分かるなら、確かめればいい
扉が閉まる。
メル達の足音が遠ざかっていくと、工房の中は急に静かになった。
残ったのは、俺と親方。
それからグランのおっちゃん。
「……静かになったな」
「ええ。さっきまで随分賑やかでしたからね」
「主にパンツリーダーのせいやけどな」
「まだ言っているんですか?」
「本人おらんからええやろ」
「よくねぇ」
親方が低い声で言った。
「なんで親方が怒るん」
「くだらねぇこと言ってねぇで、こっち来い」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
「はい!……そういや元祖こっちやったわ」
「何の話だ」
「なんでもない」
親方は工房の奥へ入っていった。
しばらくして、大きな木箱を抱えて戻ってくる。
「重そうやな」
「見てねぇで手伝え」
「はい」
二人で木箱を作業台の横へ下ろす。
どん、と鈍い音がした。
「結構重いやん」
「中身入ってんだから当たり前だ」
「何入ってんの?」
「昨日話したやつだ」
「昨日?」
箱の側面を見る。
そこには、大きく文字が書かれていた。
『ビッグデスマン』
「……ビッグデスマン」
声に出して読む。
読める。
ただ、何の名前なのかは分からない。
「物騒な名前やな」
「何がだ?」
「これ」
箱を指差す。
「ビッグデスマン。絶対かわいい奴につける名前ちゃうやろ」
「当たり前だ」
親方が蓋に手をかける。
「こいつが昨日言ってた大モグラの素材だ」
「……ん?」
なんか変やった、今。
「親方」
「あ?」
「今なんて言いました?」
「大モグラだ」
「……」
箱を見る。
『ビッグデスマン』
もう一度、親方を見る。
「この箱に書いてある名前と、親方が今言った名前って同じなん?」
「何言ってんだ。当然だろ」
「……同じ?」
「ああ」
何やこれ。
「グランのおっちゃん」
「はい?」
「これ」
箱の文字を指差す。
「この箱に書いてある名前と、親方が今言った名前って同じなん?」
グランのおっちゃんが箱を見る。
「ええ。同じですよ?」
「…………」
同じ?
俺には。
親方は確かに『大モグラ』と言ったように聞こえた。
でも。
箱に書いてあるのは。
『ビッグデスマン』
これが。
昨日から大モグラだと思っていた魔物の。
本当の名前?
その瞬間。
頭の奥で、何かがかちりと噛み合った。
《適当》
――適応。
「…………」
「どうした?」
「親方」
「あ?」
「もう一回、こいつの名前言って」
「何言ってんだ。ビッグデスマンだろ」
「……!」
今度は、ちゃんと聞こえた。
「ビッグデスマン……」
「ああ」
さっきまで、間違いなく『大モグラ』と聞こえていた。
なのに今は違う。
「……なるほど」
「何がだ?」
「いや」
まだ確信はない。
でも。
一個、確かめたい。
「グランのおっちゃん」
「はい?」
「紙と、なんか書くもんある?」
「ありますが」
グランのおっちゃんが鞄から紙と筆記具を取り出した。
「何を書くんです?」
「薬草の名前」
「薬草?」
「前にメルに教えてもらったやつなんやけど」
記憶を探る。
「葉っぱの裏に白い筋があって、ちょっとスーッとする匂いがして」
「ああ」
「傷薬に使うやつ」
「それなら分かります」
「その名前、書いてみて」
「構いませんが……」
グランのおっちゃんは不思議そうな顔をしながら、紙に文字を書いた。
そして俺に向ける。
『キュア草』
「…………」
読める。
「キュア草」
「ええ」
グランのおっちゃんが頷く。
「傷薬によく使われる薬草ですね」
キュア草。
あの薬草の名前。
そう認識した瞬間。
また。
頭の奥で、同じ感覚がした。
《適当》
――適応。
『傷を治す薬草は、傷を治す薬草なんだよ?』
メルの声が蘇る。
あの時。
何を言ってるんやこいつ。
そう思った。
けど、違う。
