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知らないなら、教わればいい

 

 翌日。


「おはようございます」


「……来たか」


 鍛冶屋の扉を開けると、昨日と同じ低い声が返ってきた。


 親方はすでに炉の前に立っている。


 分厚い革の前掛け。


 無愛想な顔。


 昨日と何も変わらない。


「ちゃんと来たで」


「見れば分かる」


「遅刻もしてへん」


「それが普通だ」


「褒めてくれてもええやん」


「仕事しろ」


「はいはい」


「返事は一回でいい」


「はい」


 やっぱりめんどくさいおっさんやな。


 昨日と同じやり取りをしながら、俺は作業場の奥へ入った。


 ただ。


 親方が一瞬だけ俺を見た。


 昨日と同じ無愛想な顔。


 でも、ほんの少しだけ目つきが柔らかかった――ような気がする。


 ……気のせいやろな。


「今日は何したらええ?」


「昨日と同じだ」


「掃除?」


「それだけじゃない」


「分かっとるわ」


 箒を手に取る。


 昨日一日やっただけだが、どこに何があるのかは大体覚えている。


 親方が触る場所。


 よく使う道具。


 材料の置き場所。


 炭。


 水。


 昨日よりは分かる。


 だったら、昨日よりやりやすい。


 親方が炉へ向かう。


 俺は邪魔にならないところを掃く。


 しばらくして親方が火箸へ手を伸ばす。


 その次に使った物を見る。


 どの順番で何をしているのか。


 昨日は分からなかったことが、今日は少しだけ分かる。


「アキラ」


「はいよ」


「細いのを二本」


「これやろ?」


「……ああ」


 渡す。


 親方が受け取る。


 少しして。


「炭――」


「ここ置いとくで」


「……」


「なんや?」


「いや」


 またそれか。


 作業を続ける。


 親方が材料を取ろうとする。


 その前に俺が持っていく。


 水が少なくなっている。


 補充しておく。


 使い終わった道具が置かれる。


 どこへ戻すのか分かる物だけ戻す。


 分からない物には触らない。


 昨日より。


 ほんの少しだけ先が見える。


 それに合わせるように、《適当》の感覚も昨日よりはっきりしていた。


 これは今。


 これはまだ。


 これはここ。


 これは多すぎる。


 別に声が聞こえるわけじゃない。


 答えが頭に浮かぶわけでもない。


 ただ、親方の仕事を理解すればするほど、何をすれば邪魔にならないのかが分かる。


 逆に。


 分からないことは、相変わらず分からない。


 親方が叩いている鉄が、何になるのか。


 なんで今叩くのか。


 なんで火に戻すのか。


 そこまではさっぱりだ。


 なら、そこには手を出さない。


 俺がやるのは、俺に分かることだけ。


 足りないところを補えばいい。


     ◇


「……おい」


「ん?」


「終わった」


「え?」


 昨日と同じ言葉に、俺は箒を持ったまま振り返った。


 親方が炉の火を弱めている。


「もう?」


「ああ」


「昨日より早ない?」


「……早い」


「ええやん」


「よくない」


「なんでやねん」


 親方が黙って俺を見る。


 その顔には相変わらずほとんど表情がない。


 ただ、どこか困っているようにも見えた。


「予定が狂う」


「あ?」


「昨日も早かった」


「うん」


「今日はもっと早い」


「うん」


「この仕事は、もう少しかかる予定だった」


「知らんがな」


「……」


「なんで俺が悪いみたいになってんねん」


 親方が小さく息を吐いた。


 どうやら怒っているわけではないらしい。


 それどころか――。


 ほんの少しだけ、口元が緩んだように見えた。


 ……笑った?


 いや。


 このおっさんに限って、それはないか。


「それにしても」


「なんや?」


「お前、変わってるな」


「急になんやねん」


「普通、冒険者はこんな仕事を受けない」


「……そうなん?」


「ああ」


 初耳なんやけど。


「掃除。荷運び。炭運び。材料運び」


「まあ、地味やな」


「報酬も高くない」


「それ先に言えや!」


「依頼書に書いてある」


「……」


 そういえば。


 俺、ちゃんと見たっけ?


