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侯爵家の「なくても困らない令嬢」が本当にいなくなったら、困った人たちがいたそうです  作者: ヲワ・おわり


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14/70

第十四話 公爵が会いたいと言っている

本作は全70話で完結予定です。

本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。

面白いと思っていただけましたら、ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです。

 出発まで一週間、と父が言った。


 その間にできることを整理した。公爵家への返事は父が出した。日程は、来月の頭に辺境へ向けて出発する、という内容だった。


「公爵家から確認の返事が来るまで数日かかる。それまでに準備をしなさい」


 父はそれだけ言って書斎に戻った。短い。いつもそうだった。しかし必要なことは言った。それが父の話し方だった。


 アイリーンは部屋に戻り、準備のための内容を頭の中で整理した。


 まず荷物だ。前回は「去る」ための荷物だった。今回は「仕事をする」ための荷物になる。違いは明確だった。必要なものが変わる——実用的な衣服、筆記用具、計算の道具。改革案の覚書は書類入れにしっかりまとめる。財務の参考書が数冊あれば持っていく。


(一年は、辺境にいることになる。)


 「少なくとも一年」と父が言った。長い、とは思わなかった。仕事があれば時間は動く。八年間も気がついたら過ぎていた。一年は、長い時間でも短い時間でもない。仕事がどう展開するかによる。


 三日目の夜、父の書斎に呼ばれた。


「公爵家から返事が届いた」


 机の上に新しい手紙があった。封が開けられていた。父がそれをアイリーンに差し出した。


 アイリーンは手紙を受け取り、読んだ。


 短い文章だった。字は整っていたが飾り気がない。「受け取った。日程で問題ない。来られることを待っている」——それだけだった。余分な言葉がない。挨拶の文言も最小限だった。


「……簡潔な方ですね」


 思わず言った。父が少し笑った気がした——気がしただけかもしれないが。


「公爵は言葉が少ない方だと聞く」


「はい」


「それが不安か」


 アイリーンは少し考えた。


「いいえ。言葉の多い方が信頼できるとは限りません」


「そうだな」


 父がそれだけ言った。


 手紙の文字を、もう一度見た。「来られることを待っている」という一文。確認でも、了承でもない言い方だった。「待っている」という言葉は、少しだけ体温があった。


(会ってから、判断しよう。)


 言葉が少ない人物がどういう人かは、会ってみなければわからない。仕事の中でどう動くかを見れば、少しずつわかってくる。今は何も判断できない。ただ行くことだけが、今できることだった。


「一つだけ聞かせてください」


「なんだ」


「公爵が私の覚書を読んで、作者に会いたいと言った——その理由は、手紙に書いてありましたか」


「書いていない」


 父が短く答えた。


「ただ、『仕事ができる人間が必要だ』とは書いてある。それだけだ」


 仕事ができる人間。


 その言葉が、アイリーンには何かを伝えていた。「華やかな令嬢が必要だ」という言葉とは違う。「仕事ができる人間」というのは、仕事の中身を見ているということだ。


(仕事で、判断してくれる。)


 まだ会っていない。確認できていない。それでも——その言葉の向こうに、「仕事で見てくれる人物かもしれない」という期待が静かにあった。


「では出発の準備をします」


 アイリーンは立ち上がった。


「明後日には出発できます。それで問題ないでしょうか」


「ちょうどいい。馬車は手配しておく」


「ありがとうございます」


 書斎を出ようとしたとき、父が声をかけた。


「アイリーン」


 振り返った。父が机の前に座ったまま、静かに言った。


「うまくいかなかったら、帰ってきていい。それを忘れるな」


 昨日も同じことを言った。同じ言葉を繰り返すのは、父らしくなかった。それだけ、この一言を確かめておきたかったのかもしれない。


「……わかっています」


 アイリーンは短く答えた。今度は戸惑わずに受け取れた。


「必ず、ちゃんと仕事をします」


「それは知っている」


 父が短く言った。「知っている」という言葉に、何も飾りがなかった。娘の仕事を、最初から疑っていないという声だった。


 アイリーンは扉を閉めた。


 廊下に出ると、少しだけ足を止めた。「知っている」という言葉が、胸の中でゆっくり広がっていった。八年間、誰もそう言ってくれなかった。父は言葉にしなかった。今、初めて言った。


 二日後の出発まで、準備を整えよう。


 そう思いながら廊下を歩いた。窓の外で、庭の白い花が夜風に揺れていた。


   *


 翌日、荷物の整理をした。


 今回は「去る」ための荷物ではなく、「仕事に向かう」ための荷物だった。その違いを感じながら、一つひとつを確認した。


 衣服は実用的なものを選んだ。辺境がどのような気候かわからなかったので、温かいものも一着入れた。筆記用具を揃えた。羽ペン、インク瓶、計算に使う小さな板。財務の参考書を三冊選んだ——辺境の税制に関する資料が一冊あったので、それも持っていく。


 覚書は書類入れにきちんとまとめた。旅の間に書き続けたものが全部で二十枚近くになっていた。整理して、問題ごとに順番を整えた。


(これを持っていく。これが、仕事の始まりになるかもしれない。)


 あるいは、公爵がすでに別の方針を決めていて、覚書はただの参考にもならないかもしれない。それはわからない。しかし持っていく価値はある。少なくとも、自分がこの問題について考え続けてきたという事実は本物だ。


 荷物をトランクに入れながら、「仕事のための荷物は多い」ということに気づいた。


 以前は「私物が少ない」と思っていた。しかしそれは「仕事を侯爵家に置いてきたから」だった。今は仕事が手元にある。覚書がある。参考書がある。筆記用具がある。それだけでトランクが半分以上埋まった。


(次の場所に、仕事を持っていける。)


 それが今回の違いだった。去るときに何も持てなかった、あの夜とは違う。


 トランクを閉めた。


 窓の外が夜になっていた。明日の最後の朝、父と朝食を食べる。それから出発だ。


 準備は整った。

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