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105 初めての先輩

あの昼食会の後。

用意された部屋でも、壮絶な戦いが繰り広げられた。

春香様から貰った、おやつのクッキーを巡る争奪戦だ。


部屋へ戻った俺は、用意されていた紅茶を飲み、ようやく人心地ついた。

昼食会では、師匠に握り寿司どころか茶碗蒸しまで全て奪われている。


朝から口にした物といえば、コーヒーと紅茶だけ。


そんな俺にとって、春香様から貰ったクッキーは最後の希望だった。

袋を開き、クッキーを一枚取り出す。

香ばしい、小麦とバターの匂いが鼻をくすぐった。


「いただきます」


俺はクッキーを口へ運ぼうとした。

だが、口に入れることはできなかった。


『ほう。これもまた、良い味を出していますね』


師匠の声が聞こえる。

目を向けると、空中に浮かんだ師匠が、

俺のクッキーを幸せそうに頬張っていた。


『使われている小麦が違いますね』


クッキーを咀嚼しながら、師匠は真剣な顔で分析を始める。


『南大陸産……いえ、これはどこの物でしょう』


もう一口食べ、目を細めた。


『もしかすると、

 アトランティス・ザ・ムーで栽培された小麦でしょうか』


さらに、クッキーの表面を眺める。


『砂糖も、地上で作られた物とは違います』

『海底で生産された物でしょうか』


空中でクッキーを食べながら、延々と解説を続ける師匠。

俺の手は、怒りに震えていた。


もう許せん。


「師匠!」


俺は素早く袋へ手を突っ込み、二枚目のクッキーを取り出した。


今度こそ。

一瞬で口へ放り込む。

はずだった。


またしても、口に入れることはできなかった。

俺の指先から、クッキーだけが消えている。


『なんです?』


師匠は、何食わぬ顔で二枚目のクッキーを食べていた。


『やれやれ』


呆れたように首を振る。


『この程度のトリックにも気づかないとは、まだまだですね』

『それでも魔法使いですか』


師匠は、挑発するように笑った。


『甘い』

『甘すぎますよ』

『まるで、砂糖菓子をチョコレートでコーティングし、

 その上から蜂蜜をかけ、

 さらに生クリームをトッピングしたように甘いです』


どれだけ甘いんだよ。

想像しただけで胸焼けしそうだ。


だが、師匠は今、トリックと言った。

まさか、光速で移動して、

俺の手からクッキーを奪ったのではないのか。


何か別の手段を使っている?


