいい顔をしなかった。
「リオニーったら、宿でずっとお酒を飲んでいたのよ」
深いため息をつく。
「折角の気晴らしで帝都の外に出したのに、あれじゃ意味ないわ」
どうやらハーケン夫人は、帝宮へ上がる時以外は、
以前からよく酒を飲んでいたらしい。
ヘイムに来るようになってから、
少し飲む量が減ったように見えていたそうだ。
でも最近、また酒を口にする頻度が増えている。
「貴族には色々あるのよ」
トール夫人が、小さく呟いた。
「最近はヘイムに行って、みんなと触れ合って笑うようになって……
魔王戦の後は身体まで鍛え始めたから、少しはマシになったと思ったのに」
その視線が、どこか遠くへ向けられる。
俺には、その言葉の意味までは分からなかった。
宰相さんも悲しそうにトール夫人を見つめ、静かに首を振った。
その二人の顔を見ていると――。
それ以上、何も聞けなかった。
◇
その後、近くにいた使用人さんに『海神』様の神殿の場所を教えてもらい、
向かうことにした。
ちなみに今の俺は、ローブ姿ではない。
普通の私服だ。
そのせいなのか、道行く人達には魔法使いとは思われず、
ただの付き添いだと思われていた。
……ちょっと悲しい。
普段の俺、そんなにオーラない?
『モブですね』
シクシク。
師匠。
もう少しオブラートに包んでください。
『海神』様の神殿は、周囲の街並みにとてもよく合っていた。
白い石造りの柱が並ぶ、いかにもギリシャ風の神殿だ。
黄金とか白銀とか青銅とかの鎧を着たイケメンが、今にも出てきそうだ。
神殿の中へ入る。
そこには八柱の神像が並んでいた。
どれが『海神』様なんだろう。
そう思って眺めていると――。
一柱だけ、手に熊手を持っていた。
あっ。
すぐ分かった。
アトランティスの女神様だ。
『そうやって判別されるのは納得いかないわ』
早速お叱りを受けてしまった。
「すみません」
『……まあいいわ。今更だし』
諦めたような声が神殿に響く。
そして、少し間を置いて。
『で、依頼があるんだけど』
来た。
紅ズワイタラバの罠だ。
やっぱり、あれは前払いだったんだ。
『別に大したことじゃないわよ』
神様の「大したことじゃない」は、
下々の人間にとっては大したことなんです。
『地上に戻ったら、東方へ行きなさい』
「東方ですか?」
予想していなかった地名に、思わず聞き返す。
『東方に、河があるのよ』
『チロル山脈から流れて、クフシュタインの街の側を流れるイン河』
聞いたことのない名前ばかりだ。
『本当は、そのイン河の下流は、
このアトランティスの海まで続いているの』
「ここまで?」
『ええ。でも、ここ百年近く枯れたまま、音沙汰がないのよ』
百年。
俺からしたら気の遠くなるような時間だ。
『調べに行きたくても、私はこの海域の調整で忙しくて行けないのよね』
『私みたいな下っ端は、海中や繋がっている河や川ならともかく、
一度流れが途切れてしまうと、使徒を向かわせることも出来ないのよ』
「そういうものなんですか?」
思わず師匠を見る。
師匠は結構自由に動いているけどな。
『それに、あの地は色々あって、力の弱い子にはキツいから。頼むわね』
「頼むって、何をでしょう?」
あっしは、しがない(笑)なんですが。
『なんとなくは分かっているのだけどね』
少しだけ、『海神』様の声が真面目になった。
『見てきて欲しいのよ』
『そして知りなさい』
神殿の空気が、わずかに変わった気がした。
『龍穴が閉じた地を』
『龍脈が流れていない地を』
俺は黙って、その言葉を聞く。
『この星のレイライン――龍穴と龍脈を整える役目とは何なのか。
それを知る、いい機会になるわ』
『見て、聞いて、感じたことを、帝都の神殿で教えてちょうだい』
なるほど。
調査というより、俺に見せたいのか。
龍脈が失われた土地というものを。
『それと――』
ん?
