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110 本当にグダグダです

やあ、宰相です。


名前はないのか、ですか。

亡国の王族の名前なんか、どうでもいいじゃないですか。

元ミョルニル王国の王族にして、現アステリア帝国・ミョルニル公爵家前当主。

そして、帝国宰相を務めている者です。

私の名前など、愛する家族だけが知っていればいいのです。


皇帝陛下ですら、私を名前では呼びませんよ。


宰相で充分です。

しかし――。

ああ、父上の言は正しかった。

当時は、なぜミョルニル王国を捨て、

アステリア辺境伯の下につかなくてはいけないのかと思いましたが。

今の平和な世を見れば、それが正しかったと思わざるを得ません。


もし建国時、父上がアステリア辺境伯領を併呑し、

ミョルニル王国を存続させていたら、どうなっていたでしょう。


考えるまでもありません。

火を見るよりも明らかですね。


きっと、二百年戦争は今も続いていたでしょう。


あの男は、人の下につくような男ではありません。

自分が常に一番でなければ気が済まない男です。

あの先帝に限らず、アステリア皇室の者は戦乱の中でこそ輝く一族。

逆に戦乱が終われば、自ら乱を起こしかねない一族でもあります。


今の皇帝陛下は、そのことを理解し、自らを御している。

そこは素直に凄いと思いますよ。


早々に先帝を皇帝の座から下ろし、自らが帝位につく。

そうすることによって、

これからもアステリアの一族が代々帝位を継いでいくことを示した。

――戦乱の時代は終わったのだ、と。


もっとも。

本当の理由は、それだけではありませんけどね。


先帝があのまま帝位についていれば、間違いなく東方へ

――大陸連合国へ攻め込んでいたでしょう。


異星からの侵略者による混乱が落ち着けば、

すぐにでも遠征を行っていたはずです。

さすがにそれは無謀だと、皇帝陛下にもお分かりいただいた。


そして、そこで初めて。


私と皇帝陛下は協力しました。

先帝を帝位から引きずり下ろすために。


先帝は、自らが目立つためなら身内ですら食い殺す。


皇帝陛下の嫡男――第一皇子もそうだ。

魅了に掛かっていたとはいえ、自分より優れた婚約者を受け入れられず、

婚約破棄などという馬鹿なことをした。


第二皇子と第二皇女も似たようなものです。


本当に、アンリシア姫様はあの一族なのでしょうか。

……まあ、セレスティア様など、

他にも偉人はおりますから、一概には言えませんけどね。


ですが――。

私達は、一つ間違えました。


ハイ・エルフがなんだというのです。


アンリシア姫様に皇位を継がせれば良かったのです。

百年ほどして、まだ私達がいるうちに次代の後継者を育て、

皇位を譲っていただけば良かった。

私達は古い慣習に囚われ、大きな間違いを犯しました。


このことは、私だけではありません。

多くの者が思っています。

だからこそ――。


きっと、プリンツ・アレクには重くのしかかるでしょう。


私自身、アンリシア姫様と彼を見比べることを

完全にやめられるとは思いません。

これがどれほど次世代の治世に影を落とすのか。


少しでも間違えば――。

私の首も、物理的に飛びそうですね。

ミョルニル公爵領が火に沈むかもしれません。


皇帝陛下も、そうならないよう帝国をまとめようとしていますが。


無理でしょうな。


こういうものは、時間をかけ、世代を重ねて初めて成り立つものです。

一代や二代で完成するものではありませんよ。


まあ。

私も、愛する家族も、旧ミョルニル王国の民を悲しませたくありませんので。

頑張りますけどね。


さて。