俺は師匠を睨みつけた。

師匠の小さな身体へ、大きなクッキーが次々と吸い込まれていく。

俺は、残された菓子袋を背中へ隠した。


残りは二枚。


これ以上、師匠に取られるわけにはいかない。

光速移動ではないのなら、何だ。

この菓子袋は、春香様から直接受け取った物だ。

師匠が細工する時間などなかったはず。


ならば、魔術か。


それとも奇跡か。


恐ろしい。


人の手からクッキーを奪うためだけの魔術や奇跡が存在するなんて。

魔術や奇跡の世界は、なんと奥が深いのだろう。


師匠が、じりじりと俺へ近づいてくる。

視線は、俺が背中へ隠した菓子袋へ向けられている。

師匠が、ぴたりと動きを止めた。


来る。


俺の勘が、そう告げていた。

三十六計、逃げるに如かず。

俺は師匠へ背中を向け、一目散に逃げ出した。


広い客室の中で、俺と師匠の追いかけっこが始まる。

どれほどの時間、逃げ続けただろう。

いや。

恐らく、さほど時間は経っていない。

運動不足のメタボな俺には、最も選んではいけない作戦だった。

あっという間に息が上がり、足がもつれる。


「うわっ!」


俺は、そのまま床へ転んだ。

手に持っていた菓子袋が、宙を舞う。

その時、部屋の扉が開いた。


「何を騒いでいるのですか」


呆れた声が響く。


「恥ずかしい。廊下まで聞こえていますよ」


扉の向こうに立っていたのは、外出着へ着替えたエマさんだった。

モノレールへ乗車した時や、

昼食会で見せた姿とは、また違う装いだ。

宙を舞った菓子袋が、ちょうどエマさんの手の中へ落ちる。


「あら」


エマさんは、手元に収まった袋を眺めた。


「何です、これは」


そのまま袋を開き、中からクッキーを一枚取り出す。

俺が止める暇もなく、口へ運んだ。


「まあ」


上品に口元へ手を添え、笑顔を浮かべる。


「とても美味しいクッキーですこと」


そう言いながら、残ったクッキーも瞬く間に平らげてしまった。


「ああ……」


俺のクッキーが。

折角、春香様から貰ったのに。

俺、今日、

朝からコーヒーと紅茶しか口に入れていないんですけど。


床へ倒れ込んだまま、俺は絶望する。

その俺の頭上へ、師匠が浮かんできた。


『ふっ』


鼻で笑う。


『これだから、馬鹿弟子は』

『朝食をきちんと食べないから、こうなるのです』


いや。

朝食を用意したのは俺ですけど。

寝起きに食べれませんよ。

しかし、師匠の説教は止まらない。


『そもそも、人へ食事を出す時に、

 味見をしないなど料理人失格です』

『見知らぬ台所』

『他人が用意した食材』

『なぜ、自分の口で安全や味を確かめないのですか』


倒れ込んだ俺の上で、師匠の説教が始まった。


扉の外には、西園寺公爵家の使用人たちが立っている。

さすが公爵家に仕える者なのか、眉一つ動かさず傍観していた。

だが、どう見ても、


「関わりたくない」


という空気が漂っている。


師匠の説教が終わる頃には、俺の心も身体もすっかり疲れ果てていた。

エマさんに急かされ、外出の支度を整える。


部屋を出ると、廊下が何やら騒がしかった。

ハルヴィンダちゃんや、学生たちの部屋へ、

大量の衣装が運び込まれている。

今夜の歓迎会で着る服を選び、寸法を合わせるのだろう。

今回は、お忍びの修学旅行という形になっている。

それでも、公爵家へ泊まる以上、最低限の宴は開かれる。


本当に親しい者だけを招いた、身内だけの歓迎会だ。


皇族。


高位貴族。


自称ではなく、本物の実績を持つ勇者パーティー。


それだけの人々が訪れたのだから、仕方がないのだろう。


俺は、空腹を訴える腹をさすりながら、我関せずと通り過ぎる。

下手に部屋を覗けば、俺まで衣装合わせへ巻き込まれそうだ。



話は通っているらしい。

使用人の方が、俺たちを屋敷の門の外まで送ってくれた。


「あまり遅くならないように」


そう言われ、俺たちは街へ出る。


「さあ」


エマさんは、旅行雑誌を片手に目を輝かせていた。


「美味しいスイーツが待っていますよ」


先ほどまでの貴婦人のような姿は、どこへ行ったのだろう。

テンションが上がりまくっている。



スイーツもいいけど、何かまともな物を食べようよ。

俺、朝から何も食べていないんだよ。


『何を言っているのですか』


師匠も、旅行雑誌を開きながら呆れた声を出した。


『まずは、『天秤の女神』の神殿ですよ』

『スイーツは、その後です』

『評判の良い店は、既に調べてあります』

『効率よく巡りながら、『海神』の神殿へ向かいますよ』


二人とも、観光する気満々だ。

旅行雑誌を手に歩く姿は、

どこから見てもお上りさんの観光客にしか見えない。

誰も、この三人が、


魔法使い。


家事妖精。


神の御使い。


という、とんでもない一行だとは思わないだろう。



街は午前中と変わらず、大勢の人々が行き来していた。

仕入れた品を他の地方へ運んで商売するのか。


大量の荷物を駅の方向へ運ぶ人々。


反対に、駅から運び込まれた荷物を抱えてくる人々。


道沿いの店へ商品を卸す者。


まとめ買いをして、荷車へ積み込む者。


皆が目まぐるしく動いている。


俺たちと同じような観光客もいる。

店員に声をかけられ、店先の商品を興味深そうに眺めていた。


そんな中。

エマさんは、道沿いに並ぶ店へ次々と入っていった。

どの店へ入るか、迷う様子はない。

欲しい商品を的確に見つけ、店員に何を勧められても惑わされない。

しかも、しっかりと値切っている。


「ふっ」


買い物を終えたエマさんは、得意げに胸を張った。


「私ほどの教養があれば、《鑑定》スキルを使うまでもありません」

「商品の適正な価値や価格など、簡単に分かります」


その言葉通り。

買い物を終えた店の店員が、涙目になっていた。

一体、どれほど値切ったんですか。


それで。

買った大量の荷物は?

