Log.2 ロング・ジャーニー
日本海軍横須賀鎮守府の港湾施設から丘を挟んだ反対側に位置している海軍記念公園には、戦艦信濃の他に金剛、空母瑞鶴、潜水艦伊58が展示されている。
歴戦の幸運艦として名高い瑞鶴の飛行甲板には戦時中から冷戦期までにかけての様々な航空機が並べられ、やや離れたところに係留されている金剛のマストに翻る旭日旗は、二十一世紀の現代でも日本海軍の最古参艦として書類上は現役に留まっていることを示している。
特に海外から来る観光客にとっては、羽田から最も近い記念艦ということもあり人気が高い。前にダーニャと来たときには、外から写真撮っただけですぐに秋葉原に遊びに行っちゃったっけ。
「信濃……、そ、そういえばさ、ルナ、ルナは大和使ってるけど、信濃と駿河は確か少し性能バランス違ったよね」
アイリスが気圧されるのも無理はない。数字上の大きさだけなら、全長三百三十三メートルで排水量十万トンを超える蒼龍型原子力空母は、間違いなく世界中のどの軍艦よりも大きい。
しかし空母は甲板が平らで、艦の固有武装も少ないから、見た目の迫力はやはり戦艦と空母では段違いだ。
いくら在米日本軍基地で現代空母を見慣れているといってもやはり実物の戦艦は違うと、ネットでよくある海外の反応まとめサイトでもアメリカ人観光客が語っている理由がよくわかる。
「ああ、そうだね。信濃からは装甲の厚さや配置とかが最適化されたし、艦内設備も改良されたよ」
「ゲームだと防御力が少し下がる代わりに索敵距離が伸びてたな」
レオンが言う。扱いやすさという点では信濃を選ぶプレイヤーもCFでは多い。
とはいえ、実際の運用では大和と武蔵の装甲が過剰気味だったのは事実だ。
厚みを若干減らして、浮いた重量で防水区画を増やしたりしてる。あとは主砲塔が軽量化されたので射撃指揮装置も改善された。
ガイドが案内するツアーもあるが、私たちには不要なので自由見学の料金を払い、タラップを渡る。
艦上に乗り移るとすぐそばに2番主砲塔と1番副砲塔があり、一段高くなっている高角砲甲板には冷戦期の再就役時に設置されたミサイル発射機が鎮座している。ミサイルの弾体はレプリカで、高角砲はミサイル戦艦への改装時に全て撤去されているので現在見ることができるのは復元された原寸大模型だが、副砲は舷側のものも含めて建造時からそのまま残されている。
これも口径こそ主砲に比べれば小さい十五・五センチだが、よく考えてみれば現代の神盾管制機構(経空脅威に対する防衛を主目的とした統合戦術データ・リンク)搭載艦が多く採用している百二十七ミリ速射砲に比べればずっと大きく、さらに砲塔は三連装だ。
ゲームでは小型艦艇や航空機相手の素早い照準が可能な装備だが、これがあの速度で動くのかと思うと、あらためて恐ろしさが実感できる。
大和型の姉妹艦4隻のうち、先に就役していた大和と武蔵は退却したアメリカ艦隊の航路を追いかける形で南米マゼラン海峡回りで大西洋に進出し、ペルーやアルゼンチン、ブラジルなどの現地政府軍への火力支援を行なった。
前線への配備がレイテ沖海戦より後になった信濃と駿河は、訓練も兼ねて様々な後方任務をこなしていた。
駿河がアフリカのドイツ残存勢力掃討のために喜望峰回りで進撃する一方、信濃はヤルタ会談のためにスエズ運河を通過して地中海へ進出した。
そのために当初は最も前線から遠ざかっていたといわれる信濃だが、日本からヤルタまで東條首相を送り届けるという、ある意味では最も重要な任務を帯びていた艦でもあるのだ。
結果として第二次世界大戦の全期間を通じて、最も遅い就役でありながら最も長い距離を航海した戦艦となった。会談終了後は千島とアリューシャンに沿って北米大陸へ向かいアラスカと西海岸を砲撃、それから南米を回って日英連合艦隊に合流。一九四五年八月二十九日にはアッパー・ニューヨーク湾へ入港、翌月二日に行なわれた降伏文書調印式に臨んだ。
と、いうようなことが艦内の「軍艦信濃のあゆみ」には書いてあった。
単純に計算しても地球を二周はしたことになるのか。英語の紹介文では「シナノ・ロング・ジャーニー」となっている。アイリスはじっと読み入っていた。
「あれ、この写真ってヤルタ会談の時のか?」
信濃の航海履歴をノートにメモしていると、後ろでレオンが声を上げた。
ダーニャも振り返って、間違いねえスターリンだ、と写真を指差す。
「じゃあこれがチャーチルか、そんでこっちが東條と」
順番に写真の中の肖像を指してから、レオンはこっちを見てニヤニヤと笑みを浮かべた。
「どしたの?」
「いやなに、歴史の教科書で読んだんだけどよ、東條首相ってメモ魔で有名だったんだろ? ルナさっきからずっとメモ取って回ってるから、思い出しちまってな」
「何言ってんのよ、これは夏休みの探究の宿題がね……ああ、そっちじゃ馴染みがないかもしんないけど、日本は長期休み中でも調べ物をして提出するっていう課題があるのよ。大学の論文の予行演習みたいなもん」
