犬耳の護衛
「だから言っただろ。獣人なんて雇っても大して役に立たねぇって」
男の声に、獣人の少女の耳がぴくりと動いた。
聞こえている。
というより、この距離で聞こえないはずがない。
それでも少女は何も言わず、腰に下げた剣へ手を添えたまま街道の脇に立っていた。
「ま、まあまあ……そう言うなよ。さっきだって、この子が先に気づいてくれたから助かったじゃないか」
困ったように笑ったのは、この一行の依頼主である商人だった。
小太りで、人の良さそうな中年の男。
彼が操る馬車を護衛しているのは四人。
盾と剣を持った男。
槍を持った男。
弓を背負った男。
そしてもう一人。
犬のような耳と尻尾を持つ獣人の少女。
年の頃は二十歳前後。
三人の男たちは革や金属を組み合わせた軽鎧を身につけている。
対して少女だけは、旅装束に近い普通の服だった。
「鼻はな」
槍を持った男が笑う。
「鼻だけなら役に立つさ」
「…………」
少女は答えなかった。
少し前。
街道脇の茂みから、トカゲ型の魔物が数匹現れた。
最初に気づいたのは少女だった。
耳が微かな物音を拾い、鼻が獣とは違う匂いを捉えた。
彼女の警告がなければ、奇襲を受けていたかもしれない。
戦闘が始まってからも、少女は何度も魔物の攻撃を避け、その動きを乱した。
だが――それだけだった。
他の三人には防具がある。
盾で牙を受け止めることもできる。
軽鎧があるからこそ、多少の危険を承知で踏み込むこともできる。
少女には、それがない。
いくら身体能力に優れていても、普通の服で牙や爪をまともに受ければ無事では済まない。
剣は持っている。
戦う技術もある。
それでも一歩深く踏み込むには、あまりにも危険だった。
結果、魔物に止めを刺したのは三人の人間だった。
「獣人は身体だけは丈夫なんだろ?」
「だからって鎧なしで噛まれてみろ。普通に死ぬ」
「じゃあ鎧着りゃいいだろ」
「人間用の鎧なんて、獣人には合わねぇよ」
男たちが笑う。
少女の尻尾が、ほんの少しだけ下がった。
商人は三人と少女を交互に見て、何か言おうと口を開く。
だが――
「ま、まあ……無事だったんだからいいじゃないか。先を急ごう」
結局、それ以上は何も言わなかった。
少女も黙って歩き出す。
人間用の防具は獣人には合わない。
珍しい話ではない。
少なくとも、この辺りでは。
だから少女も、それを仕方のないことだと思っていた。
その時だった。
「――待って」
少女が足を止める。
犬耳がピンと立った。
「今度はなんだよ」
剣を持った男が面倒そうに振り返る。
少女は答えない。
目を閉じ、耳を澄ませる。
何かが地面を蹴る音。
荒い息遣い。
先ほどの魔物より大きい。
一つ。
そして――もう一つ。
「何か来る」
「またトカゲか?」
「たぶん……」
少女が鼻を動かす。
魔物の匂い。
だが、その中に別の匂いが混じっている。
「それと……」
「それと?」
少女が首を傾げる。
「……人間?」
「は?」
次の瞬間。
街道脇の茂みが激しく揺れた。
ガサガサガサッ!
「うおおおおおおお!!」
飛び出してきたのは――男だった。
「…………」
全員が固まった。
黒髪の若い男。
武器らしい武器も持たず、必死の形相でこちらへ走ってくる。
男は馬車と五人の姿を見つけた瞬間、目に見えて表情を明るくした。
「よかった! 人おった!」
「な、なんだお前!?」
「すんません! ちょっと通ります!」
「は?」
男はそのまま一行の横を駆け抜けた。
そして走りながら後ろを指差す。
「後ろのヤツ、任せてもいいっすか!!」
「はぁ!?」
ドンッ!!
