おい、原始人
意外というべきか、情報屋の散髪技術はなかなかだった。
髪が想像以上に砂まみれで、ハサミをダメにしてしまったが。それでもちょっとしたワイルド風ヘアにしてもらえた。だがヒゲはダメだ。ヒゲ剃りがない。いちおう短くはしてもらえたが、ツルツルにはなっていない。
「なあ、情報屋。監視カメラの様子を見たいんだが」
部屋に戻り、俺がそう言いかけると、彼女はぎょっとしたような顔でこちらへ向き直った。
「もうやってない。廃業したの」
「あれからなんかあったのか?」
「別に。ヘマなんかしてない。ただ、誰も客が寄り付かなくて、徐々にすり減ってっただけ。私、才能ないの」
完全に自信を喪失している。
クソデカマンションでの生活を謳歌して、たくさんの機材に囲まれていたピンク髪の情報屋とは別人だ。
「才能はあるだろ。少なくとも、俺にはあんなマネできない」
「あの組織が異常なのよ。普通はセキュリティ会社が入るから、あんなふうにはいかないわ。音声だって取れないし。逆に、なんであんなにザルだったのか不思議なくらい」
「警察と揉めてるからな。まともな業者を入れられなかったんだろう。とにかく、あそこなら入れるってことだよな? 頼むよ」
「姫子ちゃんに聞いてみないと……」
ずいぶん姫子のことを気にしている。
そうこうしているうちに、誰かが外の階段をあがってくるのが聞こえた。安アパートだから、そういう音がダイレクトに響いてくる。
情報屋がそわそわし始めた。
俺まで緊張してしまう。
鍵の音がして、ドアが開いた。
「ただいまー。もぉー、つっかれたぁー。聞いてよ、ねえちゃん。今日の客さぁ……。あれ? 誰か来てんの?」
入ってきたのは、俺の知ってる姫子ではなかった。
俺のヘソくらいしかなかった背は伸びて、胸のあたりまである。髪も金髪にして、派手なツインテールだ。ツインテールといっても愛らしい感じではない。バサッと開いている。
チラチラとヘソを見せつけるほどシャツは短く、スカートの丈もかなりギリギリといったところだった。
そして表情は、完全に固まっている。
「いや、待った。そういうのやめてよ。ウソでしょ? いるわけないもん……」
俺を遠巻きにするように、壁際に寄ってしまった。
感動の再会、というわけにはいかなそうだ。
「悪いな。邪魔してる」
「邪魔……だよ。ホント。勝手にいなくなったと思ったら、勝手に帰ってきて……。なにその原始人みたいな顔? 山ごもりでもしてたの? つーかなにしに来たの? ここにあんたの居場所なんてない……」
かなり怒っていることは、表情を見ても分かる。いや、ただ怒っているだけではない。いまにも泣き出しそうに震えている。
五年が経った。
気を失っていた俺にとっては一瞬。
だが、成長期の姫子にとっては、ずいぶんな時間だ。
情報屋がか細い声を出した。
「あ、あのね、黒木さん、ほかに行くところないから……」
「はぁ? 行くところがない? じゃあいままでどこ行ってたんだってハナシだよ! 自分勝手なんだよ! あたしらを捨てたくせにさ! あの日、あたしが『どこ行くの?』って聞いたとき、こいつ、なんて言った? 『ちょっとな』だよ? なんだよ『ちょっとな』って! そんでうまくいかなくなって、また一緒に住ませてくださいって? 頭湧いてんの?」
なにもかも、仰る通りだ。
姫子の怒りに、俺はまったく反論ができない。俺は事情も説明せず家を出た。そして帰らなかった。五年。完全に自分の都合だけで行動している。
姫子は大股で俺の前に来た。
「一言くらい反論してみろ!」
「ムリだ……」
「なにが『ムリだ』よ。ホント、ムカつくんだから……。そういう……そういうのホント許せないから。なんだよ『ムリだ』って。だったら……だったらさ、なんか理由あってここに来たってことじゃないの? なんとなくでここに来たってことなの?」
