049_ 博覧会と名誉回復
「どなたからですか?」
「昔、婚約していた人だよ……」
予想外の返答だった。
カレン先輩は封を切る。
便箋を広げて、視線を上から下に動かす。
「三日後の夕方に迎えの馬車を寄越すって」
「急ですね……行くのですか?」
「ううん、行かないよ……」
首を左右に振って否定する。
カレン先輩はもう一度、手紙を読んだ。
今度は、ゆっくりと。
私は扉の鍵が開いたままだと気がつき、施錠をする。
こんなことでカレン先輩を守れるわけではないけれど……
「工房長や伯爵に相談するのはどうでしょうか?」
本当は私にも相談をして欲しかった。
でもそれは、カレン先輩を困らせるだけだ。
「そうだね……伯爵は私の昔を知っているから」
そう口にして、少し皺がついた便箋を封筒にしまう。
私はカレン先輩のことを全然知らなかった。
スカーレットという別の名前があったこと、婚約者がいたこと。
そして、その人からの手紙で、こんな顔をすること。
「ごめんね……びっくりさせちゃって。今はお姉さんなんだからしっかりしないとね!」
「びっくりはしましたが、謝らなくて大丈夫ですよ。それにこういうことに年齢は関係ありません」
「そっか……そうだよね! ありがと」
どうにか作ったような笑顔を私に向けてくれる。
逆に無理をさせるようなことを言ってしまったのかもしれない。
「……いえ」
その晩、カレン先輩は壊れた銀製の懐中時計を手にして横になった。
私が寝る直前まで、隣のベッドからは布が擦れるような音がしていた。
◇◇◇
翌朝は約束の通り、私の髪を結んでもらった。
私が結ぶよりも綺麗な三つ編みだ。
カレン先輩も気が紛れるのか、いつもと同じような笑顔を見せていた。
けれど、目の下にある隈は隠せていない。
階下のパン屋で朝食を買って、家で食べてから《銀の歯車》へ向かった。
なんでもない雑談をしながら、出勤するのは楽しかった。
けれどその話の中で、昨晩の話題が出ることはない。
お店に到着して、扉を開ける。
すると奥の工房からは、いつもと違う声が響いていた。
この声には聞き覚えがある。
「おや、エルナ嬢じゃないか」
少し驚いたような顔をしたディートリヒ伯爵がいた。
どうやらジョセフ工房長と何かを話していたらしく、作業台には大きな紙が広げられている。
「伯爵様。おはようございます」
「今日は出勤日だったかね?」
「素材が届いたので連続で作業をしようと思って、一週間ほどカレン先輩の家にお世話になります」
「そうか、それは都合がいい。うん。私は運が良いな」
伯爵は、私が聞き取れるギリギリの声量でそう言った。
「うむ。タイミングもよい。君たちにも今話しておこうか」
なんだか少し不穏な感じがするが、ひとまず話を聞くことにする。
そこでカレン先輩が、口を開いた。
「あの、すみません、伯爵様。実は私からお話ししたいことがありまして……」
カレン先輩はポケットに入れた手紙に触れていた。
「おや、そうだったのかい。一旦私の話が終わってからでも良いかな? 長くはかからない話だ」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
伯爵はにっこりと笑い、ジョセフ工房長に目配せをした。
「ジーク。お前も来い、なかなかに面白い話だぞ」
みんなが集まってから、伯爵は広げていた紙に目を向ける。
紙には大きなホールの間取りが書かれていた。
それは前世で一度だけ参加したことのある同人誌即売会の地図のようで、一つ一つの区画に番号などが書かれている。
伯爵は、その一つの区画を指差した。
そこには《銀の歯車》と書かれている。
「近く、王都で博覧会が開催される。そこで《銀の歯車》も参加し、時計を展示することになった」
「博覧会、ですか?」
「ああ。各地の工芸品や魔導具を集める催しだ。長らく不参加だったが、今回は面白い製品がある。その発表会だと思ってくれ」
伯爵が私を見る。
嫌な予感がした……まさか。
「その面白い製品というのはなんでしょうか?」
「防水ケースとテンプだ」
やっぱり。
「間に合いませんよ」
「何がだい?」
「テンプです。形にはなると思いますが、精度は保証できません」
素材と道具はある。
そしてやる気もある。
が、だからと言って完成するとは言えなかった。
もちろん夜通しやって、全力を尽くす。
それでも時計の心臓とすら言われている部品が簡単にできるとは思えない。
「完成品を出す必要はない。《銀の歯車》の名前でアイディアとある程度の形になった物を発表することに意味がある」
「どういうことですか?」
「会期中には時計職人たちの会議も開かれる。エルナ嬢のアイディアを披露する良い機会だとは思わないかい?」
伯爵は笑顔だが、商人としての鋭い雰囲気をまとっていた。
これこそ、支配階級の出せる凄みなのだろう。
労働者階級はそれに従うだけだ。
私が黙っていても労基が黙ってないぞ!
