043_久しぶりの伯爵
その日は雪が降っていた。
馬車の車輪が、積もった雪に轍を刻んでいく。
家を出たときよりも、雪は深くなっているようだ。
白い息を吐きながら、馬車を降りる。
目の前にあるのは、いつも通う《銀の歯車》ではない。
門の向こうには、立派な屋敷が建っていた。
「ここがディートリヒ伯爵の屋敷ですか」
「正確には別邸だね。上級貴族ともなると、自分の領地とは別に、王都にも屋敷を構えることは珍しくないよ」
アル兄様が、なんでもないことのように言う。
貴族の常識は、私にとっての非常識だ。
……私も、身分的には貴族でした。
忘れてしまうくらいには、心はすっかり庶民だ。
「伯爵は、どうして私をこちらにお招きになったのでしょうか?」
「不安かい?」
「少し……時計の修理以外にまで手を広げてしまったので、お叱りを受けるのではないかと」
「あはは、それはないと思うよ。あの時計を五つとも売り切ったんだ。立派な実績じゃないか」
「時計を修理して、ケースを作っただけですよ」
「そうだね。時計を修理して、ケースを作ったんだ。大したものじゃないか」
「……」
ケースの注文が増えたのは、ありがたいことだ。
けれど、この一週間は、その製作に追われていた。
「納得のいかない顔をしているね」
「はい。肝心の時計に触れる時間が減っているので……」
「なるほど、それは一大事だ」
アル兄様は、わざとらしく目を見開いた。
驚いたのは顔だけで、声には驚きの欠片もなかった。
◇◇◇
「久しぶりだね、エルナ嬢。クライン君は先週ぶりか」
「お久しぶりです、ディートリヒ伯爵様」
「先日はお時間をいただき、ありがとうございました」
アル兄様が、慣れた様子で挨拶を返す。
……先週?
ちらりと隣を見る。
アル兄様は、涼しい顔をしていた。
……なるほど、無視ですか。
「寒かっただろう。今、温かい飲み物を用意させる。かけて待っていてくれ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
伯爵が隣に控えていたメイドに一言かけた。
少しすると、紅茶と一緒に焼き菓子まで運ばれてきた。
カップに口をつけて、紅茶を楽しむ。
白湯でない温かい飲み物をいただいたのは、いつ振りだろうか。
身体と同時に心まで満たされてしまった。
「突然招いてしまってすまないね。二人とも」
私たちが一息つくのを待ってから、伯爵はそう切り出した。
「大丈夫ですよ。私もエルナも基本的に暇なので」
「……」
「そうなのかい? エルナ嬢が、凄い顔でクライン君を睨んでいるが大丈夫かね」
「いつものことなので、気にしないでください」
「だそうだが、大丈夫かね」
伯爵が私を見る。
「いつものことなので」
ため息をひとつ。
この男には何を言っても無駄なのだ。
結局いつも私が折れるしかない。
「そうか……君たちの関係は複雑なのだな……」
「ただの腐れ縁です」「ただの腐れ縁ですね」
声が重なった。
遊ぶような友達ではない。
ましてや恋人なんてもってのほかだ。
となると私たちの関係に一番合う言葉は、腐れ縁ということになるのだと思う。
アル兄様もそうだと思っていることには、なかなかムカッとするが。
「なるほど……仲が良いのはいいことだ」
客観的に見るとそうなるのかと、首を捻る。
が、別に仲が悪い訳ではないので否定できない。
伯爵もティーカップに口をつけて、話を続ける。
「早速だがエルナ嬢。《銀の歯車》での活躍を聞いたよ」
ちらりとアル兄様を見る、伯爵。
きっといろいろ、あることないこと脚色して伝えたのだと想像してしまう。
「活躍しましたでしょうか?」
「もちろん」
「どの辺が?」
「お店に損をさせず、利益をもたらした」
「普通のことでは?」
「新人が普通のことをするのは、普通ではないよ」
「時計が好きなので……」
「なお良いことだ。私は成果を出した者には褒美を与える主義でね」
「私ひとりの力では何もできませんでした。褒美を与えるならお店のみんなにも与えてください」
「つまり、自分ひとりでは満足できないからもっと寄越せと? なかなかに面白い」
伯爵は大仰に笑った。