『キュア草は、傷を治す薬草なんだよ?』
「…………あ」
「どうしました?」
「いや……」
メル。
ちゃんと名前言うてたんや。
おかしかったのは、メルの説明じゃない。
俺の聞こえ方や。
ビッグデスマン。
知らなかった時は、大モグラ。
キュア草。
知らなかった時は、傷を治す薬草。
知らない言葉を。
俺が分かる形に変えている。
多分。
《適当》が。
意味が通るように。
俺に合うように。
でも。
文字で名前を見て。
それが何を指しているのか理解すれば。
もう、本当の名前で分かる。
「……そういうことか」
「さっきから一人で何を納得してんだ」
親方が眉を寄せる。
「ちょっと確認してただけ」
「何をだ」
「俺の頭」
「大丈夫じゃねぇな」
「ひどない?」
グランのおっちゃんが小さく笑った。
腹立つな。
でも。
これ、思ってたより大事かもしれん。
今まで。
話せる。
読める。
書ける。
それだけで、この世界の言葉が分かってるつもりになってた。
けど。
違う。
意味が通じていただけで、俺が本当の言葉を知ってるとは限らない。
なら。
本とか、もっと読んだ方がええんかもしれん。
名前を知って。
意味を知って。
ちゃんと覚えれば。
その分、俺自身の言葉として使えるようになる……んかもしれん。
……今さら勉強か。
まあ。
知らんままよりはええやろ。
「で」
親方が木箱を叩く。
「気は済んだか?」
「一応」
「なら仕事だ」
「はい!」
「一回でできるじゃねぇか」
親方が木箱の蓋を開ける。
「これは前に手に入れたもんだ」
「前に?」
「ああ。状態があまり良くねぇから、今回使う気はない」
「見本みたいなもん?」
「そんなとこだ」
親方が箱の中へ手を入れる。
そして。
取り出したものを、作業台へ置いた。
ごとっ。
「…………」
俺はそれを見る。
「これ……何?」
「爪だ」
「爪?」
「ああ」
「これが?」
手に取る。
思ったより重い。
しかも、でかい。
湾曲した爪一本が、俺の肘から手首までくらいの長さがある。
根元なんて、俺の手首より太い。
爪というより。
小さい剣や。
「……これが一本?」
「ああ」
「ビッグデスマンの?」
「そうだ」
「…………」
昨日まで大モグラやと思ってたから。
もっとかわいいもん想像してたわ。
いや。
大モグラでも十分怖いけど。
「本体どんだけデカいねん」
「かなりでかいぞ」
「……これ、メル達が取りに行ったんやんな?」
「だからガイアス達をつけたんだ」
「まあ、そうやけど……」
思わず、メル達の顔が浮かぶ。
親方はそれ以上気にした様子もなく、もう一つ箱から取り出した。
「それと、こっちだ」
毛皮。
そう思った。
けど。
「……でか」
親方が広げる。
切れ端のはずなのに、小さな敷物くらいある。
毛も一本一本が思っていたより太い。
指で触ってみる。
「硬っ」
「外側はな」
「内側は?」
「触ってみろ」
毛をかき分ける。
根元に近い部分は、外側よりずっと柔らかい。
「全然ちゃうな」
「だから使える」
さらに毛を分けて、その下の皮を指でつまんでみる。
「……思ったより薄いな」
「引っ張ってみろ」
「ええの?」
「その程度じゃ破れねぇ」
言われた通り、両手で軽く引く。
少し伸びる。
でも。
裂ける気配はない。
「……丈夫やな」
「ああ。しなるくせに、そう簡単には破れねぇ」
「毛だけやなくて、この皮も使うん?」
「そのつもりだ」
親方が言う。
「獣人用の防具を、人間用と同じように全部硬くすりゃいいって話じゃねぇ」
「ああ」
さっきまで試作品を着ていたメルの姿を思い出す。
肩。
腰。
尻尾。
身体の使い方そのものが違う。
「全部を硬くする必要はねぇ」
親方が毛皮を持ち上げる。
「動かすところは動かす」
次に、大きな爪を叩く。
「守るところは守る」