『そこの『大地母神』の使徒よ』
『私はケチなのではない』
突然、矛先が師匠へ向かった。
『あの酒は私に捧げられたものなのだ』
『私が飲まず、他へ回しては、
折角捧げた者の気持ちを無視することになろう』
……。
まだ根に持ってたんだ。
『まったく、『大地母神』のところの者は、
どうしてこう口も態度も悪いのか』
『他の神々のところを見習え。みな礼儀正しいぞ』
そこから一方的に愚痴が始まった。
そして、その声もだんだん小さくなり――。
やがて何も聞こえなくなった。
……終わったのかな。
俺は隣の師匠を見る。
「師匠って、やっぱり――」
『師匠キッーーク!!』
「ぐはっ!」
おお。
今回は記録じゃないだろうか。
俺、よく飛ぶ。
◇
床から身体を起こしながら、先程の『海神』様の言葉を思い返す。
今回のこれも、修行の一つなのだろうか。
伝承や師匠。
そして先輩から聞いた、魔法使いの仕事。
この痛んだ世界を。
この傷ついた星を癒すこと。
そのために存在する世界樹。
そして、その世界樹の力が及ばない地。
惑星の血管ともいえる龍脈が失われた土地。
それを見てこい、ということなのだろうか。
もし俺が世界樹を守れなかったら。
もし、枯らしてしまったら。
帝都がどうなってしまうのか。
その未来を、自分の目で見てこいということなんだろうか。
俺は師匠を見る。
『そうかもしれませんね』
師匠は珍しく茶化さずに答えた。
『あの地は、本当に死にかけていますから』
「……そうなのか」
そんな場所へ、俺が行く。
俺に本当に、そんな大役が務まるのだろうか。
『海神』様の神殿から戻った俺は、アンリ先生達に依頼の内容を伝えた。
本来、修学旅行はここで終わる予定だった。
明日には西園寺公爵領へ戻り、そのまま帝都へ帰る。
そう聞いていた。
だから俺は、単純な疑問を口にした。
「それで、そのイン河って、どうやって行けばいいんです?」
すると、その場にいたハーケン夫人の顔が曇った。
さっきまで手にしていた酒杯も、動きを止める。
「イン河……」
ハーケン夫人が、小さくその名を呟いた。
そして皆から説明を受けた。
イン河。
ガイアースブルク侯爵領を流れる河。
チロル山脈。
ガイアースブルク侯爵領の北にそびえる山脈。
そして、クフシュタインの街。
ガイアースブルク侯爵領の領都。
つまり――。
『海神』様が言っていた、死にかけている土地。
それは、ガイアースブルク侯爵領のことだった。
ハーケン夫人はしばらく何も言わなかった。
俯いたまま考え込み、やがて深いため息をつく。
そして、こちらを向いた。
「いいわ。案内してあげる」
いつもの強気な声。
でも、どこか投げやりに聞こえた。
「偶には私も、夫の顔を見ないとね」
そして、もう一言。
「スケープドールの件も謝らないといけないし」
それだけ言うと、ハーケン夫人は部屋へ戻っていった。
その手には酒瓶が握られている。
……これから、また飲むのだろうか。
「ふむ……ガイアースブルク侯爵領か。どうしたものか」
アンリ先生が腕を組んで唸る。
すると宰相さんが、顎に手を当てながら答えた。
「そうですね。西園寺公爵領から出ている東回りの鉄道に乗れば、
さほど時間はかからないはずです」
「現地で何があるか分かりませんが、
後学のためにも学生諸君や第一妃には見ていただいた方がよろしいかと」
そこで一度、春香様を見る。
「帝国の荒れた一面も見ていただく必要があるでしょう」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
そんなに酷い場所なのだろうか。
そして――。
ハーケン夫人の酒の量が増えていることも、そこに何か関係しているのだろうか。
詳しいことはまだ分からない。
ただ一つだけ分かった。
どうやら、この修学旅行。
まだ終わりそうになかった。
◇
その後は特に大きな騒動もなく、簡単な宴が開かれ、俺達は帰路についた。
ムラマサ親方については、後で責任を持って送り届けてくれるそうだ。
……本当に大丈夫かな。
まあ、本人が帰る気にならないと無理そうだけど。
それより面白かったのは、松平君だ。
意外とモテていた。
新刊を送る約束をさせられていたのは置いておくとして。
