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042_証拠をお見せします!

 証拠を見せろ。

 そう言われることは想定していた。

 だから、実演するための道具も持ってきてある。


 カレン先輩が、水を張った桶をテーブルの上に置いた。


「まずは防水性をお見せします。皆さんの前で、この時計を水に沈めます」


 周囲がざわめいた。

 いくら中古とはいえ、懐中時計は安いものではない。

 それを、これからわざわざ水に沈めるのだ。


 私だって、少し前なら全力で止めていたと思う。


「おい、本物の時計なのか?」


「もちろんです。どうぞ確かめてください」


 私は前にいた戦士風の男に、防水ケースに入った懐中時計を渡した。


「柔らかいな……」


「裏蓋を開ければ、時計を取り出せます。隅々まで見てください」


 男は時計に耳を近づけ、それから文字盤を覗き込んだ。


「動いてはいるな……だが、本物かどうかまでは俺には分からん」


「貸してみなさい」


 ローブを着た魔導師風の女性が、男の手から時計を受け取った。

 先ほど、ジーク先輩の問いかけに、雨で時計を壊したことがあると答えた女性だ。

 ケースから取り出した時計を、慣れた様子で確かめている。


「秒針は一定の間隔で動いているわ。それに、中からゼロ魔石の反応も感じる。……ええ、本物ね」


「ありがとうございます。ジーク先輩、今の時刻も確認していただけますか?」


「分かった」


 ジーク先輩が自分の懐中時計を取り出し、二つの文字盤を見比べる。


「同じ時刻を示しているよ」


「そちらで時間を計っていてください。引き上げたあとに、もう一度比べます」


 女性が時計をケースに戻し、裏蓋を閉めてから私に返してくれた。


「……本当に沈めるのね?」


「はい。そのために作りましたので」


 そう答えて、桶の前に立つ。

 遠巻きに見ていた冒険者たちも、いつの間にか近くに集まっていた。

 皆の視線が、私の手元に向いている。


「では、水に沈めます」


 私は鎖(チェーン)を持って、時計を桶の上へ移動させた。

 指を開く。

 ぽちゃん。


 時計は、あっさりと水の底へ沈んでいった。

 誰かが小さく息を呑んだ。


「すぐに引き上げるつもりじゃあないだろうな?」


 大剣を持った冒険者が、腕を組んでいる。


「どれくらいがご希望でしょうか?」


「そうだな……百秒くらいだ」


「おい、買う金もないくせに意地悪するなよ」


 隣の弓使いに注意されても、男は腕を組んだままだった。


「構いませんよ。なんなら、その倍でも大丈夫です」


「おいおい、正気か? 壊れても俺は買い取らないからな」


「もちろんです。では、今から二百秒ということで」


 周囲を見渡したが、反対意見は出なかった。

 ジーク先輩も、小さく頷いてくれる。

 あとは待つだけだ。


 ……そう、待つだけ。

 桶を見つめる。

 時計は沈んでいる。


 もう一度見つめる。

 やはり沈んでいる。

 さて、どうやって場をつなぎましょうか。


 何も考えていなかった。

 自分から時間を倍にしたというのに。

 語るには短く、何も語らないには長い。


 こういうときに限って、時間はなかなか進まないものだ。

 とにかく、何か話さなくては。

 口を開こうとした、そのとき。


 ぐううう、と私のお腹が鳴った。


「……」


 口より先に、お腹が仕事をしてしまった。

 桶を囲む冒険者たちの視線が、ゆっくりとこちらに向く。

 ……全員に聞こえた。


 最初に吹き出したのは、カレン先輩だった。


「あはは、時計職人は腹時計まで持ってるのかい?」


 弓使いの男が笑い、それにつられて周囲も笑い始める。

 穴があったら入りたい。

 目の前には、ちょうど桶がある。


 顔を突っ込んでしまおうか?


