第四十話 リンデの観察
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。
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翌朝、廊下でリンデと行き合った。
財務棟に向かうところだった。リンデが書類を抱えて反対方向から来た。
「おはようございます」
「おはようございます。リンデさん」
リンデが少し立ち止まった。急いでいる様子ではなかった。
「……最近、公爵様がよく財務棟にいらっしゃいますよね」
アイリーンは少し止まった。
「以前は帳簿の確認は週に一度だったのですが」
「……そうですか。仕事の確認が増えているのだと思います。改革案の進捗がありますので」
「そうですね」
リンデが頷いた。それで終わりかと思ったが、少し間があった。何かを続けるような間だった。しかしリンデは言わなかった。
「失礼します」と一礼して、また歩き始めた。
アイリーンも財務棟に向かった。
(仕事の確認が増えているのは、仕事が増えているから。)
廊下を歩きながら、自分の言葉を繰り返した。改革案の第一段階が完了して、第二段階に入っている。確認すべき事項が多い。アルドリックが財務棟に来る頻度が増えているのは、それだけのことだった。
財務棟に入った。帳簿を開いた。
(……仕事の確認が増えているのは、仕事が増えているから。)
もう一度繰り返した。
なぜ繰り返しているのか、と気づいた。「仕事のためだ」と確認している。確認する必要がある何かがあるから確認している。その「何か」が何かを、考えようとしてやめた。
「仕事をしている限り問題ない」と自分に言い聞かせた。
帳簿の数字を追い始めた。今日は季節変動の比較表の最終確認があった。春と秋のデータを並べて、年間パターンを可視化する。それを午前中に仕上げて、午後にアルドリックへ報告する。
仕事があった。それが今日の確かなことだった。
「前は週に一度だった」というリンデの言葉が少し引っかかった。「週に一度」から「週に三、四度」へ。実際にそうなっていた。アルドリックが財務棟に来る回数が増えていた。それを、今まで「改革案の進行に伴う自然な変化」として受け取っていた。
それだけのことだろうか。
(それだけのことだ。)
考えをそこで止めた。帳簿に集中した。
*
午後の報告の時間になった。
アルドリックが財務棟に来た。アイリーンが季節変動の比較表を広げた。
「春と秋の比較が揃いました。三月と九月の差は一部がすでに報告した織物取引ですが、もう一部は農産物の輸送タイミングによるものです。九月末に取引が集中する傾向があります」
「輸送のタイミングか」
「秋の収穫が出揃う前後、商人が一斉に動きます。旧方式では記録日が分散していましたが、実際の取引はこの二週間に集中しています」
「今後の対応は」
「九月の第三、四週に記録の確認を強化します。申告の期限を一週間前倒しにすれば、集計の精度が上がります」
「やれ」
「はい」
短い確認が終わった。アルドリックが帳簿を閉じた。
「今日はここまでにする」
「はい。お疲れさまでした」
アルドリックが出ていった。
アイリーンは片付けをしながら、「今日はここまで」という言葉を繰り返した。いつもなら「続けてくれ」で終わる。今日は「ここまで」だった。昨日も「ここまで」だった。
(最近こういう終わり方が多い。)
そう気づいてから、また考えをやめた。
仕事が続いている。報告をした。「やれ」という承認を受けた。それが今日の仕事だった。リンデの「前は週に一度だった」という一言は、変化の指摘だった。しかし変化の理由はわかった。改革が進んでいるからだ。
それ以上ではない、と思った。
しかし思いながら、少し集中が戻らなかった。帳簿の数字を確認しながら、頭の端に今日の「ここまで」という言葉が残っていた。
名前のない感触が、今日も続いていた。
*
夜、部屋で報告書の備考欄を書き足した。
「九月の申告期限を一週間前倒しにする」という変更の根拠と手順を整理した。商人への告知が必要だった。通知文の草案も作った。普段より細かいところまで手を動かした。
(集中しないと。)
「仕事をしている限り問題ない」という自分への言い聞かせが、今夜は言葉よりも手の動きとして来ていた。作業を止めなければ、余計なことを考えなかった。
リンデの「前は週に一度だった」という一言を、もう一度思い返した。
アルドリックが財務棟に来るようになったのは、いつからか。最初の週は来なかった。二週間目から来るようになった。三週間目に三回来た。今は週に四回ほど来る。改革案の第一段階が始まる前後から、回数が増えた。
「改革が進んでいるから確認が増えた」という解釈は、正しいはずだった。数字が動くほど確認が必要になる。それは当然のことだった。
しかしリンデが「前は週に一度だった」と言ったとき、確認以上の何かを言いたそうだった。「そうですね」の後の間がそうだった。リンデが言わなかったのは、アイリーンが「仕事の確認です」と答えたからだった。
(その先を言わなかった。)
リンデが何を言おうとしていたのか、わからなかった。「変化がある」という観察だったのかもしれない。「その変化に気づいているか」という確認だったのかもしれない。
どちらにしても、今夜の仕事には関係がなかった。
通知文の草案を書き終えた。明日、アルドリックに確認を取る。承認を受けたら商人への告知を出す。段取りが整っていた。
燭台を消した。仕事は終わっていた。しかし眠れなかった。今夜の感触に名前はなかったが、それが昨夜より少しだけ近くにあった。




