Log.6 北欧革命とナショナリズム
各国の行動には必ず理由があり、それは過去の歴史という経験に由来する。
ツングースカへの巨大天体落下から三年半が経った一九一二年二月、ロシア帝国において大規模な革命運動が起きた。
直接的な理由は食料の不足である。
天から星が降ってきたという破滅的な出来事から、このまま世界は滅びてしまうのではないかという危機感や先の見えない不安が人々の間に広まっていた。
全世界で活発化した火山活動は全世界的な寒冷化を引き起こし、ただでさえ厳しいロシアの冬に輪をかけて人々の食料備蓄を直撃した。これに対する有効な政策を打ち出せていなかったロマノフ朝に対する不満がついに限界を迎えたのだ。
当時の首都であったペトログラード(後にレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)の市民は「パンをよこせ」と叫んでデモを行ない、日ごとに過激さを増していくうちに略奪や暴動に発展するに至って、ニコライ2世はついに軍を動員しての鎮圧を命じた。
これに多くの将兵たちが反対してデモ勢力側についたことでまたたく間に市内全域に戦闘が拡大、最終的に首都機能の停止に追い込まれる。
この頃、後にソ連最高指導者の座につくことになるウラジーミル・レーニンは多数の党員や資金源を失うなど第二インターナショナル内で孤立しており、その動向については現在でも明らかになっていない点が多い。
ただ少なくとも、二月革命を起こした市民や彼らが支持するメンシェヴィキの主張する政策ではこれからの時代を切り抜けられないと考えていたことは確実である。
特にロシアと正面から殴りあえる戦力を失っていた日本にとっては混乱が飛び火してくることは避けなければならなかった。遅くともこの頃までには明石機関を通じて日本の明治維新──日本における旧幕臣に相当する、帝政ロシア時代の実務官僚の登用による早期の国内安定化──がモデルケースとして研究の俎上に載せられていたと考えられる。
一方のヨシフ・ジュガシヴィリは流刑地に送られるまさに途上でツングースカの地上激突による衝撃波に巻き込まれ、命からがら脱出してきたところだった。
スターリンと姓を変えて追跡を逃れつつ、二人はスイス首都ベルンで合流する。
かつてトビリシで気象台に勤めていた経験のあるスターリンは、流刑時代に日本から伝わった高層気象の理論と各地から集まったボリシェヴィキの知人を通じて得た観測結果から、地球規模の冷害はあと数年程度で収束に向かい、農産も回復すると見立てていた。
また出身国であるグルジアを含め、本質的には多民族を抱える連合国家である新生ロシアを維持するにはボトムアップ型の国家組織が必要であるとの結論から、伝統的なミールの概念を拡張したソビエトを農民や労働者たちが結成しその合議によって運営していくことによって、巨大なロシアの国土を目一杯に使って革命のゆりかごとして機能させることが構想された。
ロシアへの帰国を試みる二人だったが、暴走する革命勢力はついにニコライ二世とその家族の処刑という暴挙に出てしまう。
日本においてはかつて日露戦争を戦った関係ながらも、戦後はそれなりに交流が改善していたことから、怒れる国民によって皇帝が殺害されたという事実は衝撃をもって受け止められた。明治天皇もまた深い哀悼の意を表明し、日本国内に対しては改めて官民の団結による復興を願う。
そして同年七月三十日、ツングースカ惨禍からちょうど四年と一ヶ月の日、後を追うように明治天皇崩御。
ロシアの国際的孤立を懸念したレーニン率いるボリシェヴィキはついに蜂起を決意し、十月革命によって政権を奪取。スターリンはレーニンの足元を支える実務のトップとしてロシア各地を飛び回り、周到に計画されていた新政府樹立によってソビエト社会主義共和国連邦の建国を宣言した。
ソビエト連邦をロシア帝国の後継国家として認めるかどうかについては、殊に各国の事務レベルを中心に、閣僚による冷徹な利害計算と取引が水面下で行なわれていたと現在では判明している。
皇后アレクサンドラを介してドイツ皇室、イギリス王室と血縁関係にあったロマノフ家に対する行為が外交問題に発展することはレーニンにとっては避けなければならならず、二月革命を主導してロシア臨時政府を擁していたメンシェヴィキおよび皇帝一家殺害の実行者らを「革命の精神を汚した」として厳しく批判した。
この背景には当然、当時の列強諸国の意向が存在しており、特に日本とフランスはロシア帝国時代から続く日露協約と露仏同盟を、表向きは自然消滅という形にしつつも非公式な協力関係を維持するという密約を結んだ。
国内の混乱を逃れた白系ロシア人や、同時期に崩壊した清朝の流れをくむ中華系民族による満州国建国を事実上黙認することで、ソ連は国内の急速な近代化を進め、日本およびヨーロッパ諸国はこれらの新興国家から利益を誘導する枠組みを確立していくことになる。
共産主義という新たな思想と、伝統を尊重しつつも因われない平等主義の価値観を持って成立したソビエト連邦という新興の軍事大国の出現は、北欧諸国にとっては史上最も警戒しなければならない出来事であった。
スウェーデンとノルウェーは一九〇五年に結んでいたカールスタード協定を解消して結び付きを強め、それはかつての汎スカンジナビア主義思想に基づくノルドトゥーレ同君連合の結成につながっていった。