「……」
俺が黙っていると、情報屋がまた顔色をうかがうような態度でフォローしてくれた。
「黒木さんにもいろいろ事情があるのよ」
「だからなに? じゃあその事情を言えばいいじゃん? なのにこいつ、さっきからずっとだんまりでさ……」
そうだ。
言葉による説明はできない。
だから俺は床へ頭をひっつけ、土下座した。
「ほかに行くところがない。ここに置いてくれ」
すると返事は言葉ではなく、足で来た。後頭部に足が乗ったのだ。強く踏みつけてきたわけではなく、軽く乗った程度だが。
「おい、原始人。見ての通り、あたしらクッソ貧乏なの。あんたみたいなクソ男養う余裕ないの。どうしても住ませて欲しかったら、金入れなよ。五万。そしたら置いてやる」
「金はない」
「よく言えんね、そんなこと」
「ただし、このあと金が手に入ったら、全部お前らにやる」
「言ってること全部クソなんだよ。なんだよ『このあと金が手に入ったら』って。まるで入るアテがあるみたいにさ。どうせ人様から金盗る気なんだろ? 犯罪者なんかうちに置いとけないから。厄介ごとはゴメンなの」
「ビジネスのアテはあるんだ。ちゃんとした金が入る」
ウソじゃない。たぶん。月からエネルギーを取り出せれば、いくらか金になるはずだ。
ようやく足がどけられた。
「ふぅん。でもいま手持ちはないんでしょ? あ、いいから。原始人からお金とったら可哀相だし。その代わり、あたしが飼ってあげる。ペットとして。あんたはあたしの犬になるんだ。ほら、ワンコロ。お手だよ」
かつて彼女にしていたことを、今度は俺がするということか。
お手はさせなかったが。
いや、いい。彼女の怒りはもっともなのだ。
差し出された手に、俺は手を重ねた。すると彼女はその手を振り払い、涙を流しながら情報屋の胸元へダイブしてしまった。
「ねえちゃん! あたしもうやだ! こんなのあんちゃんじゃない!」
「……」
「絶対別人だもん! 昔はこんなダサくなかった!」
「……」
ダサくないというか、偉そうにしていただけだ。
暗示によるものとはいえ、いったん力を失い、そして殺されてみて、初めて分かった。俺は一方的に他人を殺せる力を手にして、イキリ倒していただけなのだ。窮地に追い込まれると、自分でも信じられないほどダサくなる。
だったら、最初からダサいほうがいい。
そのほうが整合する。
するとおろおろしていた情報屋が、ハッとなにかに気づいた顔をした。
「そうだ! タコパ! タコパしよ? ねっ?」
聞いたことのある言葉だ。
たしかアメリカの……。あれはタコマだったか。ちなみにワシントン州にあるタコマと、ワシントンDCにあるタコマパークは別物だ。いや、そんなことはどうでもいい。
姫子も様子をうかがっているふうだったので、俺はこう尋ねた。
「すまん。タコパってなんだっけ」
情報屋はすると、信じられないものを見るような目を向けてきた。
「タコ焼きパーティーだよ」
「あー、略してタコパね。いいぜ。俺、やったことないんだよな」
静寂が訪れた。
かと思うと、姫子がビャービャー泣き出した。
「やだやだやだ! 絶対やだ! ねえちゃん、こいつニセモノだよ! みんなで楽しくタコパしたのに! 忘れるわけないもん! あたし、こいつ嫌い!」
まったく記憶にないのだが……。
いや、それ以外にも記憶がないから、もしかするとしたのかもしれない。
俺は率直にこう告げた。
「悪いな。じつはしばらく死んでて……。いろいろ記憶がない」
「ほらこういうこと言う! 死んだ人間が生き返るわけないもん! もっとマシなウソつけバカ! 犯罪者! 原始人!」
