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街に入るにも金がいる

馬車が、ゆっくりと街道を進んでいた。


ガタガタ。


ガタガタ。


相変わらず、尻は痛い。


「…………」


アキラは荷物に背中を預けながら、幌の後ろから外を眺めていた。


先ほど魔物に襲われてから、しばらく。


今のところ、辺りは静かだった。


前を歩くメルの耳も、時折動く程度。


どうやら今度こそ、何もいないらしい。


「…………」


アキラは小さく息を吐いた。


その時。


「見えてきたよ」


御者台から商人の声がした。


「ん?」


アキラが身体を起こす。


幌の前方から顔を出すと――


遠くに、大きな街が見えた。


街道の先。


高い石造りの城壁が、街をぐるりと囲んでいる。


そのさらに外側には、城壁に沿うように水路が流れていた。


街道は水路に架けられた石橋へと続き、その先に大きな門が口を開けている。


城壁の向こうには、いくつもの屋根。


さらに奥には、周囲よりひときわ高い建物も見えた。


門の前には人や馬車が並んでいる。


荷物を積んだ商人。


武器を持った者。


旅人らしき人々。


石橋を渡って街へ入っていく馬車。


そして、その横を流れる水。


「おお……」


アキラは思わず声を漏らした。


この世界へ来てから。


森と。


草原と。


魔物くらいしか見ていなかった。


初めて見る――


人の暮らす場所。


「街や」


「街だね」


メルが振り返る。


「当たり前やけど、ほんまに街あるんやな」


「何言ってるの?」


「いや、こっちの話」


アキラは少しだけ身を乗り出した。


ようやく。


まともに休めそうな場所に着いた。


食べ物もあるだろう。


寝る場所もある。


そう考えたところで。


「あ」


御者台の商人が声を上げた。


「ん?」


「そういえば、お兄さん」


商人が振り返る。


「街に入るには滞在税が必要なんだけど」


「…………」


アキラは瞬きをした。


「何それ」


「滞在税だよ」


「いや、それは聞こえた」


アキラは街を見る。


そして商人を見る。


「街入るのに金かかるん?」


「住民じゃない人はね」


「…………」


「それで」


商人は少し困ったような顔をした。


「さっきの話を聞く限り……お兄さん、お金持ってないよね?」


「ないで」


即答だった。


「やっぱり」


「一円もない」


「イチエン?」


「こっちの話」


アキラは自分の服を探る。


当然。


何もない。


この世界へ来た時から、持ち物らしい持ち物などなかった。


「…………」


もう一度、街を見る。


もうかなり近い。


「…………」


商人を見る。


「払わんかったら?」


「入れないよ」


「…………」


「…………」


「俺、ここまで来たのに?」


「うん」


「街入れへんの?」


「そうなるね」


「…………」


アキラは幌の後ろを見る。


遠くに森が見える。


巨大なトカゲ。


狼のような魔物。


さっきの出来事が頭をよぎった。


「俺、どないしたらええん?」


「知らん」


剣を持った男が呆れたように言った。


「そこをなんとか」


「なんで俺に言うんだよ」


「一番強そうやから」


「関係ねぇだろ」


「まあまあ」


商人が苦笑しながら二人の間に入る。


「大丈夫だよ、お兄さん」


「何が?」


「さっき倒した魔物がいただろう?」


「狼みたいなやつ?」


「ああ」


商人が頷く。


「あの魔物は、お兄さんが倒したものだ」


「まあ、石ぶつけただけやけど」


「それでも倒したのはお兄さんだよ」


「それが?」


「魔物から取れる素材は、基本的に倒した者に権利があるんだ」


「…………」


アキラは少し考える。


「つまり?」


「お兄さんが倒した魔物から取れる素材は、お兄さんのものだよ」


「おお」


アキラの顔が少し明るくなる。


しかし、すぐに首を傾げた。


「でも俺、売り方知らんで?」


「だろうね」


「店も知らん」


「だろうね」


「そもそも、あれの何が売れるん?」


「本当に何も知らないんだね……」


商人は苦笑した。


「毛皮だよ」


「毛皮?」


「ああ。それに――」


商人は馬車の後ろへ目を向けた。


荷台の後方には、先ほど倒した魔物から回収した素材が積まれている。


「お兄さんが倒した個体は、状態がいい」


「そうなん?」


「ああ。普通は剣や槍で胴を攻撃するからね」


商人は自分の身体を指差す。


「どうしても毛皮に傷がつく」


「なるほど」


「でも、お兄さんは頭に石を当てて倒した」


「それしかなかったからな」


「結果として、胴の毛皮にはほとんど傷がない」


アキラは少し考える。


「……高いん?」


「普通のものよりはね」


「マジ?」


「ああ」


アキラが倒した魔物を思い出す。


足元にあった石を拾って。


思い切り投げただけ。


「人生、何が金になるか分からんな……」


「そこでだ」


商人が言った。


「よかったら、その毛皮を私が買い取ろう」


「ええの?」


「ああ。私は商人だからね」


商人は笑った。


