天使はマリオンを悩ませる 2
「ねえ、あなた。殿下から贈られた指輪はどうしたの?」
「へ?」
途端、ピタリと止まる拍手。そしてアンジェリーナは、今気づいたとばかりに、ゆっくりと自身の手元に視線を落とした。
「あ……落とし、ちゃった?」
「嘘でしょ……?」
仮にもこの国の王太子から贈られた品だ。爵位のないアンジェリーナが、学園を卒業した後も、婚約者という立場で王族相手に謁見できることを保証するためのものでもある。そんな貴重な指輪を失くし、舌をペロリと出して済ませようとする彼女に、マリオンは言葉を失った。
その反応に、ようやく事の重大さを知ったのか、アンジェリーナは慌てふためきながら言い訳を羅列する。
「だ、だって、あの指輪っ、私の指より少しだけ大きくて、宝石も重かったんですよぉ。とっても綺麗で素敵だったけど、スプーンより重いんですもん。だから、ほら。抜けやすくって、抜けやすくって……」
「だとしても、ありえないわ」
「ありえちゃうんですっ。嘘だと思うなら、マリオン先輩も贈ってもらってみてくださいっ」
「……っ」
この一言で、落ち着きつつあった殺意がマリオンの中で再燃し始めた。これ以上は相手にしたくない。手が出る前に、エリクのもとへアンジェリーナを連れ戻そうと、マリオンは踵を返した。
「あ、待ってくださいよぉ」
舌ったらずで甘えたな喋り方が、耳を汚されているようで不快に感じる。はっきりと媚びを売っていることがわかるのに、異性からするとそれが愛しくて堪らないのだろうか。アンジェリーナはとにかく、男受けがよかった。
(ただ異世界での記憶があるというだけで、大した情報も知識も持ち合わせていない、こんなお馬鹿ちゃんのどこが天使なのよっ。あの馬鹿王太子っ)
理解ができない。理解したくもない。苛立ちは募るばかりで、頭が火山のように噴火しそうだった。
この激しい感情を、マリオンは何とか理性で抑えつけた。それを、元凶となるアンジェリーナは知ってか知らずか、ペラペラと語り出した。
「でもでもぉ、本当によかったです。マリオン先輩ってお友達もいないじゃないですかぁ。人気があるのに、人を寄せつけないっていうか。なんというか、バリア? みたいなの体に張ってて、近寄れないっていうか。だから、エリク様に振られちゃってこの先どうなるんだろ~? 一人ぼっちになっちゃう~って心配していたんですけどぉ、きゆーに終わって安心しましたぁ。あ、今度私達とダブルデートなんて……」
「アンジェリーナ」
ピタリと、マリオンの足が止まり、アンジェリーナへと振り返った。
「ひゃ、ひゃいっ」
途端、陽気だったアンジェリーナの顔が強張った。それほど、彼女を見据えたマリオンの青い瞳は冷たかった。
「いい加減になさい。ここにいる誰もが、あなたのように浮ついているわけじゃないの。いいから、黙ってついてきなさい。ね?」
アンジェリーナの喉から、ひゅっと音が聞こえた。貴族の凄みにすっかり萎縮してしまった少女は、取り繕うようにマリオンの先を行き、
「え、えっとぉ、ダンスホールってこっちなのかな~?」
渡り廊下手前の部屋のドアノブに手をかけた。
「いえ、アンジェリーナ嬢。そちらは……」
オーウェンが制止の声をかけるも一足遅く、ガチャリと扉は開いた。
「うわっ」
「きゃあっ」
同時に、驚く男女の小さな悲鳴が聞こえた。普段は多目的室として使用される部屋だが、今はパーティー中。空き部屋のはずのこの部屋にいったい誰がいるのかと、マリオンは中を覗いた。
「あなたたち、こんなところでいったい何をしているの」
明かりもつけず、薄暗い室内のソファにいたのは、ディルと彼の恋人だった。二人とも、纏っている衣服が不自然に乱れている。慌てたディルが、密着していた恋人から離れて、衣服を直し始めた。
「の、ノックくらいしろよっ」
「まずは鍵をかけなさいよ」
至極当然の指摘と、睦み合っていたところを目撃された気まずさで、ディルは黙り込んでしまった。
「も~、ディル先輩っ。お仕事サボって遊んでいたこと、エリク様に言いつけますからね~!」
「あ、アンジェリーナっ? 頼む、それだけは勘弁してくれっ。な、オーウェンも!」
「私はエリク様のご命令に従うだけなので」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなる室内で、マリオンは頭が痛くなった。
(こんな人間ばかりが残った生徒会って、今後大丈夫なのかしら……)
もう自分には関係がないとはいえ、学園生活はまだ一年と半も残っている。伝統ある学園の行事進行に最後まで携われなくなることを、マリオンは歯痒く思った。