「それは知ってるが、まあ、な。しかし大変だな日本の学生も、高校のうちからそんなことしなきゃなんねえとは」
確か向こうって宿題禁止の法律があるんだっけ? まったく羨ましい限り。
私たちが騒いでいるのに気づいたアイリスがぽてぽてと歩いてきて、写真を覗き込んで首を傾げた。
「どうして、ソ連の書記長が一緒にいるの?」
「ん?」
「ソビエトと、日本って、ずっと対立してたんでしょ」
ダーニャは一瞬不思議そうにしていたが、すぐに理解して肩をすくめてみせた。
「そりゃ冷戦時代の話だ、俺達がCFで使ってる艦が活躍してた頃より何年も後になってからだよ。それまでは、ソ連も連合国の一員だったんだ」
確かにこのあたりの推移がわかりづらいのはある意味当然とも言えるだろう。
二度の世界大戦は、それぞれの陣営がどういう理由で集まったか、各国がどういう思惑でその陣営に参加したかっていうのが単純なイデオロギーや民族感情では割り切れないほど、複雑な政治的駆け引きで構成されている。
小学校の社会科の教科書だと、それこそ出版社によっては数行で済まされてしまう場合もある。日本、イギリス、ソ連、フランスの連合国と、ドイツ、アメリカ、イタリアの枢軸国が戦った、という程度に。
実際には他にも多くの国がそれぞれの陣営に参加しているし、大戦の途中で陣営を移った国もある。
「そういえばアメリカの教科書ではどういうふうに書いてるの?」
「ええっと」
私が尋ねると、アイリスは唇をすぼめて思い出すように視線を上に向けた。
「まずは……、南米に武力侵攻して、国際社会での孤立を招いたって」
「んー、まあそれも間違ってはいないな」
「ドイツの学校ではどうなの?」
うちの国かあ、と呟きながらレオンは鼻を鳴らした。
「民族的なアレを抜きにしても、あの頃いちばん警戒されてたのって共産主義の台頭だったんだ。アメリカやイタリアとの同盟もそれが理由だ。経済がしっかりしてなきゃ明日どころか今日食うものにも困るって状況で、アメリカの南米進出もそもそもはそれが理由だろ」
「そうだな、まず国内第一ってのは初期のソ連でも同じだった。日露戦争からロシア革命で色々混乱してたし、ツングースカの件もあったしな」
ダーニャもレオンに同意する。
「あ、そこまで遡るんだ……外にあった東郷提督の像、日露戦争ってあの人が活躍してた頃だよね、CF長官の」
「おっと、その呼び名はちょっと正確じゃないよ」
私が言葉を挟むと、アイリスはえっそうだっけ、と目をくりくりさせた。
「CF、コンバインド・フリートの略だね、連合艦隊が常設部隊になったのって一九二三年からなんだけど、海軍実戦部隊のあらゆる装備を統括する目的で連合艦隊って呼ぶようになったんだよ。だから東郷提督の頃はまだCFって呼び名は使われてなかったんだ」
「ゲームだと作中の国連軍艦隊の略称でもあるから紛らわしいかもな」
私の説明にダーニャが補足する。
CFの世界では、艦を走らせやすくするっていうゲーム的な都合もあるけど地球温暖化によって海が広がったという設定になっていて、しかし北極の氷が解けないのでおかしいぞと調べに行ったら妖精艦に遭遇して戦闘が始まったっていうストーリーがチュートリアルで語られる。
もちろん現実の北極にはそんなおっかない怪物はいないから安心してほしい。
今から百年以上も前、有史以来初めて人類の生存に影響を及ぼした天体衝突事件。
CFに限らず映画や小説でも、フィクションの創作においてはツングースカは扱いやすい題材だ。
† † †
西暦一九〇八年六月三十日、現地時間午前七時二分。
この日の朝、ロシア帝国クラスノヤルスクの住民は太陽が分裂するのを見た。
より正確には、太陽の方角からやってくる流星を見た。
さらに言うならば……そいつは流星というにはあまりにも大きすぎた。
巨大だった。巨大な小惑星が、空を切り裂いて、まばゆいばかりの光を放って駆け抜けていったのだ。
南東から北西へ、はるか北方のツングースカ川が流れる盆地に向けてそいつは空中で破片を分離させながら空を切り裂いていき、やがて、山が燃え上がった。
同時刻、日本では、北西の空に不気味な光芒が立ち上がっているのが多くの人々に目撃されていた。
あの光はなんだろう? 数日前から夜空に浮かんでいた、不思議なもうひとつの天の川となにか関係があるのか?
そう思っていたのは、佐世保市の沖合で調整作業を行なっていた戦艦三笠の乗組員も同じだった。
誰もが北西に気を取られていた、その背後から突如として衝撃が襲った。
気がついたときには、全長百三十一・六七四メートル、一万五千二百トンの排水量を誇るはずの三笠がまるで折り紙で折った小舟のように浮き上がり、天地が逆さまになり、空と海面があらぬ方向を向いているのが見えた。
この日、連合艦隊旗艦三笠は巨大な津波によって再び佐世保の海に沈んだ。




