↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
104/124

104 俺の寿司がない

なんでじゃ。


朕は、なぜこんな所で庭の掃除をしておる。

朕も、あの旅について行きたかったぞ。

大陸の南端など、一度も行ったことがない。

しかも、その先にはアトランティス・ザ・ムーがあるというではないか。


それなのに、朕は庭掃除。


納得がいかん。


朕は皇帝じゃぞ。


魔王の分体じゃぞ。


あの男。

執事のキューブとかいったか。

あの男にこの姿へ変えられてから、朕はただの使用人になってしまった。

長年学び、鍛え上げた魔術が一つも使えん。


なんでじゃ。


先日も、魔法使いの男が無防備に背中を晒しておった。

襲いかかり、朕の糧にしてやろうと思ったのじゃ。

だが、気づけば奴の後ろにメイドが立っておった。


さっきまでは、いなかったじゃろうが。

何度も確認したぞ。


魔法使いだけでなく、他の者を襲おうとした時も同じじゃ。

必ず、後ろにメイドの誰かが立っておる。


毎回、誤魔化すための言い訳がなくなってきたわい。


なんなんじゃ、本当にあのメイドたちは。

一体、いつの間に移動してきた。

揃って出かけておったはずじゃろうに。


それだけではない。

なぜ、神々までおるのじゃ。


しかも、本体が。


普通、神の降臨といえば、分霊や幻想体。

あるいは依り代へ憑依するものじゃろう。


それなのに、本体がそのまま地上におる。

初めて睨まれた時など、遂に朕も成仏したのかと思ったわ。


思い切り睨みおって。


この哀れな使用人へ向ける目ではないわい。

大体、本体が一柱でも地上へ降りれば、

世界が震えて壊れるじゃろうが。

それが二柱もおり、しかも頻繁に入り浸っておる。


朕が暴れずとも、この世界が壊れるのではないか。


朕が生きていた時代の国教であった邪神様ですら、

そんなことはせんかったぞ。


それから、朕と同じ匂いのする爺がおる。

確か、帝国学園長とか呼ばれておったのう。

あやつの頭の中も知識の宝庫じゃ。


是非とも覗いてみたい。


いかん、いかん。

またメイドが現れるところじゃった。


その学園長が、世界樹を眺めながら言っておった。


「神々が降臨された際に生じるエネルギーは、

 全て世界樹が吸収し、龍脈へ還元している」


とな。


確かによく観察すれば、

世界樹は神々から溢れる莫大なエネルギーを吸収し、

自らの糧としておる。

そして、余剰となったエネルギーを龍脈へ流し、大地を癒している。


なかなかやるではないか。


朕も、言われるまで気づかなかったぞ。

まあ、元の身体であれば、とっくに気づいておったがな。


そういえば、世界樹は龍脈の集結地である龍穴。

その中でも、さらに巨大な大龍穴の上に立っているはずじゃ。

そこから星の力を吸い上げ、逆に力を注ぎ込む。

龍脈を整え、星の力の循環を助けておる。


死にかけた大地を持つ、この星にとっては必須の存在というわけじゃ。


朕も、自らの力だけで魔王と呼ばれる存在にまで至った。

朕にも世界樹があれば、さらに大きな存在へ成長できたであろうに。


