Log.8 飛行教導官、ミーリャ・ゼリョーノワ
Il-2の設計では、重い装甲板を備えた機体を浮かせるために翼面積が非常に広くなっており、これが大口径砲の発射に耐えるための安定性をもたらしてくれる。また大馬力のエンジンは多少空力バランスが乱れても機体を支える推力を確保できる。
「ゼリョーノワ少尉、あと何センチまでなら外側にぶら下げられるかね?」
「同志シュレーリン大佐、まさかこれを両翼に装備するおつもりですか」
無線の向こうで、技術者らしからぬがっしりとした体躯の大男が長髪を揺すって高笑いしている様子が目に浮かぶようだ。
試験機では反動対策として片側の1門のみ装備とし、反対側にはロケット弾の搭載を前提としたカウンターウェイトを装着している。
「参謀本部が導き出した航空作戦において主力となるのはロケット弾だ。だがもちろんそれは空軍全機にロケット弾だけを積んで撃てばいいという意味ではない。主力部隊が真価を発揮するための支援兵装として、わたしのところでは、砲弾ならではの命中精度を重視したいと考えている」
2発も試射すればすぐに感覚はつかめた。
現在配備されている対地ロケット弾であるRS-82は、威力は申し分ないものの弾道のブレが大きく、危害半径に確実に目標を捉えるためにはそれなりに接近して発射する必要がある。
いかに装甲を備えたIl-2といえども、地面の上にしっかり踏ん張って撃てる対空砲の砲弾はさすがに防ぎきれない。ミーリャは幸いにして撃たれることはなかったが、国境での戦闘ではノルドトゥーレ軍が配備している四十ミリ対空機関砲による迎撃で、ソ連空軍の戦闘機はかなりの損失機を出していた。運動性の低いIl-2ではさらに多くの損害が予想される。
有効射程の長い五十七ミリ砲で遠距離から砲台を黙らせれば、あとはじっくり料理できるというわけだ。
昔からソ連軍は現場での工夫が多いことで知られている。
とはいえ、そういうありあわせのツギハギ機材を設計として最初から取り入れようというのはシュレーリン大佐ならではの奇抜なアイデアと言えるだろう。
あるいは、ドイツで開発されたという非対称型偵察機の噂を聞いていたのかもしれない。
「そもそも航空機というものは完全な左右対称に作ってはまともに飛ばないのだよ。エンジンの回転方向によって必ずどちらかにトルクが偏る。それならば、左右で多少形状が違おうが、適切な設計と操縦で安定はじゅうぶんに保てるのだ」
「理屈はそうですが、これは……っ、厄介です」
射撃のたびに反動で一瞬機体が押し戻され、無線越しの声が途切れる。
「しかし少尉、君はまだ飛び続けていられるではないかね? これまで試験を頼んだパイロットたちは皆、腕前を自負していたが、最初の1発すら撃てずに地面に戻ってきたことさえあったのだよ」
そこに若者ならではの柔軟性があると参謀本部では見立てたのだろう。
どんなに訓練した者でも、機種ごとの飛行特性に対応するための操縦の癖はなかなか意識して取り除くことができない。そのために機種転換訓練が必要になる。
教本に書かれている空戦技術をそのまま実行することよりも、極端な特性を持つ機種に対する適応能力が要求されているのだ。
ひとまずの初回空中試験を終えて着陸した後には、さすがに足元が浮ついてしまっていた。
試験仕様のIl-2には特別製の記録装置が搭載されており、ミーリャがどのような操縦操作をしたかが金属テープにきめ細やかに刻みこまれている。
操縦席の計器盤も、国境で乗っていたU-2とは単にエンジンが違うという以上にずいぶん異なる多様な計測項目が備わっていた。従来の機種とは異なる様々な飛行姿勢をとることが想定される機体には、エンジンもまたいかなる飛行状況においても確実に出力を発揮できる信頼性が要求される。
助手だろうか、若い──といってもミーリャよりはずっと年上である──技術兵が管制室から駆けてきて、試験機から金属テープを取り出しにかかる。
「ああ、一応紹介しておこう。操縦補助装置の設計をやってもらっているカラシニコフ曹長だ」
「カラシニコフ……では、この計器盤も貴官の?」
記録装置の筐体を脇に抱え、技術兵は英気あふれる青年らしい機敏な動作でミーリャに敬礼した。
「同志ゼリョーノワ少尉、ミハイル・カラシニコフ技術曹長であります。新型計器の量産指揮を拝命しております」
「彼のおかげでずいぶん試験が捗るようになった。だが少尉、やはり最後は人間の力が要るというわけだな」
カラシニコフ曹長に肩をがっしりと組み、シュレーリン大佐はいつもこうだというように豪快に笑う。高い階級を与えられながら、まったく意に介さないような振る舞いで他の技師たちにも親しみを込めて接している。
それでもどこかに隠しきれない狂気がある。名前から察せられるようにユダヤ系の科学者として、彼なりにロシアの気風に馴染もうとはしているのだろう。
† † †
ソ連に限らないが、各国の空軍や航空隊は自前の飛行学校だけでなく、民間の飛行経験者を徴兵して戦闘訓練を施し、パイロットの確保に努めていた。
軍用航空機の操縦に求められる技術は民間機とはまったく異なるものであり、その育成には長い期間と多くのコストがかかる。また、自分が飛ぶだけでなく指導にあたれる人材も限られている。
そこでミーリャに白羽の矢が立ったというわけだ。ソ連における軍事勲章の最高位とされる赤翼星命章を授与された幼き英雄として、万が一にも戦死されたら人民の士気への影響は計り知れない。ならば、後方で教官に徹してもらうのが都合がいい。
もし前線に出た者がやられても、次の者に教えて送り出せばよい。