プリンツ・アレクは、どのような皇太子に

――そして、どのような皇帝になるのでしょう。


どうか、名君とは言いません。

凡君でいいのです。

暗君や暴君でなければ。

後は周りがなんとかします。

そのための官僚団であり、騎士団なのですから。


…………。

いけませんね。


この考え自体が、プリンツ・アレクを暗君や暴君にしてしまいそうです。

本人を育てる前から、

周囲がなんとかすればいいなどと考えていては本末転倒でしょう。


それにしても――。

私は運がいい。

まだ手には入っていませんが、最高の切り札があります。


まさか帝都に、魔法使いが現れるとは。


密偵からの報告。

そして、アルマから聞いた話。

数回しか会ってはいませんが、彼の人となりはある程度分かりました。

彼は、目の前で困っている人間を見捨てられない人です。


今後、アステリア帝国に暗君や暴君が現れたとしても。

彼の存在そのものが、抑止力になるでしょう。

圧政を敷けば敷くほど、国民は魔法使いに助けを求める。


卑怯な言い方ですが――。

ヴァルナ殿。


貴方は、目の前で苦しむ国民を見捨てられますか。


他の魔法使いとは違い、きっと貴方は力を振るうでしょう。

期待していますよ。

どうか、その時は国民を守ってあげてください。


そのお返し、などと言ってはおこがましいですが。

私も出来る限り、貴方の力になるつもりです。

そう思って、今回の修学旅行にも同行したのですが。

アンリシア姫様から、


「海人の国へ行くことになった」


と聞き、帝国政府として介入するべきか相談を受けた時には、

内心喜びました。

春香様の言う通り、正式な国交を結ぶなど難しいでしょう。

ですが、


「万が一ということもありますから」


と皇帝陛下を説得し、同行させてもらいました。

もちろん、ヴァルナ殿のお力になれれば、という思いもありました。


しかし、春香様は楽しみですね。

転生者で、中身は大人だと聞いています。

なんでも前世では、会社の事務員だったとか。

惜しいですね。

前世で政治家でも目指していれば、素晴らしい業績を残せたかもしれません。

その分、今回の人生では立派な為政者になってもらいたいものです。


第一妃教育?


緩めるつもりなどありませんよ。

みっちり仕込ませてもらいます。

リスティーナ様には、

プリンツ・アレクの心の癒やしになってもらいましょう。


そして春香様。

貴方には、帝国の暗部までしっかりと統率してもらいますよ。


ええ。

決して逃がしません。

アルマが、


「悪役令嬢だ」

「乙女ゲームだ」


と騒いでいますので、そこも含めてきっちり守らせていただきます。


知っていますか。


この世界、

どこかの国で必ずといっていいほど婚約破棄が起きているのですよ。

そして、なぜか転移者や転生者が絡んでいる。

自分だって物に触れ、食べ、痛みを感じているというのに。

それでもゲームの世界だと勘違いし、

私達を『NPC』とかいう舞台装置のように思っているのですよね。


本当に不思議です。

ですから、きっちり準備しています。


逃がしませんよ。


……おっと。

話が逸れましたね。

しかし。

まさか、こんな展開になるとは。

海人の国――アトランティス・ザ・ムーとの初めての接触が。


まさか、オタク談義になるとは。


まあ、これはこれで助かりましたけどね。

私もヴァルナ殿を助けるつもりで来たというのに。

時間は充分あったのに、ヴァルナ殿に助言の一つもしていませんでした。

つい、久しぶりの夫婦旅行に浮かれてしまいました。

宰相として失格ですね。


ですが――。

ワクワクしませんか。


海中旅行ですよ?


海底都市ですよ?