どうにかして、手に入らんものか。


朕が世界樹を我が物にする方法を考えていると、

背後から声をかけられた。


「日吉さん。手が空いたら、薪割りを手伝ってください」


振り返ると、朕と同じく使用人として働いている若造が立っていた。


「はい、分かりました」


朕の口から、実に素直な返事が出る。

ちょうど庭掃除も終わったところじゃ。

掃除道具を片づけ、薪割り場へ向かう。


これも納得がいかん。


なぜ、薪割りなどせねばならんのじゃ。

この施設には、

朕が住んでいた館にすら存在しなかった高度な循環設備がある。

電気もガスも水道も、ほとんど使いたい放題ではないか。


それなのに、なぜ薪を用意する必要がある。


聞けば、出かけた店主が、


「焼き鳥や焼き肉は、炭火焼きが一番だ」


と言ったため、こうして薪や炭を作っているそうじゃ。


確かに、焼き鳥はガスより炭火派じゃ。

仕方ないのう。


朕は斧を振り上げ、丸太へ向かって振り下ろした。

乾いた音と共に、薪が真っ二つに割れる。


「日吉さん。これが終わったら、お昼ですよ」


若造が、隣で薪を積みながら声をかけてきた。


何。

もう、そんな時間か。


今日の昼食は何じゃ?


いや、朕の口から出た言葉は違った。


「今日のお昼は、何ですか?」

「確か、日吉さんの好きなスコッチエッグでしたよ」


なんと。

スコッチエッグか。


あれは大量のオーロラソースをかけて食べるのが最高じゃ。


「日吉さんの場合、かけるというより、

 ソースに漬け込んでいるように見えますけどね」


若造が呆れた顔で笑う。

やれやれ。

あの美味さが分からんとは。


「さあ、早く終わらせましょう」


朕は斧を構え直した。

スコッチエッグを一刻も早く食べるためじゃ。

薪割りなど、さっさと終わらせてくれるわ。



静かだ。


モノレールが音もなく走るのと同じように、

今は車両内も静まり返っている。


つい先ほどまで、枕投げをして大騒ぎしていたとは思えない。


最初は、誰がどこで寝るのかで騒いでいた。


次は、あらかじめ用意されていた昼食を食べた。

保温保冷装置の中に入れられていた物だ。


その後は、カードゲームやボードゲームで盛り上がり、


夕方になれば、同じく保存されていた夕食を食べた。


食事を終え、片づけをしているうちに、なぜか枕投げが始まっていた。


最初は、西園寺公爵領へ着いたら、

どこへ観光に行くかと旅行雑誌を見て盛り上がっていたはずなのに。

一体、どこから枕投げになったのだろう。


騒いでいたのは、生徒たちだけではない。


ムラマサ親方。


エマさん。


そして師匠まで参加していた。


ハルヴィンダちゃん。

これは枕投げなんだから、飛んできた枕を別の枕で打ち返すのはやめようね。

枕が破裂しそうな勢いだったぞ。

まあ、グレートアックスを取り出さなかっただけ、まだましか。


アンリ先生は、最初こそ静かに本を読んでいた。

飛んできた枕も、片手で軽く弾き返していた。

だが、一つ、二つと枕が命中するうちに、本を閉じて立ち上がった。

その後は、完全に参戦していた。


俺?