「……実は一番精度が良かったりします」


 苦し紛れの言い訳でも言ってみる。


「そうなの? なら、エルナちゃんを時計代わりに買いたいわね」


 顔馴染みの冒険者が、そんなことを聞いてくる。


「本体価格はお手頃ですが、食費は高くつきますよ?」


「ふふ、なら少し考えさせて」


 まったく、今日の売り物は私ではないというのに。

 けれど、それをきっかけに、冒険者たちからぽつぽつと質問が出始めた。


 ケースの裏蓋はどう開けるのか。濡れたあとはどう扱うのか。

 答えているうちに、いつもの調子が戻ってきた。

 時計の話であれば、いくらでもできる。


「エルナ、あと十秒だよ」


 ジーク先輩の声で、会話が途切れた。

 皆の視線が、再び桶へ向かう。

 先ほどの大剣の男まで、少し身を乗り出していた。


 私は、用意していた布を手に取った。


「二百秒、経ったよ」


 鎖をつまみ、時計を引き上げる。

 ケースから落ちた水滴が、桶の表面に小さな波紋を作った。

 布で水気を拭き取ると、魔導師風の女性が手を差し出してきた。


「貸して。私が確認するわ」


「お願いします」


 女性が裏蓋を開けた。

 覗き込もうとする冒険者たちの頭が、一斉に近づく。


「押さないで。……中は濡れていないわ」


 取り出した時計の表と裏を、皆に見えるように向ける。


「秒針も動いている。そこの色男、あなたの時計と比べて」


「……僕のことですよね」


 ジーク先輩が頬を書きながら時計を受け取り、二つを並べた。

 文字盤を覗き込んでいた男が、先に声を上げる。


「おい、同じ時刻だぞ」


 ざわめきが、大きくなる。


「俺にも見せてくれ!」


「おい、そのケースの中、本当に濡れてねえのか?」


 一歩、後ずさった。

 その私の前に、ジーク先輩が身体を滑り込ませる。


「順番にお願いします。実は、まだ実演が残っているんです」


 冒険者たちに手のひらを向け、笑顔を浮かべた。


「水には強い。でも、落としたらどうなるのか。そちらも気になりませんか?」


「……ああ、そっちも重要だな」


「落としただけで壊れたら、困るものね」


「そうですよね。では、少し場所を空けていただけますか?」


 闘牛をいなすように、冒険者たちをうまく誘導していく。

 それをさらりとやってのける爽やかさは、どことなくアル兄様を彷彿とさせた。

 私は時計を受け取ると、ケースに戻し、裏蓋をしっかり閉めた。


 それから靴を脱いで、椅子の上に立つ。


「次は、この高さから落とします」


 先ほどまで見上げていた冒険者たちと、目の高さが近くなる。

 そこからさらに腕を上げ、時計を掲げた。


「ちょっと待て。そこからか?」


「はい」


「いや、そこまで高くなくてもいいんじゃねえか?」


 百秒を要求した男が、今度は止める側になっていた。


「懐の位置から落とすより、高い方が分かりやすいかと思いまして」


 これは無茶をしているわけではない。

 ゲオルク兄様と、屋敷の二階から石畳へ落とす実験も済ませてある。

 大丈夫だと分かっている。


 分かってはいるのだが。

 ここに集まった人たちは、皆、私の時計を見ている。

 店の棚に並べても、手に取ってもらえなかった時計だ。


 それが今、こんなに注目されている。

 指先に、余計な力が入った。


「……これで壊れなかったら、皆さん、どうか買ってくださいね」


 私史上、最高の営業スマイルを披露する。


「ははっ、しっかりしてんな、嬢ちゃん!」


 ノリのよい冒険者が声を上げ、何人かが笑った。

 は、恥ずかしいことをしてしまった……

 けれど、今さら取り消せない。


 笑ってくれた人の顔を覚えることで、ひとまず気を紛らわせた。

 あとでお声がけしますので。


「エルナちゃん」


 椅子のそばにいるカレン先輩が、私を見上げていた。


「大丈夫。ちゃんと見てるから」


「もし壊れても、また直そう」


 ジーク先輩も、私にだけ聞こえる声で言う。


「僕たちは時計職人なんだから」


 手の震えを、見抜かれてしまったらしい。

 小さく頷く。

 ケースを作るのだって、一人ではできなかった。


 お姉様たちが手伝ってくれて、お兄様が一緒に型を作ってくれた。

 きっと、売れなくても、同じように笑ってくれるのだろう。

 でも、今日は。


 売れましたと、胸を張って帰りたい。

 顔を上げた、そのときだった。

 冒険者ギルドの奥で、壁を背にした男性と目が合った。


 金髪に、青い瞳。

