051_幸せな未来《カレン視点》①
私の祖国はヴァルグレイン帝国だ。
今いるハイゼルン王国から見ると、北の方にある。
生まれ育ったのは、帝国の片隅にある父が治めていた領地。
冬になると雪が深く積もり、領民たちは家の中に籠って春を待つ。
だから、冬になる前に穀物を収穫して、備える必要があるのだ。
秋になると、領地の麦畑は一面が黄金色に染まった。
風が吹くたびに穂先が揺れて、それは金色の狼が間を駆け抜けているように感じた。
幼い私はそんな金狼を追いかける想像をして、麦畑を走り回るのが好きだった。
フランソワーズ家のお嬢様はお転婆だ。
そんな声が聞こえてくる程には領民との距離が近く、打ち解けていた。
ずっとこんな日々が続いていくのだと思っていたのだ。
けれど、貴族の娘には役目がある。
有名な貴族に嫁ぐ事。
父は母以外には妻を持たず、娘は私一人だった。
だから、その役目は私に回ってくる。
「スカーレット、お前に大事な話がある」
リュシアン・フォン・ヴァルモン。
私は十歳年上の男性と結婚をすることになった。
それは両家にとって良い縁談なのだと、父は言った。
ヴァルモン伯爵家は宮廷に影響力がある。
帝都から遠く、国境に近い領地をもつ父は、宮廷での力は弱い。
が、国境守備軍に納めるための魔石監査を行っていた。
伯爵家は軍との関係を深められ、父は宮廷での発言力を強める。
絵に描いたような政略結婚。
だったら、絵に描いたような幸せな結婚生活を送りたい。
当時の私は、本気でそんな事を考えていた。
だから花嫁修行にも真剣に取り組んだ。
王国語の習得に、領地経営、ダンスに礼儀作法。
幸い、昔から何でも器用にこなせる方だったため、それが大変だとは感じなかった。
いや、当時はまだ九歳だったから若さのおかげもあったのかも知れない。
今だったら絶対に、無理だ。
一時間もしないで根を上げると思う。
そして、婚約が決まった数日後の朝。
私の髪は使用人によって綺麗に整えられていた。
いつもは動きやすい様に、後ろに一つにまとめているだけだ。
が、今回は違う。
左右二つに結ばれて、なんだか落ち着かない。
初顔合わせで、緊張もあったのかもしれない。
とにかく胸が慌ただしかったのを覚えている。
はやる気持ちを抑えながら、中庭へ向かった。
東屋には既に、男性が座っていた。
灰褐色の癖のない髪に、鼻筋の通った端正な顔立ち。
琥珀色の瞳はとても綺麗だった。
けれど、その奥には昏い影がさしていた。
今思うと彼の本性は、そこに色濃くでていたのかも知れない。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「気にする必要はないよ。淑女の身支度には時間がかかるものだからね。それに――」
「それに……なんでしょうか?」
「その髪型は、君にとても似合っている。とても可愛いよ」
年上の余裕なのだろう。
女性を褒めることに慣れていたのだと思う。
そして私は、可愛いと言われることに慣れていなかった。
「あ、ありがとうございます」
この日から、私の髪型は毎日ツインテールになった。
彼を恨むようになる、その日まで。
本当に、馬鹿だったと思う。
◇◇◇
「それではまた、来週に会おう。今日は君の好きな物を知ることができて良かったよ」
「……」
「紅茶には砂糖を四つ。ミルクもたっぷり」
「今日はたまたま、甘いのが好きな気分だったんです」
「そうかい。では苦いのが好きな気分の日もあるのかな?」
「……リュシアン様は意地悪です」
「すまない。可愛い君を見ているとどうしてもね」
「頭を撫でても許しません」
「では、どうしたら許してくれるかな?」
「……帰って欲しくありません」
うげぇぇぇぇぇぇぇ!
思い出してて、吐き気が抑えられなかった。
えっ!? 私そんなこと言ってた!?
誰か私の記憶を改竄してない!?
ありえない。
ありえちゃいけないでしょ!!
恨むぞ、十年前の私!
馬鹿にも程があるぞ!
とにかく! これ以上この部分を思い出すと私の精神が持たないので、父が反逆者と呼ばれるようになった日まで話を飛ばします!