この年になって、心が弾んでしまいました。

……言い訳は見苦しいですね。


松平君には感謝です。

あなたは本当に勇者ですよ。


そして、サフィール伯爵家令嬢。

……ああ、ミレディさんと言った方が分かりやすいですね。

ミレディさんがヴァルナ殿から預かったブルーレイディスクですが。

有効に使わせていただきましょう。


どうやら、ポニーと名乗っている方。

八大氏族の一つ――黒の氏族の若き族長らしいですね。

代替わりしたばかりで、まだ落ち着きがなく、周囲も困っているとか。

残る二人も、それぞれ族長の一族。


少しは落ち着かせようと公務に参加させ、

今回のヴァルナ殿歓迎の一団に加えたそうですが……。

まったく効果がなかったみたいですね。


しかし、クルーザーですか。

個人用の乗り物。

地上でいう魔動二輪車のようなものでしょうか。

あれで海中を走り回っているようですね。

…………。

気持ちよさそうです。


それに、ムラマサ親方の件もうまくいきそうです。

三つの大氏族が許したのです。

おそらく問題ないでしょう。


しかし、振袖ですか。

アルマにも似合いそうですね。

一つ見繕いましょうか。

そうそう。

こちらのお嬢様方だけでなく、

他の氏族にも今度、西園寺公爵家を通じて振袖を贈りましょう。

反物だけ贈り、職人を同行させるのもいいですね。


おやおや。

春香様。

そんなにこちらを睨まないでください。


いい勘をしています。


どうやら、私の考えを悟ったようですね。

本当に将来が楽しみです。


さて。

晩餐会を開いてくれるようですので。

用意して頂いた今夜の宿へ向かうとしましょうか。

私はアルマと腕を組みながら、

アトランティス・ザ・ムーの街を歩きます。


周囲から、随分と視線を感じますね。

もっとも、それも仕方ありません。

私達の周りには、

どう見ても観光客には見えない学生達が大勢いますから。

きっと、


『なんだ、あの奇妙な一団は』


とでも思われているのでしょう。

まさか、この中にアステリア帝国の宰相がいるとは思わないでしょうね。

一般の方々には、私の顔などほとんど知られていませんから。


ですが。

それも、もう長くは続かないでしょう。

帝都の大広間や、人の多く集まる場所へ設置予定の巨大テレビスクリーン。

あれが完成すれば、帝国政府からの発表や式典などを映す予定です。


当然、私の顔も映る機会が増えるでしょう。


新聞や雑誌よりも、はるかに手軽に見られますからね。

そうなれば。

こうしてお忍びで外へ出ることも、難しくなるのでしょう。


帝国政府としては、国民の皆さんへ直接知らせを届けられる。

とても便利な物です。

ですが。

個人としては、少々困りものですね。


それにしても――。

私は改めて、周囲の街並みへ目を向けます。

綺麗な街ですね。

ギリシャ建築、と言いましたかな。

オリンポス地方の建築様式によく似ています。

建物だけではなく、住民の服装もその地方の物に近い。

白を基調とした建物が整然と並び。

道路も広く。

景観を損なうような物もほとんど見当たりません。

ただ美しいだけではない。

とても機能的に作られているようです。


しかし――。


……おかしいですね。


私は知らず知らず、建物と建物の間。

細い路地。

人の流れから外れた場所へ目を向けていました。

こういう綺麗な街並みでも。


少し奥へ入れば、不届き者。


生活に困る者。


孤児。


そういった者達がいるものです。

帝都だってそうです。

表通りは華やかでも。

その裏には、頭を抱えたくなる問題が山ほどある。

スラムなどができれば、帝国政府はすぐに潰しています。

ですが。

だからといって、問題そのものがなくなるわけではありません。


表の世界で生きていけない者。


働き口を見つけられない者。


親を失った孤児。


事情があって故郷へ戻れない者。


いくらでもいます。

公爵領ですら解決できないのです。

大都市である帝都ともなれば、大問題ですよ。


救済措置も。

予算も。

無限ではありませんからね。


そして。

帝都だけではない。

ガイアースブルク侯爵領ほどではありませんが。

帝国東部の荒廃も酷いものです。


魔術師や学者達の話によれば。

大地の命の源ともいえる龍脈。

そして、それが集まる龍穴。