 黙って立っているだけなら、どこに出しても恥ずかしくない貴公子だ。

 ……何をしているんですか、あの人は。


 その男は腕を組んだまま、こちらを見ていた。

 目が合うと、いつもの腹立たしい笑顔を浮かべる。

 まるで、私が失敗することなど考えていないような顔だった。


 そもそも、こんな大勢の前で時計を売ることになったのも、元をたどればあの人のせいなのだ。

 あの人が、私を王都に連れていかなければ。

 ……いや。


 あの人が、私を王都に連れていってくれたから。

 今、私はここに立っている。

 強張っていた肩から、少しだけ力が抜けた。


 つられて笑ってしまったことは、あとで知られたら面倒なので黙っておこう。

 私は、時計へ視線を戻した。


「では、落とします」


 今度は、しっかり前を向いて言えた。

 指を開く。

 乳白色のケースが、手を離れた。


 こつ、と鈍い音がする。

 床にぶつかった時計は一度小さく跳ねて、皆の足元で止まった。

 誰も喋らない。


 カレン先輩が拾い上げ、私に渡してくれる。

 時計に傷はなく秒針は、変わらず時を刻んでいた。

 私は、ようやく息を吐いた。


「正常に動いています。どうぞ、確かめてください」


 差し出すと、先ほどの女性が受け取った。

 文字盤を覗き込み、それから隣の男にも見せる。


「ええ。止まっていないわ」


「……本当だ」


 男の顔が、ゆっくりとこちらに向いた。


「すげえな、これ」


 その声をきっかけに、周囲がどっと沸いた。


「俺にも見せろ!」


「おい、押すなって!」


「落ち着いてください。時計は逃げません! 一人ずつお願いします!」


 ジーク先輩が両手を広げる。

 今度ばかりは、爽やかな笑顔だけでは追いつかないらしい。

 私は女性から返してもらった時計をケースに戻し、質問に答え始めた。


「川に落としても大丈夫なのか?」


「深さの目安は、片手剣一本分くらいです。それ以上深い場所や、流れの強い場所では試していません」


「さっきみたいに落としても?」


「あの高さからなら、確かめていただいたとおりです。ただ、何度でも好きに落としていいわけではありませんので、大切に使ってください」


「はは、そりゃそうか」


 防水性については、領内の湖で一メートルほどの深さまで沈めて確かめてある。

 本当は、どこまで耐えられるのかも調べたかった。

 けれど、限界を調べるには、どこかで壊さなくてはいけない。


 それには時間も、お金も全然足りなかった。


「ケースだけでも買えるかしら? 時計は持っているのよね」


 女性に尋ねられ、言葉に詰まる。

 今回は、時計を売るためにケースを作った。

 ケースだけを欲しがる人のことは、考えていない。


「今ご用意しているのは、時計と組み合わせた五つだけです。ですので――」


「ご注文を受けてから作る形なら、いかがでしょう」


 ジーク先輩が言葉を引き継ぎ、私を見る。


「エルナ、時計の形に合わせて作れるんだよね?」


「はい。型を作り直す必要はありますが、可能です」


 材料と時間があれば作れる。

 むしろ、最初に何度も失敗した分、次はもう少し上手くできるはずだ。


「でしたら、一度《銀の歯車》へ時計をお持ちください。形を確認して、お値段とお渡しできる日をご相談します」


「蓋のないオープンフェイス型に限ります。蓋つきですと、ケースに入れたまま開け閉めできなくなってしまうので」


「どれくらいかかるの?」


「できれば、三週間はいただきたいです」


 今回は、ゲオルク兄様が手伝ってくれた。

 次も頼るつもりで日程を決めるわけにはいかない。


「では、ケースをご希望の方は、こちらにお名前をお願いしまーす! 今日はご希望を伺うだけですので、正式なご注文はお店で!」


 カレン先輩がテーブルの上に紙を広げる。

 なんとも用意がいい。

 私は、目の前の五つを売ることしか考えていなかった。


 先輩たちは、その先まで見てくれていたのだ。

 ……反省することが、一つ増えました。


「それで、その時計はいくらなんだ?」


 ついに、その質問が来た。

 カレン先輩が、値段の書かれた用紙を掲げる。


「時計とケースのセットで、こちらのお値段です」


「高っ!」


 先ほどまで前のめりだった男が、上体を起こした。


「これでも新品よりは安いわよ。もちろん、時計の内部は整備済み。《銀の歯車》の商品として販売するものだから、その点は安心してちょうだい」


 実際にここに持ち込む前に、ジョセフ工房長に時計の内部についても確認してもらっている。

 