「無理なら、私の褒美を減らして他のみんなに分配することは可能ですか?」
「やってもいいが、それでお店のみんなは喜ぶかね? 感謝を伝えるなら君自身で伝えるべきだ。そしてオーナーである私は店に利益をもたらした者に褒美を与える。何か間違っているかね?」
「……間違っていないと思います」
伯爵は権謀術数が渦巻く貴族同士の中で生きているのだ。
そんな歴戦の老兵に対して、精神年齢だけが無駄に高い私が口で勝てる訳が無かった。
「だが、君のその気持ちは受け取っておこう。他のみんなにも今度の報奨の時に色をつけておくよ」
優しく微笑みかけられてしまう。
まるで孫娘を相手にするような態度だ。
「……ありがとうございます」
そして私は拗ねてしまった孫娘そのもののような態度。
気持ちを切り替えるために、焼き菓子に手を伸ばす。
一個。
もう一個。
負けた分は、菓子で取り返すことにする。
出されたものなので、遠慮する理由もなかった。
なんだろう、こんなことを三ヶ月くらい前にもしたような気がする。
「それで。その褒美は一体どこに?」
わざとらしく手を額に置いて、探すポーズをするアル兄様。
まるで自分が貰うかのような態度だ。
伯爵は軽く笑った後に、テーブルの上に革袋を置いた。
音的に、なかなかの重量感がありそうだった。
「……確認をしても?」
生唾を飲み込んで、そう問いかけてしまう。
「もちろんだとも」
革袋に手を伸ばす。
手に持つと見た目通りに重い。
閉じていた口に指を入れて開いていく。
「……っ!」
目を見開いてしまう。
「これは多すぎです! 明らかに売上以上の金額です!」
「そうかね?」
「はい! これがあれば我が家は一ヶ月以上は余裕で暮らせてしまいますよ!」
「少ないよりはいいだろ? それで好きなものでも買いたまえ。例えば……お母さんの薬とかはどうだね……」
どうしてそれを……と聞くまでも無かった。
隣を見れば原因は呑気に、紅茶を飲みながら座っているではないか。
いつもいつも、先回りばかりして私を助けようとする。
お姉様やお兄様と違って、予想外な立ち回りをするからこっちの気持ちの準備ができないではないか。
だから私は怒るしかできないことに、いい加減に気が付いて欲しいものだ。
「……ありがたく使わせてもらいます」
「うん、そうだ……家族は大切にすべきだ」
伯爵が遠くを見たような気がした。
だが、それも一瞬のことで、すぐに先ほどまでの顔に戻る。
いや、さっきよりも眉間に皺が寄っていた。
「だがね、エルナ嬢……あまり大人を信頼し過ぎてもよくはないよ……」
それは損得で物事を考える商人の顔。
そして、相手を嵌めるときの貴族の顔でもあった。
「どういうことでしょうか?」
「そのままの意味だよ……エルナ嬢、君はもう一つ面白いモノを作ろうとしているみたいだね」
背筋が伸びる。
伯爵が言っているのは、おそらくテンプのことだろう。
「面白いモノかは分かりませんが……時計が魔石なしでも動くようになる、テンプを作ろうとしています……」
先ほどまでの柔らかい雰囲気はない。
横を見ても、アル兄様は私と視線を合わせようとせずに前を向いている。
「それがいったいどんな影響を与えるか分かるかね?」
「魔石に関する知識と経験がなくとも時計の修理ができるようになります」
そのために私はテンプを開発しようとしているのだ。
「ある意味では正解だ。だが、それ以上の影響を与えてしまうんだよ」
「既得権益の破壊ですか?」
伯爵は首を横に振る。
「では、魔石の価値の暴落でしょうか」
またしても横に振る。
「わかりません……」
「兵器だよ」
「……はぁ?」
「……兵器だよ」
「はい、聞こえていますよ?」
暫くの沈黙の後、伯爵は表情を崩した。
「あれ? クライン君! 打ち合わせと違わないか? ここでエルナ嬢は恐れおののいて、泣き出す予定では?」
「ええ、そのはずです。どうやらお菓子を食べ過ぎておかしくなってしまったのかもしれないな。ほれ、吐き出しなさい!」
一体、二人とも何をしているのでしょうか。
お菓子に責任を押しつけないでいただきたい。
もしかして、先週会ったのはこの芝居をお願いするためだったのか?
