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二十七話 開幕

 宝物殿の中は――整いすぎていた。

 床に血の跡がない。

 壁に削れた傷も、焼け焦げもない。

 それなのに、空気だけが重い。湿っているわけでも、冷たいわけでもないのに、

 胸の奥に薄い膜が張り付くみたいな重さがある。


(……踏破済み、だよな?)


 そう聞かされている。

 けど、踏破済みって、こういう感じなのか。もっと、荒れてるものじゃないのか。


 カイルは足音を殺して歩いた。殺したつもりでも、ここでは小さな靴底の擦れがやけに響く。

 響いたあと、すぐ吸い込まれて消える。音が残らない。残したくない場所みたいだ。


 横を見る。


 サラ・フューシャは、黙ったまま進んでいた。

 梟の意匠が付いた装備はいつも通りなのに、彼女の視線だけが、

 床でも壁でもなく――“何もない空間”をなぞっているように見える。


 言葉はない。

 何かを言いかけて、飲み込んだ、という感じでもない。

 最初から、言う気がない。観測の目だけが動いている。


 前を行くバルド・トゥルバスが、立ち止まらずに言った。


「隊列は崩さない。足元を見て、同じ速度で。焦らなくていい」


 声は穏やかだった。命令でも脅しでもない。

 けれど、その一言で場が揃う。動きが揃う。迷いが消える。


(……なんで、こんなに落ち着いてるんだ)


 カイルは思う。

 頼れる、というより――この人の後ろなら大丈夫だ、と“勝手に”思ってしまう。そういう空気がある。


 それが、少しだけ怖い。


 宝物殿の奥へ、静かなまま、全員の足が揃っていった。





 通路を抜けた先に、空間が開けた。


 そこは――覚えがある構造だった。


 ルシファーの宝物殿と同じだ。


 石畳の階段が、緩やかに上へと続いている。

 段差は均一で、中央はすり減っている。

 すでに何度も上り下りされた痕跡。


 そして、その頂点。


 祭壇の上に、一本の杖が祀られている。


 長い杖型の宝具。

 黒と紫を基調とした装飾が施され、先端には結晶が嵌め込まれている。


 踏破済み。


 ならば、あれが“核”のはずだ。


(……なのに)


 カイルは、階段の端へと視線を滑らせた。


 石は本来、紫を帯びている。

 この宝物殿の色だ。


 だが、その一点だけが――灰色に近い。


 光を吸っているようで、反射していない。


(……なんだ、あれ)


 目を細めても、焦点が合わない。

 近づけば見えるはずなのに、距離感が曖昧になる。


 そこだけ、石畳の隅がわずかに“沈んで”いる。


 削れたわけでも、崩れたわけでもない。


 ――なのに。


 先に感じたのは、視覚じゃなかった。


 誰かいる。


 そんな感覚が、背筋を撫でた。


 音はない。

 気配もない。


 それでも、その灰色の隅に“立っている”何かがいる。


 カイルは、無意識に一歩踏み出しかけて、バルドが止めた。


「これ以上進むのは危険だ。じっとしてて。」


 バルドでさえも、ここから先にいる人物に注意を払った。


 ただ、進んではいけないような、

 まだ進むべきじゃないような、曖昧な引っかかり。


 後ろで、誰かの足音が止まる。


 だが、誰も言葉を発しない。


 石畳の階段の隅。


 その“色の抜けた間”の奥から、静かに視線が返ってくる。





 階段の隅に、一人現れる。


 憲兵の制服。


 見慣れた裁断。肩章の形。胸元の紋章の位置。

 規定通りの装い。


 だが、色がない。


 紫でも黒でもない。

 布も金具も革も、すべてが同じ灰に沈んでいる。


 血の気が抜けたみたいに、世界から一段引いた色。


(……憲兵?)


