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Log.5 人類史の特異点

 ソ連と日本は第二次世界大戦の後に満州国内の共産主義勢力に対する処置を巡って対立し、それから二十世紀末に至るまで冷戦を戦った。しかしそれまでは民間レベルでの交流もあり、それなりに落ち着いた関係を保っていた時期もあった。


 日露戦争以前からロシア国内に燻っていた革命の火種は、ツングースカの惨禍によってさらに勢いを増した。

 旗艦三笠を失い他の多くの艦も損傷、陸軍兵力を国内復興に充てざるを得なくなった日本軍は戦力を対ロシアに振り向ける余裕がなくなり、かねてより行なわれていた明石元二郎大佐による浸透工作に比重を移した。また単なる扇動だけでなく、人道支援名目での利権確保も並行して行なわれるようになっていった。


 これらの日露、日ソ関係の歴史は冷戦時代には厳しく情報統制されていたが、ゴルバチョフ書記長による改革の一環であるグラスノスチによって公開が進み、日本においても緊張緩和(デタント)の流れから一般にも知られるようになった。


 クレアさんのお父さんも、お祖父さんから聞かされていた話をもとに、そういったタイミングで調査を始めたってわけだ。


「俺の世代だともうそういうのも過去のことになってたからな。たまに頭の硬い教師がいたり、近所の偏屈なオッサンがなんか言ってる、みたいな感じだった」


「なるほどなあ、そこへいくとドイツはたとえ学術目的であっても触れたらダメみたいな感覚はまだ残ってるな、CFだとドイツ艦やドイツ航空機は国籍マークが差し替えられてるのがいちばんわかりやすい」


 私たちだとさらに世代が後になるから、どっちかというともう歴史の中の出来事って印象がどうしても強い。


「お母さんが学生だった頃は、教会でお話がよくあったって聞いたよ。日本軍が来るからって、西部の山奥に逃げていった人もいたって」


 アイリスはあんまり詳しくなさそうだけど、それでもゲームの人気が出るにしたがって興味を持って祖父母世代に聞いてみた、みたいなパターンは日本もアメリカも同じみたいだ。


 編集部に電話をしていたクレアさんが戻ってきて、秋田に行くためにスケジュールを空けられそうだということになった。あとは取材許可が下りれば現地で合流ということで、大仙市の駅前での待ち合わせの手はずを整える。

 思いもかけず私たちの国際色豊かなグループに出会えたことは、これはいわゆる記者冥利に尽きる、ってところだろうか。




     † † †




 実家へ行くときのスケジュールを打ち合わせて家に帰り、CFを軽くソロでプレーするついでにゲーム内の北極海に行ってみた。

 現実ではツングースカの衝突による海岸線の後退と温暖化による海氷減少の影響を受けてもなお夏の数カ月間のみ通行が可能な程度だが、ゲームではいくつもの氷山を避けながらではあるが常に探索できる。もちろん天使の艦隊の本拠地に近いために出現する敵のレベルは高く、生半可な艦ではすぐにやられてしまう。

 私の大和ならばソロでもベーリング海峡から北海まで移動するくらいはじゅうぶんに可能だ。イベントボス撃破報酬の特殊装備もいくつか持っているし、副砲の旋回速度強化や対潜迫撃砲の追加搭載などゲームならではの改造も施してある。


 次々と湧いてくる敵を撃破するのについ夢中になっていたのに気づき、最も北の拠点であるポリャールヌイへ滑り込んでリスポーン地点を更新。

 ゲームクライアントを終了させ、PCをシャットダウンして椅子の上で大きく伸びをする。


 もらってきたクレアさんの名刺をまじまじと見直して、社名の下に手書きで付け加えられた電子版バックナンバーのURLをスマホに打ち込んで開いてみる。


 かつて志を持って真実を突き止めようとしていた人たちがいた。

 現代の私たちからすればなんてことない先祖の過去かもしれなくても、当時を生きそして語り継いできた人たちからすればまた違った見方がある。

 ダーニャも普段はあんなに飄々としているけど、ときどき遠くを見るような目をすることがある。


 ミーリャおばあちゃん、ダーニャにとっては一度も会ったこともない、遠い国で亡くなった、エフゲニーおじさんの話で聞いただけの人。CFをプレーしていて知り合ったのが私でなかったら、今頃もまだお祖母さんの行方を知らないままだった。


 そう考えると、私という存在が今から何十年も昔の世界大戦の真実につながる、まあ真実そのものではないにしてもそれをたぐり寄せる紐の切れっ端程度には意味のある存在なんだなあと、なんだか気が遠くなるような感覚が浮き上がってくる。




     † † †




 一九四一年四月、ソビエト連邦レニングラード州カレリア地方。


 レニングラード軍管区が担当するこの北方国境地帯にて、その日、ミーリャことミーリツァ・ヴァシーリエヴナ・ゼリョーノワは当時のソビエト連邦空軍における最年少パイロットとして警備任務についていた。


 本人としては、シベリアの田舎で当たり前のように飛んでいたら、中央からお呼びがかかったという程度の認識だった。

 民間航空の普及著しいソ連とはいえ、軍用機を飛ばせるほどの操縦技能を持つ者の育成にはそれなりの手間がかかる。ならば既に技能を持っている者を探し出して連れてくればよいとなるのは、合理性を追求する赤軍としては当然の流れだった。


 ソビエト連邦は共産党の下部組織として青年同盟(コムソモール)少年団(ピオネール)を設立して幼少期からの英才教育に取り組んでいたため、ミーリャのような若年者の選抜と登用もスムーズに進んだ。

 現代でなら少年兵として国際的な批判の目が向けられるものだが、こればかりはそういう時代、そういう国だったと言うしかない。そして時に、子供というものは大人にはない柔軟性と、その裏返しの恐るべき特異な才能を発揮することがある。


