第二十八話 支配
カイルは翼で体勢を立て直し、石畳に着地した。
背中の黒翼が、わずかに軋む。
「カイル!」
リセリアの声が飛ぶ。
「やっとルシファーの宝具、使えるようになったみたいだけど――翼の数、減っていない?」
(……減ってる?)
視界の端で、自分の影が揺れる。
確かに二枚だ。以前、ルシファーの宝物殿で見た“それ”は――四枚だった。
角も、片側だけ。しかも歪で、未完成のまま。
黒の力は出ている。だが、どこか足りない。
「あの時を完成形と考えれば、まだ完全じゃないってことね。」
確かに、あの時の姿を考えれば、この姿は完成形とは程遠い。
ただ、今置かれている状況を考えれば黒の力に喜ぶべきだ。
そう思いながら、どこかやるせない気持ちでカイルは剣を強く握る。
灰色の燕尾服が、ゆるやかに揺れる。
「うーん。このままでは主人公のロッシュ・ギニョールがやられてしまいますね。
追いつめられた主人公が力を覚醒? いえ、それは彼に合わない。
死んで最強の力を手に入れる……それも器が足りませんし」
仮面の笑みが、わずかに深まる。
「それでは、こうしましょう!」
パン。
パン。
軽い拍手が、空間に落ちる。
「主人公が、強大な力を手にするが誰にも認められなく暴走してしまう、悲劇のお涙頂戴劇にいたしましょう」
その瞬間だった。
石畳の隙間から、壁の陰から、天井の闇から。
何かが“伝って”ロッシュの元に灰が流れ込む。
どういうトリックかわからない。魔法の力なのか?それとも灰の力特有なのか?
バルド、サラ、カイル、リセリアがロッシュの方に視線を向ける。
糸がロッシュの体の首、肩、肘、膝、足へと繋がっていた。
人間の可動域を超えたあの攻撃。アモンに操られていたと言われれば頷ける。
糸を通して、灰が送り込まれている。
ロッシュの体を満たすには、明らかに過剰。量が、異常だ。
その場にいる全員がロッシュをそのまま解放しては終わると直感で思い、それぞれ動き始めた。
バルドは弓を構え矢を引く。カイルは踏み込み、リセリア炎を剣に纏わせ、サラは詠唱を始める。
その刹那。ロッシュの体に集められた灰が――爆ぜた。
最奥の宝物殿が灰で満たされたのである。
灰が舞って視界が悪い。何も見えないまま数秒後、灰が晴れた。ロッシュがいた所に顔を向ける。
「舞台の開幕です!皆さま拍手をお願い致します。」
そこに広がっていたのは灰色の舞台劇場が形成されていた。
舞台の中心にロッシュと思わしき人物の姿があった。
人の形は変わってはいなかった。
だが――明らかに変わっている。
体格は二回りほど大きくなり、仮面が変わっている。
笑いと涙が同時に刻まれた、泣きながら笑っている歪な表情。
頭上に、六芒星のヘイローが浮かび上がり、右手の剣は長く、左手に盾を構えている。
そして、この舞台の主役がそいつだと言わんばかりに光が当たっている。
アモンの声が、静かに落ちる。
「出来損ないと思っていましたが、元が紫だっただけに、なかなか良くなりましたね。
――“ナイトメア”とでも名付けましょうか」
ナイトメアが、一歩踏み出す。
灰が、舞台の幕のように揺れた。
◇
ナイトメアが動く。予備動作なしで剣を振るう。
灰の斬撃がカイル達目掛けて飛ぶ。
カイルとリセリアは顔お合わせ、互いが同時に前進する。
カイルは刀身が黒く、リセリアは刀身が炎で包まれる。
「《影牙閃》、《朱焔紅》」
カイルとリセリアが受け止める。
だが――ナイトメアが放った斬撃の勢いが止まらず、そのまま後退する。
「《静界》」
後方から一本の矢がカイル達の間を縫って灰色の斬撃に当たり相殺される。
「こいつはもう、カイル達が手に負える相手ではない!アークエネミーだ。
サラと一緒にこいつを倒せ。アモンは僕が相手する。」
バルドはいつでもアモンを狙撃できる体制に入る。
だが、階段の上の男は、一歩も動いていない。
灰色の燕尾服の裾が、わずかに揺れる。
