第六十一話 王都からの書状
翌朝、アルドリックが財務棟に来た。手に書状を持っていた。
書状を持って来るのは珍しかった。いつもは手ぶらで来るか、こちらから書類を持って向かう。アイリーンは作業の手を止めた。
「王都から届いた」
「……はい」
「税制改革についての問い合わせだ。財務担当官からの書状で、詳細を知りたいという内容が書いてある」
アイリーンは書状を受け取った。手が少し緊張した。王家の封蝋があった。王家財務担当官の署名があった。封を開けたのはアルドリックだったが、内容を確認させるためにこちらに渡した、ということだった。
読んだ。
「シュヴァルツ公爵領において実施中の税制改革について、詳細をお伺いしたい——」という書き出しだった。農村部への調整案の内容、三年計画の全体像、数字の根拠と設計の背景——その点についていくつかの問いが並んでいた。そして最後の段落に、「可能であれば改革案の設計者と直接話す機会をいただけないか」という一文があった。
(……これは。)
声に出さなかった。書状を持つ手が止まった。
王家の財務担当官が、シュヴァルツ公爵領の税制改革を知っている。改革の詳細を知りたいと言っている。そして「設計者」という言葉を使っている。
(仕事が、ここまで届いた。)
侯爵家での八年間、アイリーンの仕事は侯爵家の内部で終わっていた。書類は提出し、承認され、実行された。仕事の結果は外から見えたかもしれないが、「誰が設計したか」を問われることはなかった。名前が求められることも、「設計者に話を聞きたい」という言葉が来ることも、一度もなかった。
仕事の結果だけが残って、作った人間は残らなかった。
それが今、王都からの書状に「設計者と話す機会を」と書いてある。
アイリーンは書状をもう一度読み直した。「設計者と話す機会を」という一文を二度確認した。誤読でないことを確かめた。確かにそう書いてあった。文字が変わることはなかった。「設計者」という言葉が、動かずにそこにあった。
「……これは」
「仕事が王都まで届いた」
アルドリックが短く確認した。「それはあなたの仕事が認められた」という意味として来た。
アイリーンはすぐに「はい」と言えなかった。少し間があった。
「……はい」
言葉が出た。頭の中でまだ事実を処理しきれていなかったが、声は出た。
「どう対応すればよいでしょうか」
問いが出た。実務として問いが出た。感情を外に置いて、「何をすべきか」という問いとして出た。感情を外に置くのはいつもの習慣だったが、今日は外に置いた感情が胸の内側で静かに動いていた。
「返答は一緒に考えよう」
アルドリックが言った。「一緒に」という言葉が来た。これまでは「どうする」と問うことが多かった。「一緒に考えよう」という言葉は初めてに近かった。
「……はい」
アルドリックが椅子を引いた。机を挟んで向かい合った。書状を間に置いた。
「問い合わせの項目を整理してから、どこまで回答するかを決める。今日の午後、時間が取れるか」
「取れます」
*
午後の作業として、二人で書状の内容を読み直した。問い合わせの項目を一つずつ確認した。農村調整案の詳細、三年計画の数字的根拠、段階的実施の理由——それぞれについて、どの範囲で回答するかを検討した。
作業としては自然だった。数字を前にすれば、アイリーンはいつも通りになれた。仕事の言葉が出た。判断が出た。「ここまでは答えられます」「この数字の背景は別途説明が必要です」という言葉が、普通に出た。
しかし「設計者と話す機会を」という一文が、作業の端にずっと引っかかっていた。
(設計者——)
それは自分のことだった。「設計者の名前を教えてほしい」という意味でもあった。王都の書類に「誰が作ったか」を記す必要がある。女性の財務専門家が、王家の書類に名前を出す。
その事実の大きさを、今は正面から見ていなかった。今は書状への回答内容の検討が先だった。考えるべきことは順番があった。感情は後でいい——それがいつもの順番だった。
「今日のところはここまでにしよう。返答の方針は決まった」
「……はい」
「名前の件は、明日改めて話す」
アルドリックが立った。「名前の件」という言葉を最後に置いて立った。
アイリーンは「はい」と答えた。「名前の件」という言葉が、頭の中に残った。
アルドリックが出ていった後、アイリーンは書状をもう一度手に取った。「設計者と直接話す機会を」という一文を、三度目に読んだ。
(……王都まで、届いた。)
侯爵家にいたとき、この言葉を想像したことはなかった。「自分の仕事が王都まで届く」という未来を、想像する余白がなかった。仕事をこなすことだけを考えていた。次の書類、次の計算、次の締め切り——それだけを見ていた。先を見る時間がなかった。
ここには先がある、と今思った。先を見ることが、ここではできる。
夕刻の光が窓から入った。書状が机の上にあった。「設計者」という文字がそこにあった。
明日、名前を書く、という問いが来る。その問いに答えることができるかどうかは、今日はまだわからなかった。ただ「考えなければならない」という事実はわかっていた。




