005_寝起きにスープはいかが?
「お腹が空きました」
リーゼ姉様からいただいた愛情多めの拳骨で、頭が少し痛い。
その代わり眠気はすっかり飛び、食堂に来た本来の目的をお腹が思い出した。
きゅるるる、と音が鳴った。
十二歳のピチピチの乙女としては、恥ずかしい。
前世の年齢を足すのは野暮である。
時計は正確に。女性の年齢は曖昧に。
「エルナ姉様、お昼の時間は過ぎてるよ?」
テーブルの下から声がした。
「エミール。そんなところで何をしているんです?」
「夕食までの時間を数えてるの」
エミールは時計の音に合わせて、指を一本ずつ折っていた。
両手を使い切ると、また最初から数え直している。
「どうしてテーブルの下に?」
「ここが一番、時計の音がよく聞こえるからだよ!」
「なるほど」
置き時計は食卓の上にある。
確かに、真下なら音も聞き取りやすいだろう。
「時計を見なくても、音を数えれば時間が分かるんだよ。すごいでしょ!」
「ちなみに。いまは何時ですか?」
「十時!」
時計を見ると、十四時三十二分。
四時間半の時差だ。
元の世界の日本とアフガニスタンならほぼ正解だが、残念ながら私たちは同じ食堂にいる。
「足の指を使えば、二十時までは数えられるかもしれませんね」
エミールは自分の指を見た。
指が十本しかないことに、初めて気がついたような顔をしている。
そのとき、私のお腹がも一度鳴った。
さっきよりも大きい音だ。
二回目になると、もうあまりと恥ずかしいとは思わなかった。
やはり私は乙女ではないのだろか。
「姉様方」
マルタ姉様、ハンナ姉様、リーゼ姉様を見る。
「私の昼食は、どこにありますか?」
三人が私と顔を合わそうとしない。
なぜだろう、すごく嫌な予感がする。
「その〜、最初に言ったでしょ? もっと遅くまで眠っているかと思ったのよ〜」
珍しくマルタ姉様が焦っている。
「それと私の昼食に、どのような関係があるのでしょう?」
「冷めたらもったいないでしょう〜? ねぇハンナ〜」
「私に振らないでください、マルタ姉様! 先に食べちゃおうって言ったのはリーゼよ!」
「酷いですよ! ハンナ姉様! 腐るかもしれないと言ったのは姉様じゃないですか!」
「でも、一番最初に手を伸ばしたのはマルタ姉様よ!」
三人の視線が、マルタ姉様へ集まる。
「私はダイエット中よ〜、だから半分しか食べてないわ〜」
「それはダイエットなのでしょうか?」
嫌な予感は的中だった。
どうやら私の昼食は、姉様方の胃袋の中にあるらしい。
「マルタ姉様、ハンナ姉様、リーゼ姉様……」
三人が、おそるおそる私を見る。
「全員、明日も早朝目覚ましの刑です」
私は笑顔で判決を下した。
異論、反論、異議申し立ては一切認めない。
執行猶予もなしです。
「「「ごめんなさーい!」」」
「ちょっと、何を騒いでるの?」
騒ぎを聞きつけたのか、お母様が食堂に入ってきた。
両手には木の盆を持っている。
盆の上には、黒パンと湯気の立つ豆のスープが載っていた。
いつもと同じ食事のはずなのに、空腹のせいで王都の御馳走よりも輝いて見える。
「お母様、それは!?」
「あなたの昼食よ。部屋へ様子を見に行ったら、もう寝台にいなかったから、急いで用意したの。お腹が空いたでしょ?」
「お母様、大好きです!」
「はいはい、知っているわよ」
お母様は盆を私の前に置くと、気まずそうにしてる姉様達を見た。
「やっぱり、エルナの分を食べたのね」
「どうして分かったの〜?」
「あなたたちを何年育てていると思っているの?」
さすがはお母様です。
時計がなくても、娘達が何をするかは正確に分かるらしい。
◇◇◇
「エルナ、それで、これからどうするつもりなの?」
昼食を終え、水を一口飲んでいると、お母様が心配そうに尋ねてきた。
「伯爵様のお屋敷に時計をお送りします。まだ少し確認したいところはありますが、修理はおおむね終わっています」
「時計のことではないわ。これから、あなたがどうするのかを聞いているの。本当に伯爵様のもとで働くつもり? あなたはまだ十二歳なのよ」
お母様が心配しているのは、伯爵様でも時計でもない。
どうやら私らしい。
それは少し嬉しくて、とても答えにくい質問だった。
