第六十九話 正式任命と父への手紙
翌朝、アルドリックが財務棟に来た。
手に書類があった。昨夜の「翌朝何かある」という予感は、今朝形になっていた。手の書類が何かは、近づく前からわかった。「その種類の書類だ」という予感があった。
「これを受け取ってほしい」
書類を差し出した。アイリーンは受け取った。
「シュヴァルツ公爵家財務顧問 任命状」と書いてあった。
(……任命状。)
読んだ。もう一度読んだ。「財務顧問」という言葉があった。正式な称号として書いてあった。アイリーンの名前があった。アルドリックの署名があった。日付があった。公印があった。書類のすべての要素が「正式」として揃っていた。
「女性の正式任命は慣習上珍しい」
アルドリックが言った。
「……はい」
「しかし私の領内では私が決める」
それだけだった。「慣習はある。しかし私が決める」——その二文だった。長い説明はなかった。「だからあなたに」という感情の言葉もなかった。「異例のことだが理由がある」という弁明もなかった。ただ「私の領内では私が決める」という、この人らしい一文だった。
アイリーンは任命状を持ったまま、少し止まった。
(……こういうことだ。)
「正式に評価されるとはこういうことだ」という確認が来た。書類が手の中にある。署名がある。称号がある。記録に残る形で、自分の名前と役職が存在している。
「あなたの仕事は正当に評価されるべきだったはずだ」——アルドリックがそう言ったのは数週間前だった。その言葉の約束が今日形になった。「不当だ」という言葉があって、「あなたが書いた仕事だ」という言葉があって、今日「任命状」が来た。点と点が線になった。
「……ありがとうございます」
声に出た。
今日の「ありがとうございます」は揺れなかった。
少し止まってから、そのことに気づいた。数週間前の「ありがとうございます」は揺れた。「不当だ」という言葉を受けたときの感謝で、八年間かかえていたものがほぐれた瞬間の声だった。だから揺れた。
今日の「ありがとうございます」は揺れなかった。それは「受け取れた」という落ち着きから来ていた。ほぐれる段階は過ぎていた。今日の自分は受け取れる、という状態にあった。
アルドリックがこちらを見ていた。顔に笑みはなかった。しかし目が穏やかだった。任命状を渡し終えた、という静かな落ち着きが、その目にあった。
「仕事は続けてもらう」
実務的な一言が来た。しかしその一言は「ここにいてほしい」の言い換えだった。昨夜の言葉を繰り返さなかった。仕事の言葉で言い直した。この人はいつも仕事の言葉で言えることは仕事の言葉で言う。
「はい」
アイリーンは答えた。静かな笑顔が少し出た。昨夜の笑みとは違う種類の笑みだった。昨夜は「おかしさと温かさの混ざった」笑みだった。今日は穏やかで落ち着いた笑みだった。
アルドリックが「そうか」と短く言って立った。それ以上の言葉はなかった。しかしその「そうか」がこちらの笑みを受け取っていた。わかった。
*
夜、部屋に戻ってから、アイリーンは父への手紙を書いた。
これまで父への手紙は、仕事の報告が中心だった。「税制改革が進んでいます」「農村調査を終えました」「王都から書状が来ました」——仕事の事実を伝える手紙だった。父は毎回丁寧な返事をくれた。アイリーンも丁寧に返した。しかし手紙の中に感情はなかった。仕事があって、進捗があって、それを報告していた。
今日は違う手紙を書いた。
机の前に座って、紙を広げた。いつもの書き出し——「拝啓、父上。シュヴァルツ公爵領での仕事は順調に進んでいます」——を書きかけて、止めた。
今日は別のことを書きたかった。仕事の話ではなく、自分自身のことを書きたかった。それが今日初めて来た気持ちだった。
「父上。私は今日、財務顧問として正式に任命されました。書類に名前があります。称号があります。これが正式に評価されるということだと、今日初めてわかりました。それとは別のことも、今日ありました。うまく書けませんが、初めて幸せだと思いました。初めてそれを手紙に書いています」
書きながら、少し不思議だった。「幸せ」という言葉が手紙に入るのは、書く前に記憶の中を探したが、見つからなかった。初めてかもしれなかった。「幸せ」という言葉を手紙に書いたことが一度もなかった気がした。父が読んだとき、どう思うかはわからなかった。しかし書くことが今日は正しかった。
書き終えた。封をした。
窓の外の辺境の夜景が、初めてここに来たときよりも温かく見えた。星が多かった。辺境の夏の夜の匂いがした。風が静かだった。
「正式に評価される」ということがわかった。「受け取れる」ということがわかった。「幸せ」という言葉を手紙に書けた。今日のことが全部、静かに今の場所に収まっていた。
侯爵家を出た日のことを、少し思い出した。何も持たずに出た。仕事の実績もあったが、名前も称号も残らなかった。それが今日、名前も称号も書類に残った。
数ヶ月後の穏やかな日常が、今日から始まる気がした。燭台の炎が揺れた。アイリーンは少しの間、封をした手紙を手の中に持っていた。それから机の上に置いた。




