足りないなら、補えばいい
翌朝。
「……ここやな」
昨日来たばかりの鍛冶屋の前で、俺は立ち止まった。
奥の作業場からは、もう金属を叩く音が聞こえている。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
「朝から元気やなぁ……」
俺は小さく呟いて、半開きになっていた扉を開けた。
「おはようございます」
「……来たか」
奥から返ってきたのは、昨日と変わらない低い声だった。
親方はすでに炉の前に立っている。
昨日と同じ分厚い革の前掛け。
昨日と同じ無愛想な顔。
「遅刻はしてへんよな?」
「してない」
「なら、まず道具を覚えろ」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
「はい」
めんどくさいおっさんやな。
親方は俺を作業場の奥へ連れていくと、壁や棚に置かれている道具を順番に指差していった。
「火箸」
「はい」
「金床」
「はい」
「槌」
「はい」
「こっちは触るな」
「なんで?」
「焼き入れに使う」
「なるほど」
「これは砥石」
「それは分かる」
前の世界にもあった。
形は少し違うが、使い方も大体同じだろう。
親方の説明は短い。
本当に必要なことしか言わない。
「分からなければ聞け」
「おう」
「勝手に触るな」
「はい」
「重い物は一人で持つな」
「昨日も聞いた」
「なら守れ」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
「はい」
やっぱりめんどくさい。
「まず掃除だ」
親方が作業場の隅に立てかけてあった箒を指差した。
「掃けばええん?」
「ああ」
「全部?」
「仕事の邪魔になるところだけでいい」
「なるほど」
それだけ言うと、親方はさっさと炉へ戻っていった。
カンッ。
カンッ。
再び金属を叩く音が響き始める。
「さて……」
俺は箒を手に取って、作業場を見回した。
昨日も思ったが、散らかっている。
床には煤や細かい鉄くず。
壁には大量の道具。
作業台にも、何に使うのか分からない物がいくつも置かれている。
普通に考えれば、全部片付けた方が綺麗になる。
でも――。
「……これ、動かしたら怒られるやつやな」
なんとなく分かる。
親方の周りにある道具は、一見適当に置かれているように見える。
でも、よく見ると違う。
右手を伸ばせば槌。
少し後ろに火箸。
作業台の端には砥石。
どれも親方がほとんど動かずに手を伸ばせる場所にある。
散らかっているんじゃない。
使う場所に置いてある。
「なら……」
俺は親方の動線から少し離れた場所から掃き始めた。
大きな鉄くず。
炭の欠片。
床に落ちていた細い金具。
邪魔になりそうな物だけを拾っていく。
逆に、作業台の上には触らない。
壁際に積まれている材料も、そのまま。
親方が使っていた火箸を置いた場所にも手を出さない。
全部を綺麗にする必要はない。
必要なところだけでいい。
――適当に。
「……ん?」
一瞬。
頭の中で、何かがすっと整理された気がした。
ここは掃く。
ここは触らない。
これは拾う。
これはそのまま。
理由を考えるより先に、なんとなく分かる。
「……便利やな、これ」
《適当》。
森ではよく分からないまま使っていたが、こういう時にも使えるらしい。
しばらく掃除を続けていると、親方の声が飛んできた。
「炭」
「ん?」
「そこの袋を持ってこい」
「これ?」
「ああ」
壁際に積まれた袋を持ち上げようとして――。
「……重っ」
思ったより重い。
「無理なら半分にしろ」
「いや、持てんことは――」
持ち上げかけて、やめた。
持てる。
でも、これを抱えて炉まで歩くのはしんどい。
下手したら途中で落とす。
「……半分でええか」
近くにあった小さな籠へ炭を移す。
これくらいなら普通に持てる。
炉まで運び、親方の邪魔にならない場所へ置いた。
「ここでええ?」
「……ああ」
親方が一瞬だけ俺を見た。
「なんや?」
「いや」
それだけ言って、また作業へ戻る。
なんやねん。
それからも似たようなことが続いた。
「水」
「これ?」
「ああ」
「どこ置く?」
「そこだ」
「これ邪魔ちゃう?」
「……なら右に置け」
「はい」
少しして。
「火箸」
「これやろ」
「……ああ」
さらに少しして。
「次、何いる?」
「まだいい」
「そうなん?」
「ああ」
なら掃除を続ける。
親方の仕事を横目で見ながら、邪魔にならないところを掃く。
使い終わった物があれば片付ける。
ただし、どこに戻すか分からない物には触らない。
親方が材料を取りに行こうとしたら、その場所を見る。
次からは俺が持ってくる。
そんなことを繰り返しているうちに――。
「アキラ」
「ん?」
「その細い棒を三本」
「これ?」
「それだ」
「はいよ」
「その横のも一本」
「これやろ?」
「……そうだ」
だんだん分かってきた。
親方が何を使うのか。
どの道具をよく使うのか。
どこに何があるのか。
もちろん鍛冶のことなんて分からない。
今叩いている鉄が何になるのかも知らない。
でも。
親方が次に何をしようとしているのかくらいなら、少しずつ分かる。
前の世界でも、こういうことはよくあった。
忙しい時ほど、自分の仕事だけを見ていたら回らない。
誰かが何かを探していたら渡す。
手が塞がっていたら代わりに持つ。
次に必要になりそうな物が分かれば、先に用意しておく。
別に難しいことじゃない。
周りを見ていればいい。
ただ――。
「……前より分かりやすいな」
小さく呟く。
次に何が必要なのか。
どこに置けば邪魔にならないのか。
どれくらい用意すればいいのか。
それが以前より、はっきり分かる気がする。
これも《適当》なのかもしれない。
俺が親方の仕事を少しずつ理解するたびに、何が適切なのかも分かりやすくなっていく。
だったら。
使えるものは使えばいい。
◇
「……おい」
「ん?」
「もういい」
「何が?」
「今日の仕事だ」
「え?」
気づけば、炉の火が弱められていた。
親方が腕を組んで、作業台の上を見ている。
「終わったん?」
「ああ」
「早ない?」
「早い」
「ええことやん」
「……」
なんで睨むねん。
「俺なんかした?」
「した」
「なんやねん」
「仕事が止まらなかった」
「……?」
親方が作業台の上に並べられた道具を見る。
「いつもなら途中で材料を取りに行く」
「うん」
「道具を取りに動く」
「うん」
「炭を足す」
「うん」
「今日は全部、お前がやった」
「それが俺の仕事ちゃうん?」
「そうだ」
「ほんならええやん」
「……」
親方が黙った。
俺、なんか変なこと言ったか?