そうですか。

アイテムボックスですか。

もう、何でもありですね。


「留守番をしている三人娘や、

 ちみっこ達へ、沢山お土産を買ってあげませんと」


エマさんは楽しそうに言った。

そして、こちらへ目を向ける。


「旦那様は、何も買わなくてよろしいのですか?」

「何もないと、恨まれますよ」

「うっ」


確かに。

でも、何を買えばいいのか分からない。


『ほらほら』


師匠が、きょろきょろする俺の服を引っ張った。


『あまり周囲を眺めていると、店員に捕まりますよ』

『要らない物まで、次々と買わされます』

『カモだと分かれば、とことん売りつけてきますからね』


師匠に引っ張られ、俺は店先から離れた。


ううう。

何も買えない。

それに、気づいてしまった。

俺。


お小遣いがない。


お年玉という、大人を泣かせる恐ろしい行事のせいで、財布が薄い。

ヘイムの皆へお土産を買えるほど、お金が残っていないぞ。

そんなことを考えながら歩いているうちに、

『天秤の女神』様の神殿へ到着した。



ここも、人が多い。

もちろん、『天秤の女神』様へ参拝するために訪れる者もいる。

だが、それだけではなかった。


これは、ちょっとしたサロンだ。


商人たちが情報を交換する場になっている。

大勢の商人や、それを目当てに集まった人々が、

あちらこちらで話をしていた。


神殿の大広間には、巨大な板が設置されている。

そこには、街や村の名前。

そして、


それぞれの土地で売られている商品の値段が書き込まれていた。


実際の商品は置かれていない。

だが、ここには情報が並んでいる。


情報を売り買いする市場なのだ。


人々が、入れ替わり立ち替わり板の前へ集まり、熱心に内容を確認している。

もしかすると、街のどの市場よりも、

ここが一番賑わっているのではないだろうか。


俺たちは人混みを抜け、大広間の奥へ向かった。

商談用なのだろう。

広間の壁沿いに設けられた、いくつもの小部屋。

師匠は、その中の一室へ迷わず入っていった。


『ここが、ファストトラベルポイントです』


師匠が室内を見回しながら説明する。

部屋の中には、机と椅子が置かれているだけ。

他の部屋と、何も変わらない。


『この部屋は、他の商談室と並んでいます』

『目立つ造りではありません』

『それに、ちょっとした魔法が掛かっています』


師匠は、壁へ軽く触れた。


『そのため、普通の者は、この部屋を使おうとは思いません』

『神官たちは、他の部屋と同じように認識しています』

『掃除も、きちんとしてくれます』

『ですから、いつ来ても綺麗ですよ』


なるほど。

誰も使おうとしないが、掃除だけはされる部屋というわけか。


『この部屋の本当の役割を、

 正確に認識しているのは、数人の高位神官だけです』

『ヴァルナさんだけでなく、

 他の魔法使いが利用しても、何も言われません』

『ここへ転移し、何食わぬ顔で部屋から出ていけば、

 誰にも気づかれず移動できます』


師匠は満足そうに笑った。


『便利ですね』

『待望のチートですよ』


特に、何か儀式をする必要はないらしい。

この部屋を訪れただけで、

ファストトラベルポイントとして登録されたそうだ。

使用方法は、また今度。

慣れるまでは大変なので、ヘイムへ戻ってから練習するらしい。


あっさりしすぎて実感が湧かない。


でも、そんなものかと納得し、部屋を出た。


大広間へ戻る。

それにしても。

あの女神像。

『天秤の女神』様は、良い顔をしていたな。

片手にソロバンを持ち、何とも悪そうな笑みを浮かべていた。

まさしく、漫画やアニメに出てくる悪徳商人の顔だ。


『大地母神』様の女神像は、ご本人に比べて見劣りしていた。

この神像も、実物とは違うのだろうか。


パチパチ。


どこかで、ソロバンを弾く音が聞こえた。


「あれ?」


まただ。

周囲を見回す。

音が聞こえる範囲で、ソロバンを使っている者はいない。


恐る恐る、女神像を見る。

何となく、こちらを見ている気がした。

いや。

さっきより、笑みが深くなっているような。


気のせいだ。


気のせい。


俺は、そそくさと神殿を後にした。



何より、腹が減った。

神殿の近くに、手頃な値段の寿司屋があった。

ねえ。

そこへ行かない?