 一瞬、そう思った。


 誰かが先に来ていたのか。

 踏破済みなら、警備がいてもおかしくない。


 だが、次の瞬間に気づく。


 立ち方がおかしい。


 自然に立っているのではない。

 階段の隅、その“色の抜けた間”の境目に、ぴたりと位置を合わせている。


 まるで、そこが舞台の定位置であるかのように。


 顔が、こちらを向いた。


 仮面だ。


 白でも黒でもない、灰色の仮面。

 口元だけが、ゆるやかに弧を描いている。


 笑っている。


 目の穴の奥は暗く、何も見えない。


 それでも、視線が合ったと分かる。


 誰も動かない。


 灰色の憲兵は、一歩も踏み出さない。

 逃げもしない。構えもしない。


 ただ、そこに立っている。


 ただ、わかる。宝物殿に入った人間は一人しかいない。


 ロッシュだ。


 間違いない。


 その瞬間。


「ようこそ。お待ちしておりました」


 柔らかい声が、空間に落ちた。


 反射も反響もなく、直接耳の奥に届くような声。


 ロッシュの仮面は動いていない。


 笑った口元は、ただの彫刻のように静止している。


 ――違う。


 視線が、自然と上へ引き上げられた。


 石畳の階段を見上げる。


 頂点。


 祭壇に祀られた杖型の宝具の、そのすぐ横。


 そこに、もう一人立っている。


 灰色の燕尾服。


 細身に仕立てられたテールコートの裾が、静かに垂れている。

 胸元には同色のネクタイ。

 頭には、艶を失った灰のシルクハット。


 そして、顔には――同じく、笑っている仮面。


 だが、立ち方が違う。


 ロッシュが“置かれている”のに対し、

 その男は“舞台の中央に立っている”様だ。


 軽く、帽子のつばに指をかける。


 芝居の幕が上がる直前の、ほんのわずかな合図のように。


「どうぞ、ご遠慮なく。進むも、引くも、お好きなように。逃げられれば、の話ですが」


 礼儀正しい声音。


 すでに、選択肢の行き先が決まっている者の声。


 カイルの喉が、ひりついた。


 灰色の仮面が、ゆるやかにこちらを向き、わずかに帽子が傾く。


「――私は道化のアモンと申します」


 その名が落ちた瞬間、

 宝物殿の空気が、わずかに沈んだ。





 灰色の仮面が、わずかに傾いた。


 アモンは、階段の上から視線を落とす。


 ロッシュへ。


 値踏みするでもなく、怒るでもなく。


 舞台に置かれた小道具を確認するような、淡い視線。


「さて」


 その一音で、空気が張り詰める。


 ロッシュは動かない。


 だが、制服の下で、何かが蠢いている。


 布の下を、煙のようなものが走る。


 紫でも黒でもない、鈍い灰。


 黯素が、呼応している。


 アモンはゆっくりと、手袋に触れた。


 指先を揃え、軽く鳴らす。


 パチン、と音が鳴る。


 ロッシュの体が、ぴたりと止まった。


 次の瞬間。腕が、唐突に持ち上がる。


 途中の動きがない。


 かくん、と肘が折れた位置で止まる。


 膝が一定の間隔で落ちる。


 何かで操られた人形のように。


 粉のようなものが、静かに制服の縫い目から、袖口から、襟元の隙間から滲み出している。


 細かな灰色の粉塵が、ゆっくりと零れ続ける。


 風もないのに、空中に漂う。


 ロッシュの体を中心に、淡い靄のように纏わりつき、薄い層を作る。


 足が石畳から数センチ、落ちずに揺れる。


 だが、揺れ方が一定だ。


 生き物の揺れではない。


「やっぱりトーンレスじゃないといまいちですね。」


 アモンの声が落ちる。


 その瞬間、ロッシュの首が段階的に傾く。


 かく、かく、と角度が増す。


 灰が節々から滲み続ける。


 バルドが落ち着いた声で語る。