「まあ、早く終わったならよかったやん」
「……そうだな」
親方が作業場を見回す。
俺もつられて見る。
朝よりは随分綺麗になった。
といっても、何もなくなったわけじゃない。
道具は出ている。
材料も積まれている。
炉の周りには煤も残っている。
でも、歩く場所に物は落ちていない。
必要な道具は使う場所にある。
いらない物だけが片付いている。
「……こんなもんやろ」
「勝手に場所を変えた物は?」
「ないで」
「なぜだ」
「なんでって……」
俺は作業台を見る。
「使いやすいように置いてるんやろ?」
「……」
「せっかく使いやすい場所にあるのに、綺麗にするためだけに動かしたら意味ないやん」
親方が俺を見る。
「なんや?」
「いや」
またそれか。
その時だった。
「こんにちはー!」
聞き慣れた声が外から聞こえた。
「あ?」
振り返る。
「アキラー!」
メルが作業場へ顔を覗かせた。
「お前、何してんの?」
「依頼終わったから来た!」
「もう?」
「うん!」
メルが得意そうに胸を張る。
「今日は街の中で荷物を届ける依頼だったから、早く終わったの!」
「へぇ。お疲れさん」
「えへへ」
尻尾が嬉しそうに揺れる。
……褒められ待ちやったんか。
「それで、アキラがちゃんと仕事してるか見に――」
そこまで言ったところで、メルが止まった。
「……え?」
「なんや?」
メルが作業場を見回す。
右。
左。
もう一度、右。
「……ここ、昨日こんなに片付いてた?」
「失礼やぞ」
「だ、だって!」
メルが慌てて親方を見る。
「ご、ごめんなさい!」
「別にいい」
親方は気にした様子もなく答えた。
メルはもう一度、作業場を見回す。
「アキラがやったの?」
「掃除はな」
「すごい!」
「いや、掃除しただけやぞ?」
「でも全然違うよ!」
「そうか?」
俺にはよく分からない。
いらない物を片付けて、必要な物を残しただけだ。
「アキラ!」
「なんや」
「ちゃんと仕事できたんだね!」
「お前、俺をなんやと思ってんねん」
「えへへ」
「誤魔化すな」
メルが楽しそうに笑う。
その横で、親方がぼそりと言った。
「掃除だけじゃない」
「え?」
メルが親方を見る。
「こいつのおかげで、今日の仕事は予定より早く終わった」
「ほんと!?」
「大げさやって。俺は言われたことやってただけや」
「……言われる前にもやってただろ」
「細かいこと気にすんなや」
「アキラ、すごい!」
「だから大げさやって!」
メルの尻尾がぶんぶんと揺れている。
なんでこいつがそんなに嬉しそうなんだ。
「じゃあ明日も来るんだよね?」
「依頼受けたんやから来るやろ」
「私も依頼終わったらまた来る!」
「別に来んでええぞ」
「来る!」
「聞けや!」
親方はそんな俺たちをしばらく黙って見ていた。
そして作業場の奥へ戻りながら、一言だけ言った。
「アキラ」
「ん?」
「明日も同じ時間だ」
「分かっとるわ」
「遅刻するな」
「せんわ!」
返事はなかった。
代わりに、奥から道具を片付ける音が聞こえてくる。
「アキラ」
「今度はなんや」
「明日も頑張ってね!」
「はいはい」
「返事は一回!」
「親方みたいなこと言うな!」
「えへへ」
メルが楽しそうに笑った。
こうして。
冒険者としての最初の仕事は、思っていたよりずっと普通に終わった。
魔物と戦ったわけでもない。
危険な目に遭ったわけでもない。
ただ掃除して。
物を運んで。
必要な物を、必要な時に用意しただけ。
それだけだった。
――ただ。
俺はまだ知らなかった。
そのせいで、親方の予定が少しずつ狂い始めていたことを。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回で第10話となりました。
まさかアキラの冒険者としての初仕事が、鍛冶屋の掃除になるとは……
まだまだ物語は始まったばかりですが、これからもアキラたちを見守っていただけたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いします!