ハニートラップなんかじゃなく、本当に例の暴走三人娘を始めとして、
大勢の女性に囲まれていた。
「松平先生、次はいつ来るんだ?」
「新刊、絶対送ってくださいね」
「次は私の好きなキャラも描いてよ」
まるでハーレム物の主人公みたいだった。
こういう時って、同じ転移勇者の女性陣が
やきもちを焼いたりするものだと思っていたけど。
誰も反応していない。
むしろ、
「よかったじゃん」
くらいの扱いだ。
うーん。
日本人とこちらの世界の人では、何か違うのだろうか。
……謎だ。
◇
そして、また二日ほどかけて西園寺公爵領へ戻った。
潜航船を降り、久しぶりに地上へ出る。
「うーん!」
思いっきり身体を伸ばす。
海底も美しくて、神秘的で、とても良かった。
でも――。
やっぱり地上は落ち着く。
慣れ親しんだ大地。
頭上いっぱいに広がる青空。
風が頬を撫でる。
ああ。
戻ってきた気がする。
まずは二日も狭い潜航船に乗っていたのだ。
リフレッシュも兼ねて、ゆっくり休むことになった。
その間に宰相さんは、
春香様を連れて東方へ向かう件を西園寺公爵夫妻に話していた。
間もなく帝都へ戻らなければならないとはいえ、
もう少し親子で一緒にいたかったらしい。
でも、東方のガイアースブルク侯爵領へ向かうと聞くと、
西園寺公爵は静かに頷いた。
貴族として。
そして、将来の皇后として。
「あの地は、一度見ておくべきだ」
そう言って、春香様の同行に賛成した。
あの地の荒廃を引き起こしたのは、異星からの侵略者だ。
だが――。
力ある者が、力の使い方を間違えればどうなるのか。
行き着く先は同じなのだと。
それを学ぶべきだとも言っていた。
春香様は東方を見た後、西園寺公爵とは帝都で再会することとなった。
東方へ向かう列車の手配が整うまで。
そして最後にもう一度、西園寺公爵領を楽しむため。
俺達は一日だけ、観光やお土産を買う時間をもらった。
なんでも、これから向かう東方には、観光するような場所も、
お土産になるような物もほとんどないそうだ。
……そんなに何もないのか。
しかし、みんな元気だなぁ。
朝から街へ出かけていったよ。
俺は部屋でゴロゴロしようと思っていたんだけど。
「ほら、行くぞ!」
アンリ先生。
「店主殿、今日はまだ先日行けなかった店があります」
ミレディさん。
「旦那様、早くしてください」
そしてエマさん。
……。
再び大食いツアーへ連れて行かれた。
一体、どこに入るのだろう。
いや、料理じゃない。
あの三人の腹の中だ。
行く店、行く店。
他のお客さんも店員さんも、最初は感心している。
「よく食べるねぇ」
なんて笑っている。
ところが、次々と並べられた料理が消えていくにつれて、
その表情が変わっていく。
感心。
驚愕。
そして――ドン引き。
「沢山食べても、その分動けば問題なかろう」
アンリ先生が不思議そうな顔で言う。
ミレディさんとエマさんも、当然のように頷いている。
……いや。
あなた達は、その理論を超えていると思う。
日本にいた頃と違って、俺だって結構動いている。
それなのに、一向に体重が減らない。
俺は一体なんなのだろう。
◇
そうして楽しい一日も終わり。
翌日、俺達は東方へ向かう汽車へ乗り込んだ。
学生達はまだまだ楽しそうだ。
修学旅行が延長されたようなものだから、当然なのかもしれない。
でも、大人達は少し違った。
別に楽しんでいない訳ではない。
ただ、これから向かう場所がどんな所なのか知っている。
そんな顔だった。
西園寺公爵領からガイアースブルク侯爵領まで、汽車で五日。
ノンストップなら、もう少し短いらしい。
でも今回は、途中にあるいくつかの駅で降りることになった。
ここから先は、
修学旅行半分。
授業半分。
そういう旅になるらしい。
途中にある名所や、帝国にとって重要な地域を見学していく。
いわゆる社会見学だ。
「ここはな――」
アンリ先生が、生徒達を前に説明している。
おお。
アンリ先生が先生している。
「いたっ!」
余計なことを言うんじゃなかった。
隣にいたハーケン夫人に足を踏まれた。
恐る恐る顔を見る。
いつものハーケン夫人だ。
表情も変わらない。
ただ――。
ガイアースブルク侯爵領へ近づくにつれて、