昼に食べられなかったせいで、余計に寿司が食べたくなったよ。


『何を言っているのですか』


師匠は呆れた顔をする。


『恐らく、護衛も兼ねているのでしょうが』

『私たちは、先ほどから尾行されていますよ』

「えっ」

『どこで何をしたか、西園寺公爵家へ報告されるでしょうね』

『昼食会で、あれだけ寿司を頂いた後です』

『その直後に、別の寿司屋へ入ったら、どう思われるでしょう』

『昼の寿司の味や量に満足しなかったと思われますよ』


師匠は、わざとらしく悲しそうな顔を作った。


『あの寿司職人さん』

『叱られはしないでしょうが、きっと落ち込むでしょうね』


えっ。

本当に?

監視がついているの?

しかも、どこで何をしたか、全部報告されるの?


「だから、スイーツのお店へ行こうと言っているのです」


エマさんが、当然のように俺の腕を掴んだ。


「さあ。まずは一軒目へ行きますよ」

「ここは、苺パフェが人気だそうです」


そのまま、俺はエマさんに引きずられ、

女性ばかりの店へ入っていった。


いや。

嬉しいよ。

パフェは好きだ。


でも、いつの頃からか、周囲の目が気になって食べなくなったんだ。

ほら。

この視線。

周りの女性客が、珍獣を見るような目で俺を見ている。


自意識過剰かもしれない。


でも、その視線が恥ずかしいんだよ。


「何を言っているのですか」


エマさんは気にするなと手を振った。


「気のせいですよ、気のせい」


そして、店員を呼び止める。


「すみません」

「裏メニューの、バケツ苺パフェを三つお願いします」


店員さんの顔が、一瞬固まった。


えっ。

待って。

バケツって何?

どれくらいの量なの?

