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侯爵家の「なくても困らない令嬢」が本当にいなくなったら、困った人たちがいたそうです  作者: ヲワ・おわり


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25/70

第二十五話 リンデの変化

本作は全70話で完結予定です。

本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。

面白いと思っていただけましたら、ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです。

 一週間が過ぎた。


 財務棟の整理は順調に進んでいた。帳簿が年度別に並び直され、費目の変換表が完成した。直近半年の空白は、過去のデータを使った推計作業で埋め始めていた。問題点リストの上から三つが「着手済み」になった。


 その日の午後、リンデが財務棟に来た。


 いつもの「何かご入り用ですか」ではなく、「少しよろしいでしょうか」という言い方だった。少し違う入り方だった。


「どうぞ」


 リンデが机の前に来た。アイリーンの手元に広がっている書類を見た。問題点リストと進捗表と、推計の計算用紙が並んでいた。


 しばらくリンデが書類を見ていた。全部を読んだわけではない。でも量と整理の仕方を見ていた。


「……来てから一週間で、これだけ進んでいますね」


「問題の構造が把握できていれば、あとは手を動かすだけです」


「前任者は一年いましたが、ここまで進んでいませんでした」


 アイリーンは手を止めた。前任者のことを悪く言う意図があるのではなかった。リンデの声は、比較というより確認に近かった。


「整理の方法を最初に設計したかどうかの違いだと思います。最初に全体地図を作れば、後の作業が速くなります」


「……なるほど」


 リンデが少し考えた。


「思ったよりできる方ですね」


 素直な言葉だった。最初の日の「財務顧問として来られた、ということですが」という懐疑的な言い方とは、まったく違った。「偏見があった、しかしそれを改める」という正直さが言葉ににじんでいた。


「ありがとうございます」


 アイリーンは答えた。照れもなく、気負いもなく、ただ受け取った。


「実は」とリンデが続けた。「財務棟の状態が半年間改善されないことを、私もずっと心配しておりました。公爵様も気にされていて、しかし専門家でないと手が出せないという状況で」


「そうでしたか」


「あなたが来てくれて、助かっています」


 アイリーンは少し驚いた。リンデから「助かっています」という言葉が来るとは思っていなかった。最初の「様子を見ている」という態度から、これほど変わるのに一週間もかからなかった。


「リンデ様も財務棟が気になっていたのですね」


「管理の立場から見れば、財務が機能していないのは——どうも落ち着かなくて」


「それは仕事への誠実さだと思います」


 リンデが少し黙った。「誠実さ」という言葉を受け取ったような間だった。


「そういえば」とリンデが話を変えた。「公爵様への報告はどのくらいの頻度でなさっていますか」


「一週間ごとに状況を報告しています。今週末に二回目の報告です」


「公爵様は——最近、財務棟に来られる回数が増えているようですね」


 アイリーンは帳簿から顔を上げた。「そうですか」と短く答えた。


「以前は担当者に任せきりで、ほとんどいらっしゃらなかったのですが。今週は三日来ておられます」


「確認のために来られているのだと思います」


「……そうですね」


 リンデが少し表情を動かした。何かを思っているようだったが、言葉にはしなかった。


「では、ご作業の邪魔をしました」


「いいえ。リンデ様と話せると、辺境の情報が入ってくるので助かります」


 リンデがわずかに表情を和らげた。「いつでも」と言って扉に向かった。


「リンデ様」


 アイリーンが呼び止めた。リンデが振り返った。


「越境商人との取引について、一度直接話す機会を設けてもらえますか。帳簿の数字だけでは見えないことがあるので」


「……わかりました。来週、時間を作ります」


「ありがとうございます」


 リンデが出ていった。


 扉が閉まって、財務棟が静かになった。アイリーンは書類に向かい直した。


 「思ったよりできる方ですね」という言葉が、まだ耳に残っていた。最初の日には来なかった種類の言葉だった。来てから一週間——ここでは、仕事が仕事として見えている。それが静かに確かめられていた。


   *


 夕方、アルドリックが財務棟に来た。


 アイリーンは推計の計算をしていた。扉が開いて振り返ると、アルドリックが立っていた。入り口近くで部屋の中を見て、少し間を置いた。


「状況を見に来た」


「今週の進捗を申し上げます。費目の変換表が完成しました。推計作業は六割が終わっています。今週末の報告で全体の見通しをお伝えできます」


「今日でいい」


 アルドリックが机の前まで来た。並んだ書類を見た。問題点リストの「着手済み」の印がついた項目を確認するように目で追った。


「三つが着手済みになっている」


「はい。優先度の高いものから始めています」


「この推計は」


 計算用紙を指した。


「直近半年間の空白を埋める推計です。過去五年分のデータを使った趨勢分析です。推計の根拠は全て残しています」


「趨勢分析の手法を使ったのか」


「はい。単純な平均より、季節変動を考慮した方が精度が上がりますので」


 アルドリックが計算用紙を手に取った。数分見た。アイリーンは待った。アルドリックが「数字の根拠はこれか」と一枚めくった。


「はい、そちらに元データを入れています」


「わかった」


 計算用紙を机に戻した。一歩引いて、棚を見た。


「整然としてきた」


「ありがとうございます。もう一週間あれば、基礎整備の一段階目が終わります」


 アルドリックが短く頷いた。「続けてくれ」とだけ言って出ていった。


 扉が閉まった。


(また来た。)


 リンデが「三日来ておられます」と言っていた。今日で四日目になる。財務棟に来る回数が増えている。確認のためとは思うが、その確認が毎日来るというのは——普通のことなのかどうか、アイリーンにはわからなかった。


 ただ、来るたびに何かを確認して「続けてくれ」と言って出ていく。それが、仕事への関心として感じられた。仕事への関心なら、アイリーンにはわかった。

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