悪女の容疑 3
「う、うえええっ。げえっ」
耐え切れなくなったのか、ウィンターが近くにある屑入れに向かって嘔吐した。暖炉が使われ、熱気が籠っているせいもあるのだろう。
その様子を目にしたエリクが、「おい……」と彼を窘めるも、胃の痙攣は止まらない。
「大丈夫ですかぁ?」と、心配した素振りのアンジェリーナがウィンターの丸くなった背中を擦るのを目にして、
「無理もないですわ。換気をしましょう」
と、マリオンが死体の向こう側、エリクの業務机後ろにある、ただ一つの窓を開けに行く。
(エミリアが飛び降りたとされる、窓……)
死体発見前と同じであれば全開にはできない、問題の窓だ。タイプは引き違い窓。それでも、換気と熱気を逃がすくらいは役に立つ。
念のため、細工がされていないか、開ける前に周囲を確認する。特に怪しいところはなく、窓には鍵がかかっていた。侵入された形跡もない。やはり密室だったのかと、マリオンが鍵を開け、ストッパーがかかるところまで窓を開けた。
ふと、外に視線をやると、何かが光ったように見えた。何だ? と、目を凝らして見ると、
(あれは、トロフィー? どうして、あんなところに?)
歴代の首席者へ贈られるトロフィーが崖際に落ちていた。見間違うはずがない。あれは、現首席のエリクに贈られたもので、鎧と並んでこの部屋に飾られていたものだ。
マリオンはこのことを皆に言おうと振り返った。刹那、彼女の口から小さな悲鳴が上がった。
「マリオン先輩?」
椅子から下りたオーウェンが、すぐさまマリオンに駆け寄った。
「ご、ごめんなさい。でも、あれ……」
ある一点を見つめたマリオンが、死体の背中に向かって指をさした。続けてオーウェンも顔を向けると、そこには真っ赤な文字で「裏切り者の罪」と書かれていた。
「裏切り者の、罪?」
オーウェンが声に出して読み上げると、さっと青ざめたディルがエリクを見つめた。そして……
「こ、これって……エミリア先輩の……」
「ディル!」
そこまで言って、口元を拭うウィンターが怒鳴った。あまりの大声に、マリオンですら肩を震わせた。
当のディルはというと、エリクに向かって腰を九十度に折って、深く頭を下げていた。
「も、申し訳ございません! エリク様! 申し訳ございません!」
こんなディルを見たことがない。エリクが王太子といえど、今にも土下座をしそうなほど、平身低頭に謝罪しならなければならない理由が、マリオンにはわからなかった。声まで上擦り、怯えているのは明らかだ。
マリオンはエリクに視線をやった。彼は謝るディルに対して何も言わない。だが、これ以上なく冷徹な目で、彼を見下ろしていた。
(まさかこの三人……エミリア先輩の死と、何か関係あるんじゃ……?)
明確に変化した三人の様子を尻目に、文字に使われた赤い液体を見つめ、
「これ、血かしら?」
「いえ、絵の具でしょう。麻縄とともに、元から隣の部屋にありましたから」
独り言のような疑問を口にすると、オーウェンが返した。マリオンは思い出した。余った資材の中に、赤い絵の具があったことを。
まるで血文字のようなそれは、荒々しい字体と相まって、一層不気味に見えた。
「と、とにかく教師を……いや、警吏を呼びましょう。我々にはこれ以上、どうすることもできません」
冷静になったのか、ウィンターがこれからすべき行動を口にした。エミリアの一件で、警吏に頼りないイメージはあるが、生徒会といえどこれは学生の手に負えるものではない。至極適切な意見だろう。
それを即座に、
「駄目だ」
と、却下する者がいた。
「殿下……?」
エリクだ。まだ機嫌が直らないのかと思いきや、ディルに見せていた怒りの様子はそこにはない。ではなぜ、ウィンターの発言に反対するのかと、マリオン達は注目した。彼は言った。
「以前からギルは、薬物に依存していた。このまま外部の者を呼べば、遺体はくまなく調べられるだろう。とすれば、彼は……彼の身内は、バードン家はどうなると思う? 爵位を継がない次男とはいえ、よからぬ風聞が立てられてしまうことは必須。私自身、仲間の彼が好奇の目に晒されるのは本意ではない」
「え、エリク様ぁ……」
言い終えたエリクに、アンジェリーナが感動したといわんばかりに目を潤ませた。そんな二人を交互に見るマリオンの顔は、引き攣っていた。
(白々しいっ。どうせ、今夜のパーティーの責任を問われることを避けたいだけでしょうにっ)
創立記念パーティーの主催者はエリクだ。どういう理由であれ、死者を出してしまった事実は、監督不行き届きとして、その責任を追及されてしまうだろう。そうなれば、王太子としての地位も、危うくなる可能性がある。とどのつまり、エリクは自分が可愛いだけなのだ。
マリオンは口を出さずにはいられなかった。
「では、どうなさるのですか? まさか、王太子ともあろうお人が現場を隠ぺい……」
「探すのだ。この中から……犯人をな」
「え?」
意外な発言に、マリオンの体が固まった。てっきり隠ぺい作業を指示するものだと思っていただけに、呆気に取られてしまった。
それも、この中からという。極めて限定的な発言に、アンジェリーナが驚く様を見せた。
「犯人って、この中にいるんですかぁ?」
「なるほど。わかったぜ!」
今度はディルが、自身の手のひらにポン、と拳を乗せた。
「この部屋の合鍵はここにあった。窓も割られた様子はねえし、中は密室だったわけだ。つーことは、本鍵を持っている奴が犯人ってことだ!」
「本鍵というと……」
皆の視線が、ウィンターに集まった。
「えっ? ウィンター先輩が犯人なんですかぁ!?」
「ちちちっ、違いますよ!」
ウィンターは慌ててアンジェリーナ、ひいてはその場にいる全員に向かって否定した。
「私はずっと今夜のパーティーの進行で忙しく、ダンスホールから一歩たりとも出ていません! それは今夜お呼びした楽団の方々が証明してくださります! おい……ディル!」
「わ、悪いっ。お前が持っていたこと、忘れてたぜ」
「まったく……! 今後はよく考えてからものを言え!」
「本当に悪かったって……」
殺人の嫌疑がかけられたことで、酷く憤慨した様子のウィンターを、悪びれた様子のディルは宥めにかかった。
「だが、この中にいることは間違いあるまい。ウィンターの持つ本鍵も、合鍵も、取り扱うことができる人物は、今や肩書のある生徒会役員のみだ。また、合鍵を作ることも容易ではない。教師でさえもな」
エリクの発言に、マリオンは自然と頷いた。
(確かに。この学園の創設には先々代の国王が関わっている。構造物は古くとも、セキュリティは他の追随を許さないほど万全。ウォード錠によく似た本鍵はもちろん、合鍵にも仕掛けがあって、町の鍵屋では同じものが作れないほど複雑になっている。そしてそれを、王族のみが可能にしている)
つまり、鍵の量産はエリクを通さなければ作れないということだ。
「では、間違いなく、この部屋の鍵は本鍵と合鍵の二本のみ、ということですか」
「そうだ。もっとも、私が把握している限りでは、だがな」
そう言って、意味ありげにマリオンを横目に見るエリク。マリオンは眉を寄せた。
(私なら、この人の婚約者という立場で直接合鍵を作ることは可能だったと言いたいのね)
事実、マリオンにはその権限があった。もちろん、合鍵を作らせたことはないのだが。