酒の量が増えているように見えた。
一方、宰相さんも連れてきた人達と共に、
春香様を連れて各地の視察をしていた。
報告書を読むだけではなく、
実際に自分の目で見るいい機会だと張り切っている。
もちろん、完全なお忍びだ。
身分がバレれば、その土地を治める貴族から歓待を受けることになる。
そうなったら、いつガイアースブルク侯爵領へ着けるか分からないらしい。
しかも一つの領地で歓待を受けてしまえば、
他の領地でも同じように受けなければならない。
そうしないと、
「あの領地だけ優遇した」
「こちらは冷遇された」
「帝国政府はあの家と敵対しているのではないか」
なんて、余計な揉め事になるそうだ。
……貴族って、本当に面倒くさい。
だから、あくまでも一般の旅行者のふりをしている。
しかし皆さん。
大貴族なのに、庶民の服がとても似合っていますね。
護衛の人達も一般人のふりが上手い。
目立たないように周囲へ散りながら、それでも自然に俺達を守っている。
……これ。
どう見ても普段から帝都をお忍びで出歩いていますよね。
それと、汽車で寝泊まりするのは思った以上に身体が痛い。
充分に休めない。
だから夜になると、駅の近くにある宿へ泊まった。
俺としては、個人的にファストトラベルポイントが
増えていくのがありがたかった。
今のところ使い道はないけど。
将来、何があるか分からないからね。
◇
そうして授業や視察を行いながら進む汽車の旅は、
思った以上に充実したものだった。
――だけど。
ガイアースブルク侯爵領へ近づくにつれて。
少しずつ。
本当に少しずつ。
車窓の向こうの空気が重くなっていった。
西園寺公爵領を出て四日目。
大きな線路の分岐点を越えた頃から、はっきりと風景が変わり始めた。
まず、停車する駅が減った。
そして――。
自然が減っていった。
それまで車窓いっぱいに広がっていた農地が、少しずつ途切れていく。
緑が減る。
木々が減る。
畑が消える。
代わりに現れたのは、痩せた大地だった。
やがて汽車が停車する駅の周辺からも、普通の街並みが消えていった。
あるのは軍事施設。
研究施設。
それは、荒れた土地の治安維持や、
土地の荒廃を食い止めるために作られた施設ばかり。
街と呼べるものも、駅の周囲にわずかにあるだけだった。
その向こうには――。
ただ、痩せた土地が広がっている。
「……これが」
誰かが、小さく呟いた。
これが。
龍脈が傷つき、乱れた土地。
汽車が目的地に近づくほど、その光景は酷くなっていった。
やがて。
草一本、生えていない土地が現れた。
木もない。
鳥も飛んでいない。
動物の姿も見えない。
風が吹いても、草木が揺れる音すらしない。
ただ荒れ果てた大地だけが、どこまでも続いている。
――生き物の気配がしない。
でも、正確にはまだ死んではいないそうだ。
だが、この地を知る人々は、こう呼んでいる。
――死の大地。
いつも騒がしい学生達も、今は誰一人として喋らなかった。
窓の外を、ただ黙って見つめている。
そんな静かな車内で。
宰相さんが、ゆっくりと口を開いた。
「皆さん。この土地が、なぜこうなったのか」
誰も目を逸らさない。
宰相さんは淡々と語り始めた。
始まりは、かつての二百年戦争。
そして、その末期に現れた異星からの侵略者。
圧倒的な侵略。
その終結。
だが――。
戦争が終わったからといって、全てが元通りになった訳ではない。
異星からの侵略者が、この地で何をしたのか。
それは想像を絶するものだった。
戦後、何が行われたのか。
神々が起こした奇跡。
その奇跡をもってしても、現状を維持することしか出来ないという事実。
大地を復興させるために続けられている研究。
帝国政府から注ぎ込まれる援助。
それでも――。
「現在まで、根本的な解決には至っていません」
何一つ、上手くいっていない。
荒野は今も少しずつ広がっている。
住む土地を追われる人々。
故郷を捨てざるを得ない住民達。
そして、彼らを受け入れる他の領地。
増え続ける人々を受け入れるために進められている、
帝都の再開発地区。
誰一人、声を上げない。
明るい話が一つもない。
これは歴史の授業じゃない。
今も続いている現実だ。
帝国が抱えている、大きな問題の一つ。