◇◇◇
結局のところ、この婚約には裏があったのだ。
ヴァルモン伯爵家が仕組んだことなのか、それとも彼がひとりで企んだことなのか。
それは今でも分からない。
彼は私との逢瀬の裏で、父に魔石の密輸と、反逆の罪を着せる計画を進めていた。
そのために彼は、フランソワーズ家に近づいてきた。
最終的に自分が魔石の権利を手に入れ、軍との癒着を進めるため。
きっと昔のフランソワーズ領だったところは、彼の領地になっているのだろう。
私はその踏み台だったのだ。
その事実は、当時九歳だった私の小さな誇りを傷つけた。
そして、私から家族を奪っていった。
「すまなかった、スカーレット。私が不甲斐ないばっかりに」
その日は雨が降っていたのを覚えている。
闇夜に紛れるように、私たち家族は屋敷を抜けだした。
帝国の憲兵が後ろから迫ってきているのだ。
私たちが抜け出す時間を稼ぐために、幼い頃からつかえてくれた老執事とメイドが残った。
その時は今生の別れのように涙を流したが、どちらも現在もピンピン生きてる。
なんだよ、涙を返してよ! とも思わなくも無いが、本当に生きててくれて良かった。
「大丈夫です、私は走るのが得意なんです」
外套に打ち付ける雨が強くて、ちゃんと聞こえていたかは分からない。
が、父が私の手を引く力はより一層強くなった。
「王国には、魔石の取引で懇意になったディートリヒ伯爵がいる。その方が助けてくれる手筈となっている」
父が言葉を続ける。
「森を抜けたら、小屋がある。そこでディートリヒ伯爵の手の者と合流する手筈となっている。それまでの辛抱だ」
反逆罪を疑われた父が、敵国のハイゼルン王国に逃げようとしている。
これで言い逃れはできなくなる。
それほどまでに私たちは追い詰められていた。
「いたぞ!」
背後から声がした。
振り向くと深緑色の外套を着た人が、私たちを追ってた。
帝国憲兵だ。
そして他にも色が違う外套を着ている者がいた。
リュシアンの私兵だ。
そして、リュシアンも自ら馬に跨って追いかけていた。
あの男が私たちを逃すわけが無い。
彼の悪事を一番知っているのは、私たちなのだから。
「必ず捕まえろ。奴らは国家反逆の疑いがある!」
リュシアンが叫ぶ。
その声から、もう目前まで私たちに近づいて来ているのがわかる。
父に手を引かれ、木々の間へと駆け込んだ。
雨と木々に遮られ、追っ手の姿が見えなくなる。
あと少し、あと少しで森を抜けることができる。
そう思って、少し油断をしてしまったのかも知れない。
「きゃあ!」
私は躓いてしまった。
足を挫き、膝から血が滲んでいる。
これではもう走ることは出来ない。
幸いにも雨のおかげで、追っ手はまだ私たちを見失ったままだった。
だが、それも時間の問題だ。
このままではすぐに見つかってしまう。
だから、父は決断をした。
大きな木の根の隙間に私と母を押し込んだ。
「スカーレット。こんな思いをさせて悪かった……」
私の両肩を掴んで、そう言った。
首を振ることで、否定する。
「お前が、私の娘で本当に良かった」
頭を撫でられた。
そして、父は懐から何かを取り出して私の手に重ねた。
「……お父様?」
「お守りだ。母さんと仲良くするんだぞ?」
渡された懐中時計が手の中で小さく振動しているのが分かる。
表には見慣れた家の紋章。
内側には私の赤ちゃんの頃の姿が描かれていて、ずっと恥ずかしかったのを覚えている。
きっと父からしたら、私はいつまでも赤ん坊のままだったのだろう。
手に乗せられた銀の時計は父の体温で暖かかった。
「……お母様と喧嘩したことなんてありません」
「そうだったね」
父はまた私の頭を撫でる。
けれど今度はそれだけじゃ無かった。
右側のリボンを解く。
いびつなサイドテールの髪型になってしまった。
「……あなた」
「マーガレット……スカーレットを頼む」
父と母は短く言葉を交わして抱き合った。
最後に母は何かを察したのか、髪を留めていたバレッタを父に渡す。
――そして。
「……幸せになれ」
父は、最後に私を見た。
「お父様も……!」
父は小さく微笑むだけだった。
そんなことよりも一緒に来て欲しかった。
そうでないと幸せになんてなれない。
父が私から、離れる。
私は追いかけようとする。
「……スカーレット!」
「お父様! ……っぐう!」
