第10話 草の露白し ─緊急会議─
もちろんその後、夕餉の残りが胃袋に入るはずもなく、アオはぐったりとしながら会議にふさわしい別の衣装に袖を通させられていた。
戌三つ時まであと半時ほど。
新しい衣服は少し飾りが多いだけで、形状は先ほどのものとなんら変わりはなかった。少し重くなった襟元を見下ろして、何と見事な金の刺繍だと思う。このつるつるとした布は絹というらしく、大陸では有名な高級生地らしい。
アオは変わらずむき出しになっている、白いまだらの目立つ手のひらを握り締めた。そして袖の中に隠した。
帯の着付けを終えたのか、ユイはアオから手を離して衣裳箱の中を探り始める。そして取り出されたのは袖の長い手袋。
「自分の肌が気に入らないなら、しばらくこれで隠していたら」
「いいんですか?」
「視界の端でもじもじされる方が鬱陶しい」
「は……はい」
アオは大人しく受け取ると、手袋に指先を差し込んだ。それから残りの布を腕の方へ伸ばす。手袋はアオには少し大きく指先が余ってしまったが、これなら嫌な部分も隠れて見えない。はめた後、しばらく手を握ったり開いたりした。
「どう?」
「……ちょっと大きいですけど、いいかんじです」
「じゃあ、新しいのを作らせるよ。靴は昼間のを履いて」
「ありがとうございます……」
そうして準備を終え、アオはユイに半ばしがみつくような格好で、太極宮まで歩いた。燈籠のゆらゆらとした灯りが、人影に見えてしまってしつこいほどに悲鳴を上げてしまったが、ユイは特に怒らず足元に注意しろと言っただけだった。
なんとかたどり着いたころには、息が上がりかけていた。
しかしそんな胸の上下も潜めてしまうほどには、仰々《ぎょうぎょう》しく太極宮の両開き扉が開く。扉の両脇には腰に剣を携えた、口元を隠す女性が一人ずつ立っていた。アオを見るなり彼女らは優雅に一礼すると、中へ入るよう促してくる。
「靴は?」
「会議場までは土足でいい」
靴のまま板間を踏みしめもう一つ扉をくぐると、内回廊に出た。天子宮は外回廊だったがその違いは、やはり安全性だろうか。
アオは障子から灯りが透けている部屋を見つけた。きっとそこが会議場。
予想通り灯りのついている部屋の前へたどり着くと、また両脇に構えた剣を持つ女性らに挨拶をして室内に入った。扉を過ぎてすぐに上がり框に直面する。
大きさや色は様々だが、意匠は統一された靴が並んでいる。ユイに倣ってアオは靴を脱いで上がった。
「来たか、アオ」
靴を脱ぎ顔を上げてすぐ、部屋の一番奥に腰掛けるミコトが微笑んで言った。談笑していた女官らも会話をやめて、アオに注目する。
「え、っと、こんばんは……」
「そう硬くなるな。妾の側に座りなさい」
どうすべきかとユイに目配せすると、彼は顎でやった。言われた通りに従えということだろうが、アオは進まない足で畳を歩く。そして慎重にミコトの側に足を折ると、片身狭く膝の上で握り拳を作る。
ミコトはアオが一息ついたのを確認すると、緩く動かしていた扇をパチンと閉じた。そして預けていた腰を立てる。
アオはミコトの方を向いて、やっと壁沿いにサキが立っていることに気が付いた。サキの対称の位置を振り返ると、ユイが後ろに手を回して立っている。アオは顔を正面に戻して、走る緊張感により拳に力を込めた。
「揃ったな。今から緊急会議を行う。サキ、本日の議題を」
「はい」
サキは壁から一歩離れると、手に持っていた紙を掲げて読み上げ始めた。
「本日の議題。一、一部女官の異動について。一、天子さまと妃嬪方の交流会。以上です」
「では、まず女官らの異動についてだな。サキの昇格に応じて尚寝局の司衛に一人分枠が空いた」
アオは分からない単語が並んで首を傾げた。先ほど部屋に襲ってきた人は尚宮局と言っていたが、どう違うのだろうか。
ユイを振り返ると、彼はため息一つついてアオの側に片膝をついた。
「尚寝局は寝床回りの準備や護衛を行う部署だよ。司衛って言うのはその中でも護衛を行う人のこと。アオには当分関係ないから別に覚えなくてもいい」
「つまりサキって人は強いってこと?」
「そういうこと」
アオは両手に握りこぶしを作って、殴るような構えを作る。ユイは妙な表情をしながらも曖昧に頷いて立ち上がった。再び静かに壁を背にする。
「司衛の枠を埋めるため、一時的に他から人員を寄こされたい。それについては尚寝局で完結できるか?」
「はい」
ミコトの問いかけに、一番入り口に近い場所に座る女官二人が頷く。
「それから最も重要なのは、アオのための人員を確保する必要があることだ。今から挙げる役職は増員を頼む」
自分のことだろうから注意して聞いておこうと思ったが、右から左へとすり抜けていってしまう。アオは途中から諦め、後でユイに聞こうと決めた。
唯一わかったのは、アオ一人のために大きな異動が行われるということだ。
そして、ミコトの咳払いで次の議題に移る。
交流会についてだ。
「交流会は最も準備に時間を要する、尚服局の都合で日時を決めようと思う。一人にかける人数が減ったわけだが、完成までにおよそどれほどかかる?」
「従来では三日でしたので、今回の変更や天子さまの採寸を踏まえると約五日になります」
女官らの中から声が上がる。尚服局という場所の偉い人のものだろう。
ミコトは女官の見積もりに頷くと、サキを呼び寄せた。そして少し会話を交わしたのちに扇を開く。
「よし。交流会は次の満月の日にしよう」
「ではミコト様、交流会の予定が決定次第お知らせいたします」
「ああ」
サキのミコトへの確認を聞き届けた女官らは畳に手をついて頭を下げ、一人ずつ静々《しずしず》と退室していった。ミコトは優雅に扇を揺らし始め、姿勢を崩す。
アオは終了のタイミングがつかめずに呆然としていた。ユイに腕を引かれて、やっと立ってもいいのだと気がついた。