「灰が、異常に漏れ出ている…まるで、アークエネミーみたいだ。」


 ロッシュの足が、宙で止まる。


 仮面がこちらを向く。


 人型のまま。だが、すでに“別種”だ。


 ロッシュの足が地につき、ゆっくり踏み込む。


 ただの踏み込みではない。灰が足元で圧縮される。


 右手に握られているのは、憲兵の護身用の剣。


 本来は市街警備のための細身の刃。


 だが今は、銀色の艶やかさを失い、灰に侵されている。


 刃に沿って、霧のような灰が絡みつく。


 次の瞬間、胴体が先に動き、体が弾けるように前へ出る。


 速い。飛ぶように距離を詰めて来ている。


 人間の可動域を逸脱した角度で体が捻れ、斜めに傾いた姿勢のまま、剣が振り下ろされた。


 灰が刃に凝縮された斬撃は振るわれた瞬間、灰が伸びる。


 刃の軌道をなぞるように、二重の斬撃が走る。


 カイルは瞬発的に宝具を構えた、衝突。


 黒の宝具と灰の刃が激突して、火花ではなく、灰の粉が爆ぜる。


 カイルの体は吹き飛び、石壁に叩きつけられた。

 宝具が衝撃を受け止められたが、胸に痛みはある。


 だが、折れてはいない。まだ立てる。


 ロッシュはまたも、何かに引っ張られていて、片足で石畳に触れたまま、体を斜めに傾けている。


 重力を無視しているような姿勢。


 首が段階的に傾く。


 かく、かく、と。


 次の瞬間、灰が刃に再び集まる。


 圧縮され、刃の延長となり、横薙ぎに振るう。


 灰の斬撃が無数に空間を走る。


 階段の縁が削り取られる。


 カイルは横へ跳び躱す。


「下がれ!君が戦ってはダメだ!」


 バルドの声。焦りが混じる。


 カイルは歯を食いしばる。


「俺はここで結果を残さないと――!」


 真正面から踏み込み、深く被っていたフードが外れる。


「ルカを探しに行けない!

 だから――やるしかないんです!」


 灰の斬撃を躱しながら、踏み込む。


 怖くないわけじゃない。勝てる保証もない。


 それでも。

 ここで倒れたら――ルカに届かない。誰にも届かない。

 結果を残せなければ、探しに行く資格もない。


 その考えが、腹の底で固まる。


 その瞬間。


 抑え込んでいた黒い何かが、内側から押し上げる。


 黒い霧が、カイルの周りに纏わりつく。


 次の一歩と同時に、それが弾けた。


 頭の右側だけに歪で完成していない、欠けた角が現れる。


 同時に、背中の奥で何かが現れる。


 黒い翼が、二枚が現れ赤い竜眼が、強く光る。


 それでも灰の斬撃が迫る。


「……翼?眠ってたルシファーが――封鎖が……解けた?

 俺の体に……適応しているのか……?」


 カイルは、翼で空気を掴み、軌道を変える。


 カイルの剣がロッシュの胴を横薙ぎに斬る。

 

 アモンが手で仮面を覆いかぶせる。


「なるほど。黒い宝具を見た時、さてはと思いましたが――

 宝物殿が消えたと聞いていましたが、まさかあなたが持っていたとは。」

 

 灰が散り、視界で前が見えなくなる。


 終わった。そう思い後ろを振り向いた瞬間、散っている灰の中から刃が顔の前に迫る。


「戦場で最後まで気を抜くな!」


 刃がそこにくると予測していたかのように矢が飛んでくる。


 衝突し、ロッシュは壁際まで飛ばされ片腕が飛ぶ。

 

 バルドが弓を下ろして背後に立つ。


「驚いたな……だが気を抜くな」

 

 壁際まで飛んだ、ロッシュの砂埃が晴れる。

 失われた部位から灰が集まり、ロッシュの部位を再生させる。

 まるで、攻撃は聞いていないような素ぶりでこちらを見ている。

 笑っている仮面が、不気味に感じる。


「あなたには止められますか?」


 アモンの声が空間に響く。


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