20 ゼプター
埋葬を終え、私とレキは館でのびているエリーゼの元へ戻った。
「ほら、起きなさい」
体を揺さぶると、程なくしてエリーゼは目を覚ます。
「う、う~ん……こごは……ひ、ひぃっ!」
私の顔を見るなり化け物を前にしたような反応をするエリーゼ。
「ごべんなさいごべんなさい、反省してますっ! もう人を騙したりしません! だから命だけはあっ!」
「いいから傷を治しなさい。治療魔法は使えるんでしょう」
「は、はいいい!」
促されると、エリーゼは《ヒール》を使って自身の傷を治療していく。
腐っても修道女、そちらの系統は得意分野らしい。
「あ~、生き返りましたわ。死んでませんけどね」
「妙に元気ね……」
「1度死線をくぐり抜けた人間は最後まで生き残ると相場が決まっておりますのよ。これを生存フラッグと呼びますわ」
「何を言ってるのかさっぱりだわ。……で、どこの指示でレキを連れ去ろうとしたの」
おおまかな事情はレキから聞いている。
もしエリーゼが“人間の組織”と繋がっているのなら、それはレキの過去を知る手がかりだ。
ならば本人に直接尋ねるのが手っ取り早い。
「えっ……それはその、もじもじ」
「治したばかりの傷口を早速開かせたいみたいね」
「ひえっ! レキちゃん、暴力女がさっそく無抵抗の人間を痛めつけようとしてますわ!」
「いいよ別に。喋らないってことは抵抗するってことでしょ」
「いいんかいっ。わー! わかった、わかりましたわ!」
黙ったところで得があるわけでもないだろうに、要らない手間を掛けさせないで欲しかった。
それからすぐにエリーゼは、その名を告げる。
「ゼプターよ! 手簡で連絡を寄越したのは、ゼプター!」
…………は?
ゼプター?
完全に頭の外だった名前を告げられ、思考が止まる。
「……適当に言ってるんじゃないでしょうね」
「どこまで疑り深いんですの! 教会繋がりなんだから、有り得ない話じゃないでしょおっ!」
……確かに、教会に協力を要請できる組織となると数は限られてくる。加えて町の中を歩いていて不審に思われないのも納得が行く。
だが寄りに寄って、あそこ?
「ローザ。ゼプターって?」
「……教会は護教のために信徒の中から“聖騎士団”を結成しているのよ」
聖マレア教会は大陸北東部に教会領を有している。
その領内の治安維持を責務としているのが敬虔なマレア信徒で構成される聖騎士団。
称号の1つである騎士とは違い、こちらは団に所属する兵士全てをマレアの加護を受けた聖騎士と呼んでいる。
「10年前に魔族との戦争が始まった時、聖騎士団からも“前線”に部隊が派遣されることになったの。その部隊名が『ゼプター』。少数精鋭らしいけど、かなりの戦果をあげているらしいわ」
裏を返せば、ただそれだけの組織。
特別な権限を有しているわけでもなく、ましてや1人の人間を狙って暗躍する理由など想像もつかなかった。
「疑うなら教会に来て手簡を見てみなさいな! ちゃんと枢機卿のサインも入ってますわ!」
「……そうね、そうしましょう」
確認は重要だ。
私達はエリーゼを伴って一路教会へ向かった。
・ ・ ・ ・
深夜の町には静謐だけが広がっていた。
松明が焚かれているため道を見失うことはないが、教会のある郊外ともなると月明かりだけが頼りとなる。
「しかしアナタ達、誘拐じゃなければ結局何をやらかしたんですの?」
教会の入り口が見えてきた頃、エリーゼが訊いてくる。
「こっちは真っ当に冒険者をしてただけよ。とにかく色んな連中が一方的に私とレキを狙ってるの。魔族にだって襲われたのよ」
「魔族ぅ? それって保護するために教会が動いているとは考えられませんの? 襲撃してきているのがゼプターだと断定はできないのでしょう?」
「まあ、そこは慎重に行くわ」
まだ私達を狙う“人間の組織”が、ゼプターと決まったわけではない。
ただ、レキの中に存在する何者かが警告してきたのは私も聞いている。そちらの言うことを完全に鵜呑みにもできないが、目的がはっきりしない以上、最大限警戒しておくに越したことはないだろう。
「ていうかアタクシ完全にとばっちりじゃありませんか。まったく今日は散々ですわ……」
「因果応報って言うでしょう。日頃のツケが一気に返ってきただけよ」
「ふう。普段アタクシがどれだけの人間を救済してるかも知らないで」
「救済って単語を使ってる奴が実際に人を救ってるのを見たことが無いわ」
「はいはい。真の聖人を知らない人間はこれだから――」
適当な会話を交わしながら教会の扉を抜けて中に入ったその時。
「あーっ、帰ってきた! もうここを出発したのかと思ったじゃない!」
軽快な声が聖堂内に響く。
身えば聖壇の中心に誰かが立っている。
「教会を留守にするなんて怠慢よシスター。あたし、待ちくたびれちゃった」
「あ、アナタは……」
年齢は20歳前後か。
マレアのシンボルであるクルスの紋様が刺繍された袖のないローブを纏う、肩口で切り揃えられた若葉色の髪が特徴の女だ。
「その服は、ゼプターの……」
「目撃情報を教えてくれるだけでいいって言ったのに、自分で聖都まで連れて行くなんてどういうつもり? あたしが近くにいたから良かったものの――あっ?」
こちらに視線を移した女の双眸が見開かれる。
「あっ、あーっ! やっぱり“霊器”だわ! しかもそっちはローザとかいう冒険者ねっ!? イヒ……イヒヒッ! やっと逢えたわっ! このコソ泥ぉっ!」
歪んだ口の端から漏れるのは、狂気と憎悪。
その全てが私とレキに向けられたものだ。
何、この女。
……霊器?