その多くが閉じているか、傷ついているそうです。


こればかりは。

時間をかけて癒していくしかない。

神々の奇跡ですら、現状維持が精一杯だとか。

それ以上の奇跡を無理に使えば。

今度は逆に大地を傷つけてしまう。

これも大きな問題です。


異星からの侵略者が荒らし回った地域。

その復興には、未だ目処が立っていません。

私達の力では。

どうしようもないのです。


だからといって。

放置するわけにもいかない。

かろうじて作物が育つ地域。

そこで今なお生活している人々へ。

援助を続けることくらいしかできません。

それでも。

少しずつ。

少しずつ。

大地の荒れは広がっています。


龍脈と龍穴が癒えない限り。

この状況は続くそうです。


帝都と、旧ミョルニル王国との国境の間に広がる荒野。

飛空艇や列車がなければ。

あれは、帝都を守る天然の防衛線にもなったでしょう。

ですが。

空から来られれば、意味がありませんからね。

逆に。

あの荒野があるお陰で、東方への大規模な侵攻が難しくなった。

そう考えると。

複雑な気分です。


そして。

荒野が広がり。

住めなくなった地域の国民が、帝都へ流れ込んでくる。

その人々を受け入れるための、帝都南東部再開発。

ですが。

こちらも予定より、少し遅れています。

帝都へ戻ったら。

計画を見直さなくてはいけませんね。


…………。

この街には。

そういう問題は、ないのでしょうか。

折角、初めて訪れた街だというのに。

つい、そんなところばかりに目が行ってしまいます。


「もう、あなた」


腕を組んでいたアルマが、呆れたようにこちらを見ました。


「偶には仕事を忘れたら?」


おや。

いけませんね。

アルマに注意されてしまいました。


「そうですね」


私は苦笑いを浮かべます。

本当は、この街の仕組みを少しでも参考にしたかったのですが。

今は旅行を楽しみましょうか。


考えてみれば。

アルマとこうして、旅を楽しむのは初めてかもしれませんね。


戦争。


政争。


公務。


家のこと。


いつだって、何かに追われていました。

帝都へ戻れば。

嫌でも政務に縛られます。

ならば。

今くらいは。

アルマとのひと時を楽しみましょう。

私は握っていた彼女の腕へ、少しだけ力を込めました。

アルマも何も言わず。

少しだけ、こちらへ身体を寄せます。

……良いものですね。

こういう時間も。


街を歩けば。

この地の者と、私達の違いはすぐに分かります。

服装が違いますからね。

アトランティス・ザ・ムーの人々は。

肌の露出が多い格好をしている者が目立ちます。

いつでも。

すぐに海中へ出られるように。

ということなのでしょう。


逆に。

私達のような地上人は珍しいらしい。

観光しているつもりが。

いつの間にか、こちらが観光されているような状態です。


まあ。

仕方ありませんね。

この地へ来られる地上人など。

許された、ごく一部の者だけ。

しかも。

普通は、ここまで奥には入らないそうです。


そうそう。

この海底都市周辺のドーム以外にも。

世界にある八つの海。

それぞれに街があるらしいですね。

そして。

各海の街を代表する存在が――八大氏族。

これは初めて聞きました。

ですが。

こうも簡単に耳へ入るということは。

この地の者達にとっては、たいした秘密ではないのでしょう。


「痛っ」


突然。

腕へ鋭い痛みが走りました。

アルマに抓られています。


「あなた」


笑顔ですが。

目が笑っていません。

「また仕事しているでしょう」


…………。

駄目ですね。

すぐ情報収集へ戻ってしまいます。

私は素直に反省しました。



やがて。

私達は、今夜泊まる施設へ案内されました。

どうやら。

他の街から人が来た時などに利用する、共同の宿泊施設らしい。

八大氏族の者達も。

こちらへ来る時には、ここへ泊まるそうです。


ただ。

特別に贅を凝らした施設ではありません。

重視されているのは。


広さ。


丈夫さ。


そして。


大人数を受け入れられること。


良い部屋。


良い食事。


そういった物を求めるなら。

街中の宿へ泊まるらしいですね。


今夜の晩餐会も。

この施設の大広間で行われるそうです。

普段は。

地元の方々が、スポーツ。

