避けられるなら、避ければいい
――少し戻ろ。
メルにそう言われ、俺たちは来た道を引き返していた。
俺にはまだ何も聞こえない。
何も見えない。
それでもメルは、ときどき耳を動かしながら歩いている。
「……まだおるん?」
「うん」
「近づいてきてる?」
「たぶん、こっちには来てないよ」
「ほんま?」
「うん」
そう言われても、完全には安心できない。
俺は足元に落ちていた、手頃な大きさの石を一つ拾った。
森で魔物に襲われた時も、結局これでなんとかした。
何かあればすぐ投げられるように、右手の中で握り直す。
……こういう時、やっぱり短剣くらい持っといた方がええんかな。
親方のところで、ちゃんと扱い方も教えてもらわんとな。
「アキラ」
「ん?」
「こっち」
メルが道から外れる。
「そっち行くん?」
「うん」
「魔物おるんやろ?」
「いるよ?」
「……大丈夫なん?」
「こっちにはいないから」
メルは当たり前みたいに言った。
俺には、その違いがまったく分からん。
少し歩いたところで、メルが立ち止まる。
鼻を動かす。
耳がぴくっと動く。
「もう少し向こう」
「何が?」
「魔物」
「分かるん?」
「うん」
すげぇな。
俺なんかさっきから何回耳を澄ませても、風で草が揺れる音くらいしか聞こえん。
「じゃあ、ここで待つん?」
「なんで?」
「いや、魔物おるんやろ?」
「向こうにいるから、こっち行けば大丈夫だよ」
「……ああ」
メルがまた歩き出す。
俺も石を握ったまま、その後を追う。
しばらく進むと、メルが突然しゃがんだ。
「ここにもあるよ」
「え?」
「薬草」
「まだ採るん!?」
「だって依頼でしょ?」
「いや、そうやけど!」
こっちは完全に戦闘になる気で構えてたんやぞ。
メルはそんな俺を気にする様子もなく、普通に薬草を摘んでいる。
「アキラも」
「……はい、先生」
「うん!」
切り替え早いな。
仕方なく俺もしゃがむ。
さっき教えてもらった特徴を思い出しながら探していく。
「これやろ?」
「うん」
「これは?」
「それもそう」
「おお!」
ちょっと分かるようになってきた。
俺が薬草を摘んでいる間も、メルの耳はときどき動いている。
「……まだおる?」
「いるよ」
「怖ないん?」
「遠いから大丈夫」
「そういうもんなん?」
「うん」
そういうもんらしい。
俺にとっては、魔物がいると聞いた時点で十分怖いんやけどな。
しばらくすると、メルが顔を上げた。
「もう大丈夫かも」
「いなくなった?」
「ううん。向こうに行った」
「……ずっと分かってたん?」
「だいたい」
メルはそう言うと、また別の草の方へ歩いていく。
俺は石を握ったまま、その背中を見る。
なんや。
戦わんのか。
いや。
違うな。
「そういやメル」
「なに?」
「俺が武器持ってへんの、気にならんかったん?」
「なんで?」
「なんでって……魔物おったら困るやろ」
「会わないようにすればいいよ?」
「……ああ」
そういうことか。
俺は、魔物に会った時にどうするかを考えていた。
でもメルは最初から、魔物に会わないように動いていた。
「……なるほどな」
「なに?」
「見つけられるから戦えるんやなくて――」
メルが俺を見る。
「見つけられるから、戦わんで済むんか」
「うん?」
本人は何を今さら、みたいな顔をしている。
でも俺にとっては、結構大きな違いだった。
魔物がどこにいるか分かる。
近づいてくる前に気づける。
危ない場所には近づかなければいい。
別の道を通ればいい。
そもそも戦わなくてもいい。
「メル」
「なに?」
「お前、すごいな」
「え?」
「俺一人やったら、たぶん魔物見つけてから慌てとるわ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。メル先生がおらんかったら、今頃こいつが主役やったで」
握っていた石を見せる。
「石が?」
「俺より働く予定やった」
「……?」
メルが首を傾げる。
まあええわ。
