第十七話 辺境到着
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。
面白いと思っていただけましたら、ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです。
馬車が止まったとき、邸宅の門が静かに開いた。
使用人が二人、馬車の扉の前に立っていた。アイリーンが扉を開けて降りると、一人が一礼した。
「ローウェン伯爵令嬢をお迎えいたします。長旅でございました」
「ありがとうございます」
馬車の外に立って、改めて邸宅を見上げた。
大きかった。しかし王都の侯爵家のような、正面から圧倒する大きさではなかった。横幅があって、奥行きがある。建物が連なっていた。居住区と執務区が別になっているのだろうか——構造から、用途ごとに棟が分かれていることが読み取れた。
石の色が落ち着いていた。装飾が少ない。玄関の柱は太く、実用的だった。彫刻がない。その分、石の積み方が丁寧で、補修の跡がどこにもなかった。建てた後も正しく維持されている建物だった。
(整然としている。)
第一印象はそれだった。華やかさではなく、整然さ。飾りではなく、機能。これが「実直な公爵」という評判と一致していた。
「お荷物はこちらでお預かりします」
使用人がトランクを受け取った。アイリーンは書類入れだけ手元に持った。手放したくなかった——覚書が入っていたから。
「どうぞ、こちらへ」
案内されて邸宅の中へ入った。
廊下が広かった。天井が高い。壁に燭台が等間隔で並んでいた。飾りの少ない廊下だったが、光の量は十分だった。床の石が滑らかに磨かれていた。人がよく通る場所らしかった。
侯爵家の廊下は豪奢だった。金の燭台、細工の入った壁紙、肖像画の並んだ回廊。それと比べると、ここは何もなかった。しかし「何もない」のと「整っている」のは違う。ここは後者だった。
(ここは管理されている。)
そういう場所の財務は、どういう状態になっているのか。街を通りながら考えていたことが、今度は建物の中に向いた。
廊下の先で、足音が近づいてきた。
少し速い足音だった。案内の使用人が止まった。廊下の角から人が現れた。
四十代、女性。背が高く、髪を後ろに束ねている。衣服は実用的で、しかし乱れがない。目が鋭かった。アイリーンを見た瞬間、一瞬だけ止まる様子があった——評価するような間だった。
「お待ちしておりました。家令を務めますリンデと申します」
声が落ち着いていた。丁寧だが、愛想を振りまく声ではなかった。
「ローウェン伯爵令嬢のアイリーンと申します。よろしくお願いいたします」
アイリーンは礼をした。
「お疲れでしょう。まずお部屋へご案内いたします」
「ありがとうございます。案内の前に、一つ確認させていただいてもよいでしょうか」
リンデがわずかに眉を上げた。
「明日の公爵様とのお目通りの時刻を教えていただけますか。それに合わせて準備をしたいと思います」
「午前十時でございます」
「承知しました。財務棟はどちらでしょうか。できれば今日中に場所だけ確認しておきたいのです」
リンデが少しの間、アイリーンを見た。
「……本日お着きになったばかりですが」
「旅疲れはしていません。帳簿を見ておきたいと思っています」
また間があった。リンデが何かを確認するように、アイリーンの顔を見た。「令嬢が財務棟を」という驚きがあるのかもしれなかった。しかし表情には出さなかった。
「わかりました。お部屋にご案内した後、財務棟もご案内いたします」
「ありがとうございます」
アイリーンは答えた。
廊下を歩きながら、リンデが一言言った。
「公爵様は普段、財務棟の方にはあまり直接いらっしゃらないのですが——どのようなことをお知りになりたいか、何かございますか」
「まず全体の量と状態を確認したいと思います。明日のお目通りで何を話せるかを考えるために」
「……そうですか」
リンデは短く言った。返答のない廊下の続きで、わずかに「興味」に近い何かが視線の端に見えた気がした——気のせいかもしれなかったが。
部屋に案内された。広くはないが、清潔だった。窓から外が見えた。庭があった。夕暮れの光が庭の石畳を照らしていた。
(ここで、仕事をする。)
静かにそう思った。
*
荷物が運ばれてきた後、リンデが出ていく前に一言言った。
「夕食は食堂でご用意できます。三十分後にお願いします」とアイリーンが答えると、リンデが静かに頷いた。
トランクを開けて、書類入れから覚書を取り出して机に置いた。財務棟に行く前に、今日の観察をまとめておきたかった。街の構造から見えたこと、建物の管理状態から想像できること——後で帳簿の数字と照合するための「目で見た情報」だった。
三十分後、夕食に向かった。食事は一人だった。野菜と肉の煮込みと焼いたパン。質素だったが量があり、旅の宿より良かった。
食べ終えてから、リンデを呼んだ。
「財務棟を見せていただけますか」
日がすでに暮れていたが、リンデは「燭台を持ってまいります」と言って案内してくれた。邸宅の奥、廊下を二本曲がって外廊下を渡った先に扉があった。
鍵が開いた。扉の先に、帳簿の山が燭台の光の中に浮かび上がった。
棚が四方に並んでいるが、整理されていなかった。年号が混在した帳簿が背表紙もばらばらに詰め込まれている。床には書類が無造作に積み上がっていた。
「問題が多くて、申し訳ありません」
リンデが静かに言った。
アイリーンは棚から帳簿を一冊引き抜いてページをめくった。数字の列を目で追う。費目の分類が統一されていない。同じ項目が年によって違う名前で記録されている。しかし記録はある。
(問題の構造は、見える。)
時間はかかるが、筋道は見えた。
「問題の多さは、仕事があるということです」
静かに言った。リンデが振り返った。何かが変わった目で見ていた気がした。帳簿を棚に戻し、財務棟を後にした。