「……さて」
声音は柔らかい。戦場とは思えない、穏やかな調子。
アモンが、ゆっくりと手を広げたその瞬間。
何もなかった空間に、灰色の布が突如現れた。
大きな布。持っていたら気がつく程度の大きさ。
それなのに、何もない所から生み出した。そう結論づけるしかない。
どんな魔法をアモンが詠唱したのか。まったく見当がつかない。
「皆さま、こちらにご注目!種も仕掛けもございません。」
突如、アモンは布の両面をゆっくりと見せる。
証明している。ただの布と言いたい素振りだ。
布が、ひらりと揺れる。
次の瞬間。
布が、静かに下ろされた。
そこに立っていたのは――サラ・フューシャ。
祭壇の横。アモンのすぐ傍ら。
梟の意匠の装備を纏ったまま、無言で立っている。
時間が止まる。
「……は?」
さっきまで、確かに、そこにいた。
杖を構えてナイトメアに対抗しようとしていたはずだった。
その距離は、十数歩。それが一瞬でアモンのすぐ傍らに。
誰も動いていない、誰も触れていない。
灰も、糸も、光も何も見えなかった。
リセリアが振り向く。
さっきまでサラがいた場所には、灰がわずかに揺れているだけ。
バルドの指が、弓の弦を強く引いたまま止まる。
これは偶然ではない。アモンが、望んだ結果だ。
灰色の仮面が、ゆっくりとこちらを向く。
「おや。さすがに驚かれましたか?
本日の余興は、これからが本番ですよ」
サラは、動かない。
いや――微かに、指先が震えた。
その足元に、薄い灰の糸が絡みついている。
舞台の中心は、ナイトメア。
演出の焦点は、今、サラへ移った。
◇
サラの位置が入れ替わった瞬間。
バルドの弦が鳴った。
「……射抜く」
灰色の舞台を一直線に裂いて、矢がアモンの元へ向かう。
狙いは正確。威力も十分。
だが。ナイトメアが、跳躍してアモンとの射線に入り込み
灰色の盾が、矢を受け止め鈍い音が宝物殿内に響き渡る。
矢は弾かれ、床に転がる。
アモンは一歩も動いていない。
「さて、あなた達の攻撃は届きますかね?」
仮面がわずかに傾く。
その直後。
アモンの所から落ちるナイトメアを目掛けてカイルとリセリアが同時に踏み込む。
言葉はない。二人の阿吽の呼吸で黒と赤が並ぶ。
カイルが低く滑り込み、黒を纏った剣振り上げる。
リセリアは斜め上から炎を纏った剣を落とす。
完璧な角度の挟撃。
だが。ナイトメアはすでに灰の斬撃をカイル、リセリアの方に目掛けて飛ばされている。
動きが止められ――静止する。
勢いのまま押し切れない。寧ろ、押し返された。
復帰から攻撃までの導線が滑らかすぎた。
先程まで見えていた灰の糸は、もう繋がっていない。
なのに。動きがより洗練されている。
無駄な動きが消えている。
灰の舞台の上に三色の色が灰色を囲むように立っている。
カイルとリセリアはナイトメアの動きを一定距離を保ちながらにらみ合っている。
階段の上では、アモンがただ見下ろしている。
バルドの弦が、わずかに軋んだ。
「……あいつは何手先まで、結果がわかっているんだ。」
サラの足元に、灰が静かに揺れる。
ロッシュと同じ様に細い糸が、絡みついている。気づけば、指先にも。
ゆっくりとサラの手が持ち上がるが、本人の意思とは、違う行動によりサラの手がわずかに震えている。
アモンは両手を広げて観衆に語るように声を出した。
「この宝具の名前は何だと思いますか?甘い匂いで相手に取り憑いたように精神異常を振り撒くこの宝具。その名も―――七つの大罪、色欲の罪――アスモデウス!それが今宵の今解放されるのです。」
サラの指が、伸びる。
サラの瞳が揺れ拒絶するように力を込める。
だが、糸が強く引き、肩が僅かに震える。
足が一歩、前へ。
灰の舞台が、静かに息を吸う。
アモンが帽子を深く下げる。
「さあ――どこまで抗えますか?」
サラの指が、宝具に触れる。
その瞬間、宝物殿の空間全てが暗転する。