「これなら、一週間分の滞在税を払っても――安い宿なら三日くらいは泊まれる金額になると思うよ」


「…………」


アキラの目が輝いた。


商人は荷物の中から、小さな革袋を取り出した。


口を紐で縛った、手のひらより少し大きな袋。


それをアキラへ差し出す。


「はい。これが代金だよ」


「おお」


受け取った瞬間、ずしりとした重みが手に伝わった。


中から、じゃらりと硬い音がする。


アキラは袋の口を少し開いた。


「…………」


大小さまざまな硬貨が入っていた。


色も、大きさも違う。


見たことのない模様が刻まれたものもある。


「……どれがいくらなん?」


「え?」


「いや」


アキラは袋を閉じた。


「今はええわ」


どうせ聞いても、今の自分にはよく分からない。


とりあえず。


金らしい。


それだけ分かれば十分だった。


「おっちゃん」


「なんだい?」


「めっちゃええ人やな」


「……だから」


横から低い声がした。


剣を持った男だった。


「グランさんはお人好しすぎるんだよ」


「グラン?」


アキラが商人を見る。


商人は一瞬きょとんとして――


「ああ、そういえば」


今さら思い出したように笑った。


「ちゃんと名前を名乗ってなかったね」


「やっぱり聞いてへんよな?」


「すまないね。私はグラン。見ての通り、商人をしている」


「俺はアキラ」


アキラも改めて名乗る。


「アキラか」


グランは頷いた。


「じゃあ、これからはお兄さんじゃなくて、アキラ君だね。よろしく」


「おう!」


アキラも笑って頷く。


「よろしくな、グランのおっちゃん!」


「…………」


「なんや?」


「結局、おっちゃんは残るんだね……」


「そらそうやろ」


「何が『そらそう』なのか分からないよ……」


剣を持った男が呆れたように息を吐く。


「だから言ってるだろ。グランさんは人が良すぎるんだ」


「困っているんだから、いいじゃないか」


「適当に買い取り先だけ教えりゃ済む話だろ」


「それではアキラ君は街に入れないだろう?」


「そこまで面倒見る必要があるのかって話だよ」


「まあまあ」


グランは困ったように笑った。


剣の男は大きく息を吐く。


「……本当にお人好しだな」


こうして。


アキラは異世界で初めての金を手に入れた。


石を投げた結果として。


     *


街の門では、何台もの馬車が順番を待っていた。


グランの馬車も列に並ぶ。


やがて順番が来ると、門にいた兵士が簡単に荷物と人数を確認した。


グランたちは慣れた様子で手続きを済ませる。


そしてアキラも。


先ほど手に入れた革袋を開く。


「…………」


色も大きさも違う硬貨が並んでいる。


アキラはしばらく眺めた。


「……どれ出したらええん?」


「これ」


隣にいたメルが、一枚の硬貨を指差した。


「これ?」


「うん」


「何枚?」


「七枚」


「…………」


アキラは言われるままに七枚取り出し、兵士へ渡した。


一週間分の滞在税。


無事に手続きが終わる。


「…………」


アキラは革袋を軽く振った。


じゃらり。


さっきより、少し音が軽い。


「減ったな」


「そりゃ払ったからね」


メルが言う。


「せっかく手に入れたのに」


「街に入れないよりいいでしょ」


「まあ、それはそうやな」


石橋を渡り。


大きな門を抜ける。


その瞬間。


アキラは足を止めた。


「…………おお」


石造りの建物。


通りを行き交う人々。


建物の間には細い水路が走り、その上には小さな橋がいくつも架かっている。


店先に並ぶ、見たことのない果物。


香ばしい匂いを漂わせる屋台。


武器を腰に下げた者。


大きな荷物を背負った者。


人間だけではない。


頭に獣の耳を持つ者。


尻尾のある者。


遠目では人間とほとんど変わらない者もいれば、明らかに違う姿の者もいる。


声。


足音。


馬車の車輪。


水の流れる音。


店から聞こえる呼び込み。


森とはまるで違う。


そこには。


確かに、人の暮らしがあった。


「すげぇな……」


アキラが辺りを見回す。


「何が?」


メルが首を傾げる。


「いや」


アキラは笑った。


「ほんまに異世界なんやなと思って」


「イセカイ?」


「こっちの話」


「さっきからそればっかり」


「気にすんな」


しばらく進むと、大きな広場へ出た。


中央には石造りの噴水。


その周囲には店が並び、多くの人が行き交っている。


そこで馬車が止まった。


「さて」


グランが御者台から降りる。


「私たちは冒険者ギルドへ行って、依頼の完了報告をしてくるよ」


三人の護衛も、それぞれ武器を確認する。


メルも胸当てを整えた。


「私も行ってくる」


「おう」


アキラは馬車から降りた。


「じゃあ俺も――」


「アキラ君は依頼を受けてないだろう?」


グランが言った。


「…………」


「…………」


「あ」


今さら気づいた。


「俺、関係ないんか」


「今気づいたの?」


メルが呆れた顔をする。


「じゃあ、どうしたらええ?」


「少しここで待っていたらどうだい?」


グランが噴水を指差す。


「報告が終われば、私たちも一度戻ってくるから」