なんて言う必要はなかった。
私は時計を触れるだけで嬉しいのだ。
この仕事は私にとって生きがいだった。
労働の喜びを知っている私は社畜です。
そしてそもそも、この世界に労基は存在しない。
「エルナに働かせすぎではありませんか? 彼女はまだ十二歳ですよ」
労基ではなく、ジーク先輩が声を上げた。
ありがとうございます。
でも私の精神年齢は、想像よりも上です。
「ジーク先輩、構いません。私はやりたいです!」
「エルナ嬢はこう言っているが、どうだい?」
「エルナ、よく考えるんだ。これでは寝ても覚めても時計漬けの毎日だぞ」
「あっ! ジーク、それは逆効果!」
時計漬けの毎日!
カレン先輩が何かを言ったような気がしたが、私の頭にはもう時計のことしかなかった。
「最高です! 是非とも! ありがとうございます!」
目の端でカレン先輩が額に手を当てていた。
私は改めて広げられた紙を見る。
《銀の歯車》と書かれた区画は決して大きくはないが、ここに自分の時計が並ぶのだ。
それに他の工房の新しい技術を見ることができるかもしれない。
やることも、そしてタイムリミットも決まった。
アストラルスパイダーの銀糸の加工。
ひげゼンマイの成形に、それから各部品の組み立て。
会期中に見ておきたい時計の地図を作るのはそれが終わってからだ。
胸が高鳴るのを感じていると、ジョセフ工房長が私の頭の上に手を置いた。
「当然だが、エルナ一人にすべてを背負い込ませるつもりはねぇ。会場設営や当日までの雑務とかは、俺とジークがやる。カレンは今持っている仕事が終わったらエルナの手伝いをさせようと思っている」
「とても心強いです」
「なーに。無理を言っているのはこっちだ。失敗したって店の名前と伯爵家の名誉に傷がつくだけだ。大したことじゃねーよ、気楽にやりな」
「大したことあるのでは?」
今度は伯爵が笑う。
「安心したまえ、責任というのは上の立場が取るものだ。つまり、すべての責任は工房長にあるということだ」
「俺、妻子がいるんだが?」
「王都は広い。頑張りたまえ」
「私も次の仕事探しを手伝います」
「どうして失敗する前提で話を進めるんだ、全く」
もちろん成功させるつもりではいるが、時計については嘘はつけないため、どうしても慎重な答えになってしまう。
時計の針と一緒だ。
一秒一秒をちゃんと刻むことが大切なのだ。
焦ったっていい結果になるわけではない。
「なにはともあれ《銀の歯車》の博覧会への出展は決まったことだ。どんな結果になるかは分からないが、楽しみにしているよ。そしてこれは私の個人的な見解ではあるが、君たちなら成功させてくれると思っているよ」
伯爵が私たちの顔を見渡す。
その目には期待の色が浮かんでいるような気がした。
「精一杯頑張ります!」
「いい返事だ」
「あと、すみません。一つお聞きしたいことがあります」
「なんだね」
「当日は他の工房の展示を見て回れるでしょうか!?」
「出番がない時は自由に回っても構わないよ。普段見られない珍しい時計も集まるだろう。今回は王家の方も出席なさるし、帝国からの出展もあるからね」
伯爵の言葉に目を輝かせてしまう。
この場で踊ってしまいたくなるほど、嬉しかった。
「……帝国からも、いらっしゃるのですか」
隣にいたカレン先輩がそう言った。
「ああ。博覧会には隣国との技術交流の意味合いもある。流石に帝国の皇帝が来るわけではないが、宰相を含めた有力貴族の一行が、すでに王都に入っている」
カレン先輩は持ってきた封書を取り出した。
「伯爵様。昨夜、私宛てにこちらが届きました」
伯爵の視線が、封筒に落ちた。
宛名を見て、封蝋を見る。
それまでの柔らかい表情が消えた。
「……話したかったというのは、このことかね」
「……はい」
「この場で読んでも?」
カレン先輩はこくりと首を縦に振った。
伯爵は便箋を広げた。
「直接、会ったのかね」
「私が留守にしている間に、下の店に預けていったそうです。豪華な馬車に乗った男性だったと」
「なるほど」
伯爵の視線が手紙の末尾に向けられた。
「彼は、帝国の出展団を率いている。博覧会に合わせた商談や、王国側との会合に出席する予定だ」
送り主は帝国の方だったのか。
それもおそらく有力貴族。
それがなぜ、昔カレン先輩と婚約をしていたのだろうか。