学生達や俺は、帝国の豊かな場所しか知らない。
特に、帝国で最も賑やかな帝都。
そして、帝国でも一、二を争う港町。
豊かな場所で生まれ育った者にとって、
この光景との落差はあまりにも大きかった。
やがて、宰相さんの話が終わる。
その頃には、車内に会話らしい会話はなくなっていた。
そして汽車は、ゆっくりと速度を落としていく。
荒野の中に、街が見えてきた。
この死の大地の中心。
龍穴が閉じ。
龍脈が枯れた地。
そして――。
ガイアースブルク侯爵領の領都。
クフシュタインの街へ。
俺達を乗せた列車は、静かに入っていった。
師匠のニューワールド講座 105
~龍脈と龍穴編~
「師匠」
『なんです。』
「龍穴や龍脈がないと、こんなに違うものなんですか。」
『そうですねぇ。』
師匠は少し考えるように間を置いてから、説明を始める。
『ファンタジーや風水に詳しい方なら、なんとなく分かると思いますが――』
『星や大地を巡るエネルギーの流れ。それが集まってできる地脈を《龍脈》。
そして、その龍脈が集まる場所を《龍穴》と呼びます。』
「龍脈と龍穴……」
『簡単に言えば、大地の血管みたいなものですね。』
『星が、大地が、生きていくためのエネルギー。
それを受け取り、蓄え、各地へと巡らせるための大切なものです。』
師匠の声が、少し真面目なものになる。
『人体だって、血が巡らなければ、
その部分はやがて壊死してしまうでしょう。
それと同じです。』
「じゃあ、ガイアースブルク侯爵領は……」
『異星からの侵略者が召喚され、出現した場所です。』
『真っ先に龍穴からエネルギーを吸われ、
龍穴そのものが枯れてしまいました。
そして、そこに繋がっていた龍脈も同じように力を失い、
やがて消えてしまったのです。』
『その影響はガイアースブルク侯爵領を中心に広がり、
周辺の領地も似たような状況になっています。』
「今でも、あんな状態なんですか。」
『今でも神々が奇跡によって力を注いでいますよ。』
「だったら、少しずつ元に戻るんじゃ?」
『それが、そう簡単ではないのです。』
師匠がため息をつく。
『せっかく力を注いでも、それを蓄え、
巡らせるための龍穴と龍脈がありません。』
『言ってしまえば――』
『底に穴の開いたバケツへ、延々と水を注いでいるような状態ですね。』
「うわぁ……」
それは確かに、どうしようもない。
『こればかりは、神々が無理やり穴を塞ぐわけにもいきません。』
「神様でも無理なんですか?」
『できないのではなく、やってはいけないのです。』
師匠の言葉が、少しだけ重くなる。
『無理に龍穴や龍脈を作り直すということは、
星そのものを改造するのと同じですからね。』
『下手に手を加えれば、別の場所にどんな影響が出るか分かりません。
ですから、その手は取れません。』
「じゃあ……」
『待つしかありません。』
『この星自身が傷を癒やし、
いつの日か自力で龍穴と龍脈を復活させる、その時を。』
「気の長い話ですね……」
『星にとっては、それほど長い時間でもないのかもしれませんよ。』
そして師匠が、こちらを見る。
なんだろう。
急に嫌な予感がする。
『ヴァルナさん。』
「はい。」
『もし、帝都の世界樹がなくなると――』
「なくなると?」
『帝国だけではありません。
大陸全土の龍脈が乱れ、最悪の場合、
ガイアースブルク侯爵領と似たような状況になりますよ。』
「……えっ。」
『この大陸には、もう一つ世界樹があります。
ですが、それ一本だけでは、とても支えきれません。』
『それどころか、影響は他の大陸や海にまで及ぶでしょうね。』
「…………」
なんか、とんでもなく責任重大な話になってない?
俺、ただの食堂のおっさんだったはずなんだけど。
『ですから、気をつけてくださいね。』
「何をすればいいんです?」
『何も特別なことをする必要はありませんよ。』
師匠は、いつもの調子で答える。
『清く正しく生きていればいいのです。』
「それだけ?」
『ええ。』
そして、にっこりと笑った。
『そう――ごく普通に。』
「……その普通が、一番難しそうなんですけど。」
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