直後。
茂みを薙ぎ倒し、巨大なトカゲが姿を現した。
先ほど倒した個体より明らかに大きい。
「お前ぇぇぇ!!」
剣を持った男が叫ぶ。
「こっちに連れてきただろ!!」
「違う違う!」
黒髪の男は一目散に馬車へ向かう。
そのまま御者台へ回り込み、商人の背後へ身を隠した。
「俺が連れてきたんじゃなくて、あいつが勝手についてきたんや!」
「同じだろうが!!」
「そ、そうだよ! それより、なんで私の後ろに隠れるんだい!?」
商人が涙目で振り返る。
「いや、おっちゃんが一番安全そうだったから」
「私が一番弱いよ!?」
「マジか」
「見れば分かるだろ!!」
「おい! 来るぞ!!」
護衛の声で空気が変わった。
巨大トカゲが地面を蹴る。
盾を持った男が前へ出た。
「うおっ!」
激しい音と共に、盾がトカゲの頭を受け止める。
その側面へ槍が突き出される。
後方から矢が飛ぶ。
「へぇ……」
黒髪の男は商人の後ろから顔だけを出した。
「ちゃんと異世界っぽいな」
「感心してないで何とかしてくれないか!?」
「いや俺、武器ないし」
「じゃあせめて私を盾にするのをやめてくれ!」
「それはちょっと……」
「なんでだよ!」
商人の悲鳴を聞き流しながら、男は戦闘を眺めていた。
盾の男が攻撃を受ける。
槍の男が隙を突く。
弓の男が距離を取りながら援護する。
そして――
「ん?」
一人だけ。
妙な動きをしている者がいた。
犬耳の少女。
巨大トカゲの尾が横薙ぎに振られる。
「危なっ――」
男が思わず声を漏らす。
だが。
少女は身体を沈め、紙一重で尾をかわした。
そのまま地面を蹴る。
速い。
一気に距離を詰め、腰の剣を抜く。
トカゲの首筋が目の前にある。
――いける。
そう思った瞬間。
巨大トカゲが少女へ顔を向けた。
「っ!」
少女は剣を振らず、大きく後ろへ跳んだ。
トカゲの牙が空を噛む。
「……なんや?」
黒髪の男が首を傾げる。
まただ。
動きは悪くない。
むしろ、他の三人より速い。
剣も持っている。
それなのに、攻撃できそうな場面でも深く踏み込もうとしない。
「なんで攻撃せんのや?」
「え?」
商人が振り返る。
「いや、あの犬耳の子」
「あ、ああ……あの子かい?」
「うん」
男はもう一度、少女を見る。
その直後。
「今だ!」
盾の男が巨大トカゲの突進を止める。
槍が脇腹へ突き刺さった。
大きく体勢を崩したところへ、矢が飛ぶ。
最後に剣が振り下ろされ――
巨大トカゲが地面へ倒れた。
しばらく誰も動かなかった。
やがてトカゲが完全に動かなくなったことを確認すると、商人が御者台へへたり込んだ。
「し、死ぬかと思った……」
「いやぁ、助かりました」
その後ろから黒髪の男がひょこっと出てくる。
「おい」
剣を持った男の額に青筋が浮かんだ。
「はい?」
「はい? じゃねぇよ!」
「いや、でも結果的に誰も怪我してないし」
「誰のせいで戦うことになったと思ってんだ!」
「だから、あいつが勝手についてきたんやって」
「まだ言うか!!」
男が怒鳴られている、その横で。
「ったく……」
槍の男が息を吐いた。
そして獣人の少女を見る。
「お前ももうちょい戦えよ」
「…………」
少女の耳がわずかに伏せる。
「鼻が利くのは認めるけどよ。戦闘になったら逃げ回ってるだけじゃ護衛とは言えねぇだろ」
「……すみません」
少女は小さく答えた。
「獣人は動きだけは速いんだから、もうちょい使えりゃ楽なんだけどな」
「まあ無理だろ。まともな防具も着られねぇんだから」
三人が笑う。
黒髪の男は黙ってその会話を聞いていた。
「…………」
少女を見る。
腰には剣。
服は普通の旅装束。
次に三人の人間を見る。
盾。
革鎧。
胸当て。
籠手。
そして、もう一度少女を見る。
さっきの戦いを思い出す。
攻撃できる位置までは入っていた。
それでも、相手がこちらを向いた瞬間に引いた。
「……ああ」
男が小さく呟いた。
弱いんじゃない。
戦えないわけでもない。
ただ――
何かが、合っていない。
その瞬間だった。
男の視界の端に、文字が浮かんだ。
《適当》
「……は?」
瞬きをする。
消えない。
神から与えられた、意味の分からないスキル。
それが異世界へ来て初めて――
何かに反応していた。
「…………」
男は文字を見る。
次に、犬耳の少女を見る。
そして三人の防具を見る。
もう一度、少女を見る。
「……なんやこれ」
少女が、不思議そうにこちらを見返した。
男はまだ知らない。
この出会いが、この世界で最初に見つけた――
《合っていないもの》
だったことを。
第2話でした!
犬耳の護衛と、何やら様子のおかしい男が出会いました。
この先どうなるかは私もまだ知りません。
まあなんとかなるやろ。知らんけど(笑)