俺は車両の隅へ隠れていたよ。


次々と巻き込まれていくミレディさんやハーケン夫人を、

参戦しなかった爺やと一緒に眺めていた。


皆、無駄に元気だ。


爺やは、完璧に気配を消していた。


俺は世界樹の枝に頼って、存在感を薄くしていた。

それなのに、すぐ傍へ枕が着弾した時は本当に怖かった。


散々騒いで満足したのだろう。

今では皆、床やベッドへ沈み込むように眠っている。


まだ旅行初日だぞ。


そんなに疲れ果てて、これからどうするんだ。

まさか、これが毎晩続くのではないだろうな。

先が思いやられる。



やがて夜が明け、皆が少しずつ起き始めた。

騒いだ後、そのまま寝たものだから、髪も服装もぼろぼろだ。

女性陣は、起きるなり洗面台へ向かっていった。


この様子だと、朝食の用意をするのは俺かな。


間もなく目的地へ着くらしいから、駅に到着してから食べてもいい。

だが、この一行のことだ。

駅に着いた途端、何かに夢中になって、

食べる暇がなくなるような気がする。


俺は簡易台所へ向かい、用意されている食材を確認した。


「うーん」


火を使えないため、携帯食料ばかりだ。

パンが昨日焼かれた物らしいのが、せめてもの救いか。


あらかじめ切られていたチーズとハム。

それから、冷蔵庫に入っていた野菜を取り出す。

パンへマヨネーズを塗り、ハム、チーズ、野菜を挟んでいく。


朝食は、簡単なサンドイッチにしよう。


スープは冷たいポタージュ。

冷えていても美味しく飲める物だ。


朝食を用意しながら、窓の外へ目を向ける。

相変わらず景色が流れる速度は速く、じっくり眺める余裕がない。

遠くに見える山ならまだしも、

眼下にある建物や景色は、一瞬で後方へ消えていく。


この流れが緩やかになってくれば、到着が近いらしい。

少しずつ速度を落とし、駅へ停車するためだ。


出来上がったサンドイッチとスープを、車内の机へ並べていく。

保温されていたコーヒーも、人数分のカップへ注いだ。

残念ながら紅茶は、昨日のうちに皆が飲み干してしまっていた。


朝食の匂いに気づいたのか、皆が自然と席へつき、食べ始める。


起きてすぐに食べられるなんて、すごいな。


俺は、起きてから最低でも二時間くらいは欲しいぞ。

昔、通勤途中に立ち食いそばを食べたこともあった。

でも、あれは朝になって腹が減ったから食べたわけではない。

前日の夜から、


「明日の朝は、立ち食いそばを食べよう」


と決めていたから食べられたんだ。



俺は猫舌なので、少し温くなるまで冷ましたコーヒーを飲みながら、

元気よく朝食を食べている皆を眺めた。

全員が食べ終わる頃には、

窓の外を流れる景色も、少しずつ緩やかになってきていた。


そこで、車内放送が流れる。


あと一時間ほどで、西園寺公爵領の駅へ到着するそうだ。

景色を普通に楽しめるようになったため、皆が一斉に窓へ集まっていく。


俺はため息をつきながら、食器の片づけを始めた。


あれ。


アンリ先生は、まだ席に座っている。

皆のように、見えてきた南国の景色を眺めに行かないのだろうか。

俺は早く片づけを終えて、景色を見たいぞ。


そう思っていると、アンリ先生が立ち上がった。

俺の横を通り過ぎる直前、足を止める。


「久しぶりに、ヴァルナが作った朝飯じゃったな」


そう言って、俺の顔を見た。


「美味かったぞ」


それだけ告げると、アンリ先生は窓の方へ歩いていった。

俺は、しばらくその場から動けなかった。


「美味しかったか……」


無意識に、そう呟いていた。

胸の奥に、何か温かい物が広がる。



やがて海が見えてきたのだろう。

窓際に集まった学生たちのテンションが、一気に上がった。


「海だ!」

「ビーチだ!」


そんな声が、車両内に響き渡る。


海か。

もう何十年も行っていないな。


紫外線が強いから、日焼け止めを塗らないときついぞ。

