月蝕
姫子も情報屋も、俺の話をきちんとは理解してくれなかった。だがそれでも、理解しようとはしてくれた。
重要なのは、対話することだったのだ。
ただ、試しに能力を見せようと思い、軽く麻痺させようとしたのだが、誤って電流を流してしまった。おかげで姫子に全力でひっぱたかれた。
まあいい。
タイプXを吸収してから、どうも能力のコントロールが怪しくなっている。
*
思想家に呼び出された。
車に乗せられ、広大な空き地へ。
再開発の途中みたいな、なにもないエリアだった。舗装さえされていない平地が、ずーっと広がっている。
まるで子供向けの特撮番組で、ヒーローと怪人が戦う謎の場所のように。
マジでなんなんだろうな、あの舞台設定は。
「月を出してみてください」
これから夏だというのに、ワイシャツとスラックスを着ている。
まあそれはいいのだが、用件が大雑把すぎる。
「出すってどうやって?」
「空間を裂くのです」
「まったく理解できない」
彼は無表情だった。これで理解できないほうがおかしいとばかりに。
俺だって、自分を世界最高峰の頭脳だとは思っていないし、理解できないこともたしかに多い。だが、今回の件に関しては、こいつの説明が悪い。
「少し、精神に介入しても構いませんか?」
「また頭をいじるのか?」
さすがに警戒した。前回はそれで命を落とすハメになった。おかげで俺は組織から追われることもなくなったわけだが。
思想家は肩をすくめた。
「いわく言いがたいイメージを伝えるには、これが一番てっとりばやい」
「分かったよ。やってくれ」
信用するしかない。
こいつは組織の裏切り者で、俺の能力を使って儲けたいと思っている。だから、俺たちはなかば運命共同体だ。俺がしくじれば、こいつだって損をする。妙なことはしないはずだ。
イメージが流れ込んできた。
まるで起きたまま夢を見ているような、不思議な感覚。
俺たちの生きる空間の裏側に、別の空間がある。
そこから光を引きずり出すようだ。
こちらが意図して空間を裂くというよりは、光を誘導した結果、空間が裂ける印象だった。
「できそうですか?」
「やってみる。本当に金になるんだよな?」
「ええ。成功すれば、一瞬でGAFAと肩を並べるでしょうね」
「誰だよ……」
いや、この疑問には応じなくていい。聞かされても分からないからな。
俺は意識を集中し、空間の裏側へのアクセスを試みた。
さきほど受け取ったイメージがあまりに具体的だったからか、手順はスムーズだった。そして手ごたえがあった。なにかがある。確実に。感覚でしか分からないが。
昼間だったから、日は上から差していた。
なのだが、それでもハッキリと分かるほどの光が一条、こちらへ向けて、空間から漏れ出した。
俺は急に怖くなってしまい、その光を押し戻した。
空間はすぐに閉じた。
なにもない。
もとのまま。
最初からなにもなかったかのように。
「なぜ閉じたのです?」
思想家は簡単にそんなことを言う。
「待ってくれ。こいつは本当に安全なのか?」
「安全ではありませんね。過去に一度、大きな事件になってますから。けれども、あなたは死んでも生き返るのですから、気にすることはないと思います」
「ふざけんな。いくら回復するって言ってもな、痛いんだよ。それに具合も悪くなる。精神ってのはよ、想像以上に肉体を変形させるんだよ。あんた、人間が精神のケアにかけてる額知ってるか? いや、俺も知らねぇが。肉体のケアにかけてる額よりデカいぜ、間違いなくな」
俺の必死の主張に、思想家も顔をしかめてしまった。
人間というのは、耳から入った情報だけで不快になれるのだ。少しでもそれが伝われば幸いだ。
彼が口をつんぐんでしまったので、俺はさらに尋ねた。
「で、さっきのイメージはなんなんだ? ずいぶん具体的だったな。あんたの記憶じゃないだろ? 誰からぶんどった?」
すると彼は、今度は感心したように片眉をつりあげた。
「やはり疑問に思いましたか?」
「あんたに月の能力はねぇんだろ? なのに実際に使ってるヤツの記憶だった。ということは、つまり他人の記憶ってことだ。シンプルなロジックだぜ」
「意外と言っては失礼ですが、過去に遭遇したタイプZの中で、あなたが一番賢いようです。仰る通り。私の記憶ではありません」
「余計な疑問が湧いたぞ」
「ええ。あなた以外にも、協力者はいたんですよ。どれも失敗作でしたがね」
金のために俺みたいなヤツを利用し続けてきたってワケか。
彼はこう続けた。
「ただし、当時はタイプXの投入方法が確立していませんでした。なので当人に薬剤を投入しましてね……。不安定だったのですよ。本当に無能力になったケースもありました」
「で、たまたま月を出せたヤツから記憶をコピーしたってとこか」
俺の推理に、彼はかぶりを振った。
「いいえ。月の記憶は、水槽の彼女から頂戴しました」
耳を疑った。
背筋がゾクゾクした。
あの女にアクセス可能なのか?