おっさん、甘い物は好きだよ。

久しぶりのパフェも楽しみだよ。

でも、もう年なんだ。

そんなに大量には食べられないぞ。

しかも、今は空腹だ。

余計に危ない。

それに、三つ。


また、あのパターンだよね。

師匠の分も俺の前へ置かれる。

そして周囲からは、俺一人が暴食しているように見えるんだよね。


案の定。

俺の前に、巨大な容器が運ばれてきた。


バケツというより、金魚鉢だ。


透明な器の中へ、

苺と生クリーム、アイスクリームが何層にも重ねられている。


赤と白の見事なコントラスト。


苺が、とても美味しそうだ。


だが。

パフェを置いた店員さんの、見下すような笑みが気になる。

まるで、


「食べられるものなら、食べてみろ」


と言っているような顔だ。

俺は、恐る恐る苺へ手を伸ばした。

ようやく。

ようやく、口に入れることができた。


「ああ……」


美味しい。


とても甘い。


それでいて、適度な歯応えもある。


幸せを噛み締めていると、周囲がざわめき始めた。

何だ。

俺が辺りを見回す。


今度は本当に、視線が俺たちへ集まっていた。


俺の目の前に置かれたパフェが、瞬く間に減っていく。

師匠も、エマさんも、物凄い速度で食べ進めている。


それなのに、二人とも動きは優雅だ。


俺が苺を一粒食べている間に、既に半分近くが消えていた。


「旦那様」


エマさんが、パフェを食べながら俺へ声をかける。


「早く食べないと、時間がありませんよ」

「制限時間内に食べられなければ、罰金です」

「えっ?」


机の上を見る。

いつの間にか、砂時計が置かれていた。


「裏メニューは、時間制限つきです」

「全て食べきれば無料」

「残せば、罰金を支払うことになります」


エマさんは、平然と付け加えた。


「当然、旦那様持ちです」

「なっ!」


そんなこと、聞いてない。


第一。

こんな量、食べきれるわけがないだろう。

財布の中身が気になる。

一体、いくら残っていたっけ。

確認しないと。

そう思っていると、店内から歓声が上がった。


「何だ?」


どうやら、師匠が一つ目を平らげたらしい。

そして、俺の前にある二つ目のパフェが減り始める。


周囲には、俺が二杯目を食べ始めたように見えているのだろう。


呆然とする俺を無視し、パフェが凄まじい勢いで消えていく。

今度は、別の場所から感嘆の声が上がった。


エマさんも食べ終えたらしい。


まだ食べていない俺へ、周囲から応援の声が飛んでくる。


店員さんの顔は、完全に引きつっている。


そりゃそうだろう。

最初に浮かべていた余裕の笑みは、もうない。

あの笑顔は、


「誰にも完食できない」


という自信から生まれたものだったのだろう。

だが、俺ではなくエマさんが、一つを簡単に平らげた。

砂時計の砂は、まだ半分以上残っている。

そして、俺の目の前にある苺パフェも、間もなく消える。


いや。

消えた。

師匠が、全て食べ終えたのだ。


店内に大歓声が上がる。


店員さんが、その場へ泣き崩れた。

俺も泣きたい。

苺を一粒しか食べていない。


店員さんは泣きながら、完食証明書と、

次回使える割引券を持ってきた。

さらに、記念撮影までされた。


エマさんから、割引券を手渡される。


えっ。

もう、この店へは来ないよ。

というか、来られないよね。

店員さん、最後は笑顔のまま睨んでいたよ。

それに、割引券の有効期限が短い。


「何を言っているのです」


エマさんは、呆れたように首を振った。


「あの三人娘を連れてこなければ、拗ねますよ」


いや。

ここ、帝都じゃないよ。

西園寺公爵領。

大陸の南端だよ。

簡単に来られないよね。

モノレールで一日だけど、

あれは西園寺公爵家が特別に用意してくれた車両だ。

そんなに何度も借りられないよ。


「何を言っているのですか」


エマさんは、今更何を言っているのだという顔をした。


「旦那様は、もうファストトラベルを使えるのですよ」

「福利厚生の一環として、皆を連れてこなければ」

「えっ」


ファストトラベルって、他の人も一緒に移動できるの?


『普通の人間は無理です』


師匠が答える。


『ですが、一定の条件を満たせば移動できます』

『家事妖精たちなら、問題ないでしょう』


師匠は、もっともらしく頷いた。


『それに、美味しい物を食べるために移動する程度のチートなら』

『文明破壊にはつながりません』

『大目に見ましょう』


師匠。

偉そうなことを言っていますけど。

絶対、師匠も一緒についてきますよね。

でなければ、その旅行雑誌につけられた大量の印。

今回の旅だけでは、全部回れませんよね。


「本当に、器の小さい旦那様ですね」


エマさんに、ため息をつかれた。


えっ。

俺が悪いの?



