第二十七話 やれ
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。
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翌朝、執務室に向かった。
アルドリックが机の前に立っていた。書類を手に持っていた。アイリーンが入ると、書類を机に置いた。
「やれ」
最初の言葉がそれだった。
承認だ、と理解した。しかしその一言だけで終わると思わなかった。何か条件があるのではないか、あるいは修正点が出るのではないか——と思っていたが、アルドリックはそれ以上何も言わなかった。
アイリーンは少しの間、黙っていた。
「……理由は聞かないんですか」
口から出た言葉が、少し驚いた。問い返すつもりではなかった。しかし出てきた。侯爵家では「なぜ」を問い返したことは一度もなかった。誰かに決定されれば、その通りに動いてきた。
アルドリックが視線を上げた。
「理由は何だ」
「承認の根拠を確認したいと思いました。提案書の内容に問題がないかどうか」
「問題があったら「やれ」とは言わない」
「……そうですね」
単純なことだった。問題があれば承認しない人物だということは、この二週間でわかっていた。「問題があったら言わない」という論理は正確だった。
「あなたが必要と判断した。それで十分だ」
短い言葉だった。
アイリーンは「あなたが必要と判断した、それで十分だ」という言葉を、一度頭の中で確認した。
(私の判断を、信頼している。)
そういうことだった。「なぜそうしたいのか」を問われず、「あなたが必要と判断したなら」という形で委任される。侯爵家でそういう言葉をかけられたことは、八年間で一度もなかった。
「ありがとうございます、でしょうか」
「ありがとうございます」と「わかりました」の間で迷いながら、どちらも含むような言い方になった。
アルドリックが少しだけ眉を動かした。感情的な変化ではなく、「奇妙な言い方だ」という確認のような動きだった。
「どちらかにしろ」
「……わかりました」
アイリーンは答えた。「わかりました」と「ありがとうございます」を両方言いたかったが、聞かれたから選んだ。
「商人との接触はリンデに手配させる。いつ頃がいい」
「来週以降であれば」
「わかった」
それで話が終わった。アルドリックが書類を手に取った。
アイリーンは礼をして出ようとしたとき、止まった。
「一つだけ聞かせてください」
「なんだ」
「提案書のどこが問題なかったと判断されましたか」
アルドリックが少しの間、アイリーンを見た。
「数字の根拠が明確だった。不確かな部分は不確かと書いてあった。実施手順が順番通りだった」
「……ありがとうございます」
今度は迷わずに言えた。
アルドリックが「行けばいい」と短く言った。
廊下に出た。
「数字の根拠が明確だった。不確かな部分は不確かと書いてあった。実施手順が順番通りだった」——三つの評価が頭の中にあった。「いい仕事だ」という最初の評価に続いて、また具体的な言葉で評価された。
(仕事の中身で、見てくれている。)
それを確認するたびに、「ここは違う」という感触が少し深くなった。怒りでも感動でもなく、静かな確認として。
財務棟へ向かった。今日から実施に入れる。
*
財務棟に戻って、実施計画の第一歩を書いた。
越境商人の取引記録方式の変更から始める。今まで「その他」の箱に入っていた越境取引を、専用の記録様式で管理するようにする。新しい様式の設計が今日の仕事だった。
どういう項目が必要か。商人の居住地、取引場所、品目、金額、取引日——この五つが基本だった。辺境特有の問題は「居住地と取引場所が国境をまたぐ場合」にある。その場合に課税根拠をどちらの地域に置くか。そこが覚書から解こうとしてきた問題だった。
複合型では、居住地と取引場所の両方を記録した上で、一定の比率で配分する。比率は取引品目によって変える。日常品は取引場所、高価な商品は居住地に重みを置く——という設計だった。
しかし設計より先に、「まず記録を取る」ことが必要だった。比率の設計は、記録が積み上がってから最適化できる。最初から完璧な設計を求める必要はない。
(順番通りに進めばいい。)
書きながら、アルドリックの「実施手順が順番通りだった」という言葉を思った。提案書に書いた順番の根拠を、彼は理解していた。「なぜその順番か」まで評価していた。
午後、リンデが来た。
「商人との接触について、来週の水曜日はいかがでしょうか」
「問題ありません」
「主要な越境商人が三名います。まず代表的な一名と話してみてはどうかと思いますが」
「そうします。どのような方ですか」
「ベルク商会の主人です。二十年以上この地域で商いをしている方で、越境取引の実態をよくご存じです。少し頑固なところはありますが、正直な方です」
「正直な方なら話しやすい」
リンデが少し口元を動かした。微笑みではないが、「そういう言い方をするのか」という反応だった。
「公爵様が信頼されている商人ですか」
「はい。代金の支払いトラブルが一度もない方です」
「わかりました。来週の水曜日、よろしくお願いします」
リンデが出ていった後、記録様式の設計を続けた。
仕事が具体的な形を持ち始めていた。最初の一週間は「把握する」段階だった。今は「動かす」段階に入ってきた。こういう変化が、仕事の中で一番好きな部分だった。方向が決まって、手が動いて、問題が解けていく感触。
窓から光が入っている。今日も日当たりがいい場所で仕事ができた。それだけで、十分だった。