「いや、でもよ……その金があったら、新しい剣が買えるぞ」


「うちは防具の修理が先だな……」


 テーブルの前にいた人が、一人、後ろへ下がった。

 空いた場所には、誰も入ってこなかった。

 ケースは壊れないない。


 時計も動いている。

 実演は、成功したはずだった。

 けれど、それと、買ってもらえるかどうかは別の話らしい。


 値段はジョセフ工房長が決めたものだ。

 私たちの一存で、安くすることはできない。


「……よろしければ、実際に手に取ってみてください」


 そう言って差し出した時計を、持ち直す。

 手に取ってもらっても、値段は変わらない。

 そんなことは分かっている。


 何か、もう一つ。

 何か言わなくては。


「俺のパーティは、去年、地下水路の迷宮でえらい目に遭った」


 低い声がした。

 顔に傷がある鉄製の鎧を着た男性だ。

 私の手から時計を受け取ると、乳白色のケースを指で押す。


「水門が開く前に戻るはずだったんだ。だが、途中で時計を水路に落としちまってな。拾い上げたときには、止まってた」


 周囲の話し声が、小さくなる。


「まだ間に合うと思った。……思っただけだった」


 男の指が止まった。


「増水に追いつかれて、一人、流された。どうにか引っ張り上げたが、少し遅れていたら帰ってこなかっただろうな」


 誰も、口を挟まなかった。


「失くしたのが時計だけで済んだのは、運がよかった」


 男が私を見る。


「雨に濡れても、落としても、そのたびに心配しなくていい時計を探してたんだ」


 男の指が、ケースの縁を確かめるようになぞった。

 この人には、一緒に帰ってきてほしい仲間がいるのだ。

 大切な仲間を守るための時計を、探している。


「……壊れない時計では、ありません」


 気がつくと、そう言っていた。

 男が眉を上げる。


「先ほどお伝えした範囲を超えても大丈夫かは、まだ分かりません。どんな場所でも使えるとは、お約束できません」


 ここで、余計なことを言っているのかもしれない。

 でも、この人には、ちゃんと分かって買ってほしかった。


「調子がおかしくなったら、すぐに《銀の歯車》へお持ちください。私が見ます」


「ああ。そのときは頼む」


 男は短く答え、もう一度時計を見た。


「水に沈めて、あの高さから落として、それでも動いてた。俺は、それを見て決めたんだ」


 そして、懐から革袋を取り出す。


「一つ、もらおう」


 私は、返事ができなかった。

 その言葉を、ずっと待っていたはずなのに。


「ありがとうございます!」


 先に答えたのは、カレン先輩だった。

 テーブルの上で、硬貨が音を立てる。

 カレン先輩がそれを数えている。


 本当に、買ってくれるのだ。


「エルナちゃん」


「……はい」


「使い方を、教えてあげて」


「あ、そうでした。すみません」


 男から時計を受け取り、裏蓋を開ける。


「ここを外すと、時計を取り出せます。戻すときは、縁の溝を合わせて……」


 何度も繰り返した動作なのに、指がうまく動かなかった。

 先ほどとは、別の理由で手が震えている。


「落ち着けって。少しくらい落としても平気なんだろ?」


「……なるべく、落とさないでください」


「ははっ。分かったよ」


 男が笑った。

 私も、少しだけ笑えた気がする。

 説明を終え、今度こそしっかりと裏蓋を閉める。


 もう一度、時計を見た。

 埃まみれの倉庫から持ち出して、直した時計だ。

 それを守るためのケースには、家族の手を借りた。


 そんな頑張りをこの人は認めてくれたのだと感じた。


「お待たせしました」


 両手で、時計を差し出す。


「ありがとうございます。……どうか、大切に使ってあげてください」


「ああ。これから、こいつにも働いてもらわなきゃならねえからな」


 男は時計を受け取り、懐にしまった。


「助かるよ、時計屋の嬢ちゃん」


 口を開いたのに、声が出なかった。

 代わりに、深く頭を下げる。

 そのまま、少しだけ顔を上げられなかった。