その後も、港の方角へ向かいながら、いくつかのスイーツ店へ入った。


どの店も、大食いチャレンジをやっていた。

俺は、ほとんど何も食べていない。

全て、師匠とエマさんが平らげていく。


完食すれば無料になる店。


賞品が貰える店。


様々だった。


二人の胃袋へ、次々とスイーツが消えていく。

それと同時に、俺の財布の中身だけが少しずつ減っていった。

無料の店ばかりではない。


通常料金。


飲み物代。


持ち帰りの商品。


誰が払っていると思っているんだ。


きっと、西園寺公爵の元には、


「ヘイムの店主は、恐るべき大食い競技者である」


という報告が届くことだろう。

俺。

こんな体型だけど、大食いではないですからね。


学生の頃、カレーの大食いへ挑戦して失敗しましたから。

あれは卑怯だ。

普通に注文した時とは違って、物凄く熱かった。

最初の一口で、口の中を火傷しそうになった。

水を大量に飲んでしまい、それだけで腹が膨れた。

熱々の御飯とルーが食べられる温度になるまで、かなり時間もかかった。


明日の食事で、俺の前だけ山盛りになっていたらどうしよう。

きっと皆から呆れられる。



俺は落ち込みながら、『海神』様の神殿へ辿り着いた。


ここにも、沢山の人々が集まっている。


これから航海へ出る者たち。


船上で働く家族の無事を祈る人々。


航海の安全を願い、神像の前で祈りを捧げていた。

そうだよな。

どれほど船の技術が発達していても、事故率がゼロになるわけではない。


暴風雨。


津波。


海賊。


海の魔物。


様々な危険が存在する。


港や沿岸付近では、海軍が魔物や海賊を討伐している。

だが、陸地から遠く離れれば、守ってくれる者はいない。

襲われた時は、自分たちの力で戦うしかない。


悪いが。


漫画やアニメ、映画などに登場する、正義の海賊など存在しない。


賊は賊だ。


襲われ、負ければ悲惨な結果が待っている。

乗員を皆殺しにされることなど珍しくない。


荷物は全て奪われる。


運が良くても、捕らえられて奴隷として売られる。


そのため、どの国も海賊退治には容赦がない。


海賊船を見つければ、徹底的に叩き潰す。

生き残った捕虜から根城の場所を聞き出し、その拠点ごと殲滅する。

海賊など、決して割に合わない。

そう周囲へ思い知らせるため、見せしめの公開処刑まで行われる。


それでも、海賊は消えない。


多くの場合、その背後には魔族が関わっているらしい。

それも、海賊退治が過激になる理由の一つだ。

とにかく、凄惨なものだと聞いている。


だから。

これから、この世界へ転生や転移してくる諸君。

海賊だけでなく、山賊や盗賊になるのもやめておきたまえ。

この世界は、そういった者に容赦しない。


『双星の断罪者』のような存在もいるが、

あれは帝国政府と騎士団が作り上げた英雄だ。

民衆の人気を得るために、騎士団や帝国政府が裏で手を回している。

後ろ盾があり。

誰もが悪党と認識している者を叩きのめす。

無理やり悪事の証拠を吐かせるために行動しているから、

許されているのだ。


正義の賊など、存在しない。


少なくとも、この世界には。


『海神』様の神殿でも、『天秤の女神』様の神殿と同じような小部屋へ入り、

ファストトラベルポイントを登録する。

ここでの登録も、部屋を訪れるだけだった。


神殿を出る前に、大広間の女神像を見上げる。

こちらの女神像は、

ギリシャ神話のポセイドンが持つような三叉の槍ではなかった。


手にしているのは、熊手。


これは、西園寺公爵領だからだろうか。

初代西園寺公爵が日本人で、この港街を作り上げたからなのか。


ギリシャ風の神殿。


ギリシャ風の衣を纏った女神像。


その手には熊手。

似合っていない。


『本当に、そうよね』


知らない女性の声が聞こえた気がした。


俺は、思わず周囲を見回す。

誰も、こちらを見ていない。

最近、空耳が多いな。

腹が減りすぎて、頭がおかしくなったのだろうか。


俺たちが神殿を出ようとした時。

一人の男性が、俺たちの前へ立ち塞がった。

身なりの良い、落ち着いた雰囲気の男だった。

男は、俺たちへ深く頭を下げる。


