侯爵令嬢マリオンの殺意 2
マリオンは激しく悔やんだ。
(どうして止められなかったのかしら……! せめて入学だけでも食い止めていれば、私が聖女として認められたかもしれないのに……)
そう、マリオンもまた、前世の記憶が蘇っていたのだ。奇しくも、アンジェリーナが迎え入れられた後で。
もちろん、エリクに打ち明けた。ちょうどアンジェリーナもそばにいたので、前世は日本という島国で生まれ、生活していたということも話した。彼女も日本人だったと言っていたからだ。二人とも、呆気にとられた様子でマリオンを見た。後にエリクは、「そうまでして私の気を引きたいのか」と、冷たくあしらった。学園の図書館には異世界に関する書物が置いてある。知識はそこで仕入れたのだと、信じてもらえなかったのだ。
今、ダンスホールではエリクとアンジェリーナが楽しそうに踊っている。彼らの周りには、ハートが乱舞しているようにマリオンには見えた。無理もない。本来であれば、庶民が王族相手に気安く接するなど到底許されるものではないが、ことこの学園内においては身分や爵位といった階級は関係なく、誰もがいち生徒として平等に振舞うよう求められる。これは数十年前に現れた聖者が作ったルールだった。
(ああ、あの二人だけじゃないか)
殺気に塗れた目で二人を追っていたが、よく見ると他の生徒達も、地に足がつかない様子で各々ダンスを楽しんでいるようだった。こんな廃れた気持ちでパーティーに参加している人間は自分くらいのものだと、マリオンはため息を吐いた。
その様子を目にした一人の少年が、忌々しそうに舌打ちをした。
「まったく。パーティーの進行で忙しいってのに、なんでマリオン嬢のお守りまでしなくちゃならないんだ。こちとら、シッターじゃねえんだぞ」
ディル・イーバー。生徒会書記。伯爵家の長男であり、マリオンのクラスメイトだ。襟足まで刈り上げた栗色の短髪が清々しい大柄な男だ。黙って立っていれば、異性から黄色い悲鳴が湧いていてもおかしくない美丈夫だが、この歯に衣着せぬ物言いのせいで普段から遠巻きにされている。
特にマリオンに対しては辛辣だ。相性の問題なのか、時間に正確なマリオンと遅刻を気にしないディルとでは、何かと衝突が多かった。加えて、生徒会の長であるエリクが彼女を切り離したことで、なおさら嫌うようになった。学園内では平等というルールがありつつも、爵位が上のマリオンに対して悪態に近い言動をとっても平然としていられるのは、王太子という後ろ盾があるからだろう。
しかし、当の彼女は気にした様子なく、むしろ同情するように、こちらを睨みつけるディルを見上げた。
(エリクの命令で、苦手な私を監視するよう言いつけられたのだものね。こちらも、いい迷惑だわ)
自分を野放しにしておけば、アンジェリーナに害をなすとでも思っているのだろう。実際、脳内で彼女を殺しているのだから、その危機感はあながち間違いではないのだが、つくづく信用がないのだといっそ怒りを通り越して笑えてくる。
もうここまできたら、とことん嫌われてやろうと、マリオンは意地悪く口角を上げてみせた。
「なら、あなたは生徒会の仕事だけに専念してちょうだい。殿下の命令といえど、この学校では対等なのでしょう? 忠犬のように聞く必要はないのではなくて?」
「なんだと……!?」
「安心して。ご覧のように、今の私はこのシャンパングラスしか手にしていないわ。ノンアルコールだから酔ってもいない。こんなか弱い女が、大それた凶行に走れるとでも?」
「そ、それは……」
無理だろう。マリオン自身もそう思うのだ。仮に手にしたグラスを床に叩きつけて、ただのガラス片にしたとしよう。そのガラス片に殺傷能力はあっても、肝心のマリオンにそれを上手く扱う術がない。よくて、アンジェリーナのマシュマロのような白い頬に、緋色の線が生えるくらいが関の山だ。
(まあ、山田響子時代の私なら、アンジェリーナどころかエリクの頬をぶん殴るくらいの膂力はあったでしょうけれどね)
と、前世の自分を思い返しながら、自身の細い腕を擦った。
山田響子。それが以前の彼女の名前だ。当時は今と違い、庶民だった。義務教育を終え、高校、大学といった学生生活を終えた後に、働きながら八年ほど一人暮らしをしていた。比較的平和な国で生活していたものの、何かと物騒な事件も多かった。後に不運な交通事故で亡くなってしまうのだが、護身術くらいは身に着けておこうと、キックボクシングという武術を習っていた。そこそこ筋肉もあり、格闘技に明るくない暴漢相手なら対処できるくらいの実力はあった。
だが今は、蝶よ花よと愛でられ育てられた侯爵令嬢だ。筋肉どころか脂肪すら薄い。カーテシーは上手くできても、構えは上手く取れない体になっていた。
「で? どうされるの?」
「……っ」
マリオンがアーモンド型の目元を細めると、ディルは口籠った。そこへ、
「そうディルを苛めないでいただきたい。マリオン嬢」
と、マリオンの背後から制止の声がかけられた。
ウィンター=リーン。生徒会副会長。侯爵家の次男で、ディル同様マリオンのクラスメイトだ。マリオンに負けず劣らずの長い茶色の髪を靡かせながら、こちらへ近づいた。
「エリク殿下は我が学園の生徒会長です。学園内において私達の関係は対等と言えど、実際は上司と部下のようなもの。会長命令であれば、我々は逆らうことができませんよ。婚約破棄をされた上に、生徒会からも任を外されたあなたとは違ってね」
切れ長の目元は艶やかだが、同時に冷ややかだった。ウィンターの皮肉めいた言葉に、今度はマリオンが押し黙った。
生徒会会長補佐。それが先ほどまで生徒会に属していたマリオンの肩書きだった。高等部一年の時に、エリクが生徒会に入ったため、それを支えようと親切心で入会し、特別に宛がわれた役職だった。今となっては、その気持ちさえも余計な世話だったというわけだが。
これ以上は噛みつくものでもないかと、マリオンは改めて二人を見た。なぜなら、彼らは魔法を使うことができる人間だからだ。




