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第二十九話  堕変

 暗転。宝物殿から光が消えたのではなく“色”が引いた。


 音も、気配も、温度も、すべてが一瞬だけ失われた。


 そして、次に戻ってきたのは――振動だった。


 低く、深い。


 宝物殿の床下から這い上がるような揺れが石畳を軋む。


 天井の装飾が砕け、紫の石片が落ちてくる。


 最奥の天井が、音を立てて崩れ、月光が差し込む。


 紫の石壁に、黒い亀裂が走り、じわりと広がる。


 甘い匂いが、漂う。


 サラが立っていた場所を中心に、紫と黒が混ざった《黯素あんそ》が渦を巻いている。


 呼吸のように、脈打っていた。


 ナイトメアは、舞台の中央に立ったままで、泣き笑いの仮面は、微動だにしない。


 アモンは、階段の上で帽子のつばに触れたまま、静かにそれを見下ろしている。


 そして――

 宝物殿の塔が段々と崩れ落ちていく。


 



 

――夜。深い紫の海の上で寝ころんでいた。


 どこまでも続く、深い紫色の海。


 サラは、その上で横たわっていた。


 暗い夜空に月光の光が差し込み、サラの顔を照らした。

 

 自分は死んだんだと、サラは悟った。


 だが、自然と死ぬことは怖くなかった。


 そして、サラはあの日のことを思い出す。



◇ 



 ――昔。


 サラの家は、ごく普通の家だった。


 小さな庭。夜になると月光が差し込む窓。


 父は穏やかで、母は静かな人だった。


 父は口癖のようによく言っていた。


「人との繋がりは、力よりも大切で、紫の民は特殊だ。感情の揺れに敏い。」


 だが、幼いサラには、よく分からなかった。


 


 事件は、静かに始まった。


 近所の知人が、反乱に関わっていると密告があった。


 外部から紫の国「アメジマドゥス」に移住してきた住人は心の揺れなどを読むことに

 プライバシーがないと不満に思っている人間が多数いた。

 商売では偽りがあるか読まれて商売なんてできない、

 少しの言動と精神の違いがあれば、尋問される。

 外部の人間からしたら生きにくい完全な監視社会となっていた。



 騎士団が動き、家々がざわついた。


 その人は、父の前で言った。


「私は何もしていない」


 言葉は整っていた。


 けれど、心の奥にかすかな揺れがあった。


 サラは、それを感じていた。


 それでも父は言った。


「彼はそんな人間じゃない」


 結果は、冷たかった。


 その人物は、反乱に関わっていた。

 父はその人物を庇ったことで、同じ反乱の火種として扱われた。

  

 父は仕事を失い、近所の視線が変わった。


 手を差し伸べる人間は一人もいなく、家は孤立していった。


 

 ―――――――――――



 夜。


 暗い部屋で、幼いサラは父に聞いた。


「どうしてあの人を庇ったの?」


 父はしばらく黙っていた。


 月光が、その横顔を照らした時、口元がゆっくりと動いた。


「俺たち、ビオレはな、

 言葉や行動がいくら正しく見えても、内面の嘘は見抜けてしまう。俺たちはそういう種族だ」


 サラは黙って聞く。


「でもな。その力に依存してしまったらどうなる?」


 父は、微かに笑った。


「見抜くことは簡単だ。でも、それじゃあ人と向き合えない。

 人は、疑われていると分かった瞬間に、もう繋がれない。だから俺は、この力を使わない」


 紫のアメジマドゥスで心を読まないことを異端と扱われていたが、それが父の信念だった。


 だが。


 その信念が、家族を守ることはなかった。


 父は追い詰められ、ある日、尋問から帰ってこなかった。


 母は疲れ果て、倒れた。


 家は失われた。


 ――スラムの夜は、月光すら届かない。


 

 あの時、サラは学んだ。


 言葉は当てにならない。


 言動はいくらでも作れる。


 信じても、救われない。


 信じることは、美徳ではない。


 だから。


 言葉や行動ではなく、隠すことのできない精神の揺れを見る。

 

 それだけが、唯一信用できるものになっていた。


 その結果、サラは人よりも精神の揺れを感じとれるようになっていた。


 紫の海の中で、声が囁く。




――――――――――――




 サラの顔に水しぶきが流れてくる。


「……水?」


 立ち上がって、体を起こす。


「死んでいない?」


 触れているはずの面は、沈まない。

 

 立ち上がると、足元に波紋が広がり、水面がわずかに揺れる。

 

 水の波紋がサラの足元に伝わる。

 

 サラは周りを見渡した。


 空も、地も、境界が曖昧だった。


 遠くにゆっくりと、こちらへ近づいてくる影があった。

 

 月の光が全体を照らした。

 