「突然、申し訳ございません」


ゆっくりと顔を上げた。


「我が主の使いとして参りました」


そう言いながら、トーガの留め具へ軽く触れる。

その瞬間。


周囲の音が消えた。


神殿に集まっていた人々の話し声。


足音。


祈りの声。


全てが聞こえなくなる。

周りの人々も、まるで俺たちが存在しないかのように動き続けていた。


敵襲か。

俺は身構えようとした。


だが、身体が緊張で固まり、思うように動けない。

その俺を庇うように、エマさんが一歩前へ出た。


『待ちなさい』


師匠の声が響く。

エマさんの動きが、ぴたりと止まる。

いつの間にか、その手には短剣が握られていた。

師匠は、男へ厳しい視線を向ける。


『突然、魔法を発動するのはマナー違反ですよ』

『お陰で、エマが武器を構えてしまったではありませんか』


師匠の声が、少し低くなる。


『七葉の魔法使い』


その言葉を聞いた男は、楽しそうに笑った。


〖これは、失礼いたしました〗


声が変わる。

先ほどまでの人間らしい声ではない。

直接、頭の中へ響くような声だ。


〖御使い様〗

〖そちらの恐ろしいお方〗

〖そして、新たな同胞よ〗


男は、改めて深く頭を下げた。


〖脅かすつもりは、なかったのですが〗

〖そちらの方は、随分と主人思いのようだ〗


視線が、短剣を構えたエマさんへ向く。


〖そのまま攻撃されては、

 幻想体とはいえ、本体へもかなり響きそうです〗


再び頭を下げる男。


『それで』


師匠は警戒を解かず、問いかける。


『何の用ですか』

『突然現れて』

〖いえいえ〗

〖大した用ではありません〗


男は顔を上げた。


〖近くに新しい同胞が来ているようでしたので〗

〖顔と人柄を見ておこうかと思いまして〗


男は、俺の顔をじっと見つめる。


すると。

先ほどまで男性に見えていた姿が、僅かに揺らいだ。

輪郭がぼやけ。

気づけば、ローブを纏った人影へ変わっている。

男か女か、判別できない。

声も、どちらとも取れる不思議なものになった。


七葉。


ということは、この人も魔法使いなのだろう。

先輩。

でいいのかな。


〖もしよろしければ、私の工房へ来ませんか〗


人影が、親しげに俺へ声をかける。


〖私にとっても、初めての後輩です〗

〖嬉しいのですよ〗


少し愚痴っぽい声になる。


〖今まで、私が一番の若輩者でしたから〗

〖先輩たちに、散々こき使われてきましてね〗


魔法使いの間にも、先輩や後輩の関係があるのだろうか。


〖はい。これを〗


先輩魔法使いは、どこからか封書を取り出した。

エマさんは警戒したまま、それを受け取る。


〖明日にでも、西園寺公爵へ渡すといいでしょう〗

〖私の工房へ来られるように、手配してくれます〗


横から見ると、封には七葉の紋章が刻まれていた。

そういえば。

俺にも、八葉の紋章があったよね。

どんな形だったかな。

今度、じっくり見てみよう。

そう言われると、今までまともに見たことがない。


〖それから、こちらも〗


先輩魔法使いは、さらに一枚の紙を差し出した。


〖驚かせてしまった、お詫びです〗


エマさんが受け取る。


〖この街で有名な、蟹料理店の無料券です〗

〖どれだけ食べても、料金は掛かりません〗

〖この時間であれば、まだ予約なしでも入れるでしょう〗


その言葉を聞いた途端。

エマさんの顔が、満面の笑顔へ変わった。

「さあ、旦那様」

俺に向かって。

「行きましょう」

そして、先輩魔法使いへ優雅に一礼した。


「ごきげんよう、七葉様」


俺を放置し、そのまま歩き始める。


〖愉快な人ですね〗


先輩魔法使いが笑う。


〖急かすつもりはありません〗

〖ですが、待っていますよ〗


その言葉と共に、先輩魔法使いの姿が消えた。


周囲の音が戻る。


人々の声。


足音。


何事もなかったように、神殿の日常が動き出す。


『はぁ……』


師匠が、大きなため息をついた。

ですよね。

あまりにも急展開で、頭が追いつきません。


『晩御飯は、すき焼きの予定でしたが』


師匠は、エマさんが持っている券を見る。


『蟹料理も捨てがたいですね』


えっ。

ため息の理由は、そっちなの?


