合わないなら、合わせればいい
「……なんやこれ」
男は視界の端に浮かんだ文字を見つめた。
《適当》
森の中で神から与えられた、意味の分からないスキル。
それが今になって、突然反応している。
男は犬耳の少女を見る。
文字が強くなる。
視線を外す。
弱くなる。
もう一度見る。
強くなる。
「…………」
「な、なに?」
少女が少し警戒するようにこちらを見る。
「いや……」
男は首を傾げた。
「何が合ってないんや?」
「……何の話?」
分からない。
何ができるのか。
何と何が合っていないのか。
肝心なことは何も教えてくれない。
「使えんやん」
「だから何の話?」
「こっちの話」
少女の耳が少し伏せる。
男はもう一度、少女を見る。
腰には剣。
その身体には防具らしい防具がない。
次に、三人の護衛を見る。
盾。
胸当て。
籠手。
革鎧。
そして、先ほどの戦いを思い出した。
少女は速かった。
巨大なトカゲの尾を紙一重でかわし、一瞬で間合いを詰めた。
剣が届くところまで。
それでも、トカゲが少女へ顔を向けた瞬間――彼女は退いた。
「なあ」
「……なに?」
「さっき、なんで攻撃せんかったん?」
少女の表情が曇った。
「……やっぱり、そう見えた?」
「ん?」
「私が、逃げてただけに」
「いや」
男は首を横に振った。
「攻撃できそうやったから」
「…………」
少女の耳が、ぴくりと動く。
「速かったし、剣も届いてたやろ?」
「……うん」
「でも、あいつが振り向いた瞬間に退いた」
少女は少し黙ったあと、自分の身体を見る。
「防具がないから」
「やっぱりそこか」
男は三人の護衛へ目を向けた。
全員が防具を身につけている。
少女だけが普通の服だ。
「なんで着ないん?」
「……獣人だから」
「それは見れば分かる」
「…………」
「なんで獣人やったら防具着ないん?」
少女は不思議そうに男を見た。
「人間の防具は、私たちには合わないから」
「どこが?」
「え?」
「だから、どこが合わんの?」
「…………」
少女が言葉に詰まった。
まるで、そんなことを聞かれたことがなかったように。
「獣人には合わない。それだけ」
「いや、それじゃ分からんやろ」
「昔からそうなの」
「昔からでも合わん理由くらいあるやろ」
「お前、本当にそんなことも知らねぇのか?」
槍を持った男が呆れたように口を挟んだ。
「知らん」
男は即答した。
「俺、今日来たばっかやし」
「どこからだよ」
「それは俺も知りたい」
「は?」
「気にせんで」
「気になるわ!」
男は槍の男を無視して、少女を見る。
「で、何が違うん?」
「…………」
少女は少し迷ってから、自分の肩へ手を置いた。
「人間とは、身体が少し違う」
「見た目ほとんど一緒やけどな」
「見た目は」
少女は腕を回す。
人間なら少し無理をしそうなところまで、肩が滑らかに動いた。
「私たちは、人間より身体を大きく使って動くの。肩も、背中も、腰も」
尻尾がゆっくり揺れる。
「尻尾だって、ただ生えてるわけじゃない。走る時も、跳ぶ時も、身体のバランスを取るために使ってる」
「なるほど」
「だから人間の鎧を着ると、動きを止められる」
「着れないわけじゃないん?」
「着るだけなら着られる」
少女は三人の護衛の防具を見る。
「でも、着たら私たちの動きができなくなる」
人間なら、防具を身につけることで多少動きが鈍くなる程度なのかもしれない。
だが、少なくとも少女の話を聞く限り、獣人は違うらしい。
肩も、背中も、腰も。
全身を大きく使って動く。
そこを少し固定されるだけでも、本来の動きができなくなる。
何より――
自分なら避けられる。
そう身体が判断した距離で、鎧に動きを邪魔される。
その僅かなズレは、戦いの中では致命的なのだろう。
「だから、着ない方がいい」
少女はそう言った。
「それが普通だから」
「ふーん……」
男は少女を見る。
次に鎧を見る。
また少女を見る。
「…………」
少女が少し嫌そうな顔をした。
「さっきから何?」
「いや」
男は顎に手を当てた。
「それ、鎧が合ってないだけやろ?」
「だから、そう言ってる」
「なら――」
男はあっさり言った。
「合うようにしたらええんちゃう?」
「…………」
少女が固まった。
「……そんな簡単な話じゃない」
「なんで?」
「なんでって……」
少女は困ったように三人の護衛を見る。
誰も答えない。
獣人に人間の鎧は合わない。
そんなことは昔から決まっている。
だから誰も、それ以上を考えなかった。
「まあ、とりあえず」
男は近くに置かれていた防具へ手を伸ばす。
その瞬間。
《適当》
再び文字が浮かんだ。
続いて――
《適合》
「……お?」
男は防具を見る。
そして、先ほど少女が見せた動きを思い出す。
肩。
背中。
腰。
身体のバランスを取るという尻尾。
もう一度、防具を見る。
肩。
脇。
腰。
留め具。
少女の話と、目の前の防具が、少しずつ頭の中で繋がっていく。
「…………」
さっきまでは、ただの防具にしか見えなかった。
だが今は違う。
妙に気になる場所がある。
肩の動きを邪魔している部分。
身体を捻れば引っかかりそうな部分。
腰を固定してしまう部分。
なぜそこが気になるのか。
どう直せばいいのか。
まだ、はっきりとは分からない。
ただ――
何が合っていないのか。
それだけは、少し分かる気がした。
「……なるほど」
「何か分かったの?」
少女が尋ねる。
「いや」
男は防具をひっくり返しながら答えた。
「まだ全然分からん」
「…………」
「でもまあ」
男は笑った。
「なんとかなりそうやな」
少女は、しばらくその横顔を見つめていた。
――――
それからしばらくして。
「……ありがとう」
突然、少女が言った。
「ん?」
「私のこと」
少女は少し照れたように視線を逸らす。
「逃げてただけじゃないって、分かってくれたから」
「別に。見たまんま言っただけやで」
「それでも」
少女は小さく笑った。
「私は、メル」
「メル?」
「うん」
そして少女は尋ねた。
「あなたは?」
「俺?」
男は一瞬、言葉に詰まった。
名前。
自分の名前。
元の世界で何と呼ばれていたのか。
思い出そうとする。
「…………」
出てこない。
日本にいたことは覚えている。
そこで暮らしていたことも。
いろんな人と会った。
いろんなこともあった。
なのに、人の名前や場所の名前。
そういうものが、ところどころ妙にぼやけている。
自分の名前さえ、その一つだった。
「どうしたの?」
「いや……」
男は頭を掻いた。
「なんやったかなと思って」
「自分の名前を?」
「うん」
「大丈夫?」
「多分」
森に一人で放り出され。
訳の分からない神に魔王を倒せと言われ。
巨大なトカゲに追いかけられた。
途中で何度、もう無理やと思ったか分からない。
それでも走った。
走って。
ようやく人を見つけた。
そして今。
目の前には、メルと名乗った犬耳の少女がいる。
「まあ……」
男は小さく笑った。
諦めんでよかったな。
「……諦め」
その言葉が、妙に頭に残った。
諦め。
アキラメ。
「…………」
一瞬だけ考える。
「アキラ」
「アキラ?」
「うん」
男は頷いた。
「俺はアキラ」
こうして。
異世界へやってきた男は――
アキラになった。