それが人的資源の損耗を避けるという意味では効率の良いやり方である。
訓練任務を遂行するにあたり、ミーリャは野戦任官扱いで空軍中尉に昇進した。
平等を重んじるソビエト連邦とはいえ、円滑な軍務のためには明瞭な階級が必要である。技能については文句なし、知識も真綿のような吸収力で身につけている彼女をおいて他にふわさしい者はいないと先任からの太鼓判もある。
練習機として使われるU-2は前後の両方の席に操縦装置が備わり、ミーリャが後席から操縦して前席に座る訓練生に機動飛行を体験させる。遠目には後席に誰も乗っていないように見える、一種異様な光景だ。
ミーリャにとっては普通の飛び方でも、徴兵パイロットたちにとってはそれまでの飛行経験ではやろうとも思わなかったような過激な機動だ。わずか数分の飛行をこなして戻ってくるだけで、U-2の前席から降りてきた訓練生はたちまち足元をよろめかせて地面に突っ伏してしまった。
「しっかり目を開け。まずは慣れることだ。荷重を効かせている限りは椅子から放り出されることはない」
「は、……はい、理解しました、同志ゼリョーノワ教官」
「よろしい。では次、アレクサンドル・スラヴィン訓練生、搭乗せよ」
訓練生に命令を下し、ミーリャは自席の計器盤を改めて確認する。
油温、シリンダーヘッド温度、点火状態など、すべて問題なし。エンジンの状態を正確に把握することは、負荷の大きな戦闘機動で使用しても確実に回り続けるよう各部を改良することに役立っている。
銘板には、カラシニコフのイニシャル「К」が、控えめに彫り込まれていた。
彼の発明はこれだけで終わることなどもちろんないだろう。ゆくゆくは銃器の設計をやりたいと、あれから何度か試験場で会った際に聞いた。そしてここモスクワの工業基盤は、その夢を可能にするキャパシティを持っている。
Il-2に搭載する機関砲の選定については、ロングリコイル式を採用しあえて初速を落とすことで反動を大幅に軽減した四十ミリ機関砲VYa-40が扱いやすさの観点から優れていると判断され、現在の仕掛り分から変更されることになった。
二十ミリShVAKを搭載している初期型は取り急ぎそのまま配備され、補充機材から更新されていく形になる。
この大口径機関砲はもともとイギリスはヴィッカース・アームストロング社で開発されていたものであり、これをヴォルコフ・ヤルツェフのコンビによりベルト給弾化して搭載している。
教導にはクルスカヤ航空隊の飛行場が使用され、ガンカメラを搭載しての射撃訓練も併せて行なわれる。ミーリャは敵機役を務め、訓練生たちが狙い方を覚えられるように飛び方を様々に変えて模擬空戦を行なう。
実用的な機上無線も満州の高性能な真空管製造機によって大量生産が軌道に乗り、部隊配備が進んでいる。
† † †
その日の新しい訓練生は沿ヴォルガ軍管区から到着した。
珍しいところから来るものだと思いながら、飛行場の管理をしているメレキン政治委員は書類に名前を記入した。
「アデライーダ・セレブリャコーワ候補生。うむ、出身はサラトフかね?」
「はい、同志メレキン大尉。空軍総局からの募集を拝見しまして、志願しました」
「なるほど、ラスコーワ少佐の話を聞かれたのだね。まあ、戦争が始まったといっても相手はノルドトゥーレだ、二、三ヶ月もあれば片がつくさ」
今から訓練を始めても、修了する前に終わっているだろうというのはメレキンに限らずほとんどの将兵、モスクワの市民の認識だ。
高緯度ゆえの険しい雪山と寒冷な気候で、ノルドトゥーレ同君連合の国力は領土面積の割には相当小さい。わが精強なる赤軍ならば鎧袖一触にできるというのも、実際にノルドトゥーレのみを相手にするなら確かにそうであろう。
だが、アデライーダ、アーダのようなヴォルガ・ドイツ人の血筋の人間にとっては単なる杞憂を期待するには少々事情が異なってくる。
古くはエカテリーナ二世の時代、ヴォルガ川流域には当時の国策によって多くのドイツ人が移り住み、今ではソビエトロシアの一員として同化している。とはいえそのルーツが国外にある以上、国際情勢を鑑みて先手を打って国へ貢献を示しておきたいと考えるのは自然な感情であった。
一九四一年の現在、ヨーロッパにおいて最も危険な外征志向を隠さずにいるのは世界じゅうどこの国でも子供でもわかる、ドイツ第三帝国である。
政体としては立憲君主制、議会制民主主義を標榜してはいるものの、現与党の国家社会主義ドイツ労働者党は過激な愛国的政策で支持を集め、周辺諸国に比べて極めて高水準な軍事力を蓄えつつある。
ゆえにソ連を含めた各国はいかにドイツを抑え込むかということを第一に防衛戦略を立てているのだが、ここで問題になってくるのが他ならぬノルドトゥーレ同君連合の存在だ。
同国は長らく政情が不安定であり、特にソ連に対してはカレリア地方を始めとしたいくつかの領土を主張しており、国境紛争が続いてはいた。
ミーリャが所属していた警備部隊もそのために常駐していたのだが、それはそれとしてソ連の実力ならばきっぱり断れるという判断が妥当だ。
問題は、ドイツおよびノルドトゥーレの両国間にはそれぞれの地域にルーツを持つ民族が多く住んでおり、彼らが支持する政党もそれぞれの議会に少なくない議席を持っているということだ。
これは場合によっては、それぞれの与党が連立を組み、政策を実行する、すなわち同盟を組むことがあり得るのではないかという可能性を示している。
ノルドトゥーレだけでなくドイツまでもがソ連に向かってくるならば、それは恐るべき未来予想図となる。