でも、まだ冬だろう。

海へ入れるのか。

大陸の最南端だから、南半球なのかな。

夏と冬が逆になる、あれだろうか。


「ほらほら、間もなく着くわよ」


ハーケン夫人が手を叩いた。


「海は逃げないから、部屋を片づけなさい」


生徒たちは、後ろ髪を引かれるように何度も窓を振り返りながら、

車内の片づけを始めた。


たった一日で、よくここまで散らかせたものだ。

それでも、言われれば素直に片づけを始める。

こういう姿を見ると、本当は素直で良い子たちなんだけどなぁ。



やがて、モノレールは駅へ到着した。

扉が開くと、生徒たちは我先にと車両を降りていく。


本当に修学旅行だ。


今日の予定は、このまま街を散策する。

そして、昼食の時間に間に合うよう、西園寺公爵家の屋敷へ向かうそうだ。

駅へ到着した時点で、西園寺公爵家へは連絡が届いている。

ここから街を見ながら歩けば、ちょうど良い時間に屋敷へ着くらしい。



駅の外へ出る。


そこに広がっていた街は、帝都とはまた違う活気に満ちていた。

帝都にも、多くの種族の人々が暮らしている。

道は広く、区画も整えられている。


住宅地。


商業施設。


市場。


商店街。


宿泊地区。


それぞれが、きちんと分けられていた。


だが、ここは違う。


道そのものは帝都と同じように広く、整えられている。

しかし、道沿いに立つ店には統一性がない。


食堂の隣に道具屋があり、その隣には衣料品店。

さらに、その横では見たことのない果物が並べられている。

様々な店が乱立し、至る所で商売が行われていた。

店先には人が群がり、威勢の良い声で値段の交渉をしている。


帝都に比べて、圧倒的に商人が多い。


中には、帝都で見たことのない服装の者たちもいた。

ここからさらに南にあるという大陸から来た人々だろうか。

帝都の人々より、肌の露出が少し多い服装をしている。


男子生徒たちは、その姿を目で追っていた。


すぐに女性陣から冷たい視線を向けられていたが。

俺は、髪の毛を掴まれた時、

本当に全部抜けて禿げるかと思った、とだけ言っておこう。


そんな街並みの中で、ひときわ目立つ巨大な建物があった。

『天秤の女神』様の神殿らしい。

帝都にある本殿よりも、

この地の神殿は西のカスパール侯爵領にある神殿と同じく、

大きく立派なのだそうだ。


帝都の本殿にある女神像は天秤を持っている。


だが、こちらの女神像は、ソロバンを持っているらしい。


商業都市らしい姿だ。


そこも有名な観光名所ということで、後日、訪れることになった。


港の方へ行けば、『海神』様の神殿がある。

さらに、大きな倉庫や卸問屋が並び、

今いる場所よりも凄まじい人混みになっているそうだ。


帝都しか知らない俺は、完全なお上りさんだった。


周囲をきょろきょろ見回しながら歩き、

ようやく西園寺公爵家の屋敷へ到着した。


街の中心部から少し離れた、海沿いの丘。

その上に、巨大な屋敷が建っている。

初めて屋敷を見上げた時、その上階から誰かが海へ飛び込んだ。


「えっ!」


俺は驚き、慌てて駆け出そうとした。

だが、その後も一人、また一人と、屋敷から海へ飛び込んでいく。


どうやら、海人の血を引く人々が《メタモルフォーゼ》を使い、

海中の施設へ移動しているらしい。


紛らわしい。

本当に焦ったぞ。



ハーケン夫人が門番へ話をすると、すぐに門が開かれた。


敷地内へ入った瞬間、いくつもの魔道具が光を放つ。

師匠が言っていた、魔術判別機だろう。

一行の中の何人かに反応し、

門番たちが緊張した様子で武器へ手を伸ばす。


だが、俺たちを待っていたのだろう。

門の近くにいた執事らしき人物が、

すぐに片手を上げ、門番たちを止めた。

そのまま、俺たちの前へ進み出る。


「申し訳ございません」


執事は、深く頭を下げた。