「分かった」


アキラは素直に頷いた。


グランたちが人混みの中へ消えていく。


メルも途中で一度だけ振り返り。


それから三人の護衛を追っていった。


「…………」


アキラは一人になった。


     *


噴水の縁に腰を下ろす。


水の音がする。


目の前を、知らない人たちが通り過ぎていく。


「…………」


一人になったのは。


この世界へ来てから――初めてではない。


むしろ。


最初は一人だった。


何もない草原で目を覚ました。


知らない空。


浮かぶ山。


突然現れた神様。


世界を救ってくれと言われ。


よく分からない固有スキルを渡された。


《適当》。


そのまま森へ放り出され。


魔物に追いかけられ。


必死で逃げて。


グランたちと出会った。


メルと出会った。


合わない防具を少しいじって。


狼みたいな魔物に石を投げた。


そして。


自分が若返っていることを知った。


「…………」


アキラは自分の手を見る。


四十一歳だった。


少なくとも。


自分の記憶では。


それが今は、二十代前半に見えるらしい。


名前も。


元の名前は思い出せない。


知っていた人。


住んでいた場所。


ところどころが、霧でもかかったように曖昧になっている。


けれど。


自分が生きてきた記憶はある。


何をしてきたのか。


何を考えてきたのか。


それは残っている。


そして今。


知らない世界の。


知らない街の。


知らない噴水の前にいる。


「…………」


改めて考えると。


「めちゃくちゃやな」


思わず笑った。


金は。


一応、少しある。


一週間は街にいられる。


安い宿なら三日ほど泊まれるらしい。


「…………」


そこでアキラは気づいた。


「宿って、どこにあんねん」


知らない。


飯を食う場所も。


金の使い方も。


この街の名前すら。


ちゃんと聞いていない。


「…………」


アキラは噴水の水を眺めた。


これから。


どうする。


世界を救ってくれと言われた。


だが。


その前に。


今日寝る場所すら知らない。


「まあ……」


いつもの言葉が出かけて。


「…………」


アキラは少しだけ笑った。


「なんとかするしかないか」


その時。


「アキラ!」


聞き覚えのある声がした。


顔を上げる。


人混みの向こう。


犬耳が見えた。


「アキラ!」


メルだった。


人を避けながら、こちらへ走ってくる。


やがて噴水までたどり着くと。


「はぁ……はぁ……」


膝に手をついた。


「…………」


アキラがメルを見る。


「何してんの?」


「……見たら……分かるでしょ……」


「走ってる」


「そうじゃない!」


メルが顔を上げる。


耳まで少し乱れている。


「報告終わったん?」


「終わったから来たの!」


「そんな急がんでも、俺ここにおったのに」


「…………」


メルは何か言いたそうな顔をした。


けれど。


一度、息を整える。


「それより」


「ん?」


「アキラ」


「何?」


「今日、どこに泊まるの?」


「…………」


アキラが止まった。


メルの耳が傾く。


「…………」


「アキラ?」


「…………あ」


メルの目が細くなる。


「まさか」


「いや」


「決めてないの?」


「街入ることで頭いっぱいやった」


「…………」


「今ちょうど、どうしよかなと思ってたところ」


「もう……」


メルは大きく息を吐いた。


「アキラって……」


「ん?」


「…………」


メルは何かを言いかけて、やめた。


「ううん。なんでもない」


「なんやねん」


メルは困ったように眉を下げる。


それから、ほんの少しだけ照れくさそうに笑った。


「……いいから。ついてきて」


「どこ行くん?」


「宿」


「知ってるん?」


「安くてちゃんとしたところ、知ってるから」


「おお、助かるわ」


アキラが立ち上がる。


「それと」


メルは歩き出しながら振り返った。


「何も知らないんでしょ?」


「何が?」


「この街のこと」


「知らんな」


「この世界のお金も」


「知らんな」


「お店も」


「知らんな」


「冒険者ギルドも」


「知らんな」


「…………」


「なんや?」


メルはしばらくアキラを見つめた。


そして。


「宿まで行きながら、少し案内してあげる」


「マジ?」


「うん」


「メル、めっちゃええ奴やな」


「…………」


メルは前を向いた。


その尻尾が、少しだけ揺れる。


「ほら、行くよ」


「はいはい」


こうして。


異世界へ来て初めての街で。


アキラはようやく――


この世界のことを、少しずつ知り始めることになった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


せっかくなので、登場人物のイメージを少しずつ紹介していこうと思います。


まずは――メル


※AI生成を使用したキャラクターイメージです。

挿絵(By みてみん)

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