037_売れない時計
「売れてないのですか?」
「……ええ」
「一つも?」
「そうなるわね」
思わず頭を抱えてしまった。
必死になって直した時計が売れていない。
それも……認めたくはないが、一つもだ。
この一か月で、私は15個の懐中時計を修理した。
ちょうど先週、その時計を店の商品棚に置いてもらったのだ。
期待と不安を抱えて、馬車に揺られ《銀の歯車》に来た。
結果は、カレン先輩から聞いた通り。
私は思わずワンピースの裾をぎゅっと握り締める。
泣きだしてしまいたい。
込み上げてくるものを、どうにか胸の奥へ押し込める。
「ど……どうしてでしょうか……」
カレン先輩の顔を見ることができず、自分の靴を見ていた。
「《銀の歯車》に来るお客様には特徴があってね……」
「特徴ですか?」
「そうなのよ……」
カレン先輩は、私の背中をときおり優しくさすりながら、説明してくれた。
《銀の歯車》を訪れるお客様の多くは、貴族や富裕商人だという。
彼らにとって懐中時計は、時刻を知るための道具であると同時に、装飾品であり、身分を示すもの。
由緒のある品ならともかく、傷のついた、ありふれた中古の懐中時計をあえて選ぶ理由はない。
シンプルなオープンフェイスより、豪華な装飾が施された新品の方が好まれる。
一方、王都の庶民には、懐中時計を持ち歩く習慣そのものがほとんどない。
王都には中央時計塔があり、決まった時刻になると鐘を鳴らしてくれる。
わざわざ時計を持ち歩く必要がないのだ。
それに、安価なものとはいえ、置時計や壁掛け時計と比べれば、精密機器である懐中時計はやはり高い。
そして、言ってしまえばおしまいなのだが――そうした人々は、時計を買うために高級時計店である《銀の歯車》へは来ないらしい。
修理や買取の依頼なら、身分に関係なく持ち込まれるが、新たに時計を買うとなると話は別なのだ。
オープンフェイスは流行に左右されにくく、一定の需要がある。
その考え自体は、間違っていない。
けれど、それを求めるお客様が《銀の歯車》に来るとは限らない。
つまり私は、『どこで、誰に売るか』という商売の基本を、すっぽり見落としていたのだ。
「つまり……時計が売れないのは、私のせいですね……」
「いやいや、エルナちゃんはよく頑張ったって! それにまだ一週間だから! このあと、飛ぶように売れるかもしれないよ!」
カレン先輩は手をパタパタとさせていた。
商品が飛ぶように売れるのではなく、カレン先輩自身が飛ぶらしい。
「そうですね……まだ一週間ですね……もう少し様子を見てみます」
「うん、そうそう。落ち込むのはまだ早いよ! これからこれから!」
「はい、ありがとうございます」
どうにか笑顔を作り、気持ちを切り替える。
「エルナ……ちょっといいかい?」
ジーク先輩が声をかけてきた。
カレン先輩が作業に戻って、私が一人になるタイミングを見計らっていたのだろう。
「なんでしょうか」
「少し厳しいことを言うかもだけど……このままだと、売れることはまずないと思う」
「では、ジーク先輩が買ってくれますか?」
「それは最終手段として……」
「すみません、冗談です」
「あ、そうなの!?」
ジーク先輩は目を見開いた。
冗談だと言わなければ、本当に買っていたのかもしれない。
「時計はいくつあってもいいからね……それに、エルナが直したものなら信用できそうだし」
「ありがとうございます。でも、やはりそれでは根本的な解決にはならないので」
ジーク先輩は小さく「そうか」と相槌を打ち、顎に手を置いた。
ときおり目元に落ちてくる黒髪を細い指で払い、泣きぼくろのある目を伏せた。
改めて間近で見ると、やはりジーク先輩の顔をはとても整っている。
カレン先輩も、ジーク先輩の顔と時計修理の技術は認めているようだった。