「本来であれば、駅までお迎えに上がるべきところを」

「そうしていれば、先ほどのようなことも起こらなかったのですが」


アンリ先生が、気にするなと手を振った。


「よい。今回は修学旅行じゃ」

「それに、迎えがあっては、お忍びの意味がないからのう」


そして、屋敷へ続く庭へ目を向けた。


「それにしても、見事な庭じゃ」

「帝都では見られぬ、珍しい植物が沢山あるのう」


アンリ先生だけではない。

俺たち一行は、完全なお上りさんだった。

美しく整えられた庭を、きょろきょろと見回している。


途中にあった大きな噴水も、しばらく立ち止まって眺めてしまった。


ハーケン夫人から呆れた目を向けられ、ようやく歩き始める。

そのハーケン夫人に急かされながら屋敷へ向かうと、

正面入口で西園寺公爵一家が待っていた。


こうして、ずっと出迎えてくれていたのですね。

すみません。



いつも帝都で顔を合わせていた前西園寺公爵は、

政争や商売で忙しく、こちらには戻っていないらしい。


現西園寺公爵夫妻。

見知った顔である西園寺公爵令嬢・春香様。

その後ろには、大勢の使用人たちが並んでいる。


この場で最も身分の高いアンリ先生が、

アンリシア第一皇女として挨拶をする。


西園寺公爵も、正式な貴族の礼をもって応えた。


次に、

ハーケン夫人が前ガイアースブルク侯爵夫人として挨拶を交わす。

身分と作法に従った、厳かな挨拶だ。


それが終われば、アンリシア第一皇女はアンリ先生へ。

前ガイアースブルク侯爵夫人は、いつものハーケン夫人へ戻った。


西園寺公爵も、

貴族の顔から、恐らく商人としての柔らかな顔へ変わる。


「皆さん、ようこそ西園寺公爵領へ」


西園寺公爵は、俺たち一行を見渡した。


「修学旅行という、学園行事の一つと聞いております」

「私が学生の頃にはありませんでしたが、

 異世界の学校で行われている行事なのですかな」


笑顔で学生たちへ語りかける。


「それに、いつも娘がお世話になっております」


そう言って、軽く頭を下げた。


「サフィール伯爵家令嬢も、

 帝都から遥々ここまでお越しいただき、ありがとうございます」


ミレディさんが、上品に挨拶を返す。


「これは、ホルトス殿。お久しぶりです」


爺やとも、昔から面識があるようだ。

そして、ムラマサ親方へ目を向ける。


「おお、ムラマサ親方。お久しぶりですな」

「もう、以前のような不法侵入はやめてくださいよ」


西園寺公爵は、笑いながらも釘を刺した。


「あの場に妻がいなければ、大変なことになっていましたぞ」

「分かっておるわい」


ムラマサ親方も、頭を掻きながら笑った。


「あれは、ワシも肝が冷えたわ」


二人が昔話で笑い合う。

そして、西園寺公爵の視線が俺へ向いた。


「ええと……」


俺の顔を、じっと見つめる。


「髭を剃られましたかな?」

「髪も染めて……」


少し言葉に詰まり、首を傾げた。


「スミズル親方ですかな?」

「それとも、トレース親方?」


何を言っているのだろう。


「いくら以前来られた時に、周囲が大騒ぎして大変だったとはいえ」


西園寺公爵は、豪快に笑った。


「そこまで変装されては分かりませんぞ」

「あの時は衛兵だけでは治まらず、

 騎士団を出動させる羽目になりましたからなぁ」

「アッハッハッハ!」


その言葉を聞いた瞬間、周囲の皆が息を呑んだ。

そして次の瞬間、一斉に笑い始めた。


確かに。

体型は飲兵衛親方たちに似ているけどさ。

顔は完全にヒュマ族だろう。

肌にだって、まだ皺はそれほど出ていない。

第一、あの飲兵衛親方たちが、騒ぎを避けるためだけに変装するかよ。

いつも髭を自慢しているんだぞ。

剃るわけがないだろう。


突然笑い始めた一同を見て、

西園寺公爵は何が起こったのか分からず、戸惑っている。


「パパ」


春香様が顔を真っ赤にし、西園寺公爵へ近づいた。

