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侯爵令嬢マリオンの殺意 1


【××七九年 十月十日 午後六時十分 クィード学園 一階 ダンスホール】



 この日、マリオンは初めて人に対して殺意を覚えた。


(あ~……死ね。死ね。死ね。死ね。死ねっ。あいつらまとめて死んでしまえっ)


 脳内で何度、呪詛の言葉を唱えたことか。同時に口に出して言わないだけ、まだ淑女としての面子は保たれているなと、冷静に見直している自分がいた。


 今より十分ほど前の午後六時を過ぎた頃だ。マリオンが在籍する寄宿学校・クィード学園、その創立記念パーティーが開催されるや否や、彼女は全生徒の面前で婚約破棄をされた。


 相手はこのマルヒルド王国の王太子、エリク。同い年の彼は誰もが聞こえるよう、声高らかに宣言した。そして、一つ下の後輩の少女、アンジェリーナと新たに婚約をし直すことも。


 仮にも次期王妃として、長年妃教育を受けてきた侯爵家の自分に対して、それはあまりに一方的だった。まるで頭を金槌で撃たれたかのような衝撃に、マリオンが何も言えなくなる中、エリクがアンジェリーナへ婚約を意味する指輪を贈った。彼女の瞳の色と同じ、大きなアメジストが嵌め込まれた豪奢な指輪だった。


 その指輪を左手の薬指に通されたアンジェリーナが、零れんばかりの瞳を輝かして言った。


『ふわぁ……素敵です、エリク様ぁ。最高のプロポーズですぅ』


 甘ったるい猫撫で声と、不必要なほど長い語尾は、彼女の全身をめった刺しにしたくなるほど不快だった。対して、新たな婚約者の肩をこれ以上なく愛しそうに抱くエリクの横顔は、さらに腹立たしかった。


 その後は用済みだと言わんばかりに、マリオンはダンスホールの角へと追いやられてしまった。唖然として佇んでいたら、好奇の目に晒されたため、彼女はこの日のために手配された吹奏楽団の舞台の袖で、身を隠すように一人過ごしていた。


 そうして時間が経つにつれ、段々と状況が呑み込めていき、今に至るというわけだ。アンジェリーナは五回、エリクに至っては十回も刺し殺している。しかし、所詮は妄想だ。どんなに頭の中で二人を血祭りにあげても、マリオンの気が晴れることはなかった。


(毎日毎日、甲斐甲斐しく世話をしてきたというのに……なぜ、このような仕打ちを受けなければならないの?)


 エリクは完璧な男だ。文武両道、眉目秀麗。何でもそつなくこなすエリクに、周囲の人間は憧れている。マリオンもかつて、その一人だった。しかし実態は、身の周りのことに無頓着で、朝が弱くネクタイも上手く結べないほど不器用な男。その上、忘れ物も多い。婚約者になるまで知らなかったことだ。


 だからマリオンは、先々代国王が創設した、このクィード学園に入学してからというもの、ともに入学したエリクが起床する二時間も前に起床し、自身の支度を整えてから彼の部屋まで迎えに行って、身の周りの世話をしていた。寮生活といえど、仮にも王太子だ。使用人は当然ついているが、完璧主義のマリオンは自身の目で確かめずにはいられない。エリクの髪型のセットからその日に必要な教科書の用意まですべて、彼女手ずから行う。当然、今夜のパーティーに向けての身支度にもぬかりはなかった。


(手袋だって、忘れたら恥をかくから、予備まで用意して差し上げたのに……!)


 目元に熱いものが込み上げる。どれだけエリクに尽力していたか、まるで伝わっていなかったからだ。マリオンは涼しい手元で、伝い落ちる涙を拭った。


(ずっとずっと、耐えてきたのに。でも、立派な妃になって彼を支えようって、その想いだけで、厳しい妃教育も頑張ってきたのに……ふざけるなっ)


 その努力の甲斐があって、マリオンは王室の誰もが認めるほどの淑女に成長した。容姿も申し分ないどころか、国では珍しい漆黒の長い髪と海のような青色の瞳が美しい女性になった。婚約の相手が王太子でなければ、今頃結婚の申し込みが殺到したことだろう。


 しかし、エリクはマリオンに対して常に冷たく、無関心だった。周囲が決めた婚約とはいえ、公務以外で彼女と関わりを持つことはなく、またクィード学園に入学してからもそれは変わらなかった。


 どんなに苦労をしても、どんなに努力を積み重ねても、婚約者の心を射止めることができなければ意味がないということを、マリオンは知ったのだ。


(でも、よりによって……!)


 持っているグラスのステムをへし折りそうなほど、手に力が籠った。次期国王となるエリクの選んだ相手が、爵位もなければ姓もない庶民だからだ。


 マリオンはエリクの隣で誇らしげに微笑んでいた少女、アンジェリーナを思い返した。後輩の彼女は、マリオンとは対照的な愛らしい容姿をしており、緩やかに靡く長い銀髪が、まるで天使のようだと周囲から密かに人気がある。だが、マリオンにしてみれば、それだけだ。


(成績は下位も下位、特に秀でた才能もなく、言葉遣いもエチケットも覚える気がないのかというくらいなっていない。その上、極度の方向音痴で毎回授業にも生徒会にも遅刻するし……ああ、腹が立つ!)


 褒める部分がほんの欠片ほどもない少女。そんなアンジェリーナと婚約を結びたがるエリクの最たる理由が、彼女の持つ前世の記憶だった。


 昔から、この国ではたびたび前世の記憶を持つ人間が現れた。それも、この世界での記憶ではなく、異世界での記憶をだ。国民は彼らを聖者及び聖女として讃えた。彼らの持つ知識が、いまだ紙を主として使うこの国の文明の発達に大きく貢献するからだ。


 一年前に記憶が蘇ったというアンジェリーナの存在は、あっという間に国中に知れ渡った。話を聞きつけたエリクは自ら城下へ赴き、彼女を学園へ招いたのだ。



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