いや、可能だろう。この男は、死者の残留思念さえ読み取れる。目の前にある死体と対話することなど造作もない。
「あの女は、結局のところ何者だ?」
「以前も説明した通り、人間の完成系ですよ。ゆえにこの世界に飽いて、他の世界へ旅立とうとした。皮肉なものです。死ぬことさえかなわないのですから」
「あんたンとこの会長は、そいつを後生大事に抱えてるってワケか」
「彼もまた新エネルギーでのビジネスを画策するひとりです。その代わり、あの死体を抱えている限り、警察に狙われ続ける」
ところが俺のように死んだことにすれば、組織にも警察にも目を付けられず、堂々とビジネスを進められるというわけだ。
ずいぶん周到な計画だ。
こいつひとりで進めているのだろうか。ほかにも協力者がいるのではなかろうか。
「さ、お喋りはおしまいです。次はもっと大きな月を出してみてください。こちらへは向けないでくださいね。私は死んだら生き返れませんから」
「ああ、気を付けるよ」
コントロールできる保証はないが。
コツはつかめた……ような気がする。なのだが、言い知れぬ不安がつきまとっていた。
そうだ、この感覚……。ライターでプリントを燃やしていたときの体験と重なる。
小さく遊んでるうちはいい。しかしほんの少しでも冒険しようとすると、途端に制御不能になる。どんなに慎重にやってもダメだ。ある線を超えた瞬間、それは暴発する。前兆もナシに。
思想家は早くしろとばかりにこちらを見ている。
無視してもいい。
いいが、かなりのプレッシャーだった。しかもこいつの場合、能力を使って俺を急かしている可能性さえあった。
まあいい。
軽くやってみて、そこで限界だということにしておこう。
もしまた死んで、生き返るのが五年後になったとしたら、今度という今度こそ姫子に嫌われる。いまの俺の生き甲斐は、姫子の顔を見るくらいしかないのだ。嫌われたらつらい。
意識を集中し、空間の裏側の光へアクセスした。
光は俺の意思に呼応する。
まばゆい放射。
まずは線のような光が伸びた。それが徐々に拡大し、円になってゆく。
表面はただの光。
しかし奥には強大なエネルギーがギチギチに詰まっている。
人の住めるようなところではない。
水槽の女は、なぜこんな世界へ行こうと思ったのだろうか。
もしかすると彼女は、死にたかったのでは?
俺は光を収束させ、空間を閉じ、もう今日の仕事は終わりとばかりに向き直った。
思想家は死んでいた。鉄の爪で心臓を貫かれて。
サメのような目をした長髪の男。解体屋だ。
そいつは刃を引き抜き、こうつぶやいた。
「いや、マジで」
分かる。
死んだはずの人間がいたのだ。誰しも言葉を失うくらいのことはする。
それはいいのだが、彼は右の肘から先を失っていた。この五年の間に、いろいろあったらしい。
俺はこう応じた。
「人違いじゃないかな」
「そんなワケねぇだろ……。ねぇんだよ。そのツラァ……忘れるワケねぇよ……」
ただでさえ凶悪な顔つきが、さらに凶悪になった。
殺された俺が恨みを抱くなら分かる。しかしなぜ殺したほうが怒っているのだろうか。俺が生きているのがそんなに不満か?
すると彼は、こちらが聞いてもいないことを勝手に喋り出した。
「組織の裏切り者をぶっ殺しに来たらよ、ついでに懐かしいヤツに会っちまったじゃねぇか。会いたかったぜ、黒木玄一……」
「俺は会いたくなかったな」
「黙れよ。この腕の恨み、晴らさせてもらうからな」
「なんで俺に? 八つ当たりじゃないの?」
この疑問に、彼はぷるぷると震え始めた。きっと怒っている。
「マジで言ってやがんのか? えぇ? あきれたぜ。あンときてめぇが抵抗しやがったせいで、俺サマの手元が狂っちまったんだろーが! 刃が鋭すぎたせいでよ、スッパーンだ」
まったく記憶にないが、当時の俺は、どうやらいちおうの抵抗は試みたようだ。
彼は左腕に装着した鉄の爪をジャキジャキ言わせながら近づいてきた。
「普通に死ねると思うなよ?」
「待った。いま出力が安定しない」
「好都合だ。気の済むまで苦しめてやる。バラバラにして魚の餌にしてやるからよ」
痛いのは好きじゃない。
まだ距離があったはずなのに、気が付いたときには、俺の腹に爪が突き刺さっていた。
こいつの能力は超スピード。
俺はすぐさま麻痺させようとしたのだが、そう思ったときにはずいぶん距離を開けられていた。
「あがッ……」
膝から崩れ落ちた。
痛いものは何度やられても痛い。治るからいいとかいう問題ではない。こんなことを繰り返していたら頭がおかしくなる。
「どうした? 反撃しねぇのか? あぁ?」
こいつのペースでやられたら、俺はおそらく手も足も出ない。
俺の能力は、どれも接近しないと効果を発揮しないからだ。手が届くくらいの距離。あるいはそれより少し先。
遠くまで届きそうなのは、月の光だけ……。
死亡した思想家の能力を吸収したのはいいが、敵意を持たれた解体屋には使えない。その代わり、思想家の残留思念にはアクセスできた。
知らなくていい情報まで手に入った。
組織の裏切り者は、ほかにもいる。
いまはそれどころではないというのに。
右腕の指が数本飛ばされた。
「ぎひぃッ!」
「痛いか? 痛いだろ? 分かるぜ。俺も痛かった。もっとちょっとずつ苦しめてやるからな? 覚悟しとけよ?」
あまりの痛みに命乞いしてしまいそうだ。
体が震える。
というより、震える以外の行動がとれない。
理性でどこうできるものではない。本能が勝手に俺をザコにしてしまう。臨戦態勢がとれない。本当に、また死んでしまうのだろうか。いや、楽に死ねるならまだいい。だが、こいつはそうしない。
月にすがるしかなかった。
俺ごとやってもいい。
すべてを焼き払って欲しかった。
光が満ちた。
解体屋もそちらへ目を向けた。
そのときには、周囲は光に飲み込まれていた。光の表面には翳りが生じた。これは裏側から出てきたエネルギーだ。そのエネルギーが俺たちを焼き払う。
月蝕だ。
(続く)




