009_銀の歯車
舗装されていない道を進む馬車は思った以上に、お尻が痛くなった。
来週からはクッションを持ってこよう。
「やっと到着だよ」
窓越しに見る。
三階建て、赤レンガの建物だ。
入り口の上には、歯車と二本の時計針が合わさった看板が掲げられている。
「時計店、《銀の歯車》。ここが私が働く場所……」
「そうだよ、王都でも指折りの時計店だ」
道中、アル兄様が話してくれた。
銀の歯車は、ディートリヒ伯爵が営む、三つの時計店。
その中の一つで、売り場的には規模は一番小さい。
王都の大通りに面した商店には、建物の間口に応じて税が課せられる。
しかも、この辺りの土地価格は非常に高いとのこと。
そのため、建物は縦に細長く、敷地面積も広くはない。
販売の時計が少ないのは残念だが、三店舗の中では修理の持ち込みが一番多い。
触れない時計よりも、触れる時計派の私だ。
ディートリヒ伯爵は私の趣向を完璧に理解している。
時計が多いのは素晴らしいが、分解できない悲しさの方が勝ってしまう。
本店は貴族街にあり、広めな売り場と大きな工房が備えてあるとのこと。
大通りの店で修理出来ない場合は、本店に送って修理することもあるらしい。
いつかは本店のお店も見てみたい。
「ここに住んではダメでしょうか……毎回、馬車に乗ってここくるのは時間的にも金銭的にも合理的ではありません。あとお尻も痛いです」
「うん、ダメだ。そんなことをしては、君の父上が何をするか分かったものではないからね」
「お父様は私を繋ぐ鎖ですね……」
「その鎖があるから、君は家に帰れるんだ。頼れる家族がいるのは良いことだ」
馬車を降りると、アル兄様がお弁当の包みを持ってくれた。
私は服と髪を整えて、時計店の扉を開ける。
頭上で、カランと鐘の音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
呼びかけてきたのは、身なりの整った男性店員だった。
前髪は綺麗に撫でつけられ、黒色の上着には皺が一つもない。
うん、いかにも時計店で販売員をやっていそうな男性だ。
前世でも全く同じような人を、何度も見たことがある。
異世界でも時計店員の服装規定は共通で良かった。
それに店の雰囲気も、前世と変わらなかった。
壁には一面に時計が掛けられ、磨かれたガラスのショーケースには、宝石のような懐中時計がシャンデリアの光を映して並んでいる。
店があるのは貴族街ではなく、王都でもひときわ人通りの多い一角だ。
値札も貴族街よりも控えめなはずだ。
それでも、重厚な調度品と隙のない店員。
庶民に時計があまり普及していないことが、嫌でも分かってしまう。
これが店としてのブランドを保つためのものなら、それはそれで素晴らしい。けれど、やはり時計は誰にとっても身近な存在であってほしいと思ってしまう。
なら、私が時計の素晴らしさをみんなに伝えて、広めよう!
そうすれば世界に時計が溢れて、最高だ。
そして、それを私が修理する。
完璧な幸せスパイラルだ。
私がニヤけていると、アル兄様が肩を軽く叩いてきた。
「エルナ。自分の世界に入るのはいいけど、挨拶を忘れているよ」
「あ、すみません! 今日からここで働く、エルナ・バルシュミットです」
アル兄様は、少し笑っていた。
この人、私が妄想に浸っているのを楽しんで、わざとしばらく放置していたな。
自分が悪いことは棚に上げて、腹立たしさのほうが勝ってしまう。
自分が悪いのだけれど。
「働く……ですか?」
「あれ、聞いていませんか? ディートリヒ伯爵には話を通してあるはずだが……まさか、エルナを連れてくる店を間違えたか?」
「アル兄様、またお尻の痛い思いをするは嫌なのですが」
「はっ! 失礼いたしました! 私の勘違いです。伯爵様から新しい見習いが来るとは伺っていたのですが……」
店員は、改めて私のほうを見る。
「もう少し大人の方を想像しておりました」
「あはは、確かにそうですよね! 時計職人を目指すには、少し貫禄が足りませんよね!」
それを聞いたアル兄様が、声を上げて笑い出した。
誠にブチギレそうであります。
「大変申し訳ございません。ただいま奥の工房の方に案内いたします。エルナさん、どうぞこちらへ」
私は店内の中へ進む。
その後にアル兄様は続いてこなかった。
「じゃあね、エルナ。王都で野暮用があるから失礼するよ。私がいなくなるからって泣かないでくれよ」
「子ども扱いしないでください。ちゃんと一人で大丈夫です」
「そうだね、君は意外としっかりしているから心配ないね……それじゃ、頑張ってね」
そういうと扉を閉めてしまった。
もう少しくらい心配してくれも良かったのではないだろうか……こっちは十二歳で初めて親元を離れて働くというのに。
全然、気にはしていないけど、やはり少し腹が立つ。
私は扉の方ではなく、奥の工房の方に向き直った。
ここからは本当に一人だ。
「失礼しました、今そちらに向かいます」
「はい、どうぞ。ちなみにですが、そちらの荷物も工房で使うものですか?」
「これはお弁当です」
「皆さんに振る舞われるんですか?」
「いえ、私一人用です」
「……なるほど」
店員さんの笑顔が少し引きつったような気がした。
【バルシュミット家の情報通・マルタ姉様の小話④】
第四回は、私の妹、ハンナ・バルシュミットについてよ。
ハンナは真面目そうに見えて、実はすごくおっちょこちょいなの〜。
忘れ物がないか何度も確認したのに、肝心の鞄を部屋に置いたまま出かけたり、何もないところでつまずいたりするのよ。
この前なんて、なくしたリボンを探して屋敷中を歩き回っていたけれど、最初からずっと自分の手に握っていたわ〜。
本人は、誰よりも落ち着いて行動しているつもりみたい。
失敗に気づくと何事もなかったような顔をするけれど、耳まで真っ赤になるからすぐに分かるのよね!
そんな少し抜けたところも、ハンナのかわいいところよ。