あるいは。

催し物などに使っている場所だとか。


ふむ。

帝宮とまでは言いませんが。

私はてっきり。

迎賓館のような物が用意されていると思っていました。

ですが。

そもそも。

他国から客が来ること自体が、ほとんどない国です。

ならば。

必要がないのでしょう。


もっとも。

さらに奥の区画も存在するようです。

もしかすると。

私達はまだ、そこまで信用されていないだけなのかもしれませんね。


まあ。

それも当然でしょう。

そして。

始まる晩餐会。

……なのですが。

これも。

もう。


グダグダでしたね。


まず。

こちら側の代表である春香様。

未だに、アトランティス・ザ・ムーの大人達から怒られています。

どうやら。

この施設で待っていた。

あの三人娘――。


ポニー殿。


コニー殿。


ペニー殿。


その保護者や親族達に囲まれているようです。

薄い本を持ち込んだのは、確かに春香様です。

ですが。

それに感化されたのは、あの三人娘でしょうに。

どうも。

普段からかなり好き勝手しているようですね。

その不満まで。

一気に春香様へ向かっているようです。


さすがに。

将来の皇后陛下となる御方。

このまま放置するのもどうかと思い。

私は助けへ入ろうと近づきました。

ですが。


「身内の問題ですので」

「宴はもう始まっています」

「どうぞ、先に参加していて下さい」


と。

やんわり追い返されてしまいました。

春香様。

そんなに恨めしそうな目で見ないで下さい。

『身内の問題』

とまで言われてしまえば。

私も、それ以上は口を挟めないのですよ。

まあ。

後で、もう一度様子を見に来ますから。


しかし。

正式な晩餐会だというのに。

形式や様式はないのでしょうか。

国によっては。

最低限の礼儀だけ守れば。

後は自由に飲み食いをする。

そういうところもあります。

ここも。

その類なのでしょうか。

そう思いながら、大広間へ入ると。


…………。

なるほど。

違いました。


アトランティス・ザ・ムーの三人娘が。

松平君を挟み。

もう勝手に始めていました。


その後ろには。

お付きの方でしょうか。

揃って、呆れきった顔をしています。

私とアルマへ気づくと。

申し訳なさそうに。

深く頭を下げてきました。

給仕の方々まで。

同じように頭を下げます。

やれやれ。

原因は。

やはり、あの三人娘のようですね。


ポニー殿。

本来なら。

入場順は最後の方でしょうに。

どうやら。

誰よりも先に会場へ来て。

順番待ちをしていた松平君を、そのまま連れて中へ入った。

そして。

それに続いて学生達も入った。

年齢も近い。

すでに交流も始まっている。

そのまま。

自然と宴が始まってしまったそうです。


いくら誘われたからといって。

学生諸君。

勝手に始めてはいけませんよ。

帝都へ戻ったら。

礼儀作法の授業が荒れそうですね。

特に。


アンリシア姫様。


アルマ。


リオニー様。


あの三人の顔へ。

早く気づいた方が良いですよ。

……非常に怖い顔をしていますから。

晩餐会は、立食ではないようです。


大広間には。

コの字型に席が設けられています。

そして。

主賓の席には。

二つ――。

いえ。

三つですか。

席があります。

その中央。

真ん中の席の上には。

小さな食器が用意されています。


御使い様用でしょうか。


ヘイムの皆さんには。

御使い様のお姿が見えるのですよね。

残念ながら。

私には見えません。

日頃の悪事のせいでしょうか。

尊い存在を拝見できないとは。

非常に残念です。


残り二つのうち。

一つは、ヴァルナ殿でしょう。

では。

もう一つは。

誰でしょうね。

向こう側の代表。

でしょうか。


もっとも。

向こうの席は。

すでに三人娘と学生達が占拠しています。

誰が。

どこへ座る予定だったのか。

もう。

さっぱり分かりません。


「アンリシア姫様」


私は小声で呼びかけました。


「お怒りは分かりますが」

「盃を壊さないで下さい」


姫様の手の中。

盃に。

薄い亀裂が入っています。

そして。

リオニー様。

自棄になって酒を煽らないで下さい。


アルマが。

深いため息をついています。