 四足のドラゴンが、静かに歩いてきていた。


 足音はない。ただ、水面が揺れる。


 影が止まる。


 四足のドラゴンの上に乗っている女が、こちらを見下ろす。


「――孤独ですね」


 整った女性の顔に、頭には王冠。

 

 そして、カイルとは形は違う、捻じれた羊の角があった。

 

 近いのに、距離がある声。どこか不思議な感覚にサラは目を細める。


「私は死んだの?それともあなたが私をここに呼んだ?」


 女は、わずかに首を傾げた。


「呼んだ、というのは正しくありませんね。

 ここは、あなたの精神世界です。

 私が来たのではなく――あなたが、私をここに呼び出したが正しいですね。」


 この空間が自分の精神世界、目の前にいる女の容姿もすぐ飲み込むことはできなかった。


 だが、理解する前に口がすでに動いていた。


「……私は、これからどうなる?」


 女は、楽しむように目を細める。

 王冠が、わずかに揺れ、静かにサラに告げた。


「そうですね。あなたと私の契約はすでに成立しています。

 あなたの色は、変質を始める。#594255から――#14001Aへ変わり…」

  

「ちょっと待って!#594255や#14001Aって何のこと?」

 

 理解できないコードが即座に会話を遮った。


 カイルも玉座で口にしていた、あの理解不能な符号。


 紫のアメジマドゥスの書庫にはそんな暗号は記されていない。


 何らかの組織の暗号?それともまだこの世界に知らないことがある?

 

 サラは眉間に皺を寄せる。


 女は、一瞬だけ沈黙し――小さく笑った。


「なるほど。何も理解していないのですね。」


 指先に黒い色が集まり、空間をなぞる。


「#594255――これはあなた達の世界で言えば、滅紫ミラージュ。これが、あなたの現在の色」


 ゆっくりと、その隣にもう一つ書き出した。


「#14001A――これもあなた達の世界で言えば、黒紫コクシ。この色が、あなたの行き着く先です。」


 サラは聞いたことのない色に言葉を失う。


 頭の中で、断片が繋がる。


「じゃあカイルが言ってた、#FFFFFFと#FF0000って何らかの……」


「その話は、今は重要ではありません。

 あなたは自分のことを心配した方がいいと思いますよ?」


 女は興味を失ったように、サラの話を遮った。


 サラの表情が変わる。


「……どういうこと?」


 女の足元で、ドラゴンが低く唸る。

  

 その巨体が、ゆっくりと崩れ始めた。


 砕けた破片は地に落ちず、月の光を帯びて塵となって宙へ溶ける。


 甘い匂いがさらに濃くなる。


 塵は渦を巻き、女の手元に集まる。


 絡み合い、圧縮され、凝縮される。


 やがて――静寂の中心に、ひとつの結晶が浮かび上がった。


 紫と黒が層を成し、内部で煙のように揺らめいている。


 脈打つたびに、甘い匂いが広がる。


 それは、水晶だった。


 そして、ゆっくりと水晶に何かが映し出される。


「今、ここに映っているのはあなたです。」


 それは、紫と黒が混ざった《黯素あんそ》が渦を巻いている映像。

 それを見つめるカイル達の映像だった。

 そこに自分の姿がなく、サラは渦を中心にいるのが自分だと自ずと察した。


「そして、あなたの色は紫。このままでは、間違えなく

 国が抱える色欲の《黯素あんそ》に耐えきれず、欲望のままに暴走して――」

 

 女は、微笑んだ。


「体が崩壊しますね。」


 その事実を聞いてもサラは動じない。恐怖はなかった。


 その反応を見て、女の目が細くなる。


「……やはり、恐れていない」


 声が、少しだけ近づき、楽しげに続きを話す。


「ですが、助けがあれば話は変わりますよ。

 ただ、あなたは孤独。あなたが人間を信じれないように誰もあなたを信用していない。」


 サラの瞳が、わずかに揺れる。

  

「そんな人間をわざわざ助ける者が、どこにいますか?」


 女は、笑った。


 その瞬間、サラの視界がわずかに揺れる。


 孤独。


 何も言い返せなかった。


 副団長という肩書きも、居場所も、信頼も


 全て取り繕った様なものだった。


 信じないと決めたはずなのに。


 死ぬのは怖くないはずなのに。


 ――それでも。やっと出会えた。


 言葉と精神が一致する人間に、


 期待してしまった自分がいる。

 




 

 宝物殿は、崩壊を続けていた。

 