その耳元へ、そっと囁く。


「その方は、ヘイムの店主さん」

「魔法使い様ですわ」


その言葉を聞いた瞬間、西園寺公爵が完全に固まった。


「い、いや……」


額に汗が浮かぶ。


「これは、大変失礼いたしました」

「も、もちろん、歓迎いたしますぞ」


完全に目が泳いでいる。

フォローする言葉が思いつかなかったのだろう。


「おお!」


西園寺公爵は、無理やり明るい声を出した。


「こちらが、噂の勇者パーティーですな!」


そのまま強引に話題を変える。

俺は、そんなにドワーフに見えるのだろうか。

一向に減らない腹の肉を、指でつまんでみる。


「ごめんなさいね、店主さん」


春香様が、申し訳なさそうに俺へ頭を下げた。


「後でパパには、きつく言っておくから」

「いや、もういいよ」


俺は苦笑しながら答えた。


「ドワーフに間違えられるのは、今回が初めてじゃないしさ」


そう言いながら春香様を見る。

春香様も、最初に会った時、俺をドワーフと間違えていた。

そのことを思い出したのだろう。

春香様は、さっと視線を逸らした。


「おーっほっほっほっほ!」


あらぬ方向を見ながら、突然、高笑いを始めた。


久しぶりに聞いたよ、その笑い。


そのまま逃げるようにハルヴィンダちゃんの所へ向かい、

リナちゃんやソレイアちゃんの様子を聞き始める。


数か月会っていないからな。

友達のことが気になるのだろう。



西園寺公爵は、何事もなかったような顔を作り、

俺たちを屋敷の中へ促した。


まずは荷物を部屋へ置く。

その後、すぐに昼食会が開かれるそうだ。

海の幸をふんだんに使った料理が出るらしい。

夜は立食形式の歓迎会になる。

ゆっくり食事を取れないかもしれないため、

昼食は沢山食べてほしいとのことだった。


用意された部屋は、一人一部屋。

窓から海が見える、素晴らしい部屋だった。


そういえば、滞在中はずっと、この屋敷へ泊まるのだろうか。


確かに豪華で、高級ホテルのようだ。

でも、庶民の俺には落ち着かない。

トイレへ行こうと廊下へ出ただけで、

待機していた使用人がすぐに案内しようとしてくれる。


何かあった時に備え、ずっと部屋の前で待っているらしい。


庶民の俺には無理だ。


案内された食堂へ向かうと、西園寺公爵夫妻が、俺の所へやってきた。


「店主殿」


周囲へ聞こえないよう、声を落とす。


「先ほどは、大変申し訳ないことをいたしました」

「いくら、ここ数年お会いしていなかったとはいえ」


西園寺公爵は、さらに声を小さくした。


「スミズル親方やトレース親方と間違えるとは……」


周囲の者に不自然に思われないよう、こっそり謝っているらしい。

俺は苦笑いを浮かべた。


「別に、気にしていませんよ」


この場で俺の正体を知っているのは、

ヘイムで顔を合わせたことがある者。

そして、西園寺公爵夫妻と一部の側近だけだ。


俺はあくまでも、お忍びの旅をしている。


表向きは、

アンリ先生が引率する転移勇者クラスの修学旅行へ同行している、

帝国学園関係者の一人。

何も知らない使用人たちからも、学園の教師か職員だと思われている。


そのせいか、エマさんは完全にくつろいでいた。

いつもの侍女長ではなく、一人の客として振る舞っている。


まあ、誰かに傅かれるのは居心地が悪い。

自由に過ごしてもらって構わない。

でも、何か納得できない。

絶対、一番楽しんでいるよね。


そういう事情もあり、俺の席は下座だ。

西園寺公爵は難色を示したが、ただの帝国学園関係者が上座へ座れば、

不自然に見える。

そのため、生徒たちよりも下の席になった。


俺としては、こちらの方が気楽だ。


下手に上座へ座り、偉い人から難しい話を振られても困るからな。

同じ理由で、夜の歓迎会にも、俺は表立って参加しなくて済むらしい。


歓迎会の主役は、アンリ先生とミレディさん。