「イヒヒヒヒ! エノク様っ! ついに、このキリーが霊器を発見しました! というわけでぇっ!」
まだ言葉の終わらぬ内に、女は助走さえつけずに跳躍すると、一瞬で私達との差を詰めた。
「なっ!?」
目を疑うような光景は続く。
振り上げられた女の腕がぼこりと音を立て、一瞬で樹木のようなサイズにまで肥大化。その表面は病的な土色に変わり、さらには手首から先が私達の身長を超えるサイズにまで膨張。水かきのついた蹴爪のような形状へと変容する。
「泥棒女! “それ”はあたし達のものよっ!」
「……っ!? レキ!」
こちらへ目掛けて高速で振るわれる腕。
咄嗟のことに、私はレキを抱えて横へ跳ぶだけで精一杯だった。
「はっ!?」
1人遅れたエリーゼが、引き裂かれる代わりに体を強引に鷲掴みにされ、引き寄せられる。
「2人を見つけてくれて感謝してもしきれないわ、シスター。でも“連絡だけで良い”って書いてあったはず。指示を破ったのね。少しでも情報漏洩の危険があるなら――潰シテおかナいと」
清んだ声音が耳に障る重低音に変わるのと同時。
膿溜まりが破裂するような音を立て、両腕に続き女の頭部までもが急速に膨れ上がった。
腕以外の首から下は元の身長であるのと、なまじ一般的な女の顔が膨張しているため、その異様さは視覚そのものの調子を疑うほどだ。
握り締められたエリーゼを超えてようやく肥大が止まると、女は、人の頭ほどもあるサイズの眼球でエリーゼを凝視した。
「ば、バケモノ……!」
「……大命ニ我が身を捧ゲたこのあたシを、化け物呼ばワリですってェ……! 神罰!」
女――キリーとかいう名前の怪物は、エリーゼを口の前まで導くと、何かを溜め込むようにぶくりと頬を膨らませる。
そして、地獄が訪れた。
「う……ヴォエエエエエエエエエエッ!!!!」
キリーの全開になった口内から、黄土色の液体が土砂のように吐き出される。
体のどこにそれだけの量が蓄積されていたのか、大小の固形物が入り混じったそれは、間違いなく“吐瀉物”だった。
逃げ場のないエリーゼは、土砂のように降り注ぐ排出物を為すすべもなく全身に浴びてしまう。
「!?!? あぎゃああーー! 臭い、汚いっ! 口の中に入っでぐるうう!? やめでええぇぇっ!!」
生理的嫌悪を催さずにはいられない光景に、私は思わず口元を押さえる。
だがそれだけでは終わらない。
吐瀉物まみれとなったエリーゼの肌には疱瘡があぶくのように発生し、目、鼻、口、耳――顔の穴という穴からどす黒い液体が漏れ出した。
「い、痛い゛痛い゛痛い゛オゲエエ……ッ!! 息が出来な゛っ……! お゛あ゛あ゛あ゛ーーっ!!!!」
「どうダ、あたしの体内で丹精込めテ醸造した毒だ! 存分ニ味ワエ!」
のたうち回るエリーゼの絶叫が教会内に響き渡る。
「フん……」
獣肉の腐ったような臭いがあたりに立ち込め、やがてキリーは変わり果てたエリーゼを放り捨てると、首の後ろに不釣り合いな体をぶら下げたまま、腕を回して器用にこちらを向いた。
「ローザ……!」
「わかってるわ!」
……どうしようもない女だったが、まさかここまで悲惨な結末を迎えるとは。
逃げる気は無い。この場でキリーを倒す決意を固め、私は魔杖を構える。
(だけど……何なの、こいつ)
悍ましい見た目は魔族を彷彿させるが、何かがおかしい。
たとえ魔族であっても、生物というカテゴリーでは人間と同様の存在。
姿形を変化させるのも力を抑えて消費を少なくするだとか、種々としての明確な理由があると言われている。
ところが今のキリーは、体の一部分だけを誰かが無理やり捻じ曲げて造物したような、人の意志の介入を感じさせた。
それはまるで、生命を冒涜しているようにも思えた。
「さテ、どちラが先か。……言うマデも無いワね」
――来る。
「《ライトニングスピア》!」
杖をかざし、キリーに先制攻撃を放つ。
巨大化して狙いやすくなった顔面に不可避の雷槍が直撃するものの、奴は表情1つ歪ませることはなかった。
顔も髪も容積が増えた以外は元のままだが、頑丈になっているらしい。
(こいつも生半可な魔法じゃ話にならないか……!)