口を押さえられて、後ろから母に強く抱きしめられる。
「こんばんは、今夜はいい天気だね」
「馬上からの挨拶とは、随分じゃ無いか、リュシアン君」
「犯罪者に、礼儀は必要かね?」
「嫌疑の段階では、まだ犯罪者ではない。どうやら勉強が苦手のようだ」
「そう言うあなたは、まだ未来が見えていないようだ。結末はすでに決まっている」
父とあの男が話していると、もう一頭、馬が寄ってきた。
「ヴァルモン卿。現在、周囲を捜索していますが、奥方とご令嬢は見つかっていません」
「そうか……だが焦る必要はない。ゆっくり時間をかけていこうじゃないか。狩とはそう言うものだ」
「……かしこまりました」
従者の男は頭を下げた。
「……見つけることは不可能だ」
「……どういうことだね?」
父は手にしていた私のリボンと母のバレッタを、リュシアンに見せた。
「妻と娘は先に旅立ってもらった。この先に崖があるのは知っているだろ?」
君は娘の婚約者だったのだから。
父はそう付け足した。
「そんな物が証拠になるとでも?」
「信じられないなら、じっくりと時間をかけて調べてみたらどうだい? 狩が好きなのだろ?」
「……あなたが生きている」
「……」
「妻と娘を死なせて、自分だけ生き残る。そんな男では無いだろう?」
父は無言を貫いた。
「それと、あなたは勘違いしている。私は別に君たちを殺すつもりはない。だから、無駄に命を散らす必要はない」
――もっとも。
リュシアンはそう付け足した。
「フランソワーズ家は私の所有物になってもらうがね。娘も数年経てば、立派な淑女になるだろう……今から楽しみだ」
男の顔がさらに歪んだ。
「そういった意味では、そのリボンとバレッタも私への貢ぎ物ということになるかな?」
「……貴様っ!」
「本音が出たなっ!」
リュシアンは手綱を握り、馬が駆け出した。
父は左手を前に突き出す。
「雨だと言うことを忘れたのかい? あなたの炎魔法は私には届かないよ」
私のリボンと母のバレッタが宙に上がった。
リュシアンの視線はそちらに向いた。
両手の空いた父は懐に手を伸ばした。
――そして。
一発の銃声が森に響く。
「経験の差がでたな、リュシアン君」
「……」
弾丸は正確に手綱を撃ち抜いていた。
落馬をしたリュシアンの服に泥がつく。
そして、馬はそのまま走り去ってしまった。
「怖いかね?」
銃口はリュシアンに向いてた。
宙に舞っていたリボンとバレッタが父の手元に戻ってくる。
それらを懐にしまい、代わりに煙草を取り出す。
口に挟み、指を鳴らした。
煙草に火がつく。
「魔法はこういう風に使うのだよ。子供には分からないと思うがね」
紫煙を吐きながら、父が言った。
「私を殺しても状況は悪くなるだけだぞ」
「分かっている……だから取引だ」
「……」
「私の首一つで我慢してくれないかね?」
「……なんのメリットが」
煙を吐く。
「簡単だよ、貴様は明日もパンを食べることができる」
「……伯爵家である私を脅すというか?」
「できれば脅すだけにしたいものだね」
父の目は本気だった。
「……いいだろう、興が冷めた。ここは手を引こう」
「賢明だな。それではまず捜索を止めるように指示をだしたまえ」
「……もちろん構わない。だが、憲兵を止める権限は私には無い」
「私の持っている娘のリボンと妻のバレッタを使うんだ。君も身投げしたところを目撃したと証言すれば、この雨の中だ憲兵も引くだろう」
「……となると残りは、あなたが裏切り者の私を信じられるかどうかだ」
父は肩をすくめて、鼻で笑った。
「信じる必要はない。帝都のとある場所には君の知らない帳簿が一つ隠されている。無論その隠し場所を知っているのは私だけだ」
リュシアンは目を見開く。
でも、それは一瞬のことですぐに元の顔に戻り口元を歪めた。
「……なるほど。あなたの言っていることが真実だとしたら、確かに私はあなたを連行する必要がある。嘘だったとしても、少なくとも奥方とご息女は救える。よく考えたものだ」
「……」
「私の完敗だ」
「取引は成立だな」
父は持っていた銃を、リュシアンに投げた。
彼は立ち上がり、父を拘束すると信号弾を上空に放った。
そのあとの展開は父の話した通りに進んでいった。
父が憲兵に連行される時、ちらりと私の方をみて口を動かしたのが見えた。
『幸せになれ』
そう言ったのだと思う。