私は彼女を促し。

おそらく。

自分達の席だろう。

そう思われる場所へ座りました。


すぐに。

給仕の方が酒を注いでくれます。


「ほう」


私は盃を持ち上げました。

これが。

噂のお酒ですか。

鼻へ近づけるだけで分かる。


芳醇な香り。


口へ含めば。


まろやかな舌触り。


深い味。


皆が欲しがるのも分かりますね。

隣を見ると。

アルマも。

とても幸せそうな顔をしています。

アンリシア姫様も。

リオニー様も。

せっかく。

待ち望んでいた酒を飲んでいるというのに。

怒りの方が勝って。

味わっていないようです。

勿体ない。


おや。

そういえば。

ムラマサ親方がいませんね。

一番喜びそうなのに。


「ほう」


聞けば。

振袖の仕立てへ取り掛かり。

声を掛けても。

返事すらしないそうです。

あの方も。

やはり職人ですね。

酒造りだけではなく。

振袖。

着物まで仕立てられる。

それも。

酒の誘惑にすら勝って。

……見直しましたよ。



そして。

ようやく。

アトランティス・ザ・ムー側の正式な一団が、大広間へ入ってきました。

その中に。

春香様の姿もあります。


…………。

遠い目をしていますね。

春香様。

あの程度のお小言で、そんな顔をしていては。

帝宮の晩餐会ではやっていけませんぞ。

あそこにいる者達は。

言質を取ろうと。

あれやこれや。

巧みな話術で攻めてきますからね。

その程度で参っていては。

もっと場数を踏ませないといけません。


アトランティス・ザ・ムーの一団は。

揃って、私達の前まで来ました。

そして。

深く頭を下げます。

どうやら。

謝罪のようですね。

やはり。

晩餐会にも。

きちんとした手順があったようです。

それが。

全て吹き飛びましたからね。


彼らは。

自分達の席で円を作り。

好き勝手盛り上がっている若者達を見て。

顔を真っ青にしています。

ああ。

駄目ですよ。

ここで怒鳴ってはいけません。

反発して。

余計にこじれますから。

反抗期というやつですよ。

多分。

私も。

息子達も。

戦争や紛争の真っただ中にいましたから。

そんな贅沢な時期を過ごすことはできませんでした。


ですが。

今は平和な治世なのです。

多少。

好き勝手できるくらい。

いいじゃないですか。

それに。

私達も。

今回は、お忍び。

プライベートです。

公式の外交訪問。

などということにされてしまっては。

今回の不手際を。

『外交失敗』

などと。

帝都の貴族達に、格好の攻撃材料として使われてしまいます。

それは。

こちらとしても困りますからね。


それでも。

三人娘の親御さん。

あるいは親族でしょうか。

我慢の限界だったようです。

三人娘を立たせ。

説教が始まりました。

そして。

案の定。

反発しました。


……もう。

晩餐会どころではありませんね。


これは。

外国の要人を迎えての宴ではありません。

まるで。

遠い親戚が。

久しぶりに一堂へ会した結果。

うまくいかなかった宴席です。


どうやら。

本来。

この晩餐会の進行役。

それが。

ポニー殿だったようですね。

その本人が。

松平君とアニメ談義をしている。

それでは。

仕切る者がいなくて当然です。


さて。

どうしましょう。

ここは。

第三者である私が出るべきでしょうか。

宴席での。

貴族同士の揉め事。

それを仲裁することに比べれば。

この程度。

可愛いものです。


私は。

残っていた酒を一息に飲み干しました。

そして。

場をまとめるため。

席を立とうとした――。

その時でした。

急に。

大広間が静まり返りました。


アトランティス・ザ・ムーの大人達。


給仕達。


その全員が。

入り口へ向かって。

一斉に頭を下げます。


あの三人娘も。


です。

私も。

自然と入り口へ目を向けました。

そこには。

何人かの人影。

そして。

先頭にいるのは――。

ローブ姿の二人。

それぞれのローブには。

七葉。

そして。

八葉。

その紋章が刻まれています。

これは。

これは。

まさか。

ここで。

七葉様までお出ましになるとは。


そして。

その隣。

八葉の紋章を纏ったヴァルナ殿。

…………。