 天井の亀裂は広がり、紫の石片が音を立てて落ちる。


 床を走る黒い筋は、ゆっくりと侵食するように伸びていく。


 甘い匂いが、濃い。


 紫と黒が混ざった《黯素あんそ》が中央で渦を巻いている。


 中心にいるのは、サラだ。


 誰も近づけない。


 近づけば、過剰な《黯素あんそ》に飲み込まれる。


 アモンは高所の階段に立ち、帽子のつばに触れたまま、それを見上げている。


 ナイトメアは舞台の中央で静止している。

 だが、誰かが一歩動こうとすると、泣き笑いの仮面が少し動く。

 

 カイルは、動けなかった。


 ただ、あの色は――知っている。


 胸の奥がざわつく。


 自分が触れた色。自分が選んだ色。


 七つの大罪。


 サラは、自分であの宝具を選んでいない。


 だめだ。


「世界の敵になるのは、自分だけでいい。黒に染まるのは、自分だけでいい。

 サラまで、そっち側に立たせるな。」


 カイルの足が、一歩前に出た。


 踏み出した瞬間。


 ナイトメアも同時に動いた。


 カイルの進路を、寸分の狂いもなく塞ぐ。


「どけ!」


 黒翼を広げ、踏み込み、剣を振り下ろす。


 迷いのない一撃。


 だが。盾が、そこにあった。


 金属音が鳴る。


 押し切れると思ったが、――押せない。


 角度が、完璧だった。だが、力が逃げる。


 刹那。


 ナイトメアの剣が動く。

 柄が、滑るようにカイルの懐へ入る。


 視界が近い。仮面が、目の前にある。


 次の瞬間。


 心窩部に、柄頭が突き刺さる。


 息が、止まる。


 肺の空気が、一瞬で抜けて、体が軽くなる。


 気づいた時には、床を転がっていた。


 背中に石の冷たさが走る。


 ナイトメアは、追撃しない。


 ただ、元の位置へ戻る。


 中央を、守るように。


 動きは演算されている。


 踏み込みの角度。間合い。防御の厚み。


 すべてが最適解。


 中央へ向かう一歩が、完全に封じられる。

 

 時間が、削られていく。


 今すぐ止めなければ。分かっているのに、それでも届かない。


 焦りが、胸を焼いた。


 横で、弓弦が鳴る。


 バルドは視線の中央ではなく、ナイトメアを越えた先――アモンへ。


 あの演出家を崩せば、この舞台は止められる。

 サラを助けられる。


 弓が引き絞られる。


「おやおや。それは困りますね。」


 灰色の布が、ひらりと舞った。

 

 アモンの視界に布が広がる。


 次の瞬間、アモンの姿が消える。


 矢が貫いたのは階段の石柱だった。


 軽い拍手が、背後から響く。


「私は演者ではございませんので、私への攻撃はご遠慮を致します。」


 アモンは、別の位置に立っていた。


 帽子のつばに触れたまま、愉快そうに微笑んでいる。



 ――――――――



 床に叩きつけられた衝撃が、ようやく抜ける。


 息が肺を上手く通らない。視界はまだ揺れている。


 それでも、カイルは顔を上げた。


 中央に紫と黒の渦が、急激に縮んでいく。


 すべてを一点に押し込めるように、渦が内へ、内へと収束している。

 


 次の瞬間。

 目の前が白く裂ける。


 紫黒の柱が、宝物殿の天井を貫いた。


 塔が、内側から破壊される。


 石壁が粉砕され、装飾が空へと吹き飛ぶ。


 宝物殿の衝撃波が、街へと走った。


 外壁を突き破り、瓦礫が夜空に散る。


 屋根が砕け、窓が割れ、紫の街並みに石片が雨のように降り注ぐ。


 悲鳴が上がる。


 月光の下、紫のアメジマドゥスの一角が、崩れ落ちた。


 爆煙の中心では、瓦礫が浮いている。


 そこに、影があった。


 ゆっくりと、降り立つ。


 髪の色が、見たことない、紫でも黒でもない月光を拒む色。

 

 瞳の色は髪色と同じ色。


 頭にはボロボロの王冠。その下にはカイルと同じように角が、形成されている。

 ただ、普通の角ではなかった。羊角のように捻じれていた。


 ただ、完全ではない。形は歪で、未完成。

 背後にはカイルとは違う、蝙蝠のような羽根が縦に広がっている。


 空気が、震える。


 それは、サラだった。

 

 顔に変化は見られない。だが、見た目、色が確実に変わっている。


 紫と黒の《黯素》が、その体を薄く包み込んでいる。

 

 後ろから、拍手が落ちる。


「素晴らしい。まさに、悲劇の幕開けですね。」


 アモンの声が、崩壊した宝物殿に響く。


 カイルは、瓦礫の中で歯を食いしばる。


 間に合わなかった。

 その事実だけが、黒翼の下で静かに沈んでいた。

 紫の国は、その夜、半分を失った。


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