「柔らかい皮と毛皮。硬い爪を使い分ける?」
「そういうことだ」
「金属は?」
「使えるところには使う」
「全部じゃない?」
「ああ」
親方が毛皮と爪を見比べる。
「身体に合わせるってのは、形だけの話じゃねぇ」
「素材も?」
「当然だ」
そらそうか。
メルの身体に形だけ合わせても。
重すぎたり。
硬すぎたり。
動きを邪魔したら意味がない。
「……あ」
親方の手にある爪を見て、昔聞いた話を思い出した。
「そういや爪って、ケラチンやったな」
「けらちん?」
親方とグランのおっちゃんが同時に俺を見る。
「なんだそりゃ」
「なんて言うたらええかな……」
自分の爪を見る。
「身体を作ってる、タンパク質の仲間……みたいなもん」
「たんぱくしつ?」
「そこから説明せなあかん?」
「知らねぇもんは知らねぇ」
「そらそうやけど」
俺も専門家じゃない。
昔聞いた雑学を思い出してるだけや。
「ただ、ケラチンにも種類があったはずやねん」
「種類?」
「ああ」
自分の腕の皮膚を指差す。
「皮膚とかに多いのと」
今度は爪を指で叩く。
「爪とか髪の毛に多い、もっと硬いやつ」
「硬いやつ?」
「たしか、硬ケラチン」
「硬いけらちん?」
「名前ほぼそのままやけどな」
グランのおっちゃんが少し笑う。
「それで、皮膚に多い方と、その硬ケラチンは何が違うんです?」
「えーっと……」
そこまで聞かれると思ってなかった。
記憶を探る。
「同じケラチンの仲間やけど、性質が違ったはずや」
「なるほど……」
グランのおっちゃんが少し身を乗り出した。
「もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
「え、そんな食いつく?」
「素材の話ですからね。商人としては気になります」
「そういうもん?」
「そういうものです」
「確か……中の結びつき」
「結びつき?」
「うん。硬い方は、硫黄が関係する結びつきが多くて、丈夫になる……みたいな感じやったと思う」
「いおう?」
「……そこも知らんか」
「知らねぇ」
「話進まんなぁ」
「お前の説明が悪い」
「専門家ちゃう言うてるやろ」
まあええ。
「とにかく、同じケラチンの仲間でも、皮膚に多いやつと、爪や髪に多い硬ケラチンじゃ性質が違うんよ。だから爪とかは硬くなる……はず」
「最後弱ぇな」
「雑学に完璧求めんでくれ」
俺が答えると、グランのおっちゃんが苦笑した。
「あと」
爪の側面を見る。
「爪って一枚の板みたいに見えるけど、確か何層か重なってたはずや」
「ほう」
親方が少しだけ目を細めた。
「何層だ?」
「……三層やったかな」
「よく知ってるな」
「お?」
珍しく普通に褒められた。
「親方も知ってたん?」
「構造くらいはな。割れた爪を見りゃ分かる」
「じゃあ聞くなよ」
「お前がどこまで知ってるか聞いたんだ」
「試されたんかい」
親方は俺から爪を受け取った。
向きを変える。
表面。
側面。
根元。
何度か確かめたあと、俺を見る。
「アキラ」
「ん?」
「お前なら、こいつをどう使う?」
「俺?」
「ああ」
親方が爪を作業台へ置く。
「俺は形が見えりゃ作れる」
今度は、その隣に毛皮を置いた。
「毛皮は動きを殺しにくい。皮もしなやかで丈夫だ。爪は硬ぇ。獣人の身体なら、この組み合わせが使えるかもしれねぇ。そこまでは俺の経験だ」
「うん」
「で、お前は今、こいつが何で硬ぇのか。どういう構造なのかって話をした」
「……したな」
「なら考えろ」
親方が爪を指で叩く。
「この構造を、どう使う?」
「…………」
爪を見る。
一枚の硬い塊。
そう思っていた。
でも。
親方が聞いてるのは、そういうことじゃない。
硬いから、そのまま使う。
それだけでええんやろか。
「……一枚のまま使わんでもええ?」
「続けろ」
「加工できるなら、薄くしたり。小さく分けたり」