刹那。
床板を爆散させ、聖堂の天井ぎりぎりまでキリーの巨体が跳び上がる。
「レキ!」
固まっているのはまずい。
私は背中のレキへ退避を促す。
「ウ……ヴォエエエエエエッ!」
するとキリーは上空から吐瀉物をまき散らし、まるで投網のように私達へと浴びせにかかった。
「《バリアウォール=ドーム》!」
床下から隆起した岩土の壁が孤を描き、頭上までをガード。
あんなものに触れるなんて一生モノのトラウマだ。
吐瀉はあくまで吐瀉なのか、壁を溶かすといった効果は見られない。だが今度はキリー自らが巨体を着地させ壁を打ち破る。
崩壊する障壁の奥でキリーが大口を開けたのが垣間見えた。
また吐瀉か。
いや――
ばっくりと開いた口の中から飛び出した何かが、勢いをつけるように唇の周辺をのたうっている。
嫌な予感がした。
あれは“舌”だ。
予想はつく。
おそらく、あの舌は伸びる。
舌の先が二股に割れていて、わずかにだが鉤爪のような黒光りしたモノが見える。
腕を足としている分、おそらくアレを触手のように操って攻撃してくる。
そこまではいい。
嫌な予感というのは、奴が私を見ていないことだ。
視線の先にいるのは。
「まずは逃げられないようにしてからァーーーー!」
レキ。
まさか、どうして。
考える間もなく舌が射出される。
私ではなく、遮蔽物の1つもないところに佇む、姿を晒したままのレキに。
絡め取るなどという生易しい動きではない。人体を切り裂くには十分な速度で、寸でで止まる気配もなく。
考える間もなく私は動いていた。
レキに飛びつき、抱き寄せて床に押し倒す。
「えっ」
触手よりも若干早く。
だがその軌道には、がら空きになった私の背中が存在した。
「っ……!」
服が破け、背部を高熱が駆け抜ける。
切断は免れたものの、背部への一撃を受けて私はたまらず声を漏らす。
「ローザ! 嘘、そんな……!」
「どう、して……!」
この威力、一斉の加減が無かった。
まともに喰らえばレキは無事で済まなかったはずだ。
どうして命まで狙う。こいつらの狙いはこの子のはずなのに。
「は、ドウシテ? 中身なンか問題じゃナイでしょ。ンん?」
私の言葉に、本気でわからないと言った様子で攻撃を止め首を傾げるキリー。
やがて1つの結論に至ったように。
「あんタさァ、もシカしテ、モノの価値がわかってないの?」
価値。
レキの価値。
「……ふざけるな」
「まァ、後でゆっくり拷問しテ聞き出セばいいカ。終わリにシよ」
口に収められた舌がもう1度動き出す。
駄目だ、このままでは。
私は起き上がり、レキを立たせてその背中を突き飛ばす。
「……っ! そんな! ローザ!」
「早く逃げなさい!」
「ダメだよ! ローザを置いていけない!」
いいから早く!
こいつらは目的であるはずのレキを傷つけることに躊躇が無い。
でもレキは離れるどころかこっちへ――
ああ……ああ……っ!
「一丁あがりぃぃっ!」
レキの命を刈り取るべく、舌が吐き出される。
術式を組むのも間に合わない。
【アルスノヴァ】も使えない。
まただ。
また私は失敗した。
手を伸ばすことしかできず、私は。
ガキンッ
銀閃――
金属と金属のかち合う音。
レキの目と鼻の先まで迫った一撃を止めたのは、清廉な輝きを放つ一振りの剣。
「ジャスティさん!」
疾風のごとく現れた女剣士が、レキを守るように怪物と対峙していた。