――スカーレット・フォン・フランソワーズ。
カレン先輩は昔、そう名乗っていたと言っていた。
フォン。
それは、昔からの有力貴族の名前に冠される言葉だったはずだ。
「私は、君の居場所を伝えてなどいない」
「はい、もちろん分かっています」
「どうやって知ったのかも含めて、確かめておこう」
「ありがとうございます」
カレン先輩の視線は手紙にずっと向けられている。
「内容だが、端的に言うと君の父上と家の名誉を回復する、とある」
「そんなことは可能なのでしょうか……」
「私の口からは何とも言えない。何を根拠にそう言っているのかは、ここには書かれていないからね。これ以上は本人に訊くしかないだろう」
「……はい」
「手紙は預かってもいいかね?」
「お願いいたします」
「迎えを寄越すという件には、私の方から返事を出そう。君が彼に会いたいというなら、私も同席をしても構わない」
カレン先輩は口を少し開いたが、そのまま何も言わずに閉じた。
「今決める必要はない」
「……ありがとうございます」
カレン先輩は深く頭を下げた。
その声は、いつもの明るい声ではなかった。
伯爵はその後、工房長と二言三言交わしてから私に顔を向けた。
「エルナ嬢。テンプの件は、工房長と相談しながら開発を続けてくれ。必要なものがあったら知らせて欲しい。――それから」
少し顔を寄せて私だけに聞こえるような、小さな声で言った。
「カレン君を支えてあげて欲しい」
「はい。もちろんです」
身体的にはともかく、精神的にはお姉さんだ。
人生経験で言ったら私の方が豊富なのだから。
「頼りにしているよ」
「伯爵様も、どうぞよろしくお願いいたします」
「分かっているとも」
それから伯爵は、最後にみんなの顔を見て《銀の歯車》を後にした。
◇◇◇
伯爵が帰った後も、カレン先輩はひとり窓の外を眺めていた。
いつもなら仕事をサボるなと言いそうなジョセフ工房長は、それを見ても何も言わなかった。
もしかしたらカレン先輩の事情をある程度は知っているのかもしれない。
かける言葉が見つからなかった。
だから私は、いつも通りにすることにした。
なんでもないことのようにカレン先輩を迎えられるように。
昨日話した、太さを均一にするための引き抜き加工の道具を作業台にセットする。
銀糸が収められた箱を開ける。
準備が完了して、いざ小さな穴に銀糸を通そうと力を入れる。
が、
「ぐぬぬ、固くてなかなか進まないですね」
引き抜くためのレバーが回らず苦戦していた。
その声に気が付いてか、カレン先輩が振り返る。
「エルナちゃん」
「はい」
「……聞かないの?」
何が、とは言わなかった。
「気にはなります」
「うん」
「ですが……カレン先輩は今それをお話ししたいのでしょうか」
視線を少し落としたまま、カレン先輩は首を横に振った。
「ごめんね。話したくない訳じゃないの……ただ、今はまだうまく話せそうになくて……」
「大丈夫です。人は話しづらいことを一つや二つ抱えているものです」
「エルナちゃんにもあるの?」
「もちろんありますよ」
「えっ!? 気になるな!」
実は前世の記憶があって、精神年齢は五十七歳ですなんて言える訳がなかった。
――でも。
「いつかお話しいたしますよ」
「そっか、私と一緒だね」
「そうですね、一緒だと思います……楽しくて、優しくて、幸せなことばかり起きてほしいと思います。でも、人生は長いですから。悲しいことも、目を背けたくなることも、起きてしまいます」
八十歳まで生きるとすると、およそ七十万時間。
そのすべてを、楽しい時間だけで埋めるのは難しい。
けれど、辛い時間を一人で過ごさなければならないわけではない。
「……」
小さく息を吸う。
「辛いときには、頼ってください。カレン先輩のそばには、支えてくれる人がいます。微力ではありますが、私もカレン先輩の味方です」
うまく言えているかは分からない。
それでも、これだけは伝えたかった。
「一緒に乗り越えていきましょう。これから先も、先輩と楽しく過ごしたいですから」
カレン先輩が、ゆっくりと顔を上げた。
私を見つめてから、少しだけ口元を緩める。
「あはは。なんだか、慰められちゃったね」
そう言って、小さく頷いた。
「うん。そうだよね。私、一人じゃないんだよね」
「はい!」