 メルに連れられてギルドへ行って。


 冒険者になって。


 親方の依頼を見つけて。


 そのまま来た気がする。


「……まあ、ええわ」


「いいのか」


「受けたもんはしゃあないやろ」


「そうか」


 親方が俺を見る。


 何かを確かめるような目だった。


「募集を出しても、ほとんど来ない」


「そんな人気ないん?」


「ああ」


「まあ、冒険者になって掃除したい奴も少ないか」


「たまに来ても一日で来なくなる」


「なんで?」


「……」


 親方が黙って俺を見る。


「……なんで俺見るん?」


「さあな」


「あんたのせいやろ」


「知らんな」


「絶対そうやろ」


 思わず笑ってしまった。


 親方は相変わらず無愛想なままだ。


 でも。


 初日に比べれば、なんとなく分かってきた。


 このおっさんは愛想がない。


 口数も少ない。


 細かい。


 返事は一回。


 勝手に触るな。


 分からなければ聞け。


 重い物は一人で持つな。


 めんどくさい。


 めんどくさいけど――。


 別に間違ったことは言ってない。


 むしろ全部、ちゃんと理由がある。


「それでも、お前は来た」


「依頼受けたからな」


「……そうか」


 親方はそれ以上何も言わなかった。


 でも。


 その声は、昨日より少しだけ柔らかかった。


「で?」


「なんだ」


「仕事終わったんやろ?」


「ああ」


「帰ってええん?」


「……」


「なんやねん」


 親方が俺をじっと見る。


 上から下まで。


 なんか嫌な予感がする。


「お前」


「うん」


「冒険者だったな」


「昨日なったばっかやけど」


「武器は?」


「ない」


「……」


「なんや?」


「使える武器は?」


「ない」


「……」


 親方の眉間に皺が寄った。


「なんやねん、その顔」


「何も使えないのか?」


「せやから、戦ったことないって」


「剣は?」


「ない」


「槍」


「ない」


「斧」


「薪割りならやったことあるかもしれんけど、戦うのには使ったことない」


「弓」


「ない」


「……」


 皺がさらに深くなった。


「おい」


「なんや」


「そんな顔されても困るんやけど」


 親方はしばらく黙って俺を見ていた。


 呆れているというより、本気で困っているように見える。


「……来い」


「どこに?」


「いいから来い」


「怖いんやけど」


「早くしろ」


「はいはい」


「返事は一回」


「はい」


 連れていかれたのは、作業場の壁際だった。


 そこには何本かの武器が並んでいる。


 剣。


 斧。


 槍。


 どれも店に並べる前なのか、それとも別の理由で置いてあるのかは分からない。


 親方が一本の剣を取った。


「持て」


「え?」


「持て」


「なんで?」


「いいから持て」


「……はい」


 渡された剣を受け取る。


「おっ」


 思ったより重い。


 両手で持つほどではない。


 でも、料理包丁なんかとは当然全然違う。


「振ってみろ」


「ここで?」


「ああ」


 俺は作業場を見回した。


「……なんか壊しても知らんで?」


「壊すな」


「初めて剣持った奴に無茶言うなや」


「剣は振らなきゃ始まらん」


「そらそうやけど……」


 少し広いところへ移動する。


 剣を握る。


 こうか?