 軍に限らず、何かを操作するという分野で人を指導した経験のある者なら誰もが実感しているはずだ。それまでまったく触れていなかったにもかかわらず、最初からいきなり異常な技術を繰り出す者がいる。射撃、運転、操縦、そういった技術がまるで学習と訓練(ソフトウェア)によらずに脳の回路(ハードウェア)として、生まれつき備わっていたかのように。


 ミーリャも、彼女自身はただ親の手伝いから発展してシベリアで飛行機を飛ばしていただけのつもりが、軍の飛行教官ですら驚愕するほどの技術を持っていることが見出され、それが異例の実地派遣につながった。


 かねてより国境付近での軍事演習を活発化させるなど穏やかでない動きのあったノルドトゥーレ同君連合が、大規模な越境作戦の兆候を見せた。

 これを察知したソ連はただちにレニングラード軍管区より部隊を派遣、フィンランド国境に近いカレリア地峡にて領土侵犯を確認、交戦に発展。


 ソ連軍全体としては、毅然とした対応でもって国境を危なげなく守りきったという程度の扱いになるはずだった──従来の認識ならば。


 軍管区司令部からモスクワの党本部に送られた叙勲者名簿一覧に、見覚えのある名前を見つけてしまった国防人民委員部人事局課長イリヤ・ロゴージンは、苦い記憶とともにこれからクレムリン内で交わされるであろう議論を想像してため息をつく。

 この名簿をそのまま送れば、わかりやすい英雄を求めている党の幹部たちが彼女の存在を利用しようと思い立つことは明らかである。


 しかし、ロゴージンは知っている。

 ピオネールから異例の抜擢を受けて国境に赴き功績を挙げたのは、齢わずか十一の少女であった。

 旧式のポリカールポフU-2を使用して、ノルドトゥーレ軍のブルースターB-239やメッサーシュミットBf109戦闘機に対して低速性能を活かした空戦を挑み、1機を固定機銃で撃墜。さらに少なくとも2機を失速に追い込み墜落させたというのは、ベテランパイロットですら難しいであろう類稀な戦果である。


 これだけならまだ、偶然が奇跡を呼び寄せたと言い訳も立つ。

 だが彼女の名を聞けば、教育任務に携わっている将官ならば皆、あの子か、とすぐに合点がいくだろう。


 ミーリャ・ゼリョーノワ赤色空軍少尉。

 はるか極東のシベリアの大地は、かくもこのような異才を育みうるものなのか。


 カデットの修学旅行──この言葉も本来は行軍演習の目的で使われていたものである──でモスクワ市内を巡っていた生徒たちの一団を率いていたミーリャは、ほんの些細な言い合いだったのだろうが、年相応の抗弁をした後輩生徒をあわや処刑しかけたということがあった。

 いかに赤軍といえども、年齢を考慮した評価というものは当然に存在する。

 しかしミーリャは教官に対し、軍の教義では、落伍した者の身柄が敵対勢力の手に落ちることは避けるべきであるとされていることを根拠に判断したと述べた。


 当時、同志人民の若者に対する党の教育はどうなっているのかと物議を醸したことをよく覚えている。

 最終的にはラヴレンチー・ベリヤ内務大臣の裁可により不問という形で落ち着きはしたものの、過激な思想の持ち主が軍の一士官でとどまらず、党内部にまで入り込んできたなら……と、ロゴージンは戦慄したものだ。

 それに、あの件に関してのNKVD諮問官兼航空総局次官だったマリーナ・ラスコーワ少佐の言葉が、カデットの教官たちを震え上がらせた逸話はむしろミーリャ以上に知られている。


「同志ロゴージン課長、貴官は大自然の厳しさをご存じないようですね。ゼリョーノワ候補生が私と同じ状況にあれば、また私がゼリョーノワ候補生の立場ならば、同じようにしたでしょう」


 当時は民間のコンサルタントとしてではあったが、ソ連の国家プロジェクトとしてモスクワからコムソモリスク・ナ・アムーレへの無着陸飛行記録に挑んだ伝説の女性飛行士。この折、悪天候による遭難でシベリアのタイガに取り残され、十日間にわたるサバイバルを経て生還したという壮絶な経験を持つ。

 後にソ連空軍の編成官任務に携わる中で、この極東シベリアで生まれ育った少女を拾い上げたのは他ならぬラスコーワである。


 モスクワの快適なオフィスでの事務仕事をしている、理論ばかりの都会の運動家たちには想像もできない世界が、軍務の現場にはあるのだ。


 客観的に見れば、今回の国境紛争におけるミーリャ・ゼリョーノワ少尉の戦功には疑問の余地はない。

 敵戦闘機部隊を見事に撹乱し、夏季の悪路を移動しなければならない地上の歩兵部隊への空襲を軽減したのだ。カレリア地峡を含む夏のスカンジナビア半島の平野は広大な湿地帯が出現し、無数の底なし沼が行軍を阻む。ノルドトゥーレもそれを見越して散兵戦術を実施してきた。

 これに対しミーリャを含むソ連側の航空戦力による近接支援が絶大な効果を発揮したことは、既に参謀本部で戦技評価が行なわれている。


 なればこそ、過去の学生時代の些事で序列を乱してはならない。


「黒鉄、か……なるほど、ラスコーワ少佐が推すのもうなずける話だ」


 チョールナヤ・スターリ。

 ソ連のナショナルカラーである赤を避けたのは、党首脳部のせめてもの理性か。

 ミーリャ・ゼリョーノワという少女が果たしてこのソビエト連邦を救う女神となるのか、あるいは破滅を呼ぶ妖魔であるのか。





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