「ごほん。何があったのか詳しくは知らないけど、僕もカレンの味方だよ」
「うちの者に手を出そうって奴は、俺がこてんぱんにしてやる。安心しろ」
ジーク先輩もジョセフ工房長も加わってくれた。
窓から差し込む光が、カレン先輩の横顔を照らす。
目元に浮かんだ涙が、きらりと輝いた。
けれど、それが頬を伝うことはなかった。
先輩は軽く首を振ると、私たちを見回した。
「あはは、もう、みんな私のこと好きすぎるって! まったくもう!」
そう言って笑う顔は、いつものカレン先輩だった。
「はい、大好きです! で、早速ですが、少し手伝っていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ! カレンお姉さんに任せなさい!」
カレン先輩が笑う。
つられて、私も笑ってしまう。
ジーク先輩もジョセフ工房長も、同じように笑っていた。
こうして《銀の歯車》は、またいつもの調子で回り始めたのだった。
◇◇◇
「ディートリヒ伯爵から、お手紙が届いております」
王都のとあるホテル。
使節団のために用意された客室で、男は差し出された手紙を受け取った。
封を切り、上から下へと視線を動かす。
頭の中で内容をまとめる。
迎えの馬車は不要。今後の連絡は伯爵を通すこと。そして、フランソワーズ家の処分を見直せるとする根拠について、説明を求めると。
読み終えると、男は手紙を机に置いた。
その顔には、張り付いたような笑みが浮かんでいる。
「迎えは取りやめだ。それから伯爵には配慮が足りなかったと詫びを」
「よろしいのでしょうか」
「ここは自国ではない。たかだか女一人のため、使節団の評判を落とすつもりはないよ。宰相殿に怒られるのはごめんだからね」
男はワイングラスを傾けて、口に含んでから席を立った。
持ってきたトランクから、何通かの書類を取り出す。
「こちらの写しを、伯爵への返書に添えることにしよう」
フランソワーズ家の名誉回復を求める嘆願書の草案だった。
帝国で手続きを進めるうえで必要な役人の名と推薦人である男の名前がそこには書かれている。
「実際に、手続きを進めてしまってもよろしいのでしょうか?」
「何を言うのだね、君は。そのために私は手紙を書いたのではないのかね」
従者の男は無言だった。
それを確認して、男は言葉を続ける。
「伯爵が調べれば嘘はすぐにばれてしまうではないか。それでは面白くない」
希望があるからこそ、絶望は輝くものだ。
「……ですが、没収された領地と財産については、記載がありませんが」
「それでは不満かね?」
「ご実家の再興も、お望みになるかと……これでは帝国で生活ができません。名誉だけではパンは買えないではありませんか」
「まとまった金を持たせて、また亡命されては困るだろ」
平坦な声だ。
感情というものが、抜け落ちてしまっている。
「家名を取り戻し、私の屋敷で側女として不自由なく暮らせる。今のような薄汚い暮らしよりも、よっぽどよい身の上だとは思わないか?」
「……かしこまりました」
「別邸の部屋も整えさせておいてくれ。私の寝室に近い方がいい」
赤いワインに映るその顔は、口元が怪しく歪んでいた。
「夜中に呼ぶたび、長い廊下を歩ませるのは気の毒だとは思わないか?」
その言葉に従者は返事をしない。
ただ頭を下げるだけだった。
「お前は興の分からないつまらない男だな」
「申し訳ございません」
「まぁいい。それと、今後彼女の名を記すときは、カレン・ルンドバーグと。今はそう名乗っているそうだよ」
「そのお名前でよろしいのでしょうか?」
「もちろんだ。相手が大切にしているものは尊重して差し上げないと」
「……かしこまりました」
必要な書類を持って従者が退室すると、男はまたグラスを取った。
嘆願書にはスカーレット・フォン・フランソワーズの署名が必要だ。
男が楽しみにしているのは、彼女の苦悩だった。
名誉を取り戻すために自分に頭を下げるのか、今の生活に甘んじるのか。
あの女は父親によく懐いていた。
さて、どんな顔でペンを走らすのだろうか。
一文字目から躊躇うのか。
それとも、最後の一字を書き終えてから唇を噛むのか。
想像するだけで、男の口元が歪む。
「急ぐ必要はない。もっと私を楽しませてくれ」
男は懐中時計を開き、針の動きを目で追うのだった。