 いや。


 どう構えんねん、これ。


「何をしてる」


「構え考えてんねん」


「好きに構えろ」


「それが分からんから困ってんねん」


「……」


 親方の眉間にまた皺が寄った。


 とりあえず両手で握ってみる。


「それは片手剣だ」


「先に言えや!」


 右手だけで握り直す。


「……こう?」


「好きに振れ」


「知らんで?」


「何がだ」


「ほんまに飛んでいっても」


「飛ばすな」


「無茶言うなや」


「いいから振れ」


「はいはい」


「返事は――」


「一回やろ! 分かっとる!」


 息を吸う。


 剣を上げる。


「ほっ!」


 ぶんっ。


 剣に引っ張られるように身体が前へ出た。


「うおっ!」


 慌てて足を踏ん張る。


 転びはしなかった。


 でも。


 自分でも分かる。


 これはひどい。


「……」


 親方が黙っている。


「なんか言えや」


「ひどいな」


「言い方!」


「とんだど素人だ」


「最初から戦ったことない言うてるやろ!」


 ちょっと腹立つ。


 でも反論できない。


 自分でもひどかったのは分かってる。


「握りすぎだ」


「そうなん?」


「力を抜け」


「剣やぞ? 落とさん?」


「だからといって力を入れ続けるな」


「難しいな」


「足も固い」


「知らんがな」


「腰が引けてる」


「怖いもんは怖いねん!」


 親方が一瞬黙った。


 そして。


「……まあ、それは悪くない」


「え?」


「怖くない奴の方が危ない」


 思っていなかった言葉に、俺は親方を見る。


 無愛想な顔。


 でも、馬鹿にしているわけではないらしい。


「もう一度だ」


「はい」


 言われた通り、少し力を抜く。


 足を開く。


 腰。


 腰ってどうすんねん。


「そうじゃない」


「分からん!」


 親方が俺の足元を指差す。


「右を少し引け」


「こう?」


「引きすぎだ」


「注文多いな!」


「振れ」


 もう一度。


 ぶんっ。


 さっきよりはマシ。


 ……な気がする。


 でも。


「……」


「なんや?」


「ひどい」


「二回言うな!」


 親方が剣を取り上げた。


「次」


「まだやるん?」


 今度は斧を渡された。


「重っ!」


「振れ」


「さっきより危ないやろ、これ!」


「振れ」


「ほんま容赦ないな!」


 斧を構える。


 薪割りなら、昔どこかでやったことがある。


 たぶん。


 前の記憶は相変わらずところどころ曖昧だ。


 でも、木に振り下ろすのと、人や魔物に向けて使うのはどう考えても違う。


「……こうか?」


「振れ」


「それしか言わんな!」


 振る。


 ぶんっ!