ハーケン夫人とムラマサ親方。

そして、魔王退治の英雄である勇者パーティーだ。


ハルヴィンダちゃんも参加を求められていた。

本人は遠慮していたが、ハーケン夫人に説得されている。


「これも経験よ」

「ヘイムで貴族をあしらう訓練だと思いなさい」


さらに、昼食後にドレスの寸法合わせをすると言われ、

ハルヴィンダちゃんは顔を青ざめさせていた。

残りの帝国学園関係者という扱いになっているのは、


俺。


師匠。


エマさん。


この三人は、夜の間に街へ出る予定だ。


ファストトラベルポイントを作るため、

『天秤の女神』様と『海神』様の神殿を訪れるらしい。

ファストトラベルのことは、当然、周囲には秘密だ。

他の皆が歓迎会へ出席している間が、動くにはちょうど良いというわけだ。


もっとも、その後にどこで晩飯を食べるか、

師匠とエマさんが熱心に相談していた。

俺の意見が入る余地は、最初からなかった。


頼むから、


「珍しくて美味しい」


という理由で、ゲテモノ料理を選ばないでほしい。

それから、


「飯より酒です」


と言って、飲み屋だけで済ませるのもやめてほしい。



そんなことを考えていると、昼食会が始まった。

運ばれてきた料理を見て、俺は目を見開いた。


寿司だ。


そう。


寿司。


ちらし寿司でも、手巻き寿司でもない。


握り寿司だ。


食堂の脇に設けられた調理場で、

職人らしき人が次々と握り、食卓へ並べていく。


それを見た生徒諸君は、完全に目の色を変えた。


箸が止まらない。


マナーも何もない。


だが、分かるぞ。

握り寿司だもんな。


普段、ヘイムで出しているのは、ちらし寿司か手巻き寿司だ。


ごめんよ。


握り寿司は難しいんだ。

今の俺には、まだ人様へ出せるほどの物は作れない。


生徒たちが余りにも勢いよく食べるものだから、

ハーケン夫人の額には怒りの印が浮かんでいる。

アンリ先生は笑って誤魔化し、ミレディさんは深いため息をついていた。

ムラマサ親方は、自分には関係ないとばかりに酒を飲んでいる。


「この握りには、どこそこの酒が合う」


と講釈を垂れ、西園寺公爵夫人と楽しそうに盛り上がっていた。

どうやら、公爵夫人も酒好きらしい。


こういう時、エマさんもきっとはしゃいでいるだろう。

そう思い、彼女の方を見る。


俺は驚いた。


誰でしょう、貴方様は。


ここにいる誰よりも貴族らしい。

いや。

貴族よりも優雅に食事をしている。

もし、この時の俺に普通の《鑑定》スキルがあれば、

正体を確かめるために、穴が開くほど見続けていただろう。


俺の視線に気づいたのか、エマさんが僅かに口元を上げた。


なんだろう。

馬鹿にされた気がする。


ちくしょう。

いつも、やられてばかりだ。


俺は悔しさを、久しぶりの握り寿司で癒そうとした。

目の前の寿司下駄を見る。


寿司がない。


あれ。


俺、まだ食べていないんですけど。


『ほむほむ』


頭の近くから、師匠の満足そうな声が聞こえた。


『シャリも適度な力で握られていて、良い感じです』

『ネタも新鮮で、丁度良い大きさですね』

『さすが港街。良い物が揃っています』


師匠の食レポが聞こえる。


おかしいなぁ。


師匠の存在も秘密で、その正体を知っているのは一部の者だけだ。

西園寺公爵からは、


「店主殿は大食いらしいので、他の者より多めに用意するように」


という指示が出ている。

つまり、俺と師匠の二人分が、俺の席へ用意されるというわけだ。


ヘイムの皆には師匠が見える。

だが、この屋敷の使用人たちには見えていないはずだ。

給仕の人には、寿司下駄へ寿司を置いた瞬間、

俺が食べているように見えているのだろう。


実際には、師匠が寿司下駄の前に陣取り、次々と胃袋へ収めている。


師匠。


二人分ですよ。


俺の分は?


