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044_前世は時計職人でしたが、今世は時計すら買えない貧乏令嬢です

 降っていた雪はやんで、頭に積もる心配をすることなく王都を歩くことができた。

 振り返ると、自分の足跡と、それよりも大きな足跡が続いている。

 歩幅は一緒だ。


「エルナはもっと駄々をこねると思っていたよ」


 大きい足跡の持ち主がそう言った。


「どうしてですか? 伯爵の言い分は正しいと思いますよ」


 伯爵はテンプを私個人ではなく、《銀の歯車》の名義で発表したいと言った。

 オーナーは伯爵なので、実質的には伯爵家の発明ということになるのだろう。

 私はそれで構わなかった。


 発明家として名を残したいわけではない。

 時計職人として生きて、みんなに時計の魅力を知ってもらえれば、それでよいのだ。

 もちろん、生活や家族のことを考えれば、お金も大切だ。


 でも一番ではない。

 二番でもないかな。

 優先順位はそこそこ低めだ。


 それにテンプ自体、私が一から考え出したアイディアではない。

 前世の知識をもとに再現しようとしたに過ぎない。

 だからまぁ、着地点としては良かったのかもしれない。


 冒険者への依頼料も、開発に必要なものも、伯爵が用意してくれるという。

 そのうえ、給金まで上げてくれるらしい。

 手にした革袋を少し揺らして、感触を確かめる。


 重い。


 アル兄様曰く、伯爵は上級貴族の中では信頼できるとのことだった。

 貴族同士のことは、私よりも子爵家のこの男の方が詳しいだろう。

 だったらまぁ、その言葉を信じてみようと思う。


 要は、面倒ごとを伯爵が引き受けてくれるというのだ。

 私は給金が上がり、時計を触る時間も増える。

 いいことばかりではないだろうか?