俺は握っていた石を、そっと地面に戻した。
「ほら、次行くよ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「……はい」
「ふふっ」
「なんで笑うねん」
「さっきより元気ない」
「今日はもう結構歩いたからな」
「ちゃんと返事して」
「はい!」
「ふふふっ」
「結局笑うんかい」
先生役、だいぶ気に入っとるな。
それからも何度かメルが立ち止まった。
耳を澄ませたり。
匂いを確かめたり。
そのたびに進む方向を少し変える。
ただそれだけ。
戦わない。
逃げ回るわけでもない。
危ない場所を避けながら、必要なものを集めていく。
しばらくして、メルが薬草の入った袋を覗き込んだ。
「今日はいっぱい採れたね」
「いつもより?」
「うん。二人だったし……アキラ、覚えるの早かったから」
「なるほどな」
俺は大きく頷いた。
「つまり、メル先生の教え方が完璧やったってことやな」
「ほんと?」
「そらもう。薬草の見分け方から採り方、魔物の避け方まで。至れり尽くせりや」
「えへへ」
メルの尻尾がぶんぶんと揺れる。
「さすがメル先生。名教師やな」
「うん!」
……めっちゃ喜んどる。
薬草の入った袋は、いつの間にかずっしりと重くなっていた。
結局、一度も魔物を見ることはなかった。
あれだけ緊張していたのが、なんだったのかと思うくらいだ。
俺たちはそのまま街へ戻り、ギルドへ向かった。
受付で採ってきた薬草を広げると、受付のお姉さんが一つずつ状態と量を確認していく。
傷に使うもの。
熱に使うもの。
腹痛に使うもの。
同じものでも、大きさや状態によって値段が少し違うらしい。
しばらくして、受付のお姉さんが顔を上げた。
「お待たせしました。状態もいいですね。全部で百四十一コムになります」
「おお」
思っていたより多い。
一コムを百円くらいで考えると――。
「二人で一日、一万四千円くらいか」
「いちまんよんせん?」
「こっちの話や」
メルが不思議そうに俺を見る。
さて。
百四十一コム。
七十コムずつ分けると、一コム余る。
俺がどうするか考えていると、メルが先に口を開いた。
「じゃあ、アキラが七十一ね」
「なんで俺が多いん?」
「アキラ、いっぱい採ってたから」
「いやいや」
それを言うなら、今日はほとんどメルのおかげだ。
薬草の見分け方も。
採り方も。
魔物を避けられたのも。
「メル先生のおかげでこんだけ採れたんやろ。俺が多くもらうんはちゃうわ」
「でも……」
メルが少し困った顔をする。
多分、俺に多く渡したいんやろな。
なら――。
「よし、分かった。じゃあ俺が七十一もらう」
「いいの?」
「その代わり」
「?」
「今日の晩飯は俺のおごりや」
「え?」
「この前ご馳走になったしな。ちょうどええやろ」
「……いいの?」
「ええよ。今日は先生へのお礼も込みや」
「ほんと!?」
また尻尾がぶんぶんと揺れ始める。
「何食うか考えとけよ」
「うん!」
よし。
これならメルも納得した。
俺も納得できる。
たった一コムの話やけど。
どっちが取るかで譲り合うより、こっちの方がええ。
ギルドを出て、二人で宿へ戻る。
俺は歩きながら、服についた土を手で払った。
朝から歩きっぱなし。
しゃがんでは草を摘んで。
土も触った。
さすがに少し汗もかいている。
「……こういう日は風呂入りたいなぁ」
「お風呂?」
「ん?」
この世界に来てからは、夜に宿で桶いっぱいのお湯をもらって身体を拭くか、朝に井戸の水で身体を洗うくらいだった。
それでなんとなく済ませてきたけど――。
今日は無性に、肩まで湯に浸かりたい。
「風呂や、風呂」
「……?」
メルが首を傾げた。
「まさか……」
俺は嫌な予感がして、メルを見る。
そういや俺。
この世界に来てから一度も――。
風呂を見てない。
次回、お風呂回です。
第18話なので、お風呂回です。
たぶん今までで一番力を入れて書きました。
……何に力を入れたのかは、次回をお楽しみに。