新しく置かれた握りへ手を伸ばす。

だが、俺の指が届くより早く、寿司が消えた。


まさに光速。


視認する暇すらない。

これは、もはや攻防ではなかった。

戦いですらない。

師匠による一方的な蹂躙だった。

その状態は、昼食会が終わるまで続いた。


添えられていた茶碗蒸しすら、俺は一口も食べられなかった。


昼食会が終わった後、

寿司を握ってくれていた職人さんが、俺の所へ挨拶に来た。


「あれほど沢山召し上がっていただき、職人冥利に尽きます」


満面の笑顔だった。

よほど美味しくて、俺が次々と平らげたと思っているのだろう。

俺は、乾いた笑顔を返すことしかできなかった。


久しぶりに握り寿司を食べられたと喜び、

楽しそうに話している日本人たち。

その輪の中へ入れず、俺は一人悲しみに暮れていた。


「旦那様も精進して、

 早くヘイムでも握り寿司を食べられるようにしてくださいね」


どこかの貴婦人のような態度で、エマさんが言った。

その言葉が、深く胸へ刺さる。

さらに、アンリ先生まで近づいてくる。


「まったく」


呆れたように俺を見る。


「あれほど勢いよく食べおって」

「鈴木や斎藤たちと同じではないか」

「こちらが恥ずかしかったぞ」


俺の心は、完全にブロークンハートした。


ミレディさんやハーケン夫人から向けられる視線も冷たい。


俺。


お茶すら飲んでいないのに。


恐らく、全て見えていたのだろう。

食堂を出て、自分の部屋へ戻る途中。

春香様が俺を呼び止めた。


「店主さん」


小さな包みを、そっと差し出してくれる。


「部屋へ戻ったら、食べてください」


中には、おやつのクッキーが入っていた。


俺は、その優しさに一人涙した。

そして、事情を知らない使用人たちから奇妙な目で見られたことは、

ここだけの話だ。


師匠のニューワールド講座 97

~海神編?~


師匠

なんです。


「今回出てきました『海神』様って、どんな方なんですか?」


『そうですね。』

『この惑星も地球と似ていて、約八割が海です。』

『陸地の三倍ほどでしょうか。もっとあるかもしれませんね。』

『その広大な海を管理しているのが『海神』です。』

『もっとも、一柱で管理している訳ではありません。』

『八つの海があり、それぞれを八柱の海神が治めています。』


『ここ、西園寺公爵領が面している海。』

『昔、この海には巨大な大陸があった――』

『そんな伝説を勝手に作った転生者が、

その名を取って「アトランティス海」と呼び始めました。』

『そう、アトランティス・ザ・ムーですね。』

『まったく、群島国家だというのに大げさな名前を付けたものです。』


『その海を管理しているのが、『海神』の一柱である女神です。』

『八柱もいますから、人間は区別するために「アトランティスの女神」と呼んでいます。』

『もちろん、本当の神名は別にあります。』

『ですが、人間には発音できませんので、便宜上そう呼ばれているのですよ。』


『しかし、あの女神。』

『海人の酒を独占して、他の『海神』達にも分けないそうです。』

『神々の集まりにも、わざわざ持ってきて見せびらかしているとか。』

『本当に女神なのでしょうか。』

『人間臭くて困ったものです。』


「えっと……その逸話を含めると、師匠も神様達も誰より人間臭いですが。」


『師匠キーック!!』

『何か言いましたか?』


「いえ、何も。」


『ヴァルナさん。』

『分かっていますね。』

『今回の旅行の目的を忘れてはいませんね?』


『必ず海人の酒を手に入れるんですよ。』


「だから師匠、人間臭いですって。」


相棒から一つだけ

最後だけ少し強化すると、さらに笑えると思う。

例えば……

『必ず海人の酒を手に入れるんですよ。』

「だから師匠、人間臭いですって。」

『違います。』

『これは神々の外交です。』

「絶対違う!」




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。