悪女の容疑 2
「じゃあ、この死体は……いや、でも顔を確認しないことには……ギルバートとは……」
「そうだ、二の腕!」
「え?」
ディルが自身の左腕に指をさしながら言った。
「ギルなら左の二の腕に、タトゥーがある。ほら、鷲の図柄のやつだよ。幸い、腕の部分には鎧を着けていない。これなら……」
「なるほど。二の腕なら、袖を捲るだけで済むか」
それまで無言だったエリクが、納得したように頷いた。
死体を麻縄で拘束するためなのか、なぜか両腕だけは鎧を着けていない。しかも、鎧の下は袖を捲りやすいシャツを着ているのみだ。これなら、ヘルムを取って相手の死に顔と目を合わせる必要はなくなる。
(でも、進んで死体に触れようとは誰も思わないのよね)
マリオンが思うように、言ったはいいものの、ディルもエリクも動こうとはしない。青ざめているウィンターやアンジェリーナも、当然のように俯くばかりだ。このままでは埒が明かない。
「私がやりますわ」
「えっ?」
およそ淑女がとるべき発言でも、やるべき行動でもないことをマリオンが口にしたことで、周囲はどよめいた。
「それは、止めた方が……」
さすがのエリクも、こればかりは制止にかかろうとしたが、
「では、殿下がやってくださるの?」
と、すかさずマリオンから聞かれ、口籠ってしまう。
もちろん、やりたくてやるわけではない。誰もやろうとしないから、それを買って出ただけだ。いずれ呼ぶ警吏に任せることもできるが、所詮は安い給料で雇われている役人だ。エミリアの事件も、ろくな捜査が行われなかった。この死体が誰なのか、それを調べるくらいで、侯爵家に噛みつく者はいないだろう。
(前世なら、怒られるくらいでは済まないことだろうけど)
そう思いつつ、エリクから予備の手袋を借りようとしたところで、またもやこの少年が手を挙げた。
「私がやりましょうか?」
「オーウェン君?」
「手袋は予備もありますし、汚れても構いません」
今日は何度驚くことだろう。マリオンはオーウェンの言動に、いちいち目を丸くさせた。
(こんなに物怖じしない人だったのね……)
誰もがやりたがらないことを、率先して行動する姿に感心しつつ、マリオンは「大丈夫よ」とやんわり断るも、エリクが「頼む」と言ってその役目をオーウェンに託した。
それからオーウェンは、死体の足元で倒れている椅子ではなく、そこから少し離れた別の業務机の椅子を引っ張り出した。踏み台にしようとしているのだろう。それを、
「あ、待って。オーウェン君」
「マリオン?」
マリオンが止めた。訝しそうにエリクが彼女を見るも、当の本人は知ってか知らずか、
「その椅子を使う前に一度、倒れている椅子を遺体の足元に立ててくださる?」
と、指示を出した。これが気に入らなかったのか、エリクがマリオンの肩を掴んだ。
「おい、誰の許可を取ってオーウェンを使おうとする。お前はもう、私の婚約者じゃないんだぞ」
最後は語気を強めて、きつく言い放った。傍にいるアンジェリーナが、あわあわと慌てた様子を見せる。
「これ以上、勝手をするな」
ここまで言えば、マリオンは逆らえない。エリクも、周りの彼らもそう思ったことだろう。
だからこそ、マリオンの返答は意外なものだった。
「お断りします」
「えっ?」
エリクは口を半開きにして眉を上げた。まさか歯向かってくるとは、思ってもみなかったのだろう。
二の句が継げないでいるエリクに対し、マリオンは一歩踏み込んで彼に言った。
「大事なことですわ」
「うぐ……」
睨み上げるような青い瞳が、まっすぐエリクに訴えた。黙って見ていろ、と。
エリクはそれ以上、何も言えなくなった。
「オーウェン君。お願い」
マリオンが再度オーウェンに伝えると、彼は黙って倒れている椅子を死体の足元に立てた。
(やっぱり……!)
抱いていた疑念が確証に変わった。ぶらん、と宙に浮かぶつま先が、ほんの僅かほど革張りの座面から離れている。踏み台にするには、些か高さが足りない。
後ろで縛られた両手、加えて踏み台にするには高さの足りない椅子。この状況から、他殺であることが確定した。
では、この椅子はいったい何に使われたのだろうと、マリオンは思考する。
よく見ると、座面がぐっしょりと濡れている。これが見た通りの縊死ならば、弛緩した体からあらゆる水分が外に溢れ出ていてもおかしくない。事実、床は死体から出たであろう糞尿で濡れ広がっていた。
(だとしても、こんなに大量に濡れるものかしら?)
濡れた座面を見つめていると、ディルもまた問題の椅子を見ながら疑問に思っていることを口にする。
「それにしても、なんで椅子がこんなところに転がっているんだ? それにこれ、元々はエリク様が使っている業務机とセットであったものだろ?」
そう言われて、マリオンは死体の背後にある業務机に視線を移した。部屋に業務机は全部で五台ある。部屋の中央にある死体の背後の机が普段エリクが使用しているもの。他、手前の四台は、ウィンター、ディル、ギルバート、マリオンの四人が使用しているもので、普段から二台ずつ横に並んで置いてある。それが今は、奇しくも死体を囲っているように見えた。
(まあ、最近はほとんどアンジェリーナが使っているけれど)
エリクの席から向かって右側の席がマリオンの定位置だったが、いつの間にか椅子ではなく豪奢なソファに替わっている。アンジェリーナの腰を慮ってのことだろう。
しかし、わざわざエリクの椅子を使うなど、何か意味があるのだろうか。
「そんなの、我々にこの惨状を自殺と思わせるためだろう。いいから、オーウェン。早く袖を捲って確かめてくれ」
「はい」
エリクに急かされ、オーウェンが別の椅子に乗り、死体の左腕に触れた。後ろで両手を縛られた状態の袖を捲るのは、想像以上に手こずるようで、時間はかかったもののようやく、細い二の腕があらわになった。そこには、鋭い眼光を持つ一羽の鷲が彫られていた。
「ギルバート先輩のタトゥーはこちらで間違いないですか?」
「ギル……」
ギルバートが入れた図柄を直接見たことのないマリオンだが、他の人間の青ざめていく表情を見る限り、それが間違いないものだと知った。
(やっぱり、私は死神なのね……)
本音を言えば、当たって欲しくなかったが、目の前の現実を受け止めなければならない。
ギルバートは死んだ。殺されたのだ。




