041_冒険者のための懐中時計
「これが、スライムで作った防水ケースです」
「本当に完成させたのか……まったく……」
ジョセフ工房長は防水ケースを受け取ると、呆れたような口調でそう言った。
けれど、その表情は柔らかかった。
乳白色をした半透明のケースを、裏返したり、指で伸ばしたりして確かめている。
「私一人では作れませんでした。みんなに手伝ってもらって、どうにか完成させたんです。時間が足りなくて、五つだけですが……」
「そうか……」
ケースをひととおり確かめ終えると、ジョセフ工房長はそれを作業台へ置き、私に向き直った。
「エルナ、手を見せてみろ」
「はい」
その言葉を聞いて、《銀の歯車》へ初めて来た日のことを思い出す。
あの日も、ジョセフ工房長は私の手をじっと見ていた。
差し出した両手を、しばらく黙って眺める。
「職人の手になってきたな……」
低い声で、ぼそりと言った。
思えば、この三か月でたくさんの時計と出会ってきた。
伯爵の時計、殿下の時計。そして、孤児院の時計……
それ以外にも物置の時計を整理し、売るための時計も直した。
まだ途中ではあるけれど、ヒゲゼンマイだって試作した。
それを努力と呼んでいいのかは分からないけれど、どれも自分なりに全力を尽くしてきた。
その積み重ねを、ジョセフ工房長はたった一言で認めてくれた。
「女の子らしい手ではないですけどね……」
「女の手かどうかなんぞは関係ねぇ。職人の手だと言ったんだ……うん、いい手だ!」
「……はい」
もう一度、自分の手を見る。
細かな傷が残り、少し硬くなった指先が、ほんの少しだけ誇らしく見えた。
「だからって訳じゃないが、この防水ケース、売っていいぞ」
「本当ですか!?」
「ああ。それから、エルナ……お前は今日から正式な時計職人だ」
「……それって?」
ジョセフ工房長は、時計組合の紋章が押された一通の封書を取り出し、私へ手渡した。
「今朝、組合から届いた。試験に合格したってことだ」
ごうかく。
ゴウカク。
合格!
前世では、何十年も時計職人として生きた。
それでも今世の私は、時計の知識を持っているだけの見習いだった。
ようやく、この世界でも時計職人を名乗ることを許されたのだ。
私は合格通知を胸元へ抱き、小さくガッツポーズをした。
「エルナちゃん、おめでとう! これで正式に修理の依頼を受けられるね!」
「はい! カレン先輩がいろいろ教えてくださったおかげです!」
「私は何もしてないよ。エルナちゃんが頑張ったからだよ」
「ありがとうございます」
「僕も祝っていいかな? おめでとう、エルナ」
「ありがとうございます! まだまだ新人ですので、これからもビシバシ鍛えてください!」
「あれ? 僕って、そんな厳しい指導をしたことあったっけ?」
「いやだ、ジークの新人いびりだ!」
カレン先輩が、わざとらしく両腕で自分の身体を抱いた。
「してないよね!? 誤解を招く言い方はやめてくれないかな!」
慌てるジーク先輩を見て、工房に笑い声が広がった。
◇◇◇
私は防水ケースに収めた五つの懐中時計を持って、王都の冒険者ギルドを訪れていた。
この時計の主なターゲットは、王都の外で活動する冒険者たちだ。
しかし、彼らが《銀の歯車》を訪れることはほとんどない。
ならば、こちらから出向いて売り込むしかないと思ったのだ。
受付で事情を説明すると、顔なじみの受付嬢がギルド長に掛け合ってくれ、特別に販売の許可が下りた。
「エルナちゃんの頼みだから、頑張っちゃった!」
受付嬢は二本の指を立て、得意げに微笑んだ。
私は何度も頭を下げてお礼を伝え、借りたホールの一角に机を置くと、持ってきた時計を並べる。
もっとも、今回の出張販売に来たのは、私一人ではない。
カレン先輩とジーク先輩も一緒だ。
二人はジョセフ工房長を強引に説得し、店を抜けて私に付き添ってくれた。
時計を並べ終えると、カレン先輩がパンパンと手を叩いた。
「さあさあ、《銀の歯車》の出張販売よ! 懐中時計に興味がある人は見ていって!」
よく通る声が、冒険者ギルドのホールに響く。
こうした完全なアウェーでも、物怖じせずに声を張れるカレン先輩は実に頼もしい。
私も声をかけることはできる。
けれど、私が呼びかけをしたところで、マスコット扱いされるか、からかわれるのが関の山だ。
真面目に取り合ってはもらえないだろう。
談笑していた者や、依頼書を眺めていた者が、何事かとこちらを振り返った。
しかし、そのほとんどが一瞥しただけで通り過ぎてしまう。
「おい、懐中時計だってよ。ちょっと見にいくか? ほら、エルナちゃんもいるぞ」
「でも、まぁ気にはなるが、別に冒険者が持ち歩いても意味ないだろ」
「それに、呼び込みをしてる赤髪の子、可愛いな」
「俺はエルナちゃん派だね!」
「どちらにせよ、お前ら程度じゃ無理だから諦めろ」
興味を持ってもらうことはできているようだが、買うという流れに持っていくことまではできない。
予想どおりではあるため、そこまで落ち込んだりはしないが、このままでは一つも売れないかもしれない。
そして、ジーク先輩も前に出る。
艶のある黒髪をさらりと流して、冒険者たちを見渡す。
「冒険者の皆さんに、質問があります」
カレン先輩ほど大きな声ではないが、鈴が鳴ったような心地の良い声が響く。
先ほどまで通り過ぎていた女性冒険者が、足を止めた。
商品に興味を持ったわけではないことは、明白だ。
が、集客に繋がるのならば、整った顔も商売道具となる。
今回は絶対に時計を売りたいんです!