だとしたら、笑えないですね。
私はため息をつく。
「伯爵もアル兄様も……私を脅そうとしたのですか?」
「「……」」
「はぁ……いいですか? 時計というか計器類の軍事転用なんて普通のことではないですか? そこまで驚くことでもありません」
別に命を奪うための武器をつくろうとしている訳ではないのだ。
私が直接的に関わるようなことはしないが、技術が転用されることは予想していた。
「いや、君は分かっていない。これは一大事だぞ。戦争で魔石封じの結界を張り合うのは、初歩の戦略だ」
アル兄様が反論してきた。
「その中だと、魔石は使えなくなるのですか?」
「ああ、そうだ。ヴァルグレイン帝国とハイゼルン王国を結ぶエーレン回廊には、常時その結界が張られている。つまり、戦場では魔石は使えないというのが今の常識だ」
アルトベルク山脈を挟んで、北にはヴァルグレイン帝国、南には私たちのハイゼルン王国がある。
両国を行き来するには、命がけで山を越えるか、平坦な道が続く回廊を通るしかない。
もちろん、命が惜しい私は後者を選ぶ。
兵士だって、それは同じことだろう。
回廊は二つあり、それぞれエーレン回廊とルーベスト回廊と呼ばれている。
なかでも、両国の中間に位置するエーレン回廊は、重要な戦略拠点となっている。
両国は、もう数十年も停戦状態にある。
とはいえ、停戦したからといって、仲良しになったわけではない。
回廊内では、頻繁に小競り合いが起きているのだ。
ちなみに、お父様が爵位を授かったのは、この停戦前の戦いで武勲を立てたからだったりする。
「敵よりも正確に時刻を把握できるなら、確かに戦略的に有利に働きますね……砂時計ではだめなのですか?」
「もちろん、使っている。だが、戦場で常にまっすぐ立てておくのは難しいものだよ」
「では、日の位置でおおよその時刻は分かるはずですよね」
「今日みたいな日はどうするんだい?」
窓の外を見ると、雪はまだ降り続いていた。
厚い雲に隠れて、太陽は見えない。
なるほど……それにしても、時計職人が時計をいらない理由を探すのは虚しいだけだった。
「確かに思った以上に戦場で役に立ちそうです……」
伯爵が咳払いをしてから、口を開いた。
「それに瘴気の濃い場所でも魔石は使えなくなる。エルナ嬢が思っている以上に、その時計が役立つ場所は多いのだよ」
「理由は分かりました……でも、先ほどの脅しのようなことは必要だったのでしょうか?」
「エルナは時計のことになると周りが見えなくなるからね……少しお灸でも据えようかと……どうやら失敗してしまったみたいだけどね」
「素直に言えば良いものを……」
「素直に言って、ちゃんと聞いてくれるなら私も楽なんだがね……」
アル兄様は肩を竦めて、首を振った。
まるで自分が被害者のような態度だ。
それにしても……私にお灸を据えるだけなら、アル兄様一人で済む話ではないだろうか。
「どうして伯爵様まで?」
疑問に思ったことを口にした。
「好奇心もあったが、それ以上に君に頼みたいことがあるんだよ」
「何でしょうか?」
伯爵は少し言葉を溜めた。
――そして。
「単刀直入に言おう。テンプは、《銀の歯車》の発明として世に出させてくれないだろうか」