「正しすぎて怪しくはないか?」


「まったく思いませんね。どうせこれもアル兄様が仕組んだことなのに、白々しいですよ」


「半分くらいはね……」


 頬を掻いて、視線を横に逃がすアル兄様。


「残りの半分は?」


「君のお母さんだよ」


 それは予想外だった。


「どうしてお母様が出てくるのですか?」


「どうやらケースを作る時に、君はまた無理をしたみたいだね……とても心配していたよ」


「危ないことはもうやめろと?」


「応援していたよ……エルナにはもっとのびのびとしていてほしいと……けれど、君が大人になるまでは、お節介をさせてほしいって言っていたよ」


「……」


 お母様はいつも見守ってくれていた。

 そして、ずっと味方だった。

 初めて目覚まし時計を直していた時も、終わるまでそっとしてくれていた。


 働きに行く時には、お父様を説得してくれた。

 そういえば、ケース作りをしていた頃も、私が寝不足の日は、決まってお母様も寝不足だった気がする。

 ……私は本当に、周りが見えていない。


「まぁ、天才発明家としてのデビューはもう少し先というわけだ……伯爵にはこき使われるだろうが、身に危険が及ぶことはないだろう」


「仕事のやりすぎで過労死コースがないといいですね」


「若いからその心配はないだろう」


「若すぎるのが問題だと思います」


 アル兄様は笑った。


「大丈夫ではないか? エルナの周りには、君を支えてくれる人がたくさんいるじゃないか……君は思った以上に人たらしだよ」


「魔性の女でしょうか」


「色気はないがね」


「最低です」


 そんな冗談を言いながら、王都の道を歩いていく。


「ところで、どこに向かっているんだい? 散歩というのも悪くないが、雪の中を歩くのは少し危ないからね」


 雪が危ないことくらい、よく分かっている。

 前世では、雪で滑って頭を強く打った。

 ……それが死因だったのだから。


「まず薬屋です」


 お母様には長く元気で生きてほしいですから。


「まずということは、次があるということだね」


「もちろんです。楽しみにしてください」


 次は『竜の胃袋』で、つけにしていた分を払おう。

 ついでに、そこで昼食も食べていく。

 お腹も空いたし、アル兄様にはいろいろと世話になった。


 今日くらいは、私が奢ってもよいだろう。

 ……私が、人に食事を奢る。

 なかなか感慨深いものがありますね。


 これがお金持ちの感覚だろうか。

 思わず、おほほなんてティアみたいな笑い方をしてしまいそうになる。

 そのあとは、お菓子屋の『蜂蜜の庭』だ。


 ずっと食べたかったケーキを、ようやく買うことができる。

 もちろん、家族の分も買って帰ろう。

 人数分ともなると、なかなかの荷物になりそうだ。


 アル兄様には、もうひと働きしてもらうとしましょう。


「エルナと久しぶりのデートだ。私も楽しむとするかな」


「荷物持ち担当ですよ?」


「男女が二人で出かけたら、それはデートだよ」


「なるほど。では、三ヶ月前も私とデートがしたくて誘ったのですね?」


 今度は私がからかう番です。

 さて、どう言い訳をするのでしょうか。


「そうだとも」


 即答だった。


「……そこは否定しないのですか?」


「君と二人で出かけるのは楽しいからね。否定する理由がないよ」


 ……そうですか。

 それは、どうも。

 頭の中では返事ができたのに、なぜか口から出てこなかった。


「おや、どうしたんだい?」


「……そういうことを、よく平気な顔で言えますね」


「からかい始めたのは君だろう?」


 それはそうですが。

 少しくらい手加減というものがあってもよいと思います。

 けれど、そう言ったアル兄様も、なぜかこちらを見ようとしなかった。


 よく見ると、耳が少し赤くなっている。


「……アル兄様も、照れているのでは? 耳が赤いですよ」


「雪の中を歩けば、耳くらい赤くなるさ」


「では、こっちを向いてください」


「前を見て歩きなさい。滑ると危ないよ」


 急に保護者になりましたね。

 忠告はもっともですが、顔を見せない理由にはなっていないと思います。

 これはどうにか、背けている顔を覗き込んでみたい。


「大丈夫ですよ。さあさあ、その顔を見せてください」


 私はアル兄様の顔を覗き込もうと、右へ左へ身体を動かしてみる。

 まるで反復横跳びだ。

 運動音痴で運動不足の女の子が、雪の上でそんな動きをしたのだ。


 口でいくら大丈夫と言っても、現実は甘くない。

 踏み出した足が、つるりと滑った。

 踏み固められた雪は、ほとんど氷のようになっていた。


 身体が後ろに傾く。

 目の前に、冬の空が広がった。

 ああ、知っている。


 雪で滑って、頭を打つ。

 たったそれだけで、人は死ぬ。


 ――私は本当に、周りが見えていない。


 やけにゆっくりと流れる時間の中で、家族の顔が浮かんだ。

 お父様とお母様。お兄様やお姉様たち、それから弟。

 《銀の歯車》の人たちの顔も、次々に浮かんでくる。


 お母様には、まだ薬を買っていない。

 家族の分のケーキだって、これから買いに行くところだった。

 直したい時計も、作りたい時計も、まだたくさんある。


 なのに、こんなところで?

 また、こんなことで終わってしまうのか。

 最後に浮かんできたのは、金髪の男の顔だった。


 小さい頃の私をよくからかっては、同じ馬に乗せて、いろいろな場所に連れていってくれた。

 彼がいたから、私の世界は広がった。

 そして、私はもう一度、時計職人になることができた。


 そのことを、私はちゃんと伝えただろうか。

 自分の時計ひとつ、買えなかった。

 けれど、時計を直すと、誰かが喜んでくれた。


 それが嬉しかった。

 直した時計は、今も誰かのそばで動いているはずだ。


 私は――前世は時計職人でしたが、今世は時計すら買えない貧乏令嬢です。


 それでも、もし、もう一度生まれ直せると言われたなら。

 私はきっと、またあの家の子供になりたい。

 雨漏りする屋根の下で、同じ家族と暮らしたい。


 そして、もう一度、《銀の歯車》の扉を開けたい。

 そう思えるくらいには、私は幸せだった。

 ……だから、まだ終わりたくない。


 目を閉じる。


「エルナ!」


 どさり、と音が響いた。

 身体に衝撃が伝わる。

 けれど、頭が地面にぶつかることはなかった。


 恐る恐る目を開ける。

 アル兄様が雪の上に膝をつき、私の背中と頭を、その腕で支えていた。


「まったく、君は……本当に世話が焼けるな」


 アル兄様は、いつものように笑おうとしていた。

 けれど、私を支える腕には、痛いくらいに力がこもっている。

 覗き込みたかった顔が、思っていたよりずっと近くにあった。


「……ごめんなさい」


「怪我は?」


 私はゆっくりと首を横に振った。

 それを見て、アル兄様が大きく息を吐く。


「よかった……」


 私の頭を支えていた手が、そっと髪を撫でた。

 ……本当に、この人には世話になってばかりだ。


「ありがとうございます」


 口にすると、声が少し震えた。

 言いたいことは、もっとたくさんあったはずなのに。

 今は、それだけで精いっぱいだった。


「立てるかい?」


「はい」


 差し出された手を握って、ゆっくりと立ち上がる。

 アル兄様は膝についた雪を払いながらも、私の手を離さなかった。

 私も、その手を離さなかった。


 お母様の薬を買って、つけを払って、それからケーキを買おう。

 帰ったら、みんなに「ただいま」と言おう。

 そして明日は、工房長に相談したいことがある。


 テンプが完成すれば、もっと正確な時計が作れるはずだ。

 その次は、もっと丈夫に。できれば、もっと安く。

 私の家でも、気軽に買えるくらいに。


 ……まだまだ、やることがありますね。


「また何か、思いついた顔をしているね」


「少しだけです」


「君の少しは、あまり信用できないな」


 アル兄様が困ったように笑った。

 けれど、握った手を離そうとはしなかった。

 思いついたことを、全部一人でできるとは思わない。


 今までだって、そうだったのだから。


「その時は、また手を貸してくださいますか?」


「今も貸しているつもりだけどね」


 それもそうでした。

 私は握っていた手に、少しだけ力を込めた。

 直したい時計も、作ってみたい時計も、まだたくさんある。


 その時計を手にした人が、どんな顔をするのかも見てみたい。

 けれど、まずは今日のお買い物だ。

 お母様に、ケーキを食べながら聞いてもらいたい話がある。


 私は今度こそ足元を確かめて、歩き出した。

 雪の上に、二人分の足跡が続いていく。

 歩幅は、やっぱり一緒だった。

これにて、『三つの同じ時計と、魔石を使わない時計』のお話はおしまいとなります。


次章につきましては、現在プロットを作成しているため、更新まで一~二週間ほど間が空いてしまうかもしれません。読者の皆様には申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちいただけますと幸いです。


そして、もう一つ大切なお知らせです。

このたび、本作の書籍化が決定いたしました!

ここまで書き続けてこられたのも、読んで応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

現時点では、書籍版には今回までのエピソードが収録される予定です。


Web版の物語も、もちろんこれから先へ続いていきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
まさか完結!?って思うような文章にドキドキしました。が、次章までお待ちください、と書籍化という、嬉しいお知らせの二本立てでした。 書籍化おめでとうございます。 書籍化作業でよりお忙しいと思いますが、…
書籍化おめでとうございます。 更新をお待ちしています。ブクマして気長に待っています。
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