「冒険中に、時計を壊した経験はありませんか?」
その質問に、冒険者たちは互いの顔を見合わせた。
「川に落としたことならあるな。そのまま流されて、どこかに行っちまったけど」
「私も護衛任務の最中、豪雨にやられたわ。依頼中は動きやすいように、傘なんて差していられないからね」
「俺はそもそも時計を持ってないね! 高くて、とてもじゃないが買えないよ!」
「時計がなくても困らないからな。その金があるなら、武器や防具を買っちまうよ!」
口火を切ったのをきっかけに、冒険者たちが面白がって次々と声を上げる。
ジーク先輩は、その一つひとつに真剣に耳を傾け、頷いていた。
「なるほど。確かに時計は高いうえに壊れやすい。直接、冒険者の役に立つ道具でもありませんよね」
そうだ、そうだ、と同意の声が上がる。
「ですが――本当に、そうでしょうか?」
ジーク先輩が、私に目配せをした。
その唇が、声もなく動く。
――頑張って。
私は小さく息を吸い、冒険者たちの前へ進み出た。
ここから先は私の頑張り所だ。
「確かに、時計で魔物を倒すことはできません。ですが、迷宮の中では時計塔の鐘の音は聞こえません。太陽だって見えないはずです」
「それはそうだが、俺は十年間時計なしで迷宮に潜っている。時間なんて大体分かれば十分だ」
「あれが便利なのは分かるけど、必須って訳じゃないわね」
私の声に反応して、冒険者たちも口を開く。
少しだけ怯みそうになるが、スカートを掴み、前を向く。
「はい、そうです! 時計がなくても冒険はできます!」
私があっさり認めると、冒険者たちは拍子抜けした顔をした。
よし! 掴みはいい感じかもしれない。
続けて、声を張る。
「でも――今より条件のよい依頼を受けたいなら、話は別です!」
一拍。
みんなの視線が私に集まっているのを感じる。
いつの間にか、ギルドホールにいるほとんどの冒険者が話を聞いてくれている。
緊張のためか、口の中が渇き始めてきた。
心を落ち着かせて、言葉を紡ぐ。
「羽振りのよい貴族の方や王国の役人の方々は、ほとんどが時計を持っています。そんな方々から依頼を受けるのに、『昼頃』や『日が暮れるまで』では通用しません」
約束の時間や定められた刻限を守る。
当たり前のことだが、時計を持ち、時間を意識していないと、守るのは難しい。
時間を守ることの積み重ねが信用となり、次の依頼や、新たな依頼主との縁に繋がるはずだ。
「時計は武器や防具とは違い、必須の持ち物ではありません。ですが、冒険者にとって依頼主との信頼関係も大切なはずです。時計は依頼主との信用を勝ち取り、よりよい依頼を受けるための道具になります!」
なんて偉そうに言っているが、私は時計を持っていない。
そんなことは著しく説得力を損なうため、私の胸にしまっておく。
「それだけではありません。時間を意識することは冒険者の命も守ります! 想像してみてください!」
私は、冒険者たち一人ひとりの顔を見渡した。
「仲間との合流時刻。迷宮へ入ってからの経過時間。そして、引き返すべき刻限。どれも冒険者にとって、命に関わる大切な情報ではありませんか?」
誰も答えない。
「ほんのわずかな判断の遅れが、大きな事故につながるかもしれません。ただでさえ危険な迷宮へ挑むのに、『正確な時刻が分からない』という危険まで、わざわざ背負う必要はないはずです」
パーティに一つ時計があるだけで、避けられる危険がある。
それなら、持っていくべきだ。
「私は剣を振るえません。魔物を倒すことも、傷ついた人を治すこともできません。私にできるのは、時計を直すことだけです」
それでも――
「その時計で守れる命が一つでもあるのなら、私は何度だって言い続けます」
私は胸を張り、声を上げた。
「時計は、冒険者に必要なものです」
私の声がギルドホールに響きわたる。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
「……言いたいことは分かったよ」
一人の冒険者が低い声を上げた。
「でもよ……肝心の懐中時計が、雨に濡れた程度で壊れたりしたら意味ねぇだろ」
「そうよね……落としても壊れちゃうし」
「そうだ、そんなものに命を預けられるかよ!」
先ほどの静寂が嘘のように、再び野次が飛び始める。
けれど、私は俯かない。
むしろ――その言葉を待っていた。
「皆さんのおっしゃるとおりです。これまでの時計は、冒険に持っていくには高価で、水にも衝撃にも弱いものでした。そこで私たちが作ったのが――こちらの時計です」
私は、防水ケースを取り付けた懐中時計を目立つように高く掲げた。
「こちらの懐中時計は中古のため、新品よりも安価です。そして、このスライムで作ったケースが、衝撃や雨、水から中の時計を守ってくれます!」
つまりこれは――
「冒険者のための懐中時計です」
視線が、掲げた時計に集まる。
けれど、その目に浮かんでいるのは期待だけではない。
「口ではなんとでも言えるな!」
「本当にそんな性能があるなら、ここで証拠を見せろ!」
それに同調するように、冒険者たちの声が大きくなっていく。
「もちろんです。では、証拠をお見せいたします」