「はい、そのつもりです」
「家のお金のことを気にしているの?」
少し語尾を弱めた。
病気のせいで、私に大変な思いをさせたくないのだろう。
「それもあります……だけど」
「だけど……何かしら?」
ここは、正直に話すべきだ。
十二歳の娘らしくないことを言えば、余計に心配をかけるかもしれない。
それでも、何も伝えないまま勝手に決めてしまえば、きっとお母様を悲しませる。
大切な人に何も話さず、一人で何もかも決めてしまう。
前世と同じ過ちだけは、もう繰り返したくなかった。
「時計が好きなんです……家族と離れて働くのは、もちろん寂しいです。本当は、お母様のそばを離れたくありません。マルタ姉様にはまだ頼りたいし、ハンナ姉様とはもっと遊びたい。リーゼ姉様とも、たくさんお話ししたいです。もちろん、ルークス兄様やゲオルク兄様、それにエミールとも、ずっと一緒にいたいです」
飲んだ水が、少しだけ目から出ていこうとする。
慌てて瞬きをして、どうにか引き留めた。
「……」
お母様は何も言わず、ただ静かに私の言葉の続きを待っていた。
だから、逃げずにその目を見つめ返す。
「それでも、私は時計店で働きたいんです。時計のことをもっと知りたい。もっとたくさんの時計に触れたいんです」
膝の上で両手を握りしめ、頭を下げる。
「だから、お願いします。伯爵様のもとで働くことを許してください!」
「エルナ、顔を上げなさい」
「許してくれますか?」
「許すも何も、最初から止める気はなかったわ」
「そうなんですか?」
「そうよ。私は、エルナが何をしたいのか確かめたかっただけ。あなたの人生なんだから、あなたのしたいように生きなさい……本当に時計が好きなのね、エルナは」
「はい、大好きです!」
「それなら、思う存分働いてきなさい。そして、つらくなったらいつでも帰っていらっしゃい。ここはあなたの家なんだから、いつでもエルナの帰りを待っているわ」
お母様は静かに微笑んだ。
本当に、この人の娘でよかったと思う。
「はい! お母様!」
「エルナはいい子ね。それと、お給金はちゃんと自分のために使いなさい」
「でも……」
「でも、は禁止」
「分かりました。では、最近私の喉の調子が悪いので、まずはお薬を買おうと思います。そのあとに、時計を直すための工具を買います」
「生まれてから風邪なんて引いたことのない丈夫な子なのに、そんなことがあるのかしらね」
「きっと、家族のもとを離れることを想像して、風邪を引いたんだと思います。これは長引きそうですね……」
「もう、馬鹿ね。風邪を引いたら働けないじゃない。もっとましな嘘にしなさい。ありがとうね、エルナ」
お母様が頭を撫でてくれる。
それだけで、また目頭が熱くなってしまう。
嬉しいはずなのに、どうしてだろう。
「ところでエルナ〜、伯爵様の時計店には若い職人もいるのかしら〜」
しんみりした空気を、マルタ姉様が持ち前のマイペースさで吹き飛ばしてくれる。
「知りません」
「では、独身の職人は〜?」
「もっと知りません」
「なら今度、見てきてちょうだい」
「時計をですか?」
「職人をよ。ハンナに、ちょうどいい人がいるかもしれないでしょ?」
「勝手に探さないで」
ハンナ姉様の声が低くなった。
「リーゼでもいいわよ〜」
「私も結構です」
「じゃあ、エルナね〜」
「私は十二歳ですよ」
「今すぐ結婚させるとは言っていないわ」
マルタ姉様がいれば、バルシュミット家は大丈夫な気がした。
少し悲しい雰囲気は消えて、いつもの騒がしい時間に戻るのであった。
【バルシュミット家の情報通・マルタ姉様の小話】
記念すべき第一回は、第一話から登場しているアルベルト・クラインを紹介するわ〜。
彼は、近隣の領地を治めるクライン子爵家の次男よ。
背が高く、金髪に青い瞳。顔立ちも非常に整っているわ。馬術、剣術、弓術が得意で、見かけによらず結構な脳筋ね〜。
黙って立っていれば、立派な貴公子よ。
ただし、性格は少し軽いところがあるから要注意ね!
ちなみに、エルナの初恋のお相手でもあるのよ〜。
本人は絶対に認めないし、今となっては忘れてしまいたい過去みたいだけれどね!
私が話したことはエルナには絶対に内緒よ。
また次の話で会いましょうね〜。