『さあ、行きますよ』


師匠も何事もなかったように、旅行雑誌を開いた。

無料券に書かれた店を探し始める。


『おお』


店を見つけたらしい。


『五つ星ですよ、五つ星』


師匠が興奮した声を上げる。

エマさんと師匠は、顔を見合わせて頷いた。

そのまま、迷いなく歩き始める。

急がないと、俺だけ置いていかれる。



辿り着いたのは、立派な門構えの店だった。


どう見ても、高級店だ。

絶対、俺たちの格好では場違いだ。

ドレスコードがあるよね、この店。


案の定。

入口にいた店員から、入店を止められた。

だが、エマさんが無料券を見せた途端。


店員の顔色が変わった。


明らかに場違いな服装をしている俺たちへ、深々と頭を下げる。

そのまま、店の奥へ丁寧に案内された。


店主らしき人物。


料理長らしき人物。


次々と挨拶へ来る。


一体、何なんだ。

あの無料券。

しかし。

その後、出された蟹料理を見て、そんな疑問は吹き飛んだ。


焼き蟹。


茹で蟹。


蟹刺し。


蟹鍋。


蟹味噌。


蟹の天ぷら。


蟹飯。


ありとあらゆる蟹料理が、次々と運ばれてくる。

その美味しさに、無料券の正体などどうでもよくなった。


俺たちは、思う存分、蟹料理を楽しんだ。


食事を終えると、店員総出で見送られた。

さらに、お土産まで渡された。

大満足で西園寺公爵家の屋敷へ戻る。


だが。

そのお土産を見た瞬間。

歓迎会を終え、疲れ切った顔をしていた、


アンリ先生。


ミレディさん。


ハーケン夫人。


ムラマサ親方。


爺や。


皆の目の色が変わった。


西園寺公爵夫妻まで、驚いた顔をしている。


「どうやって、あの店へ入ったのじゃ」

「予約は?」

「料金は、どうしたのです」


次々と問い詰められる。


そして。

俺の分として渡されたお土産を巡る、壮絶な争奪戦が始まった。

どうやら、あの店は相当に有名な店だったらしい。


でも。

そのお土産。

俺の分なんですけど。


「「「「黙らっしゃい!」」」」


師匠のニューワールド講座 98

~ファストトラベル編~


師匠

なんです。


「今回登録したファストトラベルポイントですけど、

これ本当にチートじゃないですか。

いいんですか。」


『そうですね。』

『神々は好きな場所へ、いつでも姿を現すことができます。』

『ですが、魔法使いはそうではありません。』

『もちろん、それ以外の者達にはそんな能力はありませんし、

どんなチートを授かった転移者や転生者でも持たされていません。』


『これを悪用すると、本当に何でもできてしまいますからね。』

『魔法使いも、その気になれば転移はできます。』

『ですが、ヴァルナさん。』

『壁の中や、魔物の体内に転移したくありませんよね。』


『転移というのは、

行き先を明確にイメージし、

そこに危険な物が存在しないと把握していなければ、とても危険なのです。』


『その点、ファストトラベルポイントは違います。』

『転移地点には物が存在しないよう調整されていますし、

先に誰かが立っていれば順番待ちをしたり、

転移位置を少しずらしたりと、

安全装置がきちんと備わっています。』

『ですから、安全に移動できるのですよ。』


「なるほど。

便利すぎると思ったら、ちゃんと理由があるんですね。」


『もっとも、

これはどこにでも設置できる訳ではありません。』

『設置できるのは、

龍脈が集まる龍穴の上だけです。』

『龍脈を通って龍穴へ抜ける方が、

魔力の消費も負担も少なく済みますからね。』

『もちろん、龍脈を使わずに転移することもできます。』

『ですが、今のヴァルナさんでは到底無理です。』

『もっと精進しなさい。』


「うぅ……修行します。」


『あと、魔法使い以外の者を連れて移動する方法ですが、

簡単に言えばパーティーを組めばいいのです。』

『ヴァルナさんが仲間だと認めた者なら、一緒に転移できます。』

『ですが、家事妖精のエマのような存在でもない限り、

普通の人間は龍脈の力に耐えられません。』

『きちんと防御膜で包み、

守ってあげなければ、

最悪、龍脈へ溶けてしまいます。』

『ですから、今のヴァルナさんではまだ無理ですね。』


「結局、まだ使えない事ばかりじゃないですか。」


『だから修行なのですよ。』

『焦らず、一つずつ覚えていきなさい。』


『まあ、本当に緊急事態なら、

私に言いなさい。』

『私がちゃんと守ってあげます。』

『ですが――』

『ファストトラベルの事は、絶対に内緒ですよ。』

『使えないと分かっていても、

悪用しようとする者や、

再現しようとする馬鹿は必ず現れますから。』




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


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