こうしていれば。

本当に魔法使いに見えますね。

いや。

失礼。

魔法使いでしたね。

ですが。


その存在感。

普段のヴァルナ殿からは。

とても想像できません。

並んで歩いているだけで。

空気が変わる。

アステリア一族が。

雑魚に見えます。

いいですねぇ。

その存在感。


それで。

帝国を――。

…………。

いえ。

帝国など。

どうでもいい。

国民を。

どうか。

守って下さい。


私達の失策によって。

帝国が崩壊するにしても。


私達の努力が実り。

絶対帝政が完成するとしても。


いつか。

必ず。

貴方の力が必要になる時が来るでしょう。

私達の力など。

たかが知れています。

帝国は。

大きすぎる。

そして。

抱えている問題も。

あまりにも多すぎる。

神々が言うように。


『人の世のことは、人の手で』


『一人立ちせよ』


そう言われても。

とても。

すぐにできるようなものではありません。

転移者。

転生者。

彼らがもたらしてくれた恩恵。

確かに。

それは大きい。

もう。

それなしでは。

帝国そのものが成り立たない。

そこまで。

生活の中へ根づいています。


ですが。

そこへ至るまでに必要だった。


知識。


技術。


考え方。


失敗。


積み重ね。


それが。

私達にはない。

結果だけを。

受け取ってしまったのです。

特に――。


心が。


追いついていない。

その心が育たない限り。

本当の意味での一人立ちなど。

無理でしょう。

一体。

いつになるのでしょうね。


そんなことを考えているうちに。

二人の魔法使いは。

主賓席へ着きました。

そして。

盃を掲げます。

おや。

中央。

小さな食器。

そこに置かれていた盃まで。

ふわりと持ち上がっています。

そこに。

いらっしゃるのですね。

御使い様。


大広間にいる者達が。

慌てて。

それぞれの盃を掲げます。

おや。

学生諸君も。

掲げていますね。


…………。

それ。

酒ですよ。

アンリシア姫様の盃に。

また。

ヒビが入りました。


〖私達がいては、折角の宴も窮屈であろう〗


七葉様が。

静かに。

大広間を見回しました。


〖私達は私達で楽しむから〗

〖あとは自由にしたまえ〗


そう言って。

七葉様は。

盃を仰ぎます。


次の瞬間。

七葉様。

そして。

ヴァルナ殿。

二人の姿が。

忽然と消えました。

同時に。

中央の小さな盃も消えます。

御使い様も。

ご一緒なのでしょう。


途端に。

大広間の空気が。

一気に緩みました。


「ふぅ……」


私も。

知らず。

息を吐きます。

魔法使いが。

二人も揃う。

それだけで。

これほど空気が変わるのですね。

さて。

せっかくです。

もう一杯。

この美味しい酒を――。


「貴様らぁぁぁ!」


突然。

怒声が響きました。


「酒は、帝国学園を卒業してからだと言っただろうが!」


どうやら。

ついに。

堪忍袋の緒が切れたようです。

アンリシア姫様が。

学生達のところへ。

ものすごい勢いで向かっていきました。


…………。

やれやれ。


この晩餐会における。

アトランティス・ザ・ムー側の不手際。

後の外交の場で。

少しくらい交渉材料に使えるかと思っていたのですが。

これでは。

使えませんね。

こちらも。

十分すぎるほど。

やらかしています。


本当に。

グダグダです。


師匠のニューワールド講座 103

~アトランティス・ザ・ムーの街並~


師匠

なんです。

「綺麗な街並みでしたね。」

『そうですね。』

『ゴミもほとんど落ちていない、本当に綺麗な街です。』

『某ネズミランドみたいに、ゴミが落ちればすぐに誰かが掃除します。』

『もちろん、それだけではありませんよ。』

『日頃から街を綺麗にしようという、国民一人一人の意識が高いのです。』

「しかし、ここだけ見ると本当に古代ギリシャとかローマみたいですね。」

「行ったことありませんけど。」

『私もありませんよ。』

「映画とかで見るのとそっくりでした。」

「途中で草津温泉の湯もみが始まったらどうしようかと思いましたよ。」

『…………。』

『それ、言わない方がいいですよ。』

「なんでです?」