「うおっ!」


 今度は身体ごと持っていかれた。


 慌てて踏ん張る。


 親方の眉間に、また深い皺が寄る。


「……ひどい」


「もうええわ!」


 斧を返す。


 親方が俺を見る。


 さっきまでの呆れたような顔とは少し違う。


 今度は――。


 本気で不思議そうだった。


「お前、本当に何もやったことがないんだな」


「せやから何回言わせんねん」


「……おかしい」


「何が?」


「お前くらいの歳まで、武器をまともに握ったことがない奴は珍しい」


「そうなん?」


「ああ」


 親方が斧を壁際へ戻す。


「魔物もいる。街の外に出れば危険もある。冒険者でなくても、護身くらいは覚える」


「へぇ……」


 また一つ。


 この世界の普通を知った。


 俺にとっては、人を斬ったことがないなんて当たり前だ。


 剣なんて触ったことがなくて当然。


 でも。


 この世界では、それが普通じゃない。


 自分の中の普通と、この世界の普通。


 同じようで。


 やっぱり、少しずつ違う。


「お前……」


「ん?」


「学者か?」


「なんでそうなんねん」


「なら、どこぞの貴族か」


「もっと分からんわ」


 その時だった。


「こんにちはー!」


 聞き慣れた声が響いた。


「来たな」


「アキラー!」


 メルが作業場へ顔を出す。


 俺を見つけると、ぱっと表情が明るくなった。


 耳もぴんっと立っている。


 今日も依頼を終わらせて、そのまま来たらしい。


「今日もちゃんと働いて――」


 メルの視線が俺の横にある剣と斧へ移った。


「……何してるの?」


「修行」


「なんで!?」


「俺が聞きたいわ」


 親方がぼそりと言った。


「こいつが貴族かもしれんって話をしてた」


「えっ!?」


 メルの耳がさらにぴんっと立った。


「アキラって、お貴族様なの!?」


 目まできらきらしている。


 ……こいつ。


 絶対信じとるな。


 俺の中で、悪い心が顔を出した。


「……せやねん。実はな」


「ええっ!?」


 メルが一歩近づく。


 尻尾まで勢いよく揺れ始めた。


「ほんとに!?」


「まあ、色々あってな」


「じゃ、じゃあ!」


 メルが何かに気づいたように口元へ手を当てた。


「記憶がないって言ってたのも……」


「ああ」


 俺は神妙な顔を作る。


「身分を隠すためや」


「やっぱり!」


 メルが目を見開く。


 耳は完全に俺へ向いている。


 あかん。


 おもろい。


「森にいたのも、何か理由があったんだね……」


「まあな」


「アキラ……大変だったんだ……」


 あ。


 メルの耳が少し下がった。


 さっきまでの好奇心ではない。


 本気で心配してる。


 ……これはあかんな。


「嘘やけどな」


「……え?」


 メルの耳が止まった。


 尻尾も止まった。


「今の全部嘘」


「……」


「貴族ちゃうで」


「……」


 数秒。


 メルが固まる。


 そして。


「アキラ!!」


「ごめんて!」


 耳が逆立った。


「信じたのに!」


「思った以上に信じるから!」


「アキラが言ったんでしょ!」


「せやけど!」


「もう!」


 ぷいっと顔を背ける。


 尻尾が左右にばしばし揺れている。


 これは怒ってるやつやな。


「悪かったって」


「知らない!」


「メルさん?」


「知らない!」


「まあまあ」


「知らない!」


 ……やりすぎた。


「まあ、記憶が曖昧なんはほんまやけどな」


「……」


 メルの尻尾が止まった。


 ゆっくり俺を見る。


 さっきまで逆立っていた耳が、少しだけ下がる。


「……それは、本当?」


「ああ。そこはほんま」


「……そっか」


 一気に怒りが消えたような顔をする。


 ほんま分かりやすいな、こいつ。


「心配せんでええよ」


「でも……」


「今んところ困ってへんし」


「……うん」


 メルが小さく頷く。


 その顔を見ていると、なんとなく申し訳なくなってくる。


 次からは、もう少し早めに嘘って言おう。


 ……たぶん。


「お前ら」


「ん?」


 親方だった。


 俺とメルを交互に見ている。


「なんや?」


「終わったか」


「何が?」


「話だ」


「まあ」


「なら続きだ」


「まだやるん!?」


「当然だ」


 親方が壁際の武器を見る。


 俺もつられて見る。


「このまま冒険者をやらせる方が怖い」


「そこまで!?」


「私もそう思う!」


 横からメルが即答した。


「お前はどっちの味方やねん!」


「だってアキラ、本当に戦ったことなかったんだね」


「最初からそう言うてるやろ!」


「でも森では魔物倒してたから……」


「あれは必死やっただけや!」


 メルが俺と壁際の武器を見比べる。


 少し考えてから――。


「……じゃあ、私も見てていい?」


「なんで?」


「アキラが何使うのか気になる!」


 耳がまたぴんっと立っている。


 さっきまで怒ってたのはどこ行った。


「好きにしろ」


 親方が答えた。


「やった!」


「親方が決めるんかい」


「お前は次だ」


「まだなんかあるん?」


「ああ」


 親方が武器の並んだ壁へ歩いていく。


 その背中を見ながら、俺は小さく息を吐いた。


 掃除をして。


 炭を運んで。


 材料を用意して。


 それで終わるはずだった。


 なのに。


 なぜか今、俺は武器の使い方を教わっている。


 ちらりとメルを見る。


 楽しそうだ。


 親方を見る。


 相変わらず無愛想だ。


 でも。


 昨日までより、ほんの少しだけ。


 この場所にいることが普通になってきた気がした。


「アキラ」


「ん?」


「明日もやるぞ」


「まだやるん?」


「お前に何が使えるのか分からん」


「俺にも分からん」


「だから試す」


「……はいはい」


「返事は一回」


「はい!」


 横でメルが吹き出した。


「ふふっ」


「笑うな!」


 親方はそんな俺たちを無視して、次の武器へ手を伸ばしていた。


 ――この時の俺はまだ知らなかった。


 剣でもない。


 斧でもない。


 俺の手に、一番馴染むものが何なのかを。

今回、主人公・アキラのイメージイラストを作ってみました!


ようやく主人公の見た目もお披露目です。


「だいたいこんな感じなんだな」くらいのイメージで楽しんでもらえたら嬉しいです。


挿絵(By みてみん)


※AI生成画像を使用しています。

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