当初こそソ連は革命を自国内にとどめておく姿勢を見せてはいたものの、その機運が連合構成国であるフィンランドに及ぶに至って、北欧が長年維持してきた中立協商体制はついに限界を迎えることとなった。
それぞれ赤衛軍と白衛軍を組織して国を二分する対立と闘争を繰り広げたフィンランドは、やがて赤衛軍が優勢となってソ連陣営に参加する。
帝政ドイツとの緩衝地帯を設ける目論見から、ソ連はフィンランドがドイツの矢面に立つことと引き換えに、バルト三国を領有しての独立を認めた。
しかしながら、シベリア復興と国内の安定を最優先としていたモスクワと、内海に面していたが故に比較的被害の少なかったヘルシンキとの温度差はやがて両国の間に致命的な疑心暗鬼をもたらすことにつながる。
シベリア鉄道の復旧のために融資を維持したいソ連がフランスと密約を結ぶに至って、それは強迫観念的な独自行動をフィンランドに決意させる動機となった。
一九一四年七月二十四日、現在のリトアニアに含まれるドイツ帝国東プロイセン・メーメルラントの国境でフィンランド軍とドイツ帝国軍の偶発的衝突が発生。
既に前月二十八日に発生したサラエボ事件の影響から各国は外交交渉の裏で動員計画を準備しており、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国に最後通牒を通告したことで最も緊張が高まっていた。
そのタイミングでの事件発生によって、各国はなし崩し的に動員を実行、戦線は連鎖に連鎖を重ね、雪崩を打つように一気に拡大してしまった。
結果として、フィンランドはドイツとともにベルサイユ条約下で厳しい軍備制限を受けることになった。欧州列強の強い干渉を受け、揺り戻しともいうべき強権的な取り締まりによって共産党をいち早く非合法化し、ドイツやイタリアのファシスト政権がその手本にしたとされている。
屈辱的な講和条約を呑まされ、ナショナリズムの嵐が吹き荒れる国内は混迷を極めていた。それはさながら、北欧におけるバルカン半島のような扱いだった。
† † †
ツングースカ惨禍という未曾有の天変地異に対する、各国それぞれの生存をかけた思惑。ソ連、満州、北欧、そしてアメリカ。どの国にもその国ごとの理由があって政策を立て、軍事力を整備していた。
単純に悪の帝国が世界征服を企んで叩き潰されたとかいう図式ではない。
「やっぱり現地の人の声ってやつは、学校の教科書には書ききれないくらいの説得力があるもんだね」
オフ会二日目、私たちは立川の映画館に行って人気怪獣映画の最新作を観た。
まあ当然ながら日本での封切りが世界最速なので、アイリスやレオン、ダーニャのように日本語がわかる人間はローカライズを待たずに楽しめる。
「クレアさんから教えてもらったバックナンバー、みんなは読んでみた?」
ちなみに私は今日もメモ帳持参だ。
同志東條閣下、恥ずかしながら弟子入りします。
もともとの連載記事をみんなに教えてくれたのはレオンだが、その調査の対象国であったソ連の流れをくむ現在のロシアで生まれたダーニャにとっては、どういった印象を与えてくるものだろうか。
「確かによく調べてるとは思うぜ。やっぱりどうしても、これだけ国が広いとどうしても自分の出身地の周辺だけしか見たことないって連中は特にソ連時代は多かったはずだからな。世界のどっかで大きな事件があってもそれはテレビやラジオの向こうの遠い世界の出来事だから、自分たちは今まで通り畑を耕して家畜を育てて暮らしていける、っていう考えが根強かったんだ」
「それも、聞いたことある……高校になると、専門的な勉強をするために、他の州から転校してくる人たちもいるんだけど、地元に残って、大人になっても州から出ない人もいっぱいいるんだ」
「そういやアイリス、中西部とかだと一生海を見たことない人もいたとか聞いたけどあれってホントなの?」
映画館ロビーのイートインスペースで、私たちはポップコーンの残りを食べながら話している。チケットを買って入れ代わり立ち代わりしてる観客たちを後目に、予告編を繰り返し流しているプロジェクションスクリーンを観てるだけでも結構面白くはあるよね。
「うん、だから末期は水泳訓練が大変だったんだって。戦艦に乗ってた水兵さんでも泳げない人がいたから。日本では、どこの学校にもプールがあるよね」
「プールっていやあ、スク水もアレ、元々は軍人用だったんだな。CFのおかげで普通のファンフォーラムにもいろんな情報持ち寄る連中が出てきたから、海軍のおえらいさんたちがそのアレ着て水練大会やってる写真とか貼られた時は、日本の萌えアニメで覚えてた連中の阿鼻叫喚がすごかったぜ」
「だはは、その様子はすげえはっきり想像できるな。アニメといや、実はソ連時代の小学校制服って女子はメイド服なんだよ、今では儀礼用だけになったけど、姉貴はちょうどその最後の世代だから写真も残ってるぞ」
「ダーシャさんがか、それは見てみたいような恐ろしいような」
私たちにとってはまさに典型的なロシアの肝っ玉お姉さんって感じだけど、まあそんな人でも幼い頃はあったわけだしね。
同様に、ダーニャのおばあちゃん、ソ連空軍のパイロットだったミーリャさんにとっても幼い頃はあったはずだ。他ならぬダーニャが持っていたアルバムに写っていたように、今の私たちよりずっと幼い頃から、戦闘機に乗って戦っていた。