『やりかねませんから。』

「やるんだ……。」

『まあ、冗談はさておき。』

『今、皆さんが来ている場所が、

 基本的に外から来た人達が立ち入れる限界ですね。』

「えっ、ここから先もあるんですか?」

『当然でしょう。』

『ここからさらに奥へ入ると――』

『別世界ですよ。』

「別世界?」

『見た目こそ、今まで見てきた街並みとそれほど変わりません。』

『ですが、中身が違います。』

『本当に未来の技術で溢れています。』

『地上では失われてしまった技術。』

『地上ではまだ再現することすらできない技術。』

『それらが、当たり前の生活用品として使われています。』

「見てみたいなぁ。」

『まあ、見ることはないでしょう。』

「そんなぁ。」

『国賓だからといって、何もかも見せてもらえると思わないことです。』

『どこの国にだって、他国の者には見せたくない物くらいありますよ。』

「それはそうですけど……。」

『それよりも、ヴァルナさん。』

『外から来た人でも見学できる場所に、もっとスゴイ物がありますよ。』

「なんです?」

『海底農場です。』

「海底農場?」

『以前も少し話しましたよね。』

『海底で農業までやっていると。』

『あれは見物ですよ。』

『一面の畑――どころではありません。』

『限られた空間を有効活用するため、

 畑そのものが何層にも重なっているのです。』

『まさしく立体農場ですね。』

『日の光など届かない深海であるにもかかわらず、

 頭上からは人工の太陽光が降り注ぎ――』

『麦や野菜、果物などが立派に育っています。』

「海の底で穀物畑かぁ……。」

『なかなか不思議な光景でしょう?』

『海人達が地上から食料を輸入しなくても生活できる理由の一つですね。』

『あとは――』

『海人らしく、海水浴場ならぬ“海中浴場”でしょうか。』

「海中浴場?」

『まあ、彼らにしてみれば公園みたいなものですよ。』

『ここの人達は露出が多いというか……。』

『正確には、すぐ脱げる服装を好みます。』

「なんでです?」

『いつでもメタモルフォーゼして、そのまま泳ぎに行けるようにですよ。』

『海人ですからね。』

『気が向けば都市の外へ出て、深海を散策する。』

『必要なら資源を採掘する。』

『私達がちょっと近所を散歩するような感覚で、深海へ出ていきます。』

「海人にとっては、海の中が普通なんですね。」

『そういうことです。』

『もっとも――』

『最近、少々問題になっていることもありますけどね。』

「問題?」

『前回も話したでしょう。』

『若者達の暴走です。』

「ああ……。」

『本来は、離れたドーム間を個人や家族で

 移動するために作られた乗り物なのですが――』

『いつの間にやら、高速で海中を走り回る遊び道具になっています。』

「やっぱり海底暴走族じゃないですか。」

『困ったものですねぇ。』

『まあ、小さな子供や一般の人達がいる場所では

 走らない程度の分別はあるようですが。』

『だからといって、事故を起こさない保証にはなりません。』

『高速で走っている以上、何かにぶつかれば大事故ですからね。』

「文明が進んでも、そういう問題は変わらないんですね。」

『人間――ではなく海人ですが、そこは似たようなものなのでしょう。』

『若者というものは、速い乗り物を与えると

 走らせたくなるものなのかもしれませんね。』

「師匠、妙に達観してますね。」

『さて。』

『このくらいにしておきましょう。』

『そろそろ晩餐会へ行きますよ。』

「もうそんな時間ですか。」

『ええ。』

『七葉も到着したみたいですからね。』

「七葉の魔法使いも……。」

『ほら、ヴァルナさん。』

『いつまでグダグダしているんですか。』

『ローブをきちんと羽織って。』

『曲がっていますよ。』

「えっ、ちょっと待ってください。」

『あなたも魔法使いとして出席するのですから。』

『さあ――』

『ビシッと決めてくださいね。』

「急に緊張してきた……。」

『大丈夫ですよ。』

『余計なことを言わず、黙って座っていれば。』

「それ、俺を全然信用してませんよね!」




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


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