第二十二話 仕事の条件
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。
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二日目の朝、財務棟に向かう前に執務室に呼ばれた。
リンデが「公爵様がお呼びです」と伝えに来た。朝食が終わって間もない時間だった。
執務室の扉を開けると、アルドリックが机の前に立っていた。手に書類を持っていた。アイリーンが入ると視線を向けた。表情はない。
「座れ」
椅子を示された。アイリーンは腰かけた。アルドリックも机の向こうに座った。書類を机の上に置いた。
「条件を伝える。財務顧問として迎え入れるにあたっての話だ」
アイリーンは一礼した。「はい」と答えた。
「立場は公爵家財務顧問。正式な役職だ。報酬は月ごとに支払う——額はこれだ」
書類を差し出した。アイリーンは受け取って確認した。数字が書いてあった。
(……正当な報酬だ。)
侯爵家での八年間を思った。役職なし、報酬なし。それが普通だと思っていたわけではなかった。ただ「ない」ことが当たり前になっていた。
今、正式な額が書面にある。数字が持つ重みが、静かに胸の中にあった。
「問題はないか」
「ありません」
「居室は今いる部屋を使え。財務棟の鍵は常時預ける。必要な書類や道具はリンデに申し出ること」
「わかりました」
「半年を目処に全体の見直し、その後の展開は状況によって判断する」
短く、的確に条件が伝えられた。余計な言葉がない。感情的な歓迎の言葉もない。
(これが、正式な仕事の形だ。)
アイリーンは静かにそう思った。条件が書面にある。立場が明確にある。始まりの形として、これ以上ないほど整っていた。八年間とは、何もかもが違っていた。
「わかりました。では明日から——いえ、今日から始めます」
「今日から始めるつもりなのか」
「昨日の確認が終わっていません。今日中に終わらせたいと思っています」
アルドリックが少しの間、アイリーンを見た。何かを確認するような間だった。
「わかった」とだけ言った。「それでいい」
「ありがとうございます」
立ち上がろうとしたとき、アルドリックが一言付け加えた。
「昨日のリストを見た」
アイリーンが止まった。
「リンデが持ってきた」
持ってきた、とはどういう意味か。リンデが見せたのか——そう思ったが、確認しなかった。代わりに「どう見られましたか」と聞いた。
「整理されている。問題の優先度付けが正確だ」
それだけだった。評価の言葉は二つだけ。しかしその二つが、アルドリックの「良い」の言い方だと理解できた。
「ありがとうございます」
「財務棟で何が必要かはわかったか」
「概ね。今日の確認が終われば、提案書の準備に入れます」
「提案書ができたら持ってこい」
「はい」
それで話が終わった。アルドリックが書類に視線を移した。アイリーンは立ち上がって礼をして、執務室を出た。
廊下に出てから少しだけ立ち止まった。
(昨日のリストを、もう見た。)
昨夜置いて帰った紙を、今朝には確認していた。公爵が帳簿を自分で確認する人物だという話をリンデから聞いていた。それが、仕事への判断として実際に表れていた。
整理されている。問題の優先度付けが正確だ。
その二つの言葉が、廊下を歩く間もまだ頭にあった。八年間、「帳簿を整えてくれている令嬢」と思われていた。「整理されている」という言葉で評価されたことは一度もなかった。
(これが、仕事の話だ。)
静かに、しかし確かにそう思いながら財務棟へ向かった。
*
財務棟に入ってすぐ、昨日の続きを始めた。
残り三割の確認作業。昨日確認できなかった棚の下段と、床の箱に詰め込まれた書類の山だった。
箱を一つ引き出した。蓋を開けると、紙が雑然と重なっていた。各年度の雑多な書類が混在していた。「その他」という分類で放り込まれていたものらしかった。
「その他」に入れた書類を解体して、正しい費目に振り分ける作業になる。時間のかかる作業だったが、これをやっておかなければ問題点リストが完成しない。
一枚一枚確認した。日付を確認し、内容を確認し、正しい費目を紙に書き留める。箱一つに、百枚近く入っていた。
半分ほど進んだとき、古い書類が出てきた。日付が七年前だった。内容は越境商人との取引記録だった。金額と品目が書いてある。しかし課税の記録がない。
(課税なし、で処理されたのか。)
あるいは記録が別の場所にある可能性もあった。後で確認が必要だった。紙の端に「要確認・課税記録」と書き添えた。
越境商人の取引記録が「その他」の箱に入っている——これが問題の構造の一部だった。越境商人を通常の商人と同じように処理しようとして、うまく分類できないから「その他」に入れてきた。それが七年分続いている。
(覚書の問題と、ここでつながった。)
頭の中で、今日の作業と覚書の内容がつながった。理論として書いていた問題が、実際の帳簿の中に形を持って存在していた。これを解く仕組みを作ることが、自分の仕事になる。
午後の光が傾いてきた頃、確認作業が終わった。
リストが五枚になっていた。最後の一行に書いた。「問題十八:越境商人の取引記録が未分類のまま——専用の処理方式の設計が必要」。
これが最も核心に近い問題だった。覚書で解こうとしてきた問題が、リストの最後に来た。
書類入れに紙を入れ、財務棟の鍵をかけた。
廊下に出ると、リンデが通りかかった。
「今日の確認が終わりました。明日から提案書の準備に入ります」
「わかりました」
リンデが頷いた。立ち去る前に一瞬止まった。
「……よく進まれましたね」
それだけ言って、また歩き出した。アイリーンはその言葉を受け取って、財務棟を後にした。