聞くところによると、ジーク先輩目当てで《銀の歯車》に来るお客様もいるとのこと。
なるほど……確かに、ふとした仕草が妙に様になっている。
ファンがいるというのも頷ける話だった。
カレン先輩は、そんなジーク先輩を羨ましがっていた。
でも、カレン先輩にもファンと言ってよいのか分からないが、妙に熱心な常連客が多い。
修理を頼むときは必ずカレン先輩を指名して、花束を持ってくるオーガの女性。
憧れているからなのか、彼女の髪型と口調を真似して訪れる富裕商人の娘。
そして、三つ目の仮面をして現れる老紳士。
人望があるのだと思う。
ただ、どういうわけか、集まってくる人たちの癖がそろって強い。
「だったら、時計以外の価値をつけてみたらどうかな」
横道にそれていた私の思考を、ジーク先輩の涼やかな声が引き戻した。
「なるほど……付加価値ですね」
ジーク先輩は柔らかく目を細め、頷いた。
「昔、《銀の歯車》で目覚まし付きの置時計を売ろうとしたときの話なんだけど……宿屋の主人に売るとき、『起床保証』っていう付加価値をつけたんだ」
「とんでもなく大きな音が出るようにしたのですか?」
ジーク先輩は首を横に振った。
「最初はそう考えて、轟殻蟹っていう魔物が背負っている響鳴貝を使ってみようとしたんだ。売り文句は『一台で宿屋の全員を起こします!』ってね」
ジーク先輩は胸を張り、人差し指を立てた。
そんなふうに誇らしげに語るジーク先輩を遮るように、ジョセフ工房長が声を上げた。
「おい、ジーク! まさかまた、あの鼓膜破壊時計を作ろうとしてんじゃないだろうな!」
「あはは、何を言っているんですか? あれは目覚まし時計ですよ」
「カレン! あいつの目を覚ませろ!」
「彼はあれで目が覚めているんですよ……エルナちゃんも騙されちゃダメよ。これが、ジークというイケメンの裏に隠された残念な部分よ」
「薄々感じていましたから……似たような人が近くにいるので」
「エルナちゃんも苦労しているのね……」
「カレン先輩には敵いませんよ……」
――なんて、ひと悶着があったが。
どうやらジーク先輩が作った、響鳴貝を使った自称目覚まし時計は、当時、試しに使ったジョセフ工房長の鼓膜を破壊しかけたらしい。
それ以降、トラウマを植え付けられたジョセフ工房長は、寝坊しなくなったとのこと。
ある意味、『起床保証』という付加価値は達成されたのだ。
当然、ジョセフ工房長がそんな鼓膜破壊時計の販売許可を出すわけがないため、その目覚まし時計がお客様の鼓膜を破ることはなかった。
《銀の歯車》が今も営業できているのは、ジョセフ工房長の犠牲の上に成り立っているのかもしれない。
ジーク先輩の問題作は、きっとそれ一つではないのだから……
――と、試行錯誤を重ねたジーク先輩が最終的にたどり着いた答えは。
「結局、カレンの案を採用して、目覚まし時計の性能を上げる方向じゃなくて、アラームが鳴らなかったら、僕が一週間起こしに行くっていう売り文句をつけて、売ってみたんだ……」
「なんとも身も蓋もない売り方ですね……結果はどうだったのですか?」
「……飛ぶように売れたよ」
苦虫を噛み潰したような顔をするジーク先輩。
カレン先輩に一本取られてしまったのだ。
『イケメンが起こしに来るかもしれない』という需要を、ばっちり捉えたのだろう。
カレン先輩の発想力は素晴らしいと思う。
真似したいとは思わないが……
でも、そうか……付加価値か……
シンプルな懐中時計というだけでは、確かに商品としては弱いのかもしれない……
お客様の購買意欲を刺激するような、何か……
思考を巡らせてみるが、やはりすぐには思い浮かばなかった。
となると……久しぶりに姉様たちに頼ってみるのも、よいのかもしれない。
前世のときとは違って、私は一人ではないのだから。