 ……困った。

 次のお客様が来たら、どうしましょう。


「ねえ、そのケースの相談なんだけど」


 魔導師風の女性の声がした。

 慌てて顔を上げると、女性は紙に名前を書いていた。


「私も、もう雨の日に時計を置いて出かけたくないのよ。近いうちに店へ持っていくわ」


「はい。お待ちしています」


「なあ、俺たちも一つ買わねえか?」


 今度は、弓使いの男が仲間を振り返る。


「一人で買うには高いが、パーティで一つなら出せるだろ。そろそろ、ちゃんとした時計が欲しかったんだ」


「……お前の腹時計じゃ、見張りの交代も怪しいからな」


「嬢ちゃんのと違って、俺のは当てにならねえんだよ」


 笑いが起きる。

 男たちが財布を取り出し、テーブルの前へやってきた。


「俺たちにも一つ、頼む」


「ありがとうございます!」


 今度は、自分で言えた。

 そこからは、ゆっくり喜んでいる暇がなかった。

 時計を手渡し、使い方を説明する。


 ケースの相談に答え、また時計を手渡す。

 カレン先輩が代金を受け取り、ジーク先輩が希望者の名前と話をまとめてくれる。

 私は、目の前の人に説明するので精一杯だった。


 裏蓋は、最後まで閉めてください。

 水に濡れたあとは、拭いてから開けてください。

 何かあったら、《銀の歯車》へお持ちください。


 同じ説明を、何度も繰り返す。

 が、それが少しも苦ではなかった。


「エルナちゃん」


「はい。次の時計は――」


 テーブルへ伸ばした手が、止まった。

 ない。

 時計を並べていた場所には、布だけが残っている。


 桶の横にも、鞄の中にも、見当たらなかった。


「……カレン先輩。時計は、どちらでしょうか」


「売れたよ」


「……全部ですか?」


「うん。五つ、全部」


 カレン先輩が、嬉しそうに笑う。

 もう一度、テーブルを見る。

 本当に、何もない。


 ついさっきまで、あんなに売れ残るのが怖かったのに。


「……嘘ではありませんか?」


「そんな嘘はつかないよ。私が嘘をつくのは、自分の年齢くらいよ」


「奇遇ですね……私も本当の年齢は秘密です」


「なに、その裏がありそうな言い方! すごく気になるんだけど!」


 カレン先輩の声に、思わず笑ってしまった。

 売れたのだ。

 私が直した時計が、五つとも。


「……ありがとうございます。お二人がいてくださって、よかったです」


「私も、来てよかったよ」


 カレン先輩が、私の背中を軽く叩く。


「ただし、これで終わりじゃないからね。ケースの相談、こんなに来ちゃった」


 差し出された紙には、いくつもの名前が並んでいた。

 また、型を作らなくてはいけない。

 材料も集めて、乾燥させる場所も用意しなくては。


 やることが、一気に増えてしまった。


「……忙しくなりそうですね」


「嬉しそうだね、エルナ」


 ジーク先輩に言われ、頬に手を当てる。

 どうやら、顔に出ているらしい。


「はい。嬉しいです」


 隠す必要もなかったので、そのまま答えた。

 それから、ふと思い出してホールの奥へ目を向ける。

 壁際に、あの気障な金髪の男性はいなかった。


 いつ来て、いつ帰ったのだろう。

 最後まで何も言わずにいなくなるところが、いかにもあの人らしい。


「何をカッコつけていたんですかね……」


「ん? どうしたの、エルナちゃん?」


「いいえ、なんでもありません」


 顔を見ただけで安心してしまったことは、まだ内緒だ。

 ただ、帰りの馬車では、少しだけ優しくしてあげようと思う。

 ほんの少しだけですけど。


 私は、時計のなくなった布を畳んだ。

 お姉様たちは、どんな顔をするだろう。

 お兄様は、また何でもないことのように笑うだろうか。


 五つ全部、売れました。

 早く、今日のことを話したい。

 家に着いたら、ただいまより先に、売れましたと言ってしまいそうだった。

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