もう一度、爪を見る。
「……もっと細かくするのは?」
「細かく?」
「砕くとか」
親方の眉が少し動いた。
「砕いてどうする」
「いや、そこまではまだ分からんけど」
隣の毛皮を見る。
外側の硬い毛。
内側の柔らかい毛。
その下にある、しなやかで丈夫な皮。
「細かくした爪を、皮とか毛皮に混ぜたりできへんかなって」
「混ぜる?」
「ああ。爪の形のまま貼り付けるんやなくて」
爪を指で叩く。
「この硬さだけ、別の形で使えんかなって」
「…………」
「皮の柔らかさを残したまま、もっと丈夫にするとか」
親方は何も言わない。
「……無理?」
「分からん」
「即答かい」
「やったことがねぇ」
「そら俺もないけど」
「だから分からねぇ」
親方が爪を持ち上げる。
しばらく眺めて。
今度は毛皮を見る。
「だが」
「ん?」
「試す価値はある」
「……おお」
「何が『おお』だ」
「いや、親方が乗ってきたから」
「お前が言い出したんだろうが」
「そうやけど」
親方が爪を作業台へ戻す。
「砕いた時に、どこまで硬さが残るか」
「うん」
「皮と合わせて使えるか」
「うん」
「まずそこからだ」
「結局、試すんやな」
「分からねぇなら、それしかねぇだろ」
「……確かに」
それなら。
俺にも分かる。
やってみて。
違ったら。
また考えればいい。
「俺一人で決めるより、お前の考えも聞いた方がいい」
「……」
「昨日言っただろ」
親方が毛皮と爪を並べる。
「俺には形にする腕がある」
「ああ」
「お前には、俺の知らねぇ知識がある」
「……雑学やけどな」
「使えるなら同じだ」
「雑やなぁ」
「お前に言われたくねぇ」
「確かに」
否定できん。
グランのおっちゃんが笑う。
「面白いですね」
「何が?」
「アキラさんが違う見方を持ち込んで、バルドさんが職人の経験で形にしていく」
「俺、そこまで大したこと言うてへんで」
「だからこそですよ」
グランのおっちゃんが、作業台の上を見る。
「一人では思いつかなかったものが、二人なら形になるかもしれない」
「……」
毛皮。
皮。
爪。
獣人の身体。
俺の知っていること。
親方の知っていること。
違うものばかり。
俺一人じゃ、何も作れない。
親方一人じゃ、思いつかなかったこともある。
でも。
違うもの同士でも。
合うように組み合わせれば。
何か作れるのかもしれない。
「……なあ親方」
「なんだ」
俺は作業台の上の爪を見る。
「これが一本なんやろ?」
「ああ」
「ビッグデスマンの」
「そうだ」
改めて見る。
俺の腕ほどある。
「……メル達、大丈夫なん?」
「だからガイアス達をつけた」
「それは分かってるけど」
「三人とも、戦うだけなら十分強ぇ」
「……そう」
無意識に、首元へ手が伸びた。
何もない。
そらそうや。
今。
俺のネックレスは。
メルが持っている。
「…………」
もう一度、作業台の上の爪を見る。
これを持っていた奴が。
今頃。
メル達の向かった先にいる。
「……ほんまに、でかいモグラやったんやな」
「ビッグデスマンだ」
「あ」
今度はちゃんと、その名前で聞こえた。
「……ビッグデスマンか」
一つ。
覚えた。
その持ち主のところへ。
今。
メル達が向かっている。
心配はする。
でも。
俺はここに残った。
なら。
戻ってくるまでに。
俺にできることを、やるしかない。
読んでいただきありがとうございます。
ようやく、もう一つの節目に差しかかろうとしています。
なにぶん初めての執筆なので、なるべく読みやすくなるようAIも使いながら文章のチェックを入れています。
まだまだ拙いところも多いですが、これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。
なお、10/11の投稿はお休みさせていただきます。