ヒゲを剃りたい……。
これには情報屋もフォローをあきらめたらしい。
「姫子ちゃん、タコパの準備するから、ちょっといい?」
「やだ。もっと慰めて」
「あまえんぼなんだから」
「だってつらいんだもん……」
とはいえ、情報屋に頭をなでられると、姫子も少しは落ち着いてきたようだった。
*
そしてタコパをした。
はじめは気まずい雰囲気だった。そして中盤になり、鉄板で焼き始めてからも気まずいままだった。最後までずっと気まずいままかもしれない。
「ねえちゃん、あたしのは大きく作ってね」
「ムリよ。サイズぜんぶ同じなんだから」
「そっかー」
あまり賢くないのは変わっていない。
情報屋は手先が器用なのだろう。ピックで上手に球体をつくっていった。かなりサラサラの液体だったのに、意外とちゃんとタコ焼きになるものだ。
「ほら、食べて」
情報屋は、それぞれの皿に盛り付けた。
なんだかいろいろ思い出してきた気がする。中がクソ熱いのに、がっついた姫子がひっくり返るほどのダメージを受けたのだ。あのときはうるさくて大変だった。
俺は余計なお世話とは思いつつ、こう告げた。
「中、熱いぞ。やけどするなよ」
「……」
すると彼女は不審そうな顔でこちらを見た。いちいちうるさいと思われたか。
いや、彼女は座ったまま、となりの情報屋にすがりついた。
「なんでこいつ、あんちゃんと同じこと言うの? ホントにホンモノのあんちゃんなの? あたし、頭ん中ぐちゃぐちゃだよ……」
また泣き出してしまった。鼻水が出たらしく、ティッシュを手繰ってチーンとかんだ。
情報屋はかすかに溜め息だ。
「正真正銘、姫子ちゃんのお兄さんよ。受け入れて」
「ねえちゃん、怖い顔しないで……」
「ごめんね。もうしないから。でも、本当のことなの。帰って来たの」
「やだよ……怖いもん……」
「なにが怖いの?」
「だって、また急にいなくなるから……」
俺は他人の命など、なんとも思わない時期があった。
自分は特別。
他人は簡単な反射しかしない動物。
あまり差別をしなかったのは、全員をその程度だと思っていたから。違いがあるにしても、好みの犬とそうでない犬がいるくらい。
一段高い場所から見ていた。
好んで低く見ていたわけではない。彼らが、くだらない部分しか見せてくれなかった。だから観測の結果、自然とそういう結論になった。
だが、姫子のこの態度は、心臓に直撃した。
俺は彼女の大事なものを奪った。奪っただけでなく、事の重大さをまったく認識していなかった。
姫子の哀しい顔を見ると、哀しくなる。
楽しい顔を見ると、楽しくなる。
姫子のリアクションのひとつひとつが、俺のただの人間の部分を引きずり出してくる。
俺も、ただ反射していたのだ。
いままで気づけなかったのは、そういう機会がなかったからだ。そういう機会を共にする仲間もなかった。
いや、あった。あったのだが、気のせいだと思い込んでいた。俺はなにも分かっていなかった。分かったつもりになっていた。
俺もみんなと同じ人間だ。どうしようもなく。
俺は箸を置いた。
「そうだな。ちゃんと話をしよう。五年前、なにがあったのか。そしてこれから、なにをするつもりなのか。全部、具体的に言う。言うべきだ」
言おうが言うまいが、あんまり関係ないと思っていた。教えたところで、彼女たちの好奇心を満たす効果しかないと思っていた。
だが、そういう問題ではないのだ。
俺は分かち合っていなかった。
死ぬのは俺だけなんだから、いいと思っていた。
情報屋はしかしさめた目をしていた。
「いいけど、食事が終わってからね。まだいっぱいあるんだから」
その通りだ。
メシを粗末にしてはいけない。
特に、人が作ってくれたメシは。
(続く)




